蓋が開く
図書館の1階は他の階より天井が高い。今は固く閉ざされている正面入り口は、両開きの立派なものだ。入ってすぐは階段の間と呼ばれる吹き抜けで、正面の大階段が吹き抜けをぐるりと囲む2階の回廊につながっている。
「敷物をどかしてください」
アゼの指示に従って、みなで階段の前に敷かれた巨大で分厚い絨毯を丸めていく。現れたこげ茶色の床板は、ずっと覆われていたせいで少し色が違ってはいるものの、その他は特に他と変わりがない。アゼがしゃがみこみ手を当てると、ただの床板のように見えたそこに正方形の白い光が走った。何らかの魔術が掛けられているようだ。
「うん、85年間閉ざされていても、どうやら開きそうですね」
「ここで鍵を使うのでしょうか?」
満足気なアゼにダナンが鍵を見せると、いいえとアゼは首を横に振った。
「ここは蓋と呼ばれていて、図書部長が代々開錠の方法を伝えられています。この下にあるのは玄関と呼ばれている部屋で、その先への扉を開くのが、その鍵です。玄関の先には、大きな空間があるようです。数年に一度、総轄部から依頼があった際には、図書部が預かった鍵を渡して、総轄部はなかで何かをしていたそうです。図書部では玄関と隠し鍵の管理は任されていましたが、その先には関知していません」
どこへつながる、何のための、鍵なのか。ダナンの手のなかにある赤い石のついた鍵は、そんなだいそれたものにはとても見えないのだが。
「統轄部には、記録がないのですよね」
「私が引き継いだなかには、ないように思います」
いちおうテルとダナンで、統轄部の引継ぎの資料のなかから図書館や鍵に関連することは洗い出したのだが、関係のありそうなものは一切なかった。
「手元の記録は、すべて消すことに成功してしまったのね」
少し眉をひそめてアゼが呟く。申し訳ない、と謝るのも違うような気がして、ダナンはテルを伺う。
「どうされますか? いま、開けますか? それとももっと調べてからにしますか?」
「調べて何かが出てくるならそうしたいが」
調べるには情報が不足している。
「図書部では、他に何が記録されているんですか?」
「玄関の先には、従者の間、謁見の間、都市、御殿、と呼ばれる空間があるという記載があります。図書部員は従者の間まで入ったことがあるようですが、詳細は記載されていませんでした。特段、何か記載するべきことはなかったのでしょう。あとは、蓋を開いた日時と人数の記録が、ずらずらと。2年連続数で開くこともあれば、10年が空くこともありました」
「規則性はないということですね」
「なさそうですね。入っていく人数も、2人のこともあれば10人のこともあり、統轄部長がいることもあれば、いないこともあり。数時間で出てくることもあれば、数日出てこないこともあり。季節も時刻も、ばらばらです」
念のため、あとでそれらの記録は複写させてもらう約束をする。それから、と相変わらず凪いだ表情と声で、アゼが続ける。
「最後に書かれていたのは、記入した日から数えて90年後、扉が開かないままであれば、図書館の本をすべて避難させるように、という警告でした。そのための受け入れ態勢を、卒業した図書部長は各自構築しておくように命じています」
沈黙が落ちる。避難。つまり、あまりに長いこと統轄部が「何か」をしないようであれば、この図書館に何かが起きるのか。保守や維持、という言葉がダナンの脳裏を過る。例えばあの、大河の乱杭渡りのようなものとか。
「定期的に保守をすべき何かがあり、その役目を担っていたはずの統轄部がそれを放棄している状態、なんだろうか」
「役目が不要になった、という線は薄そうですよね」
「ああ、それなら記録を消させることなく、堂々と書いておけばいい。何か隠したいこと、後ろめたいようなことがあったんじゃないか」
役目、かと呟いたイネノが、指を折って先ほどのアゼのことばを繰り返した。
「従者の間、謁見の間、都市、御殿。不思議な言葉の並びだよね」
「確かに。部屋の名前と、建築の種類、それにあいだにある、都市。規模がばらばらというか、並列するには違和感があるな」
「その言葉の並びに、思い当たるもの、私はないです。先輩方はどうでしょう?」
「いや、これだけではとても」
「ひとつひとつは、珍しい言葉じゃないですし。固有名詞のひとつでも入っていればいいのに」
ふむ、と全員が考え込むのを見渡してから、ダナンは挙手をした。
「……開けて入ってみた方がいいと、オレは思う」
本の虫と言われているスミ。先輩ふたりも、博覧強記に違いない。それに加えて白の巫の知識をもつイネノ、皇族の教育を受けてきたテル。揃って心当たりがないというのなら、きっと情報がまだ足りていないのだとダナンは思う。
「調べるにしても考えるにしても、この先の行けるところまでいってみない?」
夜も更けてきたが、出直すのももったいない。テルもそれに同意するようにうなずいた。
「では、アゼ部長。この蓋を開けていただけますか」
「いやいや、さすがに下がっててくれないと」
テルが一歩前に出ようとしたので、慌ててダナンは後ろから腕をつかんで引き留めた。何が出てくるとも分からない扉を開くときに、なぜ砂被り席に陣取ろうとしているのだ、この人は。
「在学中は、私がここを任されている。鍵を引き継いだのも私だ」
「それは分かってるけど、状況の分からないところの真正面に立つ大将はいないでしょ。今回はオレが斥候で先陣で前衛」
責任感は分かるが、無謀なことをされても困る。しかし、と渋るテルに向かって、イネノが胸を叩いた。
「僕もいっしょにいますから。ダナンのことは任せてください」
「そうそう、私たちが揃って滅多なことにはなりませんからご安心を」
「スミはぼんやり、イネノはうっかり、ダナンはのんびりと聞いたが」
「それはまあ、そうなんですけど」
「大丈夫。非常事態にはけっこう輝くから」
「待て。1年だけで行く気か?」
「従者の間には図書部員も行った記録があります。危険があれば書き残しがあるでしょうけれど特に記載はないから、大丈夫だとは思いますが」
「それならば、やはり私も」
「85年でどう状況が変わってるか分からないでしょ」
みながくちぐちに主張をした結果、蓋を開けるアゼを守るのにスミを配置し、ダナンとイネノは扉の向こうの状況が分かり次第突入、テルとカラナシが数歩下がった位置でそれを見守ることとなった。
「カラナシ先輩、何かあったらテルを殴ってでも止めて、逃げてくださいね」
「は? なぐ……? いや、まあ、とにかくお守りするので安心してくれ」
くすくすと笑いながらやりとりを見ていたアゼが、床にぺたりと座り込む。両手を先ほど光の走った部分に当て、目を閉じた。
「虚実の家で目を覚ましませ」
一定の速さと高さで呟かれていくアゼの声が、夜のがらんとした吹き抜けにしみわたっていく。光が床を走り、先ほどのように一辺がダナンの身長ほどはありそうな正方形を、階段の下に描く。そのなかには居ないようにと指示されていたので、ダナンとイネノは、アゼのいる辺の右と横にそれぞれ立っていた。
「知るものの胸のうちを綴り、荒漠を識する道行を綴じ、あふれ出る文字を折り、ゆきゆきて、おりおりて、ゆきゆきて、おりおりて」
アゼの声がだんだん小さくなり、床を走った光もだんだんと失われていく。ぽん、とひとつ、アゼが柏手を打つと、そこにはぽっかりと、黒い穴が姿を現していた。




