掛け釘
月が明るい。木々の影は濃いが、道は闇に沈んではいない。歩きなれてもいるし、手燭はいらなかったかなと思いながら、ダナンはテルとイネノの一歩前を足元を照らしながら歩いていた。図書館に辿りつくと、表玄関ではなく裏の通用口へ向かう。そこには灯りを手にした人影が3つあった。ひとりはスミだ。今日は図書部の部員として、ダナン達を迎えている。
「テルホ殿下。ご足労いただきありがとうございます。そして裏口からのご案内となりまして恐縮です」
中央にいたひとりの女性の穏やかな声と仕草にあわせて、全員が頭を下げた。この人が図書部の長か。
「恐縮は、こちらの台詞です。時間を指定したのは私ですから。閉館後に申し訳ない」
「それはお気になさらず。正直申し上げて、私たちにとっても都合が良かったのでお受けしました。さあ、とにかく中へどうぞ」
「感謝します」
スミが扉を開くと、もうひとりが先導に立った。館内は灯りを落としていて、雨戸の締められた廊下は外よりもずっと暗い。ダナンはろうそくを消さずに後ろのテルの足元を照らした。古い紙の匂いの充満したなかを進んで招き入れられたのは、図書のある部屋ではなく、管理室と書かれた木の札のかかる扉だった。そこには灯りが残してあって明るい。ダナンは手燭の火を消した。
「応接室にお通しするべきなんですが、こちらの方が話をしやすいと思いましたので、ご容赦を」
「もちろん構いません。応接されには、また今度改めて伺いましょう」
テルホの軽口に、ぜひ、と図書部長が笑う。図書部員の机を通り抜けた奥に会議用の椅子と机があり、そこに向かい合わせに座った。豪華ではないが大切に使いこまれていることがわかる。客を迎えるためではなく日々仲間たちで使っているのだろう。
「改めまして、統轄部部長のテルホです。こちらは同じく統轄部のダナン。それから友人のイネノ。彼は今回ご相談にあがった件に大きく関わっているので、同席をしてもらいます。信頼できる人物ですので、ご安心を」
「図書部からは、部長のわたし、アゼと、副長のカラナシ、部員のスミで対応させていただきます。わたし以外のみなさんはそれぞれ、ほとんど顔見知りのようですね」
自分の胸元を片手で抑えながら名乗ったアゼは、ゆるゆると波打つ美しい髪を緩やかにふたつにまとめている。穏やかな声色と柔和な表情から、彼女がこちらに友好的であることが伝わってきた。横で丁寧に頭を下げた短髪の男性からも、もとからテルの知り合いであることもあるだろうが、好意と敬意が感じられる。
「改めて、平日の夜に時間をいただいたこと、感謝します。統轄部の役目が本格的になったこともあり、日中はなかなか時間がとれず無理を申し上げた」
「お忙しいなかです、そうお気になさらず。テルホ殿下は統轄部のお役目もありながら、積極的に授業にも参加されていると伺いました」
テルホ殿下「は」ということは、前統轄部長のココンはほとんど他の生徒と一緒に授業を受けていなかったのかもしれない。それはやはり、この学校に来た意味があまりないようにダナンは思う。教師に個別に授業を受けるのならば、家庭教師をつけて自宅でやればいいのだ。それだけの権力と財力とを持っているのだから。
「大変すばらしいことと思います。同じ教室で教えを受けられる同学年の生徒は幸せですね」
「他の生徒が、ですか?」
少し虚を突かれたように聞き返したテルに、アゼは変わらずゆったりとうなずき返す。
「ええ。学びとは、自分のなかにないものを得ることです。皇族というあなたの存在は、ほとんどの生徒の引き出しにない存在でしょう。来年以降は多学年で受ける授業もありますから、わたしたち上級生も楽しみにしているのですよ」
「そうですか……私がいることで、他の生徒の邪魔にならないかと、思ったりもしたのですが」
「人によっては邪魔にもなるでしょうけれど、そう感じたらその人が対処するでしょう。それも学びです」
あっさりとそう言い切ってから、アゼが小さく首を傾げる。
「邪魔になるかとご心配されていたのに、いま授業に出ていらっしゃるのは何故か、お伺いしても?」
「ええ。特に大したことではありません。友人に誘われたもので」
横目でテルに見られて、ダナンは軽く肩をすくめる。その様子を見て、カラナシは驚いた顔をし、アゼは穏やかな笑みをさらに少し深めた。
「ふふ、もっとお話を伺いたいけれど、今日はそろそろ本題に入りましょうか。図書館の鍵と思われるものをお持ちだとか。……カラナシさん、いただいた書類を出してくださいますか」
アゼから促されて、カラナシが1枚の用紙を机に置いた。統轄部から出した照会状だ。統轄部の引継ぎのなかから鍵が出てきた、図書館の鍵の可能性があるので確認してもらえないか、というかんたんな申し入れ。この書類を作りながら、これで幽霊に見せてあげたいので夜の図書館に入れてください、ついでに鍵を見せてください、という書類を作らずに済んだ、とテルは笑っていた。
「ええ。まず、問題の鍵をご覧になってください」
テルの答えに、ダナンとイネノは袂からそれぞれ鍵を取り出して、書類の横に並べた。見た目がそっくりのため、引継ぎにあった方には目印に黒い紐をつけてある。
「2本、ですか。手に取っても?」
「どうぞ」
アゼが鍵を両手にとって近くでまじまじと見る。それはさほど長い時間ではなく、ひとつ頷くと、静かに鍵を元の場所に戻した。
「確かに、図書館の鍵のようです。すみませんが私の知っていることをお話する前に、この鍵を手に入れた経緯など、御聞かせいただけないでしょうか」
「もちろん。照会状やスミからの話と重複するところもあるかと思いますが、ご容赦を。ダナン」
「はい。鍵は、2本別の場所から発見されました。まずこちらの鍵」
ダナンは黒い紐の付いていない方の鍵を指し示す。
「こちらは、入寮試験の際にイネノとオレで、森のなかで拾いました。学校の敷地内にあったものではありません。学校から半日かからないくらいの地点だと思います。ほぼ土に埋まっていましたが、自然に埋もれたのでしょう。とくだん、隠されているような感じはしませんでした」
入寮試験のことは口外禁止だが、約束の魔術を受け入れたイネノと違って、ダナンはテルの許可があれば話せる。ウノメのことは伏せて、かんたんに説明を進めていく。
「いちおう拾ってきたものの、寮の鍵や教室の鍵はぜんぜんかたちが違ったので、この学校の鍵ではないのかもしれないと話していました。ただ後日部屋に遊びに来たスミが目にして、図書館の鍵に似ていると言われていました。ただ確証もないし少し事情もあり、その時点ではこちらへ問合せなどはしていません」
不用意に問い合わせて回収されてしまったら困る。そこは言わずに、もう1本に指先を移して、ダナンは続ける。
「こちらは先日、前代の部長から受け継いだものたちのなかにありました。他のものは説明や注釈がありましたが、この鍵には何も記載も申し送りも皆無です。おそらく数代にわたって、どこの鍵とも知れず、保管だけされてきたものと思われます」
アゼの口が、小さく動いた。やはり、と言ったように、ダナンには読み取れた。それを指摘はせずに、話を進める。
「引き継いだものの全てに、意味があるとは思いません。ただ、自分たちが拾ったものと同じもので、図書館の鍵かもしれないと言われている。ちょうどスミが図書部に入ったこともあり、彼女に相談をしまして」
アゼとカラナシの視線を受けて、スミが頷く。
「図書部員になってみると、図書館の鍵は現在も過去も紛失した様子がないし、もしなくなっていたとしても森に落ちているのも考えにくい、とは思ったのですが、まだ入部して数日の私が判断できることではないと考えました」
そこまでの話を受けて、最後をテルが引き取る。
「それではもっと詳しい方にご相談できればと、統轄部名義で照会状を出し、スミに取り次いでもらったわけです。こちらとしては全く情報がないなかで、少しでも何か手がかりがあるならばありがたい」
「お話は分かりました」
アゼは立ち上がって、壁に向かう。そこには作り付けの鍵の保管箱ふたつあった。首から下げていた紐を引っ張ると、着物のあわせから細い鍵が出てくる。かちん、かちん、といくつか音が鳴り、箱が開いた。
「この図書館は、鍵の意匠を統一しています。持ち手の石の色は3色。黒の鍵は、この図書館の玄関や裏口の鍵、そしてこの保管箱の鍵。緑の鍵は、棚の鍵。赤の鍵は各部屋、つまり扉の鍵です。この図書館で鍵のかかる部屋は40室、つまり赤の鍵は40本の鍵があります」
少し体を開き、アゼが箱のなかを見せる。8個の釘が5行並んですべてに赤い鍵が掛けられている。確かに40本、ひとつの欠けもない。ではこの2本は、偽物か、予備か。ダナンが机のうえの2本の鍵に目を落としたところで、アゼが手にした黒の鍵をもう一度、保管箱に近づける。
「これは代々、図書部長にしか知らされてこなかったことなのですが」
がん、がん、がこん。先ほどとは変わって、重々しい音が響いた。アゼが鍵のかかっている面をうえに押し上げる。下から壁がのぞいた。一部が、窪んでいる。
「お持ちになったのは、47代まえの図書部長のころ、今から85年ほどまえに、記録から消された鍵でしょう」
そこには、空っぽの掛け釘が2本、静かに打ち込まれていた。




