新入生の腕試し
魔法符が赤く光り、ダナンはまぶしさに目を閉じる。微かな浮遊感が消えてから目を開くと、そこは森だった。ぐるりと木々に覆われたなかで、この周辺だけが広場のようになっている。あたりには魔法による赤い光の柱がいくつも立っていて、いっせいに人が転送されてきているのが分かった。転移の魔法陣なんて、庶民にはお目にかかることが一生に一度あるかないかという代物を全員に配り、各地から新入生を一斉に呼び集めるとは、恐れ入る。
(いやでも、全部で30……40人くらいか? 300人はいないようだけど)
みな同じ学帽をかぶり、黒のインバネスコートを纏っている。その下も、白い袷の着物に紺色の袴で一緒だろう。入学案内とともに送られてきた、この学校の制服だ。ダナンがとりあえず隣の人に挨拶でもするかと横を向いたところで、前方から、諸君、と高らかな声が響いた。挨拶も雑談もする暇もなく、何かが始まるらしい。
「入学おめでとう。指定に従って参集していただき感謝する。私はコマイという。君たちを受け持つ教員のひとりだ」
白髪の混じった髪を丁寧に編み込んで顔の横に流した女性が、通りの良い声で呼びかける。全員を見渡せるように浮遊術を使って浮いていたので、こちらからも彼女の全身が良く見えた。濃い茶色の無地の着物に、黒っぽい帯を締めている。自然みんなが口をつぐんで彼女を見た。
「エン帝国の誇るジュロウ学校の新入生諸君、我らは君たちが成長するための助力を惜しまない。今後6年間、最高の教育を約束する。大いに学び、大いに力をつけてほしい」
その声の響きには誠実さが感じられた。さすが帝国最高峰の教育機関。教育者も選り抜かれているのだろう。
「さて、挨拶はこのくらいにしておこう。寿ぎのことばは、入学式にたっぷりとお偉方から聞いてくれ。君たちは、なぜ入寮前にこんなところに呼び出されたのか、と思っているでしょう。今からその説明をする。まずは、この荷物を受け取りなさい」
ぱちん、と彼女が指を弾くと、ひとりひとりの頭上に、赤色の包みが現れた。ダナンは咄嗟に手を前に出して落下してきたそれを掴んだ。それなりに重量のある、大き目の巾着だ。背負えるように長い紐がつけられ、ひとつ、飾りの石がついている。
「君たちには、ここから学校まで自分たちで辿りついてもらう。学校はあそこだ」
指さした先は、ひときわ大きな山だ。その中腹に、確かに何かポツリと建造物の塊のようなものが見えた。豆粒のようにではあれこの距離で見えるのだから、実際はかなり大きいかもしれない。
「地図はないが、この森にいる限りあの山は指針になり続けるから安心しなさい。道中は、君たちの手に負えないような魔物や害獣もいないはずだ。とにかく各々、進みなさい。方法は問いません。なお、君たちが寮に辿りつく過程や行動や結果は、寮の部屋割り、組み分け、また1学期の成績にも加味される。つまり、これから在籍中にあまたある試験の、最初のひとつと思ってもらって構わない」
周りの空気があからさまに変わった。袋の中を見ながら、何だか不意打ちのようなことをするんだなとダナンは思う。学校って、こういうんだったろうか。
「袋には、食料と水が少々入れてあるが、それに加えて簡単な監視の魔法を掛けてある。逐一を監視するわけではないが、成績確認と安全管理に必要な、例えば居場所や時間などは計測される。また、その必要があると判断した場合はこちらから迎えに行く。逆に我々に助けを求めたいときは、その袋の紐についている蜻蛉玉を壊しなさい。説明は以上だ」
そう言い放って、彼女は口のはしを上げるようにして笑った。質問を受け付ける気や交流を図る気はないらしい。
「では、学校で待っている。おのおの健闘を祈る」
その言葉とともに、彼女は姿を消す。それに戸惑うものも、次の行動を迷うものも一人もいない。みな一直線に、山の方向へ駆け出していった。この学校に入るのは優秀で向上心の強いものが多いだろうし、少しでも良い成績をとりたいと志を持って臨んでいるだろうから、当たり前と言えば当たり前か。思い切りいいな、とダナンは感心してあたりの人々を見送る。
「ふげ」
なんとも形容し難い声が聞こえた。ダナンが声の方に目をやると、少し先でひとり、顔を抑えてしゃがみこんでいる。それぞれに歩みを進めていく群衆に蹴られはしないかとはらはらしたが、さすがにみんな避けているようだ。全員が森のなかに入っていったあとに、ダナンは近寄って手を差し伸べた。
「起き上がれる? どうしたの?」
「うぅ、ありがと。後ろの人に押されちゃって」
「それはひどいな」
これから学友になる者を押しのけてまで駆けださずともよかろうに。ダナンの手を借りて起き上がった少年は、金に近い薄茶の目をしていた。色白のまるっこい頬に幼さを感じる。ダナンより背が低いのとまだ子どもらしさが抜け切れていない顔とで幼く見えるが、まあだいたい同い年かひとつふたつ下くらいだろうと目算をつけた。転んだ拍子に帽子も脱げたのか、目の色に似たこげ茶色のふわふわした髪が踊っている。
「時間を取らせてごめん。みんな行っちゃったけど、君は急がなくていいの?」
「急げとは言われてないけど」
「いやでも、試験みたいだし」
ダナンは落ちていた帽子を拾って軽くはたく。それからそれを、好き勝手に踊っている髪の毛を押し込むようにして、彼にかぶせてやった。
「そりゃ早くついたら評価は良いのかもしれないけど、いちばんから良い成績をつける、とは言われてない」
「あれ、確かに」
速さは分かりやすい指標だろうが、それだけではないように思えた。
「目的地はあれだけ遠い。この荷物も、食料と水が入ってる。こういうものが必要な距離なのに、最初ぱっと走ったってしょうがないんじゃないかな」
例えていうならば、短距離走ではなく、長距離走っぽいと、ダナンは考えている。まあ、みんなもそれを認識したうえで、走り出したのだとは思うが。まだ中身を確認していなかったのか、ダナンのことばに少年は袋を開いた。竹の水筒、乾した肉と米と木の実、それと小型の火起こし。ダナンのものとまったく一緒のようだ。それを確認して、少年は首を傾げた。
「この食料、1食分くらいだね。見えているから近く思えるけど、歩いたら直線距離でも2日はかかりそうなのに」
「そうだね。案内書にあった入寮締切日も5日後だった。今日中に着くとは思えないな」
「そう言われれば。そもそも集合日があるのに、入寮の締切って変な言い方だと思ってたんだよね。こういうことか」
ジュロウ学校は全寮制で、全員が6年間を寮で過ごす。事前の案内では、集合日が今日、入寮締切日が5日後、入学式がさらにその3日後、とそれぞれ日付が違っていた。はて、集まってから入寮まではどう過ごすのかと思っていたが、のんびり構えていると森で過ごすことになりそうだ。
「つまり1食分でこの距離を踏破するか、自力で食料を得ながら進むか、か。うーん、学校ってこういうのだっけ?」
「それオレもさっき思った。で、良ければ一緒に行かないか?」
「それはぜひ!」
ダナンが誘うと、彼はぱっと目を輝かせた。
「あ、だけど一緒に進んでもいいのかな?」
「一緒に行くなとも言われてない」
「あれ、ほんとうだね。まあ、あれだけ煽られるとみんな冷静ではいられないか」
「せっかく同級生との初対面なのに、みんな挨拶もなしで行ってしまった。きみが残っていてよかった」
「いや、ただこけてただけなんだけど……誰の顔もはっきり分からないまま行ってしまったね」
少年は、広場を見渡す。がらんとして、先ほどまで大勢の人間がいたとは思えないほど静まり返っている。
「何としてもひとりでいちばんを取りたいとか、転移術の使い手かなんかで、目視できれば飛んでいけるからひとりの方が楽っていうなら、あきらめるけど」
「どっちも、ないない。転移にしろ飛行にしろ、この距離をなんの装備もなくひとりでどうこうできるレベルの人は国に片手で数えるほどじゃない?」
おおげさに手を振ってから、彼は困ったように少し笑って、首を傾げた。
「きみこそいいの? 僕は体力もすごくある方じゃないし、足手まといになるかもよ?」
「それはまあ、得意不得意があるのはお互い様でしょ」
その言葉に、今度は楽しそうにほわりと笑った少年に、ダナンは笑い返す。それから改めて手を差し伸べた。今度は助け起こすためではなくて、友達になるために。そう社交的な方ではないが、やはり学校生活には友達が欲しい。
「初めまして。オレはダナン」
「僕はイネノ。初めまして。声を掛けてくれてありがとう、心強いよ」
これからよろしく、と言い交わして、ふたりは森へ足を向けた。