許可と青桃
渡しの整備に来たと言ったからだろう。河の主は、3人を渡しの場所へ誘うような仕草をした。
「あ、まず祭祀をするそうなんです。もうはじまると思います」
「ちょっと待った方がいいんじゃない? 準備ができていない気がする。おもに、みんなの心の」
イネノが教師たちに視線を向けるが、ふたりは何やら小声で激しく相談をしていて目が合わない。先輩方も、こっちに聞くな、という雄弁な視線を向けてくるだけだ。
「いや。お待たせするのも失礼だ、進めよう」
足を祭壇に進めたテルに、ダナンとイネノ、そして河の主が続く。ここの人間たちとは距離をとらなくていいか、とあっさり決めたらしい。
簡易的に河に向かって建てられた祭壇の前に、テルが立つ。川風に榊と真っ白な紙垂が揺れている。ダナンとイネノは並んでいる生徒たちのところへ戻ろうとして、足を止めた。主が、付いてきてしまう。
「あの、あなたはこっち側にいちゃダメなんじゃないかなって、思います」
「テルがこっち向いて奏上するのは?」
「いや、そうすると、祭壇に背を向けることになる。変でしょ」
祈りを捧げられる対象、つまり川に向けて、壇が築かれているわけで、生徒たちがいるのは捧げる側である河原。どうしましょう? とあたりを見渡すがもちろん答えはない。ダナンとイネノは仕方なく、主を祭壇のむこうへ誘ってみる。気の良い主は、気軽に後についてきてくれた。
「お前たちも、そこに控えていてくれ」
テルの指示に、ダナンとイネノは片膝をついてしゃがんだ。主が、ダナンの頭をふんふんと嗅いでいる。はしゃぐ主、動揺している教師陣と先輩方、なにか匂いますか? なんて聞いている緊張感のないダナン。
そもそも、奏上対象が何も隔てぬ目の前にいて祝詞をあげることがあるなんて。イネノがぽつりとつぶやく。
「……うわ、やりにくそう」
「対象もやることも何も変わらないはずなのに、やりやすくはないな」
「大丈夫だよ、オレが付いてるから頑張れ」
「お前が付いているから、こうなったのでは?」
ダナンのことばに呆れつつも、テルに動揺は見られない。懐から蛇腹に折られた奉書を取り出すとひとつ広げ、静かに息を吸い込む。
「奏上いたします」
空気を軽く打ったその声は、清らかだった。それまで生徒たちを見渡したり、ダナンの頬に鼻を寄せたり、イネノの髪を食もうとしたりと楽し気に動いていた主がぴたりと止まった。そのまま静かにテルのことばに耳を傾ける。教師たちもわれに返って口をつぐみ、姿勢を正した。生徒たちも驚きや動揺をいったん忘れ、黙礼を捧げる。
ゆるやかに、祈祷が進んでいく。河への敬意と謝意、その雄大なることへの賛辞。そして渡しを今後も使用していきたいこと、そのために今日整備に取り掛かること。滑らかによどみなく、テルの声があたりに広がっていき、流水の音に交じった。
祝詞が終わり、あたりは河の水と風の音だけになる。さいごの余韻が沈み込み身をひそめると、一歩、二歩と、主がテルに向かって歩みを進めた。首を伸ばしその鼻先をテルの持つ奉書紙に寄せたると、見る間に紙が水に濡れ、溶けて消える。全て承知した、と言ってくれているようだ。
イネノが壇を指さす。白い布の引かれた台のうえには、花や野菜や果物が盛られていた。
「これも全部、もらっていいみたいですよ。美味しそうですね」
「言い方……」
「ダナン、河へ運んでくれ」
「分かった」
白布で台のうえのものを包んで抱え、水縁へ向かう。まあ今は濡れてもいいかと、そのまま河のなかへ踏み込んだ。山の奥から流れ出る水はまだまだ冷たく、重みを持って流れている。膝が浸かる水位のあたりまで進んでから、包みを河へ流した。河の主が嘶くと、水が渦巻いて、白い布が踊った。沈んだり流れたりしていく供物のなかで、早生の桃が3つ、ダナンの足にまとわりつく。ダナンが横を見ると、隣を着いてきていた主が、優しい目で瞬きをしていた。
―お食べ。
「ありがとうございます」
思わず笑って御礼をいうダナンに、満足そうにうなずく。桃を拾って川べりに引き返すダナンを見送ってから、主は一声嘶くと、ゆっくりと河のなかへ消えていった。
ダナンはイネノとテルの手に、もらった桃を落とす。先生と先輩には悪いが、3つということは3人で分けなさいということだろう。
「袴、べちょべちょだね」
「まくるの面倒だったから。まあもう暖かいし、そのうち乾くでしょ」
桃を袂にいれて、ダナンは袴の裾を絞る。イネノがそれを手伝おうとしゃがんだところで、すごい、と先輩のつぶやきが落ちた。
「こんなに友好的な精霊、初めて」
「俺なんて、こんなにはっきりと精霊のお姿をみたのがはじめてだ」
「身がすくむような、大きな力でした」
じょじょにみんなが話し出す。興奮して河を拝むもの、自らの肩を抱くようにしてしゃがみこむもの、何かを考え込むもの、いろいろだ。統轄部のトウカ先輩がダナン達に近寄ってきて、手でひさしを作りながら、河の主の沈んで消えた辺りをじっと眺めた。
「あんなに美しくて、人の方をみてくださる精霊が、いるなんて」
「ほんとうに稀なことだが、人の営みを見るのが好きな精霊がいるな。ここの主もそうなのだろう」
「うん。水は人に近いですから、比較的多いのかもしれませんね」
テルとダナンのことばに、そういう話は聞いたことはあったけれど、と先輩が苦笑する。
「私の故郷は、南のナヤカ藩で」
急な話の転換に、ダナン達は少し首を傾げた。3人の様子には頓着せず、先輩は相変わらず川面を熱心に眺めている。
「中央を流れる川に半馬半魚の魔物がでるのです。沼の馬って言われていて。人を川に引きずり込んで溺れさせるから、子どもの時から見かけたらすぐに逃げろって教え込まれます。全然、こちらの主とは似ても似つかない。泥のように濁った体だし、腐臭がするし。でも、河から馬が出てきたら、同郷のものなら反射的に逃げるかもしれない」
手を下ろし、先輩はやっと3人の方を見た。
「もしそういうことで同郷のものが失礼をしたのならばと、思ってしまって。申し訳ないなと」
なるほど。人が好きそうな河の主に、人に近寄らせないような原因を作ったのが同郷の者ではないかと、彼女は気に病んでいたようだ。
「実際何があったのかはわかりようがないですし、もし先輩の考えたようなことがあったとしても、先輩が気に病む必要はないですよ」
イネノのことばに、ありがとう、と彼女は微笑むが、少し影を感じる。人と交流したいのならば自身の社も持っていることだし気にしてはいないように思うが、機会があれば河の主の耳に一応入れておきますとダナンとイネノは約束した。
「さて」
コマイがひとつ手を叩く。ざわめいていた生徒たちは口をつぐんだ。
「いろいろ思うところもあるし聞きたいこともあるがあとにしよう。日暮れまでには渡しの整備をしなければ。奏上はこれ以上ないほどにうまくいった。今から、整備について具体的な手順と担当訳を発表する」
本来の目的を告げられて、みんなが、そうだった、といいそうな顔をする。分かりましたと口々に返事するのは、一拍遅れてからだった。




