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渡しの整備

 おもしろがってはいそうだが、特にダナン達に深く説明を求めることはせずに、コマイは生徒たちを河に向かって整列させた。1年から順に並んで、もう一度点呼を受ける。河は伸びやかにとうとうと流れ、水面で日の光を遊ばせていた。水の音がダナンの耳に馴染んでいく。

「さて、2年生以上はすでに知っていることだが、今回から参加する1年生もいるから説明からはじめよう」

 相変わらずはきはきとした話し方で、コマイが説明を進めていく。

「君たちは全員、入学試験でこの河にある足場、『乱杭渡り』と呼ばれる場所を渡ってきた者だ」

 みなすでに分かっていることなのでかなりかんたんに言うが、と前置きをして、コマイは手で三角形を作った。

「我が校は山の中腹にあり、背面はさらなる山だ。そして前面を囲うように河がある。出入りは限られる。校門からの道が続いているところにある大きな橋を使うのが一般的だな。ここからずっと下流だ。だから入学試験では、ほとんどの生徒はこの河を渡るのに苦労をすることになる。橋があると信じて長い距離を歩くか、舟として使えそうなものを作るか、飛行術などのかなり高度な魔法を使うか。泳いだものもいなくはないが、泳ぎ着いたものはいないな」

「あ、死んでないぞ。ちゃんと助けが入ったからな」

 コマイのことばに、ネネイダが手を振り苦笑しながら注釈をつける。それを笑い飛ばしてから、コマイは振り返って川面を見た。

「この渡しは、ここに学校が出来る前、もう記録もないほどむかしに造られている。学校は、他から出入りがしにくくすることで安全性を担保している。ただ、出入口がひとつしかないというのは、安全なのか、かえって危険なのか。その議論のひとつの消極的な答えがこれだろう。一部の者しか知らない道を作っておく」

 ひとりひとりの目を見るようにして、コマイは話を続けていく。

「不思議なもので、毎年数名は、入学試験中にこの渡しを見つける生徒がいる。君たちに試験中持ち歩いてもらっていた袋は、道筋を記録しておくようになっていてね。この渡しを通った生徒には、橋守をお願いしているのさ。生徒はもちろん、教員や職員も一部の者しかしらない道だ。在学中も、そのあとも、他言無用で頼む」

 はい、という声が、揃って青空に響いた。ひとつ頷いて、コマイは声の調子を少し和らげる。

「さて、橋守といったのは、この橋も他の橋と同じく、定期的な点検と手入れが必要だからだ。具体的な作業はこの後説明していくが、主には河の流れで柱が削れないように掛けてある魔術の張り直しだな。年に4回だ」

 それから、とコマイは先ほど教師ふたりで作業していた場所を指し示す。そこには白木で組まれた棚と、榊と紙垂のさがった縄が渡された柱が立っていた。

「作業のまえに、祭祀をとりおこなう。古く力のある自然物には精霊が宿るが、この河には、はるか古来より精霊が棲まわれている。そちらに、学校を代表してテルホ殿下よりご報告と供物の献上していただく」

 テルは全員の視線を受けて一歩前に出ると、軽くうなずいた。

「河の主として、古くからこの川下にある社で奉られておられ、我らは嘶く流水の君とお呼びしている。御見かけすることも稀ではあるが、我らを見守ってくださる方であるので、河に対して無礼な振る舞いのないように」

 やはり名のある精霊だったんだなあ。イネノとダナンが顔を見合わせたとき、かつん、と音がした。それから、高く澄んだ嘶きがひとつ。生徒たちの目は河の中央に吸い寄せられ、そして何人もが驚いたように目を見開き、なかには数歩後ずさる者もいた。

 あの日ダナンたちを導いてくれた、美しい馬のかたちをした精霊。嘶く流水、と名付けた人の想いがすぐに分かる。人の力の及ばぬ河の大らかな強さ。

「あ、こんにちは」

 ダナンが思わず声を上げると、周りはさらにぎょっとした。イネノが慌てて挙手をする。べつに授業ではないのにと、ダナンは少しおかしかった。

「あの、僕らはこちらの主にお会いして、この渡しを教えてもらったんです」

「挨拶をしてきてもいいですか?」

 え、ええぇ、と、否定でも肯定でもないような声がコマイから漏れる。誰からも否定がでなかったので、とりあえず許可を得たということにして、ダナンはイネノと水際に向かった。

 あの時と変わらず、主が川面を歩くとひづめの音が鳴った。その澄んだ響きとともに、主が川べりにやってくる。ダナン達が河の主と会うのは久しぶりだ。いちど学校が始まってしまうと、学校の外に出るのは申請やら許可やらとなかなかに難しく、無事に入学試験を終えられた報告と御礼を言いには来たものの、その後はほとんど会う機会がなかった。

 ふたりが揃ってお辞儀をすると、河の主はその肩口に鼻づらを寄せた。ほんとうに人に好意的な精霊なのだと思う。ダナンたちの頬に触れるうろこの混じったたてがみは、深い水の底の温度だった。ダナンは首筋に手を回す。水の匂い。ただ、母の湖よりも、ずっといろいろな匂いがする。

「きょうは、学校の用事で参りました。渡しの手入れをさせていただきたいとのことです」

 イネノの説明に、ぶるぅ、ふふぅ、と嘶きが返ってくる。相変わらず言葉は分からないが、何となく、知っているからどうぞ、というように聞こえた。固まっている他の人たちを見てから、ダナンは首を傾げた。

「一度も他の人に、姿をお見せになったことはないんですか?」

 おそらく長い流水域を持ち、社もあり、人の営みのすぐ近くにあるからだろう。ダナンに水の精霊のよしみがあることを差し引いても、もともとが人に友好的な、人が好きそうな精霊だ。学校関係者にほとんど姿を見せないというのはなんとなく不思議に思ってダナンが聞くと、幾つかの嘶きが返される。うーん、これは分からん、とダナンが思っていると、意味の取れる単語がひとつ響いた。

 ―こわい。

「人が?」

 訝し気に聞き返したダナンに、たぶんそうじゃないよ、とイネノが苦笑する。

「あなたを見て、怖がった生徒がいたんですね」

 ぱちぱちと瞬きで、肯定らしきものが返ってきた。大きな緑の瞳を縁取るまつ毛にも、水が渦巻いて輝いている。

「恐れたのではなくて、驚いたんじゃないかなあとは思いますが」

「ああ、なるほど」

 でもそんな違い、分からないものな。人の子は怖がりのようだから近寄らずにいてやろうというのは、精霊としては、十二分、いやそれ以上に優しい。そもそも、人にも気持ちがありそれを推し量ろうとしている時点で、特異と言っていい。精霊は人に近くない。水に人の気持ちを思いやれというのは横暴というよりは無理な話だ。

 そういえば、祭祀をするのはテルだ。ダナンがテルに目をやると、意図を察したテルが、いつも通りの歩みで、近づいてきた。

「ご紹介します。こちらは第三皇子のテルホ殿下」

「お初お目にかかります。お目文字が叶い、恐悦至極に存じます」

 組んだ両手を口元にあてて、テルが頭を下げる。

「オレの級友で、主なんですよ」

「ここぞとばかりに外堀を埋めるな」

「はて、さきほど私を臣下扱いされたのは、殿下のほうでは?」

「その口調もやめろ、ぞわぞわする」

「ひどい。なんでだか身内には不評なんだよな、オレの敬語」

「だろうな。不思議なくらい、気持ちが悪いぞ」

「なんか企んでそうですよね」

「ほんとうにひどい」

 まさかのイネノにまで追撃されてぶうぶう言うダナンを無視して、テルが向きを変えた。足元で砂利が鳴る。河の主が、目を細めてテルを見た。

「この先の6年間、この河川に何か手を施したい儀がある場合は、私が奏上を行わせていただきます。もしご意思に沿わぬ場合、なんなりとお申し付けください」

 腕を組んで掲げ、頭を下げる。美しい所作だった。敬意をかたちであらわしているのが分かるような。河の主は、一声優しく鳴く。それは誰が聞いても、その敬意を穏やかに受け取った了承の声だった。

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