必親展・他言無用
朝の光がだんだんと強さを増してきて、ふとした瞬間に初夏の気配を感じるようになってきた。登校中の植栽も、新しい葉をどんどんつけては広げていっている。山のなかにある学校とはいえダナンの出身地であるデイゲよりずっと南にあるこの地は、5月を終えてすぐのこの時期にはもう、雨季とその先の夏の訪れを予感させつつある。
「じゃあ、オレたちは教室にいくから」
「失礼します」
「お気をつけて」
「ああ。3人も」
分かれ道で手を振りあって、ダナンとイネノとスミは教室のある棟に、テルは統轄部のある棟へと足を向けた。ダナンたちがテルと出会って、もうそろそろひと月になる。なんやかんやとご飯に誘い、登下校もともにすることが増えた。テルが授業を受けることもさほど珍しいことではなくなり、あたりもテルに対してそこまで変な騒ぎ方をしなくなっている。自衛のために、授業以外では認識されないような魔術は発動し続けているようだが。
午前中は、各組での授業だ。スミとも別れて、自分たちの組の教室へと向かう途中、ダナンとイネノは生徒用の郵便受けを覗いた。といっても、外部からの郵便は寮の部屋に届くので、校舎にあるこの郵便受けに届くのは、もっぱら学校内のもの。例えば、提出物や試験の返却、注意事項などの回覧、生徒同士の手紙や資料のやりとり、部活動の会報などのこまごまとしたものだ。一日に数度は確認するように言われている。
ダナンの郵便受けには、返却物に混ざって見慣れぬ白い封筒が入っていた。角が肌に刺さりそうなほどぴしりとしたその封筒は、必親展・他言無用と、細い赤字が左下に入っている。返却されてきた論文のあいだに封筒をさりげなく押し込み、席について授業が始まってからそっと取り出した。
差出人は、学校と統轄部の連名。他に心当たりがなさ過ぎて、テルが私信に統轄部の封筒を使ったのかと思ったが、差出人の名前に個人名はないから違うようだ。というか先ほどまで会っていたのだから、個人的な用ならばさすがにその時に言うなりなんなりするだろうし。周囲が教師と黒板に集中しているのを確認して、ダナンは筆箱から出した小刀で封を切った。
「明日午後13時、同封の転移札が発動するので大河の乱杭渡りへ集合のこと。なお、本内容及び本通知があったことの多言を禁ずる。他言した場合、参集せぬ場合は罰則となる」
理由は一切書かれず、かんたんな指示だけ。そんな通達といっしょに、文面通りに転移札が1枚入っていた。
「急だなあ」
大河の乱杭渡り。どこ、と思ったのは一瞬で、あの試験のときに河の主に教えてもらった渡河の道だと気付く。言われてみれば確かに、あそこは乱杭渡りという表現がしっくりきた。
明日は土曜日で、授業は休みだ。だいたい休みの日はスミとイネノと3人、最近はテルも加わって4人で昼食を食べている。そのあとは、予習復習や授業の情報交換、図書館でウノメのために調査をしたり、テルの統轄部の仕事を手伝ったり、気分転換に散策をしたり、内容はいろいろだがそのままいっしょに過ごすことが多い。
テルは明日は用事があると言ってたのだが、おそらくこれに関連しているのだろう。スミは図書部の知り合いと会うらしいので、イネノにだけ何か理由をつけて午後の時間を作れば良さそうだ。ダナンはそう見通しを立てると、いったん何も分からない指示を頭から追い出して、授業に追いつくべく頭を切り替えた。
土曜日。昼食後にイネノと別れて人気のないところに移動すると、文面にあった通り、13時きっかりに転移札が発動した。文字が赤く光り、視界が暗転する。
「学園、の外か」
飛ばされた先は森のなかだった。念のため近くの木に登ると、少し先に校舎の屋根が見える。河から学校にむかう距離の四分の一あたりだろうか。河の音が聞こえているので、ダナンが迷うことはない。走れば5分ほどで着くだろう。
音と水の気配を辿って森を抜け河原に出る。水面を渡ってきた風が体中を撫でてゆき、ダナンは目を細めた。
探すまでもなく、テルともうひとり女生徒、そして少し離れた川縁に教師わふたり見つける。教師のうちひとりは入学前の試験で案内をしていてその後ダナンたちの組の担任でもあると判明したコマイ、もうひとりは総合武術を担当しているネネイダという教師だ。そちらにダナンが会釈をすると、軽く手を振ってくれた。穏やかな空気なので、危機的な何かや、ダナンが何かやらかしたせいで呼び出されたわけではなさそうだ。
「君、早かったね」
テルの横にいた長い紫の髪をみつあみにして垂らした生徒が、感心したように呼び掛ける。
「走ってきましたので」
「いや、それにしたって早いでしょ。ええと、1年生だよね?」
「1年5組のダナンです」
ダナンが名乗ると、彼女は持っていた表に印をつけた。
「なんの説明もない召集で驚いたでしょう。今日の説明はみんなが集まってからまとめてするから、全員集合するまで待っててね」
彼女には了承を返す。話がひと段落したと見て、テルが軽く、ダナンの肩を叩いた。
「お疲れ。一番乗りだな。森のど真ん中に転送されただろう?」
「オレが河の方角を間違えるわけないよ」
「それは、まあ、そうか」
ダナンがテルとことばを交わしているのを見て、女生徒は筆記具を落としそうなほどに驚いていた。
「お知り合い、ですか?」
「友人です」
ゆうじん、ゆうじん、と数度呟いて、首を傾げている。
「こちらは統轄部の6年生のトウカ先輩だ」
「初めまして。よろしくお願いいたします」
ダナンが頭を下げると、あちらも慌てて頭を下げる。彼女とも初対面だが、そもそも6年生と会うのも初めてだ。統轄部の在籍者としてはテルの他に数名いるとは聞いていたが、ほんとうに存在していたんだなあとダナンはまじまじと彼女を見てしまった。最近のダナンはテルの統轄部での仕事を当たり前のように手伝うようになっていたが、統轄部で他の生徒に会ったことがない。向こうも、こちらが統轄部に出入りしている人物だという認識はないように見えた。
森から、お疲れ様で~すと何人かの声が聞こえて、トウカ先輩はそちらの対応に走っていく。
「呼び出されたの、オレだけじゃないんだな」
「1年から4年まで、各学年2~3人。合計だと10人くらいか」
5、6年になると各地で実地の研修や研究が多くなり、あまり学校内にいないというのは前にも耳にしたことがある。図書館などの全学年に開かれた場所でも、いるのは4年生までが多いという。今回も集められたのは、トウカ先輩を除くと4年生までのようだ。
「ダナン、殿下」
あまりにも聞きなれた声に呼ばれて、目線をやると、イネノが笑って手を振っている。歩くイネノの足の下で、河原の石がぶつかって音を立てた。
「イネノもだったのか」
「ね。ダナンに隠してたのに。意味なかった」
「お互いに」
今日は級友から相談を受けていて午後から出る、とダナンはイネノに嘘をついたのだが、その時やたら快くというか安心したように送り出してくると思ったら。イネノは、ぜんぶ顔に出ちゃうんだよな。
「はい、全員揃いましたね」
ぱらぱらと集まってきた生徒たちに加えて、何か水際で作業をしていた先生たちも近寄ってきた。全員を表で確認したトウカは、その表を先生たちに渡す。あれ、とネネイダが声を上げた。
「1年は、もうひとりいたのではなかったですか?」
「入学式前に、誰かに話そうとしたようで、記憶を消去しました」
コマイがなんでもないことのように答え、ネネイダもそうでしたか、とあっさり受け入れている。
「そんなことできるのか」
その様子を遠巻きにしていたダナンが思わず小声でつぶやくと、隣にいたイネノには聞こえたらしい。あれねえ、と返ってくる。
「受付の男性に、他言しないように念を押されたじゃない? あれが呪文で、約束を守らなかった場合、記憶を混濁させるようになってたんじゃないかな。ちょっと遠い昔の記憶みたいな感じ」
「へえ」
「まあ、ダナンはかかってないけど」
「オレ? イネノは?」
「僕は害意がないものと自分で判断して、約束として受け入れたからあの魔法かかってるんだよ。ただ、ダナンに掛けられてるご加護、全自動で当たり設定甘めで、ダナンに悪影響を及ぼしそうな魔術のたぐいを消すみたいで、あの呪文は通らなかった。彼に悪意はなかったと思うけど、ちょっと建て付けが悪い術だったからなぁ」
全自動で当たり設定甘め。分かりやすいけどその言い方はどうなんだろうかとダナンは思う。そして掛けられた呪文を勝手に消していたというのは。
「……いいと思う?」
「あー、まずい、かな」
こそこそと話しているふたりに、コマイが気付いて静かになさい、というような視線を送ってくる。白状しておいたほうがいいと判断して、ダナンは手をあげた。
「先生。オレは試験中に魔術に対して加護のある装飾品を身に付けていました。口外禁止の約束がなされていない可能性があるかもしれません」
コマイがおや、と呟き、ネネイダが首を傾げる。
「多少のことで、あいつが失敗するかなあ。私はこういうのにはとんと疎いんですが、コマイ先生、お判りになります?」
「いや、さすがに他人のかけた魔術まではかんたんには測れません。特にこれは、悪意をもってかけたわけではないですから」
念のため、掛けた職員を呼ぶか、コマイと約束の呪文をし直してもらうか、という検討をし始めたふたりに気づかれないように、小さくダナンはイネノに問いかけた。
「全自動当たり設定甘めって、先生の魔術にも、有効?」
「もちろん、同じ術を使うなら」
自分では外せない加護で、その加護がなんだと言われたら説明がなーと頭を悩ませたダナンの肩を、テルが叩いた。
「ダナン。今まで試験の過程について、誰かに話したことは?」
「ないよ」
すっと、テルが腕をあげる。それは、主が臣下に向けて何かを命ずるときのかたちだ。ダナンは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに足を半歩引き、胸の手を当てて頭を軽く下げた。頭のうえに、その手をいただくように。
「それに間違いがないこと、今後も私の許可があるとき、もしくは緊急時以外に口外しないことを誓えるか?」
「誓います、殿下。刀と名にかけて」
急に始まった宣誓に、あたりが静まり返っていた。テルは気にせず、コマイたちの方を向き直る。
「これでよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。それにしても、なんだかおもしろ……すごいことになってたのね」
コマイが口元を抑えて、あからさまに面白そうな顔をしている。コマイは教師として優秀で親切で信頼もできるというのはここまでで良く分かっているのだが、それはそれとして、生徒「で」楽しもうという気持ちが時々隠せていない人だった。




