個人の事情
「ごめん」
「こちらも言わなかったのだから気にするな。悪気があったわけではなし」
「いやでも、ねえ……」
さすがにきまりが悪いダナンを、テルは笑う。最初の警戒されているような彼からみると、だいぶ砕けた態度になっていた。彼の立場を知ってみれば、その警戒はしごく当たり前のものだったわけだが。ダナンの方は失礼だったな、とさすがに態度を改めようとしたのだが、学校では殿下と敬語はやめてくれ、級友として接してくれればいい、と本人から言われた。まあ級友は級友かと、そのままの態度で一緒に寮に向かって歩いている。
「それにしても、ほんとうに学校とかに報告しなくていいの?」
「個人の事情は学校の対処の範囲外。それに護衛を送り込まれると面倒だ」
個人の事情、なのだろうか。国家の大事のような気もする。
「護衛、いないの? あんな人数で堂々と来るんだ、付けた方がいい」
「今日はダナンがいたから応戦したが、普段はしない。さっさと逃げているし、逃げられるようなすべを万全に整えている」
三十六計逃げるに如かず。無茶はしない臆病な性質なんだ。そう冗談めかして続ける。慎重で冷静なんだろうとダナンは解釈した。
「学校で襲撃してくるなんて、どういう料簡なんだ」
「達成すればあとはどうとでもなるからな」
「どうとでも?」
「暗殺の場合、だいたい穏当に病死になる」
穏当、とは。
「死んでしまった第三皇子の死因究明で皇帝家内のごたごたを晒すより、突然の病に倒れられ、まだお若い命を散らされました、お可哀そうに、とするほうが、総合的に考えて帝の地位が安らかだろう」
大きな集まりになればなるほど、個々人ではなく全体の安寧が優先されてしまうのだろうか。それは少し寂しいように、ダナンには感じられる。
「ただ、私は姉とも兄とも仲が良くてね。ふたりとも悼んでくれるだろうから、犯人もまた『病死』するだろうけれど」
つまり、命を狙っているのは少なくとも兄弟ではないとテルは確信しているようだ。犯人は、兄弟間の仲を知らずに手を出してきたのか、知っていてなお、手を出したのか。人を呪わば穴ふたつ。
「怖いところだ」
「まったくだな」
同意しちゃうのかと、不謹慎ながらダナンは少しふき出してしまったが、隣でテル自身も笑っていたので良しとした。
寮の自室への招待登録を玄関先で行う。片手を部屋番号の板にかざす簡単なものだ。ただいまと声をかけると、すぐに奥からイネノとスミが顔を出した。
「おかえりなさい」
「解呪はうまくいったよ」
「よかった」
「失礼する」
「どうぞ。ご足労いただき申し訳ありません」
イネノが居間にテルを案内するうしろで、スミがこそりとダナンに声をかけた。
「ダナン、ありがとう。ダナンたちも何もなかったみたいで、ほっとした。廊下に変な魔術の気配がしたんだけど、あの棟はそもそもいろいろ魔術がほどこされているみたいだったし、私の杞憂だったね」
「あ、うん、まあ」
魔法陣から飛び出してきた人々の襲撃を受けましたと口外していいのか分からず、ダナンは安堵した様子のスミにあいまいな返事をするしかない。
「テルホ殿下、スミを助けてくださってありがとうございました。スミの幼なじみのイネノと申します」
「改めて、ご厚情に感謝いたします」
「気にしなくていいと言っただろう」
居間でテルが着席するなり丁寧に頭を下げたふたりに、テルはやはり少し困った顔で答えている。
「知ってたんだ」
思わず零れたダナンのつぶやきに、一瞬、何を? という顔でイネノが首をかしげた。目をそらしたダナンをみて、はっとしたようにスミが口元を抑えた。
「もしかして、皇子だって知らなかった、とか……」
「え、うそでしょ、入学式に壇上で紹介されていたでしょ」
「そう、いや、うん、忘れてたわけでも、知らなかったわけでもなく、繋がらなかったというか……」
入学式ではそれはもう学内学外からいろいろな人が壇上に現れて、なんやらかんやら言っていた。もちろん探し人をしている立場として、全員の顔は見た。ただあまりにも人数が多く、それが全員自分に関係してくる人であり一度で覚えるべき、とはダナンには思えなかったので、テルの顔をみてぱっと記憶と繋げられなかったわけだ。
「記憶力めちゃくちゃいいのに」
「ときどき、ダナンって天然なのかなって思うよ」
「……スミに言われたくない」
「ときどき、ダナンって天然なのかなって思うよ」
「イネノには、もっと言われたくない!」
ふだんぽやぽやしているふたりに次々に言われて、ダナンは思わず強めに抗議してしまった。横でテルが笑いを堪えている。第三皇子を部屋に呼び出して茶番を見せているわけにはいかないと気付いたらしいスミが、ひとつ咳ばらいをして軽く頭を下げた。
「殿下。イネノとも相談していたのですが、事態が良く分からないので、少し整理と情報共有のお時間をいただけないでしょうか」
「それは構わないが、学校では殿下と敬語はやめてくれ。級友として接してもらえるとうれしい。テルとでも呼んでくれ」
「それは……善処しますが」
ちょっと難しいかも、という微妙な表情をしたスミとイネノは、ダナンはすぐに了承したぞ、と言われてさらに複雑そうな顔をした。
「それから、僕らの素性をお話したい」
「素性?」
「これなんですけど」
イネノが肌着を伸ばすようにして首元の印を見せる。そこには、たおやかに咲く梅の文様。
「僕は白の女神の巫を仰せつかっております。スミは白の神殿で育った僕の幼なじみです」
「……は?」
「何か女神さまより特別な御神託があったとかではございません。僕個人の見聞を広げたいという志ゆえに、こちらで学ばせていただこうと入学いたしました」
たっぷりと黙った後に、ちょっと待て、とテルは額に手を当てた。何やら混乱しているようだ。
「話してよかったの?」
「スミを助けていただいたから。そもそも、それがなくても、殿下にはいつかどこかでお伝えはしないととは考えていたんだよ。白の神殿の大きい祭儀には皇帝か、代理の皇子が参加されるからね」
「ああ、なるほど」
学外で巫と皇子して会う可能性があったのか。確かにそれは、事前に話しておいた方が良さそうだ。
「え、許可は? いらない、のか? いやいやそれにしても、こんな」
テルは額に手を当てたまま、ひとりごとを呟いている。うーん、これはしばらく話が進まないな、とダナンは立ち上がった。
「テル、よかったら夕食を一緒にどう? 今日は下ごしらえしておいたから、すぐにできるよ」
「夕飯……」
正直に言って、放課後にいろいろありすぎておなかが空いている。食べながら話せば良くない? とダナンは提案した。
「殿下、ダナンが悪い考えを起こすような人物でないことは、僕が保証します」
「あ、そうか、ごめん。今日会ったばっかりの人間のご飯食べられないよね」
イネノの言葉に、そういえば、この人はさっき暗殺されかけていたんだったとダナンが気付く。というか、手作りのご飯を食べさせていい相手ではなかったのか。でも同級生として扱えって言われているしなあ。さじ加減が難しい。
「いや、それは分かっている。だが、急にひとり増えて大丈夫なのか?」
「気にしてたのそこ?」
この人は不思議と、地に足の付いた想定をする。それが面白いとダナンは思う。
「今日の献立は4人分になっても平気だから気にしなくていいよ」
「では相伴に預かろう。さすがに、混乱していて時間が欲しい」
「……申し訳ありません」
「いや、謝られることではないのだが。そもそも悪いことをしているわけではないだろう」
イネノが女神さまから許可をもらったことや、関係者の話など入学の経緯を説明しはじめた。今日は、具だくさんの煮物の下ごしらえをしてある。手伝うよというスミと連れ立って、ダナンは台所に入った。




