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入学していました、おめでとう

 ダナンの眉が、微かに寄った。彼女が指し示したのは、確かにきれいな星だけれど。

「長いってどのくらい? オレ、あまりここを離れたくないんだけど」

 この湖を司る偉大な精霊であり星見に長けた彼女を、人々は畏れ敬う。彼女の見た星の動きは恭しく受け取られ、高貴な人々に珍重されていた。だから、こんな風に彼女に返せる人間はダナンだけだろう。

「それは分からないわ。ちゃんとこまめに顔を見せに帰ってきなさいね」

「なんだ、途中で帰ってきてもいいんだ」

「当たり前でしょう。私はおまえの母親で、ここはおまえの家なのだから」

 穏やかな笑みを浮かべて、彼女は言い切る。今まさにダナンが腰かけているこの岩の上に捨てられていた赤子のダナンを憐れんで拾ってくれ、十数年手をかけ心を込めて育ててくれたのが彼女だった。この湖の精霊で人々やほかの精霊から女王とも仰がれる彼女が人の子を育てる義理など、ひとつもなかったのに。

 成長期のダナンの背丈はもうほとんど彼女に並んでいるけれど、今は岩に腰掛けている所為で彼女を低い位置から見上げるようになっている。幼いころによく見ていたアングルだ。白く柔く光っているような彼女の向こう側、緑がかった夜空に星の河が見える。彼女はダナンが物心ついた時から、少しも変わりがない。その美しさも、優しさも。

「世界に必要な星、か」

 母をはじめとして自分を慈しんでくれたすべてがここにあるので、ダナンは、この湖を愛している。ここを守りたい、それがダナンの意志であり優先順位のいちばんめだ。ゆえに、世界、と言われると少し困ってしまう。それが引いてはここのためになるのであれば、いいのだが。

「どんな人?」

「さあ、どんな人かしら」

「老若男女は?」

「どうでしょう」

 あいまいに首をかしげる彼女は、べつにごまかしている訳でもからかっている訳でもない。それは分かっているのだけれど、ダナンは思わず、困惑の声を上げた。

「それ、どうやって探すの。手がかりひとつないんじゃ、見つからないって」

「おまえが決めるのよ。おまえが仕えたいと信じられる、星を定めるの。それが見つけるということ。私が見たのは、星がいる可能性が高い方向だけ」

「いないっていう可能性も?」

「もちろん。おまえがそう判断したならそれでいい。星見は照らされた行方、繋がれた先にあるものを、垣間見るだけ。そこで決断するのは地上のものの役目。そしてその判断の結果の良し悪しは、判断を下した人だけのものよ」

 分かっている。幾度も彼女が星を読んだ結果を人々に教えるのをダナンは見てきたのだから。例えば秋の実りが悪いと告げたとして、それに対処するもしないもどう対処するかも、すべて人の領域のはなしだ。彼女はその一線を間違えないがゆえに、尊ばれる。

 それが、見つけておいで、行きなさい、とまで言うのだから、それは自分への母親としての情も含まれている訳で、ダナンとしては無下にするつもりはない。そもそも今宵こうして、ダナン個人の将来を占ってくれたこと自体が、彼女が自分へかけてくれる愛情の深さを物語っている。

「星見であられるお母さまの御言葉に従いどこへなりとも向かいますが」

 うーんと、ダナンはひとつ伸びをする。

「問題なのが、オレが誰かに仕えることに向いてないことだよね。性格的に」

 なんといっても、ダナンは今までかなり気ままに生きてきたし、たぶんそれは自分の本性でこれからも変わらない。誰かの行き先に黙ってついていくのは性に合わない。誰かに忠誠を誓うだとか仕えるだとか従うだとか守るだとか、相手にあわせる、そういう役割ができるだろうか。頑張るよ、頑張りはするけど、ちょっと、自信がない。

「オレが主人と定められても、その人がオレを気に入らない可能性が、なくもないような」

 彼女は、静かだった表情を崩して、それよねえ、とため息をつく。さらさらと撫でるだけだった指先が、ぐしゃぐしゃとダナンの髪を混ぜる。

「きれいで愛らしくて強くしなやかで賢い。どこへ出しても恥ずかしくない、私の子」

「親ばかやめて」

「なのに、なんだか気まぐれな猫みたいに育っちゃったのよね」

「貴女に似たんでしょ、お母さん」

 ダナンはひとつ頭を叩かれた。全く痛くないソレに、わざと痛い痛いと大騒ぎして見せる。湖面に触れるか触れないかのところで揺れていたつま先が、水を跳ねた。春先の湖の水はまだまだ冷たいのだけれど、ダナンの裸足を傷つけ凍えさせるようなことはしない。慣れ親しんだ優しい水だ。

 大げさな子ね、と星見が笑う。

「まあ、とにかく行ってみなさいな。ご飯をちゃんと食べて、しっかり寝て、体に気を付けて。便りを定期的にちょうだいね」

 そんな話をして送りだされた先が、まさか学校だなんて、さすがにダナンは思ってもいなかった。まあ確かに、母親が子供を寄宿舎かなにかに送り出すみたいな台詞だなとは思ったのだけれど。

【帝国ジュロウ学校 入学案内】

 ざらざらとした封筒に刷られた文字に目を落とす。エン帝国、第一の教育機関、ジュロウ学校。将来は国のあらゆる分野の中枢にかかわることを期待されるような優秀な人材の養成を目的とし、学術・武術・魔術すべてにおいて高度な教育を授け、卒業の暁には輝かしい未来が約束されるというそこには、国中だけでなく国外からも入学希望者が殺到する。厳しい試験や審査を通ったものだけがくぐることを許されると言われている門を、ダナンは知らぬ間にくぐっていたらしい。なんとなく釈然としない。

「試験受けてないんだけど、いいのかな」

「君の実力は疑いようもないからね」

 独り言じみたつぶやきに律儀に返してくれるのは、その学校の学校長だ。ダナンの入学手続きは何から何まで、母の旧友である彼がすべて取り計らってくれた。学校に関することだけでなく、昨日は生活に必要なものの買い出しにさえ彼の奥さんが付き合ってくれたし、今日はこうして本人が見送りにきてくれている。忙しいなかを嫌な顔一つせずに手配り気配りをしてくれることが、ダナンにはとてもありがたかった。

 それはそれとして。

「本当に、誰かの入学、奪ったりしてない?」

「してないしてない。そもそも、うちは定員とかはないんだよ。うちで学ぶに足るやつがいれば千でも二千でも入学させるし、いなければ一人もとらない。試験に挑む受験生は出身や種族も何も問わない。年齢だけは二十歳までと決めさせてもらっているがね。世間には厳しい試験のはなしばかり面白おかしく流布されているけど、試験外で入ってくる生徒も多い。君はうちに入学するに足る人間だった、ただそれだけ」

 以前は南方の領主を務めていたという彼は、壮年の厳めしい見た目だが、話す言葉はざっくばらんだ。がっしりとした体つきに、洋装が良く似合っている。

「今年の新入生は何人?」

「300ちょっと。ま、ほぼ例年通りかな。不思議なもんで、だいたいこのくらいの人数に収まる」

 各学年300人でそれが6学年で、1800人。教員や職員の可能性もあるわけだけど、そもそも学校関係者とも言われていない。そこからひとりを見つけるとは。

「見つかるか、これ?」

「ははは。まあゆっくりやりなよ」

 ダナンが数日を過ごした家の玄関で、彼は足を止めた。街のはずれにある以前は誰ぞやの別荘だったというこのこぢんまりとした一軒家は、ダナンが最近手に入れた拠点のひとつだ。隣の家とは離れて建てられていて、朝の忙しい時間帯であるのに辺りは静かだった。ダナンは扉に錠をさし、懐にしまう。

「名残惜しいが見送りはここまでかな。そろそろ時間だ」

 ダナンは腰を折って、礼を示す。

「何から何まで、ありがとう。奥さんにも昨日、とても良くしていただいた。ご健勝をお祈りしていると伝えてください」

「私は何もしてないよ。妻もとても楽しかったと言っていたよ、こちらが感謝しているくらいさ。さて、最終確認だ。自己紹介をしてもらえるかな?」

 手を向けられて、ダナンはひとつ咳ばらいをした。

「はい。オレはダナンと申します。北端デイゲ直轄領にある村の出身です。住人の少ないところで育ちましたので多少世間知らずかもしれません、ご無礼がありましたらお許しを。独学で学問と武芸に精進していたところ、村長が推薦をしてくれたため、この学校にやってきました」

「いいね。君に丁寧に接せられると大変心地が悪いが、まあ同級生以外にはそれが無難だ。それから言ってはいけないことは?」

「母のこと、あなたのこと、オレのいままでのことは迂闊に言わない。武術を使うなら半分の力まで抑えて、魔法を使うなら自分の力までで、精霊の魔法と魔力は使わない」

「良し。完璧」

 お墨付きをもらえたようだ。

「入学おめでとう。いってらっしゃい」

「ありがとう。いってきます」

 学校からは、入学案内とともに1枚の魔法符が渡されていた。封筒からそれを取り出す。半紙を半分にしたくらいの大きさで、幾つかの印と、朱書きの文字のようなものが書かれている。ダナンはこういう魔法には疎いので内容は良く分からないが、転移のためのものらしい。定刻になれば起動し、集合場所に転送されると入学案内に注記があった。指定された時刻はもうそろそろだ。

 学生帽をかぶりながら見上げた春先の空は淡い色をしていて、まだ暖かいとはいえない風が、どこかから桜のはなびらをいくつか運んできていた。自分もこの風に乗って旅に出る。旅に出るには良い風だ。

「せっかくの学生生活だ。まずは楽しまないとな」

 長い旅、と母は言った。いったいどこまで行けるのだろう。長い旅も短い旅も、最初の一歩はいつもわくわくすると、ダナンは思う。

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