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スミの同室者

 その後の4月は、それなりに平穏に過ぎていった。毎日は、ダナンが入学前に思っていた以上に充実している。授業も興味深いし、いままで同年代の人間とこれだけ多くの時間を過ごしたことがなかったので、それも学ぶことが多々あった。疲れることや気の沈むことももちろんあるが、休みの日にイネノとスミとあれこれだらだらと話していると、いつもの自分に戻って来られるような安心感がある。入学早々にふたりと仲良くなれた自分は幸運だとダナンは思う。

 そうして突入した5月もしばらく経った頃、スミが学校側に頼まれて、同室者を受け入れることになった。なんでも、同じ部屋のものと仲たがいをしたため、冷却期間のために1人部屋のスミのところに数日泊めるように、という書面が通達されてきたらしい。

「詳しいことは記載されていなかったのだけど、落ち着くまでは、彼女と行動するようにって。ごはんとかも、しばらく一緒に行けないかも」

 寮で起こったもめ事についてはすでにいくつか耳にしているが、入寮時に言われた通り学校側からの介入はなかった。自分たちで解決しなさい、というのが基本姿勢だ。それが依頼までされたというので、ダナンもイネノもおどろいた。

「早く解決するといいな」

「僕らに協力できそうなことがあったら言ってね」

 おどろいたとはいえさほど重大な事態とも思わずそんな会話を交わした翌日。「しばらく接触を断つ。様子を見てこちらからまた連絡をする」とスミから手紙で連絡があった。手紙で? と少しイネノが眉を顰めた。

 そこからスミは、同じ授業のときでも目すらこちらと合わせることすらしなくなった。ほかの生徒たちとも距離をとっているのか、スミの横には今まで見たことのない、腰までの黒髪の小柄な少女がいるだけだ。細身の少女はいつも控えめにうつむいて、スミどころか誰ともほとんど会話をしていないように見える。驚くほど印象が薄い。

「なんか、変だよな」

「うん、おかしいんだよ」

 3日ほど様子を見守っていたダナンとイネノは、同じ授業だったふたりが教場をあとにするのを見送りながら、小声で言い交わした。今日最後の授業を終えて、生徒たちは解放感からかすこし朗らかな様子で三々五々と出ていく。明るい空気のなかで、スミと少女のあたりだけ、妙に薄暗く静まり返っているようだった。

 何人かが挨拶をしてくれるのに手を振り返していると、教場のなかはダナンとイネノのふたりだけになった。

「あの子、ダナンにはどう見えてる?」

「どうって。ちょっと印象に残りづらい感じの子だなって。あと、武術は得意じゃなさそう、とか?」

 正直言って、ダナンにはそのくらいしか感想が思い浮かばない。みなと同じ、白い袷に紺色の袴。イネノのように中に洋装のシャツなどを着ていたり、スミのように装飾品のたぐいをつけていたりする生徒も多いが、彼女は支給された服装そのままだった。

「イネノにはどう見えているんだ?」

 ダナンには、という聞き方に引っ掛かりを覚えて聞き返す。イネノは少し沈黙してから、もう誰もいないよね? とダナンに確認した。ダナンが頷くと、指をさして扉を閉める。魔術でなくてもできることにはほとんど魔術を使わないイネノにしては珍しい。

「ちょっと、見ててね」

 ダナンはイネノに招かれるまま、教場の窓に近寄った。この校舎はくの字になっており、始点に近い位置の三階にあるこの教場からは、折れ目の中心あたりにある校舎の出入り口が良く見える。足取りの軽い他の生徒たちに追い抜かされたのだろうか、そこにはちょうど校舎から出てきたスミと少女の姿だけがあった。

「灯すのは朝焼けの橙、踊る風は花の香を集め、滑らかな水面は鏡となる」

 イネノが呪文を唱えて右手で窓に触れると硝子がまるで水面のようにさざ波を打った。ひとつ、ふたつ、みっつ。イネノの指先から広がる波紋が、硝子のうえに円を描く。

「は?」

 そこに映った景色に、ダナンの口から思わず声が漏れる。イネノが左手をぎゅっと握った。

「僕には、こう見えている」

「いや、あれ、なに?」

 イネノが魔術を掛けたあとも、窓硝子に映る景色はほとんど変わらない。土の均された道、その横の植栽、ゆっくりと歩いているスミ。そのなかで、スミの隣にいる少女だけは、ちがった。ぐちゃぐちゃと黒で塗りつぶされたように映っている。その黒がいくつか、スミに触れ、周りを黒く覆おうとしていた。なに、と聞いたものの、「良くない」ものであることだけははっきりと分かる。

「分からない。人でない、わけでもないようだし。妖魔や精霊や霊の類にも見えないし」

「スミは、大丈夫、なんだよな?」

「いくつか、スミを思い通りに動かそうとするような魔術を彼女が掛けていると思う。スミは防いでいるみたいだけど、完全じゃない。ただ、スミが何とかできないわけでもないと思う……」

 イネノは困ったように、スミを見つめている。手紙には、こちらから連絡を、と書いてあったが。

「行こう。スミとなんとか話をしよう」

 ダナンの言葉に、イネノはほっとしたようにうなずいた。ふたりは寮にまっすぐ帰るのだろうと検討をつけて、ダナンは頭のなかで道順を整理する。

「イネノは途中の分かれ道のところに先回りして。オレが途中で声を掛けて、なんとか彼女をスミから引き離すよ。その間にイネノはスミと話をする」

「分かった。ダナンは御母堂のご加護があるから問題ないと思うけど、一応これも持ってて」

 白くすべすべとした石をひとつ、イネノがダナンの手のひらに落とした。滑らかな感触。温かいような冷たいような。

「白の女神さまのお守りだよ。僕も呪いの類は基本的に掛からないんだけど、もし理由を聞かれた場合のために持ってる」

「ありがとう、借りる」

 なるほど、授業などで呪いを自動で弾いてしまった場合、このお守りのおかげで、と言えるようにしているのか。自分もこういうものを用意しておいた方がいいだろうかという考えを、ダナンはとりあえず横に押しやる。

「待って、誰か来た」

 前の道を歩いていたひとりの生徒が立ち止まり、ふたりに何か声を掛けた。声を掛けた生徒は、しろくぼんやりとしていて顔などが見えにくい。それでも、悪い感じはしなかった。スミが頷き、その生徒に従って寮とは別の方向へ歩き出した。同室の少女は立ち止まったまま動かない。

「あれって」

 イネノが小さく呟くが、とにかく今は行った方が良さそうだった。せっかくふたりが離れた好機だ。見失わないようにしなければ。

「とりあえず、追おう」

「うん」

 ふたりは教場から駆け出した。

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