白の巫
「お邪魔します。ご飯作ってくれてありがとう」
約束通り昼前にやってきたスミは、イネノに居間に通されると、ダナンに律儀に丁寧に頭を下げた。寮は男女の棟が分かれているが、記録さえすれば行き来は可能だ。スミはこれまでもよく遊びに来ているし、入学式のまえには食事を一緒にとっていた。それでもいつも、きちんと挨拶をして入ってくる。「いい匂い」
机に並んだ皿を見て、スミは目を輝かせた。顔の動きに合わせて、銀色の細い紐状の耳飾りも揺れて輝く。今日は髪を束ねていたので、繊細なつくりの飾りが良く見えた。ダナンは、作り甲斐のある反応だなとほほえましくなる。もう少し手の込んだものを作ればよかった。
「今日は焼き魚と青菜の味噌汁。あと食堂のきんぴらと漬け物」
「おいしそう。せっかくダナンに少し料理習ったのに、今週は全然できなかったな」
入学式が始まるまでの数日間、ダナンはスミとイネノに魔法の基本を習い、代わりというわけでもないが、ダナンは料理や生活に関わることをふたりに教えた。ふたりはなかなかに、生活能力がない。準備はしてきたというが、身についていないことは明らかだった。良いとこの子なんだろうなあとダナンはぼんやり思っていたのだが、まさか巫だったとは。
「オレたちも今週はさすがに食堂の持ち帰りだよ。スミは食堂で食べてたの?」
「ううん。私もだいたい、持ち帰って部屋で食べてた。何回かは同じ組の人と食堂で食べたんけど、もう混みすぎてて」
「今はみんな終わる時間が一緒だから、混雑がひどいみたいだね。来週以降はもっとましになるっていうけど」
「だんだんほかの棟の食堂も使えるようにもなるみたいだしね」
食堂と呼ばれている棟は、その名の通り食事のできる食堂部分と、雑貨や文房具類、食料品などがだいたい手に入る商店の部分で構成されていた。学内にいく棟かあるらしいが、1年生はしばらくのあいだ行動範囲が決められていて、自由に敷地内を行動できない。現時点で許可された行動範囲のなかにある食堂は1か所で、人が集中しすぎていた。
「1週間、お疲れ様」
まだ疲れの取れていないお互いの顔を笑いながら、味噌汁で乾杯をする。
「怒涛、だったよね」
魚の骨をきれいな手つきで外しながら、スミが呟く。ダナンとイネノは思わず深くうなずいた。
「こんなに短期間でこんなに大量の人の顔と名前、見たことない」
「そして、さすがに覚えきれた自信がない」
ダナンのぼやきに、それね、と力なくイネノから同意が返ってくる。スミはと言えば、とちゅうからもう覚えるのを止めた、というさらにやる気のない答えだったが、それを責める気になれないくらい怒涛だった。
来週からは、この1週間で受けたすべての授業を踏まえて自分で受ける授業を選んで受ける。そして週末には最終の受講計画を提出して本授業。という進み方だ。取得できる授業の数は決まっているので、ここまで忙しい1週間はもうない、はずだ。
あれやこれやと授業の感想などを言い合いながら食事を終えると、ダナンはふっと疲れが軽くなったような気がした。何でもない会話で、気持ちが落ち着いたのだろう。気楽に話せる人がいるというのはありがたいことだと思う。
片づけはイネノとスミが請け負ってくれたので、ダナンはほうじ茶を入れた。スミが手土産に持ってきた団子の包みを開いたところで、イネノが背筋を伸ばす。
「スミ……話さなきゃいけない、というか、謝らなきゃいけないことがある」
「何?」
「ダナンに、巫だってこと、ばれ、まし、た……」
「そう」
恐るおそる言い出したイネノに、スミは平然と頷く。いちおうイネノが昨日の経緯を説明するとため息をついた。
「ひどいねえ、気を抜きすぎでしょ。気を付けてね」
「ごめんなさい」
しばらくしっかり頭を下げていたイネノが、それだけ?とそっと頭を上げる。
「もっと怒られるというか、驚かれると思った」
「ダナンを避けようと思ったら、イネノはいくらでも出来たでしょ。私はひとり部屋なんだから、部屋に戻らず、私の部屋に転がり込めばいい」
湯呑を揺らしながら、相変わらず淡々とスミは話す。
「それをしなかったから、いつかイネノはダナンに自分のことを打ち明けたいんだろうなって、それは分かってたから。まぁ、こんなすぐに、打ち明ける機会を図ってるうちに寝ぼけてばれちゃうっていうのは、驚いたけど。言おう言おうと思ってたからこそのうっかりなんだろうけど、なんともイネノらしくて呆れちゃう」
「うぅ……」
「そのうっかり、他の人の前では絶対やらないでね」
「やらない、やらないよ、やりません。ほんとうに」
「言えば言うほど、うそっぽい」
スミがからかうように笑う。どこか張りつめていた重い空気が和らぐ。どうやらふたりのあいだでは、何らかの決着がついたらしい。スミが居住まいを正して、ダナンに向かい合う。
「ダナン。改めて言うまでもないのかもしれないけれど。このことは、どうぞ内密に」
「誰にも言わないよ。誓おうか」
何に誓えば安心してもらえるか、とダナンが考えたところで、スミが少し笑って首を振った。
「ありがとう、大丈夫。私もダナンのこと、信じられる。短い付き合いなのに、不思議だね」
そうなんでもないことのように言われると、少し面映ゆい。
「梅の花は、白の女神さまの紋だったよね」
昨日見たイネノの首筋の文様を、ダナンは思い出す。黄色と薄桃の光で描かれた、幾輪もの梅の花。
「そう。僕は、神殿都市ランカンに奉られます白の女神さまの巫だよ」
「答えたくなければいいんだけど。スミも巫、ではないよね?」
「まさか、ないない。白の女神さまの巫は、イネノをいれて3人だけ。私とイネノは神殿で一緒に育ったの。それで今回、イネノの付き人としてきたんだよ」
「どっちかっていうと、僕がスミの面倒見てきたと思うんだけどねえ」
「私はぼんやり、イネノはうっかり。ふたり揃えばなんとかなるだろうか、なってくれ、と祈るように送り出されたよね」
ふたりはふわふわと笑いあっているけれど、笑っていい内容なのか、微妙なところだ。周囲の人は、断腸の思いだったろうなと、ダナンは若干遠い目になる。
「あ、イネノは他に大人の付き人がちゃんといるんだよ。だけどこの学校、入れる資格がないものは入れないから。イネノが巫だって知っていて、入学資格にあう年齢で、試験を通ったのが私だけだったの」
ダナンの複雑そうな表情をどうとらえたのか、スミは付き人についての補足をしてくれた。
「ランカンにもちゃんと学校があって、幼少期から巫になった人は普通そこに通うんだけどね。イネノが外の学校に行きたいって言いだしたときはてんやわんやだった」
巫の持つ力は、強大だ。巨大な魔物が発生したときに光の矢で貫いて塵にしたとか、外敵の襲来時に国全体を結界で包んで守ったとか、伝説には事欠かない。
この国はひとりの帝を戴く、複数の州で構成されている。今は落ち着いているが、それは微妙な均衡のうえになりたっていて、だからこそ大きな力を持つ神殿の者たちは身を慎み、その影響力を極力どこにも及ぼさないように気を付けていると聞く。
「よく許可をもらえたね。巫は、それぞれの神殿から離れられないと思っていたよ」
「全く出られないわけじゃないよ」
「6年間もほとんど神殿から離れるのを許されるのは珍しいでしょ。白の女神さまはお優しいから、イネノの外のことを理解したい、そのためにランカン以外の場所で学びたいっていうわがままに、笑って許可をくださったのよね」
「わがままじゃ、ないよ。なにも知らないまま女神さまにお仕えするのは、不安だったんだ。僕は物心ついたときにはもう巫として女神さまに認めていただいていた。だからこそ一度、ランカンを離れて学ぶべきだと思ったんだよ」
野宿の夜に、与えられたものだけでは不安だ、と言っていたイネノを、ダナンは思い出す。自分の手のなかにあるものをきちんと大切にするために、イネノは自分の手のなかにないものを学びに来ている。それは確かに、わがままではないとダナンは思うし、それを笑って許してくれた女神さまに御礼を言いたいような気持になった。
湯呑を置いて、スミがイネノに人差し指を突き付ける。
「その是非は私には分からないけれど、そう信じているなら、なおさら慎重になって。私が目を瞑るのはダナンまで。他の人もうっかりばれたなんて言ったら、強制送還するからね。巫を利用したい人間なんて腐るほどいるのは、イネノの方が良く分かってるでしょ」
スミの言葉にイネノが頷く。物心ついたときには巫か。それはいろいろあっただろうなとダナンですら察する。
「巫は、女神さまの力を使って、桁違いの魔法を使えるんだよね」
「正確に言うと、普段はだいたい、女神さまを思う人の気持ちを使っているんだけど」
「女神さまはいないってこと?」
「いるよ」
間髪入れずに、応えが返る。とても自然に、いちたすいちを答えるように。
「いるよ。すこし遠く、違うところに。いつも見守ってくださっている。離れているのも、僕らが嫌いだからじゃない。近づくには強すぎるし大きすぎるし違いすぎるんだ。お互いにそれを理解しているから、女神さまは安易に人に力を貸さないし、僕もお借りしない」
イネノのなかには、明確な線引きがあるようだった。そういうイネノだからこそ、神の力を使う許しを得られるのかもしれない。
「人が女神さまのためにより良く生きようと思うと、それは女神さまの力になる。それを僕は使っている」
「それもかなり、大きな力だけどね。人ひとりの魔力はどれだけ鍛えても限界があるけれど、束ねた力はいくらでも大きくなる」
普通じゃ考えられないような力だよ、とスミが言えば、イネノが両手を叩きながら、それそれ!と少し興奮したように話を繋ぐ。
「ランカンから離れて、びっくりしたよ。使える力の量が全然違うんだもん。話には聞いていたんだけど、すごいよ。でも、代わりというのではないんだけど、女神さまの力に似た力みたいなのがあって、それが使える。こういうことも、一度自分で経験しないときっとだめだったんだ」
「はいはい、分かってる。私だってべつに、イネノが神殿を離れてこの学校で学ぶことに反対しているわけじゃないよ。反対してないからこそ、気を付けてねって言ってるの」
「う」
「繰り返すけど、ほかにもうっかりバレちゃった、なんてことがあったら、強制送還になるからね。悪い人間だけの話じゃなくて。イネノだって、教室で跪拝されながら学生生活を送れるとは思ってないでしょ」
イネノが言葉に詰まって、お茶をひと口すする。それから、気を付けるよ、と小さく答えた。
「え、拝まれるの?」
「生徒のなかにも白の女神さまの氏子はぜったいいるもの。氏子だったら、巫と分かれば、それは拝むよ」
「僕ら白の女神さまの代理人だから。御祈りは御受けするべきなんだけど、同級生でそれは……お互いに、ちょっと、困る」
「うん、困るね」
それはわりと単純に、なんか気まずい。




