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eのついたアン、ひらがなのわたし
空を、あおいろと思う。青とも、蒼とも違うのである。直線と、それから、申し訳程度の曲線からなる文字へと閉じこめたとき、そのひろやかさはたちまち失われてしまう。
わたしがわたしと言うとき、それは私ではなく、ひらがなのわたしである。譲りたくないもの、ある種のこだわりであった。アン・シャーリーが、〝eのついたアン〟であることを望んだように。
わたし、と舌の上を転がる音は、私がもつそれよりもずっと円い。わたしはわたしと言うとき、その響きと同じかたちをもつ人間であるのだ、と周囲に知らしめることを望んでいるのかもしれない。あるいは、そうあれとおのれに暗示をかけているのだろうか。
漢字で書くことのできる言葉をあえてひらがなとするのを、漢字をひらくという。それと同じに、わたしはわたしと言うとき、ひらかれた自分なのである。どこまでもひろやかな、あおいろにあこがれたわたしなのである。青とも、蒼とも違う、空のあおいろに。
2023.04.18執筆




