八話 異常統制集団
「――!」
キーラさんが飛び起きた。
横たわっていた姿勢からバネのように跳ねて、そのまま一直線に駆けていく。
その先にいるのは、三匹のゴブリンたち。
どうやら池から少し離れたところで身を屈めていたらしい。
こちらを奇襲しようとしていたのだろう。息をひそめ、機を窺って、仕掛けるタイミングを見計らっていた。
キーラさんの奇襲は、その盤面を前提からひっくり返した。
昼寝するくらい油断しきっていると思っていた相手が、いきなり自分たちに攻撃を仕掛けてきたのだ。
しかも、猛烈な勢いで。一直線に。
動揺してもおかしくない。
少なくともその瞬間、ゴブリンたちは浮き足だった様子をみせた。
「ギャギャ、ギャ!」
迎撃か、それとも撤退か。戸惑いをみせる仲間たちに、ゴブリンたちの一匹――おそらくリーダー格のそれが声をかける。
おそらくはなんらかの指示だろう呼びかけに、残りの二匹が冷静さを取り戻しかけたように見えたけれど、
「――――ャ」
リーダー格のゴブリンの口から、情けない空気が漏れて出た。
いつの間にか、その額の真ん中に深々とナイフが突き刺さっている。
「っ、……ギ――」
悲鳴すらあげられないまま、ゆっくりと、もんどりうって後ろに倒れていく。
そして、二匹のゴブリンたちがリーダーだったゴブリンの最期を見送って、それから目線を戻したときには、彼らのすぐそばにキーラさんが辿り着いていた。
「――!」
駆け抜け際に短剣を一閃。
正確に首筋を狙った刃が頸動脈を切り裂いて、大量の血が宙に舞う。
――昨日は、あんまり意識できていなかったけれど。
ゴブリンの血も赤いんだなぁ、とか。そんな間の抜けたことを僕は思った。
「ギャギャガギャ!」
二匹目の仲間も悲鳴をあげることなく絶命したことに、残された一匹がようやく怒りの雄たけびをあげる。
ゴブリンの手には棍棒。
大きくそれを振りかぶり、仲間を惨殺した相手にそれを叩きこもうと力いっぱいに振り下ろして、
「ギャ! ………ぎゃ」
けれどそれは、あまりに大振りすぎた。
キーラさんは悠然とその一撃を避けて相手の背後に回り込むと、後ろから掻っ切るように首を裂いて、
「――はい、おしまいっと」
あっさりと戦闘の終了を宣言する。
あとに残されたのは、物言わぬ躯になった三匹のゴブリンたち。
そして、目の前の圧倒劇に文字通り言葉を失う僕だけだった。
あっという間の出来事だった。
ゴブリン三匹を立て続けに始末して、キーラさんがこちらに歩いて戻ってくる。
僕はといえば、すやすやとお昼寝中の妹に手をかけて、今まさに起こそうとするところだった――それすらできないあいだに、すべて終わってしまっていた。
「うわ、血がついちゃった」
嫌そうに顔をしかめながら戻ってきたキーラさんが、僕の顔をみて不思議そうに、
「どうかした? 化け物みるような顔しちゃって」
「……キーラさん、強いんですね」
パーティの斥候役だっていうから、てっきりそんなに強くないのかと勘違いしてた。
ところがどっこい、あっという間にゴブリン三匹を瞬殺。全然強い。
キーラさんは苦笑して、
「ただのゴブリンやったくらいで感心されてもね。それに、不意打ちできたし」
相手にまともに戦わせなかった時点で、こっちの勝ちだよ。とキーラさんは言った。
「それじゃ、最初にリーダーを狙ったのも?」
「そりゃ、ゴブリンって群れてなんぼだからね。まとめ役狙うのは定石でしょ。少数でも大人数でも、それは一緒」
うわー、勉強になる。
冒険者って凄いなあ。強いなあ!
「にしても――」
キーラさんは周囲に目をやりながら、眉をしかめている。
「どうしたんですか?」
「ん? 今の三匹、斥候だと思ったんだけど。違ったかな」
斥候?
つまり、キーラさんと似たような役割ってこと?
「そ。最近、このあたりでおかしなモンスターの集団が出るって話があってさ」
言いながら、キーラさんは最初に倒したゴブリンの元に近寄っていく。
投擲した短剣を回収しながら、
「詳しい話は省くけど。それがあたしらが今請け負ってる依頼とどうも関係あるっぽいんだよね。それで、ちょっと引っ掛けてみたんだけど。……外れかなあ」
そういえば、キーラさんたちはなにかの依頼でしばらく町に滞在するみたいなことを言っていた。
それがさっきのゴブリンとなにか関係がある?
でもどうやら違ったらしい?
まったく話がわからないので、そうなのかぁぐらいの感想しか湧きようがなかったけれど。
引っ掛けた、という言葉には、それこそひっかかるものがあった。
僕は思わずジト目になって、
「……それって、もしかしなくても僕らを餌にしたってことですか?」
「あ、よくわかったね」
うわ、この人。あっさり認めちゃったよ。
さっきからやけにのんびりしてると思ったけど、そういうことか!
「勝手に巻き込まないでください!」
「あはは。だから言ったじゃーん。冒険者なんて、そんなモンなんだって」
悪びれもしない態度でひらひらと手を振ってくるキーラさんに、さらに文句を言い連ねようとしたその時、
ピーーーーーーー!
甲高い笛の音が鳴り響いた。
それとほとんど同時、
「――――っ」
キーラさんが後ろに跳ぶ。大きく飛び退って間髪入れずに一歩、さらにもう一歩。
直後、さっきまでキーラさんのいた場所になにかが飛来して、そのまま地面に突き刺さった。
――矢!? 矢だ!
誰かがキーラさんを弓矢で狙ってる!
「っと。やっぱり外れじゃなかったか」
不敵に笑ったキーラさんが視線を向けたのは、池の反対側。その森の奥。
そこから複数のゴブリンが姿を現わしていた。
手に弓を構えた三匹のゴブリン。
キーラさんを狙ったのは多分、こいつらだろう。
だけど、これは――
「だけどこれは――ちょぉっとだけ、予想してなかったかなぁ」
毒づきながら、キーラさんはさすがに表情を引きつらせている。
――出てきたのは、弓矢持ちだけではなかった。
盾を持ったゴブリンに、槍を持ったゴブリン。杖を持ったゴブリン。それに猪みたいな動物に跨ったゴブリンまで。
多種多様なゴブリンが、続々と森のなかから姿をあらわしていた。
その数は全部で十匹近く。
全員がはっきりと戦意をみなぎらせて、こちらを睨みつけている。
◆
「――アニくん!」
池の向こうに現れた異様なゴブリンの集団に、キーラは少し離れた場所で呆然とそれを見る少年に声を飛ばした。
「下手な動きをしない! それなら、キミたちが狙われることはない! わかった!?」
「は、はいっ……!」
彼らが安全な理由について、丁寧に説明している暇はない。
端的な指示だけを残して、その返事が戻ってくる前に彼女はすでに駆け出していた。
池のほとりを駆けるように、ゴブリンたちとの距離を詰める。
(わざわざ池の反対側から現れたのは偶然? いや、違うでしょ)
明らかに、連中は距離を取ろうとしている。
こちらが距離を詰めなければいけないことを判っているような現れ方だった。
実際、駆け出した彼女に対するゴブリンたちの反応はその考えを裏付けるものだった。
三匹の弓矢持ちが矢をつがえ、同時にそれを射る。
キーラは矢の弾道を予測して当たらないと判断。それを無視して、むしろ一直線に地面を蹴る力を強めた。そのまま一気に集団との距離を詰めようとするが、
「ギャヤラ!」
杖を持ったゴブリンが咆哮した。
その手に持った杖の先に光が灯り、炎の球が生まれる。
(魔法持ち!)
火球が飛んでくる。
さすがにそれに向かっていくわけにいかず、キーラは大きく迂回行動をとった。大回りになり、速度も落ちる――それを待っていたかのようなタイミングで、横合いから角猪に乗ったゴブリンが突進してきた。
「ちっ……!」
手にしたナイフを構える。
角が邪魔して頭部の急所は狙いづらい。胴体付近へ当てずっぽうに投擲しつつ、身体ごと地面に投げ出すようにして間一髪、キーラは敵の突撃を回避した。
突進を避けることは成功したが、キーラの投げたナイフも明後日の方向に飛んでいってしまっている。
猪乗りはそのまま駆け去り、十分に距離をとったところで速度をゆるめて、首を巡らせる。余裕を持った方向転換。
「遠距離で足止めてから、騎馬で突撃……? やってくれるじゃん」
不敵な笑みを浮かべながら、キーラは新たな短剣を構える。
一連のやりとりのあいだに、森からあらわれたゴブリンたちは完全に戦闘態勢を整えていた。
弓矢持ちが最奥に構え、その前に杖持ちが立つ。それらを守るように槍持ち、盾持ちが構える。猪乗りは味方から適度に離れた距離で、機動力と自由度を確保する。
完全に、陣形という概念を理解した立ち位置だった。
元来、ゴブリンは集団性の高いモンスターではある。
だからといって、ここまで統制のとれた戦闘隊形をとるゴブリンなど、キーラは見たことがなかった。
――明らかに異常な統率力を有した、ゴブリンの集団。
危険だった。近隣の冒険者たちに緊急の討伐依頼が出る程度には。
(やっぱり、こいつら――関係あるね。あたしたちが受けた依頼と)
奇妙なモンスターの群れが森の池付近にあらわれるという情報は得ていた。
斥候としてそれを確かめるためにやってきて、その確認はとれた。
あとはその情報を持ち帰るだけだが――
もちろん、連中にそれを許すつもりはないだろう。
キーラが同行させたあの兄妹はゴブリンにとって「戦利品」になりえるから、殺される恐れは少ない。だが、仲間を三匹も殺した自分は復讐の対象でしかないことを彼女は理解していた。
(連中はあたしの体力が尽きるのを待つつもりだ)
決して無理はせず、遠距離からちくちくと追い詰めていくやりくち。
戦法としては王道だった。
それに対してどう対応するべきかも、彼女にはわかっている。
(そのためにやるべきことは――)
思考はそこで中断された。
再び、矢が飛来する。牽制に続いて火球。大きく体勢を崩したところに猪乗りによる突進攻撃。
ゴブリンらしからぬ統制のとれた攻撃に舌を巻きながら、キーラは勝機を図ってその時を待つ。
近づこうとする度に敵からの応射を受けて、彼女と敵集団との距離は広がりつつあった。
だが、彼女が退がればゴブリンの集団はその分じりじりと戦線を押し上げて、しかし決して焦って距離を詰めることなく、距離を適度に保つことを忘れない。
そうするうちにどうしても体力は消耗して、動きは鈍くなる。
ゴブリンたちの狙い通りに。
客観的に言って、徐々にキーラは追い詰められつつあった。
そう見えるはずだということが、彼女にはわかっている。
◇
目の前で繰り広げられる攻防を、僕は固唾をのんで見守っていた。
攻防。というよりそれは、キーラさんの一方的な防戦のように見えた。
弓矢に、魔法(魔法!)。それに猪に乗ったゴブリンの騎馬突撃ならぬ騎猪突撃。
規律のとれた連続攻撃に、キーラさんはゴブリンたちとの距離を詰められず、むしろ徐々に距離を離されつつある。
いまや、キーラさんの後ろには鬱蒼とした森が広がってしまっていた。
そのまま森のなかに逃げ込めば、遠距離からの攻撃は防げるかもしれない。でも、
(森のなかにも伏兵がいるんじゃないか!?)
わからないけど、その恐れはある。
そう考えるのが当たり前に思えるくらい、キーラさんが対峙しているゴブリンたちの集団は手慣れているように見えた。
なにに? それはもちろん、戦闘に。包囲に。
そして――獲物の追い詰め方にだ。
メルティアさんから教わった話だと、ゴブリンにはそこまでの知能はないはずだった。
群れをつくり、簡単な道具は使うけれど、戦術としては原始的なものしかとらないと、そう聞いていた。
だけど、目の前にいるゴブリンたちは明らかに違った。
まるで訓練された人間のような統率性。一貫した戦術。
そんな連中が、普通のゴブリンであるはずがなかった。
でも。
だからこそ、キーラさんの狙いも僕にはわかる。
難しい話じゃない。
理屈はさっきの三匹のときとおなじだ。
ゴブリンを叩くときは、リーダーを狙うのが定石。
優れた統率性があるにせよ――いや、だからこそ。敵の大将を狙う意義は大きいはずだった。
キーラさんもきっとそれを狙っているはず。
なら、僕たちに出来ることはなにかないか……!?
ゴブリンたちの目をひいて、キーラさんが距離を詰める手助けをする?
――いや、駄目だ。
僕と妹が今、ゴブリンたちからほとんどノーマークになってるのは、僕らが無力な子羊だからだ。
無視してもいいような存在だから、無視されているだけ。
下手にそうではないことがわかったら、かえって危険になりかねない。
じゃあ、どうする?
(……せめて、ゴブリンたちのリーダー役が誰かわかれば)
リーダー役は、いま戦っている、あのなかにいるだろうか?
いや、そうとは限らない。
指揮する人間が最前線に立つとは限らない。
さっきみたいな三人組ならともかく、大勢の集団になればなるほど、そのはずだ。
じゃあ、この池を囲む森のなかのどこかから、戦況を確認してる?
……多分、そうだ。
遠すぎたら戦況がわからないから、離れすぎてもいないはず。
いるとしたら、あくまで目の前の状況を視界に収められる範囲で、それでいて狙われにくい場所。
どこだ。どこにいる――
ちいさな野原をぐるりと取り囲む緑の囲い。
そのどこかに息をひそめる、ゴブリンたちのリーダーの姿を探して血眼になっていると、くいくいっと腕を引っ張られた。
妹ちゃんが、ある方向を指さしている。
ゴブリンたちが現れた森の方向。
そこにある草やぶが、がさりと不自然に揺れた。
(――誰かあそこにいる!)
罠? いや、そんな必要がない。罠じゃない、……はず!
「……あそこに隠れてる相手を、こないだみたいにぶっ倒せたりできる?」
声を小さくして訊くと、妹ちゃんはこくりとうなずいてみせた。
「……わかった。じゃあ、ゆっくり近づいて――僕が合図したら、ぶっ倒して」
「ん、わかった」
妹ちゃんの手をとって、歩き出す。
誰かが隠れているだろうその草やぶの前には、本来ならゴブリンたちが構えているはずだった。
だけど、徐々に後ろに退くキーラさんに引っ張られて、少しずつそこから離れてしまっている。
結果として、今、誰かが潜むその草やぶの前は、がら空きになってしまっていた。
(もしかして、キーラさん。わざと?)
そんなまさかと思いながら遠くで大立ち回り中の冒険者に視線をおくると、こちらを見る視線と目があったような気がした。
驚いたように目をみはり、にやりと笑う。
「うーりゃあああああ!」
多分、こちらの意図を察してくれたのだろう。
わざとらしい大声をはりあげて、キーラさんがゴブリンたちの気をひいてくれる。
そのあいだに、僕らは池のほとりを回り込んで、怪しい草やぶへと迫った。
ゆっくりと、足音を立てないように。
くれぐれも相手にバレないように気をつけて――
「ッ……!」
突然。がさがさがさっと、草むらが大きく揺れた。
逃げられる――!?
「妹ちゃん!」
僕の声に、妹ちゃんが駆けだした。
とんでもない速度で残りの距離を一気に詰めて、右手にはすでに昨日見たあの石柱じみた武器を握っている。
草むらから飛び出してきた相手に、まっすぐにそれを叩きつけて――
「ひっ――」
その姿を認めた瞬間、僕は思わず叫んでいた。
「待って!」
ぴたりと。
石柱が、相手の目の前で止まった。
僕はようやくその後を追いついて、目の前にいる相手の姿をもう一度確認する。
そして、混乱した。
自分自身を容易に叩き潰すだろう一撃をギリギリで寸止めされて、顔面が蒼白になっているのはヒトだった。
緑色の肌をした、人間。……人間?
「た、タスケテ……!」
彼女は震える声で、人間の言葉で。
たしかにこちらに向かって、そう言った。
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