六話 新たな依頼と同行者と
◇◇◇
昨日すぐに寝てしまったからだろうか。
次の日、僕は随分と早くに目が覚めてしまった。
ほとんど暗闇のなかで身体を起こし、隣の相手を起こさないようにそっとベッドから滑り降りる。
手探りで壁まで歩いていって小窓をあけると、朝焼けの日差しと一緒に、ひんやりとした空気がはいってきた。
んんんんん、とおもいっきり天井にむかって足を伸ばして伸びをする。
なんだか、やけに気分が爽快だった。
もしかして、昨日はとんでもなくいい夢を見れたのかもしれない。
内容はなにひとつ覚えていなかったけれど。
「んぅ……」
後ろを振り返ると、妹ちゃんがもぞもぞと上半身を起こしているところだった。
「おはよう、妹ちゃん」
口にしてから苦笑する。
なんだか、こんな風に呼ぶのが当たり前になってしまっていた。
この子の名前も考えないとなあ、なんて考えていると、寝ぼけ眼の妹ちゃんはきょろきょろとあたりを見回してからこちらの姿をようやく見つけて、
「おはよ、おにーちゃん。……よくねむれた?」
「うん、ぐっすり」
「えへへ。よかったあ」
なんだかとっても嬉しそうに微笑んだ。
妹ちゃんの手を取って、一階へ。
建物の裏に井戸があるということは聞いていたから、顔を洗おうとそちらに向かうと、
「――ふっ。――はっ」
井戸から少し離れた裏庭みたいなところで、大きな剣を振るっているサンドラさんの姿があった。
いったいどのくらい前からそうしているのだろう。
サンドラさんは全身に汗を浮かべている。周囲のことなど見えていない様子で、一心不乱にひたすら剣を振っていた。
「お、おはようございます……」「おはよーございますっ」
声をかけてみると、ちらりと横目でこちらを見て、
「――ああ」
返ってきたのは一言だけ。
すぐに鍛錬に戻ってしまう。
邪魔をするのも悪いから、僕らはなるべく静かに井戸へと向かっていった。
「えーと、井戸ってどう使うんだっけ」
なんとなく、どう使うかはわかっているつもりだけど……。
とりあえずやってみようと、井戸の近くにあった紐つきの桶を落とすと、ちゃぽんという水音。
そこから重い紐を引っ張りあげていくのが、かなりの重労働だった。僕が非力なだけかも。それでもなんとか引っ張り続けていくうちに、水入りの桶が姿をあらわした。
「おー」「おー」
妹ちゃんに近くの空桶を持ってきてもらい、そのなかになかの水を注ぐと、半分くらいの量がたまった。
うーん。もう一回だな。
「ほら、先に顔あらっておいていいよ」
「はーい。……わ、つめたいっ」
ぱしゃぱしゃと妹ちゃんが戯れているあいだにもう一回おなじことを繰り返して、ばしゃーんと桶のなかにぶちまけた。
「きゃははっ。つめたいっ」
「そんなに冷たいの? ……うわ、ほんとだっ」
桶の水にひたした手をすくめる。ひんやりどころじゃない冷たさだった。
空気もぜんぜん冷たくて、じっとしてると寒いくらい。
今はどのくらいの季節なんだろう。……季節ってあるのかな?
そんなことを考えながら二人して顔を洗って、そこで気づく。
……拭くものがないや。
「ええい、仕方ない」
着ている服で手を拭き、顔を拭き、ついでに妹ちゃんの手と顔を拭き終えると、僕の上着はほとんどびしょびしょになってしまった。
というか二人とも、服が昨日のまんまだし。
着替えも買わないとだよなあ。あとタオルも。歯磨きとかって、どうしてるんだろ?
日用品のあれこれを考えながら、ため息をつく。
お金がいくらあっても足りない。
水の張った桶を片付けて、妹と部屋に戻ろうとする途中、サンドラさんが剣振りを中断して休憩していた。
ぺこりと一礼して、その脇を通り過ぎようとして、
「あの、」
気づけば声をかけてしまっていた。
「質問してもいいですか?」
「……なんだ?」
「どうすれば、強くなれるでしょうか?」
サンドラさんは、昨日もしてみせた奇妙なものを見るような表情で僕をみて、
「知らん」
「……そうですか」
にべもなかった。
しゅんとして建物のなかに戻ろうとしたところで、後ろからため息。
振り返ると、じろりとした眼差しがこちらを見据えていて、
「剣を振れ。強いかどうかはともかく、私はずっとそうしてきた」
「子どもの頃からですか?」
「お前の年頃の時にはもう毎日振っていたな」
ああ、やっぱりそうなのか。
なら明日から、いや今日からさっそく素振りしよう!
……やっぱり部屋のなかじゃ危ないかな?
毎朝、サンドラさんの近くで素振りをしたりしたら、迷惑だろうか。
そんなことを考えていると、サンドラさんがつかつかとこちらにやってきて、
「……手拭いはないのか」
びしょ濡れの僕の服を見て、睨みつけるように見下ろされた。
「えっと。その、まだ持ってなくて。なるべく早く、手に入れたいなあって思ってます……」
責めるような口調にビビっていると、サンドラさんは深くため息を一つ。剣を置き、近くにあった大きなタオルをとると、乱暴な手つきで僕と妹の顔をぬぐってくれた。
「わっぷ」「わあ」
「……濡れたままだと、風邪をひく。健康管理できないやつはすぐに死ぬぞ」
顔と手、それに頭まで念入りに身体を拭かれてから、ぽんっと、最後にタオルを僕の頭にのせて、
「――やる」
ぶっきらぼうな台詞を残して、サンドラさんはさっさと自分の鍛錬に戻っていった。
取り残された僕と妹はぽかんとして、それから二人で顔を見合わせて。
あわてて赤髪の冒険者さんの後ろ姿に頭をさげた。
「あ、ありがとうございます!」「ありがとうございますっ」
できるかぎり大きな声でお礼を言ったけれど、サンドラさんはこちらを振り返ることもなくて、軽く肩をすくめただけだった。
朝からいいものを見てしまった。
あれが世にいうツンデレ――いや、それともあの場合はクーデレだろうか。
いい人だし、カッコよすぎるよサンドラさん。
思わずファンになってしまいそうだった。というかなった。
サンドラさんにもらったタオルを二人できゃっきゃきゃっきゃしながら、自分たちの部屋に戻る途中、見知った顔が二階の部屋から出てくるのが見えた。
メルティアさんだ。
ちょうどよかった。
今日の予定を聞いて、いろいろと教えてもらえる時間をとってもらえないかお願いしてみよう。
妹と二人でそばに駆け寄って、
「おはようございます! メルティア、さん……?」
相手をみあげての朝の挨拶は、その表情をみて尻すぼみになってしまう。
メルティアさんがぼんやりとこちらを見て、
「……あ、はい。おはようございます」
にっこりと微笑みながら返事をかえしてくれたけれど、その顔色は血の気が引いたように悪かった。
朝なのに、表情もどことなく疲れてそうに見える。
「……大丈夫ですか?」
「ええ。ちょっと――あまり眠れなくて」
額に手をあてて、メルティアさんは熱っぽく吐息をはいた。
熱でもあるのだろうか。
それとも、朝が弱いだけ?
でも、そんな感じとも違うように見えるけど――
ともかく。メルティアさんの調子が悪いのならこっちの用事に付き合わせるわけにはいかない。
また今度、元気になってからあらためてお願いしようと考えていると、
「……二人は、今日はどういう予定なんですか?」
メルティアさんのほうから聞かれてしまった。
「ええと。なにか、昨日みたいな依頼ができたらなあって思ってるんですけど……」
「……そうですか……」
メルティアさんはにこりとして、
「それじゃあ、朝ご飯のあとで一緒に昨日のお店に行って、ちょうどいい依頼がでていないか探してみましょうか」
「それは、ありがたいですけど……」
顔色のせいで、無理やりに微笑んでみせているようにしかみえない相手に、僕は顔をしかめるしかなかった。
「……無理しないでください。メルティアさん、調子が悪そうですし。僕たちのことは大丈夫です」
身体の不調を押してまで無理をしてもらうなんてことはできない。
メルティアさんは驚いたように軽く目を見開いてから、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「……ごめんなさい。かえって心配かけてしまっては仕方がありませんね」
わかりました、と吐息まじりにささやく。
「それなら、お昼過ぎに、あの酒場で合流ということではどうでしょうか。午前中やすませてもらえば、きっと私の体調もよくなると思います」
そういうことなら。
こっちとしても教えてもらいたいことはたくさんあるので、願ったり叶ったりだった。
午前中は自分たちで依頼をさがしてみよう。
ダメだったら、町の外に薬草を採りにいけばいいし――多分、どこかで売ることくらいはできるだろうしね。
「よろしくお願いします。でも、本当に無理しないでくださいね」
念を押すように相手にお願いすると、メルティアさんはくすぐったそうに首をすぼめてみせた。そっと僕の頭のうえに手をおいてきて、
「……優しいんですね。ありがとうございます。それでは、またあとで」
一度、二度と僕の頭を撫でてから、部屋のなかに戻っていったのだった。
◇
朝食のあと、僕と妹ちゃんはさっそく昨日の酒場に向かった。
お店のなかに足を踏み入れて、うわっと立ち止まる。
店内は昨日の繁盛っぷりが一目でわかるくらい、ひどい惨状だった。
あちこちで倒れた椅子。テーブルのうえには食べ物や酒が置きっぱなしで、酔いつぶれてしまっている人も何人か。
まるで戦争でもあったかのような情景のなかに一人だけ、起きてジョッキを傾けている人がいて、こっちのほうを見るなり大きな声をあげた。
「あれー。昨日の兄妹ちゃんたちじゃーん」
見るからに酔っ払った様子で立ち上がり、こっちに近づいてくるのはメルティアさんのお仲間の一人だった。たしか、キーラさん。
「えーと、……おはようございます」
「おっはよー。どうしたの、こんな朝早くから依頼探し? えらいね~」
いや、この人、めちゃくちゃお酒くさいな!
近づけられた顔からただようアルコール臭を避けるように、妹ちゃんが僕の後ろに身を隠した。
キーラさんはけらけらと笑って、
「あ、ごめんね。ちょっと飲みすぎちゃってさ」
言いながら、右手に持っていたジョッキを呷る。
ほとんど天井をみあげるような角度で一気に中身を飲み干してから、ぷはあっと息を吐いた。
「はー、飲んだ! ……にしても、昨日は散々だったなぁ。サンドラのやつはさっさと帰っちゃうし、メルティアは顔さえださないし。エロ目的の野郎どもは集まってくるし! 親父さぁ、もうちょっと店の客層なんとかしたほうがいいんじゃない?」
「アホ。そりゃこっちの台詞だ」
それまで黙々と店の片づけをしていた親父さんが、呆れたようにかぶりを振った。
「あんたらが絡んできた男どもを片っ端からぶっ潰しちまうから、このところ店の片付けが大変でしょうがねえんだ。まったく、いい迷惑だぜ」
「女を酔わせてどうこうしようなんて連中なんだから、潰されたってしょうがないでしょ」
キーラさんは鼻で笑ってから、僕の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。
「いーい? 安い酒で女を酔わそうだなんて、そんな男になっちゃダメだぞ~」
「ガキ相手になにを言ってんだか……」
なんとなく、これ以上この人の近くにいてもロクなことにならない気がする。
そんな予感を覚えた僕は、タイミングを見計らってこっそりキーラさんの手から抜け出すと、依頼書の張られた掲示板へと向かった。
妹ちゃんと二人で掲示板を見上げる。
掲示板には、それこそ無数の依頼書が貼られてあった。古い依頼書のうえには新しい依頼書が貼られていって、どんどん依頼情報が更新されていっているらしい。
……これって、古い依頼書はいつまでも受けられるんだろ。
まあ、どっちにしろ中身が読めないからぜんぜん関係ないんだけどね!
さて、それでこれからどうしよう。
店の親父さんに手頃な依頼がないか聞くのが一番だとは思うけど、掃除で忙しそうだし――なんて思っていると、頭のうえに、ぼんっとなにかが乗っかってきた。
「なぁに勝手にいなくなってんのよー。あたしの相手してよー」
頭のうえに肘をのせてくるキーラさんを、僕は胡乱な目つきで見上げる。
「……キーラさん、休んだほうがいいと思いますよ」
「あ、可愛くないなー。せっかくこのあたしが、いい感じの依頼を見つけてあげようとしてんのにぃ」
それが本当ならありがたいけれど、果たしてこんなに酔っぱらってる人が見つけてくれた依頼を信じていいのかどうかは疑問が残るところだ。
気持ちだけで遠慮しておきたいところだったけれど、キーラさんはこっちの都合なんて知ったことかと、掲示板を上から下まで見ていって、
「あ、これなんていいじゃん。昼月草。報酬銅貨30枚だって!」
30枚!?
それを聞いた僕の目の色が変わったのは仕方がないだろう。
だって、30枚だ。一気に四日分の稼ぎになるのだ。
そんなにたくさんの報酬が手に入ったら、着替え以外にも必要な生活品を色々と揃えることができる。
ただ、問題なのは、
「……それって、難しい依頼なんじゃないんですか?」
「んー? いやいや、そんなことないでしょ~。ちょーっと森のなかに入って、池のまわりを重点的に採集する必要があるってだけだし」
森のなか。
そうなると当然、林道からは離れなきゃいけないことになる。
ちらと隣の妹を見た。
……妹ちゃんが一緒なら、大丈夫かな?
でも、その池の場所がわからないと、まずそこまでたどり着けるかどうかも怪しい。
「その池って、行くまでの道、地図とかってあるんでしょうか」
「地図? ま、そりゃあるだろうけど」
そんなのいらないでしょ。キーラさんはあっさりとそう言ってのけた。
「どうして地図がいらないんです?」
「だって。あたし、行ったことあるしー」
んん? いったいこの人はなにを言っているんだ?
言葉の意味をはかりかねているこちらに向かって、キーラさんはにんまりと笑って、
「なぁに、その顔。あのねー、キミたち二人だけで行かせたりするわけないじゃん。あたしが一緒についてってあげるって言ってんの!」
僕のおでこを人差し指で突っついて、キーラさんはご機嫌に笑った。
◆
酔っぱらいの冒険者と、それに連れられて新米二人の兄妹が店を出ていくのを見送って、酒場の主人はため息をついた。
「大丈夫なんだかねぇ……」
手渡されたばかりの依頼書に目を落とす。
そこに書いてある内容は以下の通りだった。
『昼月草の採取。危険度低の上。町の外、森のなかの池周辺に多く植生。最低5本から。追加報酬あり』
『――注意。極稀に池周辺で凶暴なモンスター群の目撃情報あり』
お読みいただきありがとうございます。
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