五話 はじめての夜
メルティアさんの口添えがあったおかげで、僕らは問題なく部屋を借りることができた。
宿賃は一日1サニティカ銅貨。ご飯を食べたい時は別払いで一食1サニティカ銅貨。お湯を使いたい場合も一回1サニティカ銅貨。照明用の蝋燭立ても、蝋燭込みで借りるのに1サニティカ銅貨。
どうやらこのあたりでは1サニティカ銅貨というのが生活の基準になっているらしい。
つまり、一日に8サニティカ銅貨くらいの収入があれば、なんとか生きていける計算になるわけで。
今日の収入は12サニティカ銅貨。
余裕のノルマクリアである!
まあ、メルティアさんのおかげなんだけどね。
というわけで、僕と妹はさっそく別料金を払って夕食をとり、部屋に戻ってきたところだった。
「あー、美味しかった!」
満腹のお腹をかかえながら、ベッドにダイブイン。
やわらかいクッションではない、しっかりとした藁入りの心地に身体を包まれる。
夕飯に出てきたのは、ちょっと香りの強いお肉の焼いたやつと硬めのパン。玉ねぎのスープに果物。それに果実水までついていた。
特に果物が美味しかった。
初めて見るものばかりだったけれど、味は食べたことがあるものと似ているのも多かったし。
これで一食1銅貨なら、十分だと思う。
むしろ、僕や妹にはちょっと多すぎるくらいだ。
……やっぱり冒険者ってよく食べるのかな?
身体が資本なんだし、なんとなくそんなイメージがある。
とにかく、ご飯を食べられて寝床も確保できている。
あとは眠るだけ――あ、その前にお風呂はいらなきゃ。
お風呂というか、お湯をかりて身体を拭くだけだけど。
なんでもこの宿にはお風呂はないらしくて、安い宿だと大抵そうらしかった。
お風呂に入りたいなら町のお風呂屋さんに行くか、泉で水浴びするか。
もっと高級な宿屋にならお風呂がついている場合もあるけれど、そういうところは宿賃がすごいらしい。
ちなみにお風呂屋さんの値段も、一回1サニティカ銅貨。
今日くらいの稼ぎだと、毎日お風呂に通うのはなかなか大変かもしれない。
(僕はいいけど、妹ちゃんはなるべくお風呂に入れてやりたいな)
とか考えている僕のうえに、その妹が上から降ってきた。
「ふふー!」
「ぎゃっ」
潰される。うそ、潰されるほどじゃない。
でも、みぞおちあたりに落ちてきたから普通に苦しくはあった。
「うぐ……。ど、どうだった? ご飯、美味しかった?」
「おいしかった!」
「そりゃよかった。お風呂、どうする?」
今日は追加の報酬までもらえているから、お風呂屋さんに行けないこともない。
妹ちゃんはじっとこっちを見てから、ふるふると首を振った。
「そっか。じゃあ、あとでお湯をもらってこようか。身体を拭きっこしよう」
「わーい。ふきっこ!」
妹ちゃんは嬉しそうにしてくれるが、さっきの一瞬の間はこっちの懐事情を考えているかのようだったから、僕としては自分の解消のなさにひっそりと涙を流すしかない。
すまない、妹よ。
いつか必ず、たっぷりの湯船につからせてやるからな!
我ながら低い志である。でもその分、実現性は高いと思う。
そう考えられる理由はもちろん、僕のお腹のうえでゴロゴロと転がっている我が妹の存在だった。
ゴブリンをたった一発で吹っ飛ばしてみせた。
あの衝撃的な光景は、今でも僕の脳裏にはっきりと残っている。
「ねえ、妹ちゃん」
「なーに、おにーちゃん?」
転がるのをやめた妹ちゃんがこっちを見下ろしてくる。
ちょうどおなかのうえに肘をつくような恰好の相手に、
「お昼にさ」
「うん」
「ゴブリン――モンスターをさ、ぶっ飛ばしたでしょ。ぱこーんって」
「うん。ぱこーんって、したよっ」
言い方が面白かったのか、楽しそうに真似をしてくすくす笑う妹ちゃん。
「あれってさ、持ってた武器ってどうしたの?」
「ぶき? ぶきってなあに?」
「ゴブリンをぱこーんってしたやつ」
んー、と妹ちゃんは首をかしげて、
「わかんない!」
「わかんないかー」
そこまできっぱりと言われてしまったら、しょうがない。
「じゃあ、またあのモンスターがでてきたら、倒せそう?」
という質問にも、かえってきたのは即答だった。
「たおせるよ!」
「何匹も出てきても大丈夫? ……かどうかは、さすがにわかんないか」
「ぜんぜんたおせるよ!」
妹ちゃんは自信満々に、えへんと胸を張るようにして、
「わたし、さいきょうだもん!」
そのあまりの断言っぷりに僕は一瞬きょとんとしてから。
なんだかおかしくなって、思わず笑ってしまった。
「あははっ。そっか。僕の妹はすごいんだな」
「えへへー。おにーちゃんは、わたしがまもってあげる!」
「嬉しいな。でも、そればっかりだとお兄ちゃんとしてはちょっと辛いかなあ」
妹に守られてばかりじゃ、兄としての立つ瀬がないというものだ。
「……まもられるの、イヤ?」
強気な表情が一転して、不安そうにこっちを見てくる相手の頭をよしよしと撫でながら、
「そうじゃないよ。イヤなんじゃなくて……僕だって、妹ちゃんのことを守りたいからさ。頑張って、強くならなきゃ」
ゴブリン一匹にやられてたりなんかしていたら、お話にならない。
でも、強くなるってどうすればいいんだ?
筋トレでもすればいいのかな?
まあ、僕自身の成長については今後に期待するとして。
現実問題、妹ちゃんがわけわかんないくらい強くあってくれるのは、僕らの生活に直結するお話だった。
今日受けた、薬草採集の依頼。
あの依頼はメルティアさんの手助けがなかったら達成できなかっただろう。
そして、そのメルティアさんが助けてくれた部分というのは、「林道から外れた場所で採集できるかどうか」というのが大きかった。
それまで、いくら頑張って探してもたった二本しか見つからなかったのに、ほんのちょっと林道から外れただけでたくさんの薬草を見つけることができた。
つまり、林道から外れて採集ができることのアドバンテージはそれだけとてつもないのだった。
普通の人はモンスターが怖いから、林道から少しも離れられない。結果、林道沿いの薬草を狙って、そこは採りつくされてしまう。
強い冒険者ならモンスターに襲われても平気だから、少しくらい林道から離れた場所の薬草でも採ることはできる。ただし、割にあう仕事ではないから依頼そのものを受けることが少ない。
だから、妹ちゃんと一緒なら、冒険者の人がやるように林道からちょっと離れた場所でも薬草を採れるはずだ。
そうなれば依頼は達成しやすくなるし、効率だってぜんぜん違う。
気をつけなきゃいけないのは、いきなり大勢のモンスターに囲まれることだろう。
それだけ気をつければ、大変な目には遭わないはず。
念のため、林道から外れるのはあくまで町の近くでやればいい。
というか……そもそもの話、薬草の採集って依頼は明日もあるんだろうか?
薬草なんて消耗品だから、発生の頻度は高そうではあるけれど。
毎日それが起こるかどうかはわからない。
依頼としてはなくても、どこかのお店で売れたりはするかな?
子どもだと買い叩かれそうだなあ。というか、絶対そうなる気がする。
となると、薬草採集以外の依頼でも僕らが出来そうなものを見つけておかないと。
でも、どんな依頼なら出来そうかなんてわからない。
というか、僕には依頼の紙になにが書かれているかすらわからないのだ。読めないから。
うーん。字ってどこで教えてもらえるんだろう?
学校? それか、図書館とかこの町にあるんだろうか。
メルティアさんにお願いすれば教えてもらえるかもしれないけれど、あの三人もいつでも暇なわけじゃないだろうし、いつまでもこの町にいるわけじゃないだろう。
たしか、数日は滞在している予定だって言ってたような気がするけど……
「やっぱり、大人のひとがいてくれるとだいぶ違うよなあ」
今日の宿だって、メルティアさんがいなければ胡散臭そうにされて門前払いだったかもしれない。
……メルティアさんかあ。
昼間、町であの人に声をかけてもらえたのは本当に運がよかった。
あんなに親切な人は滅多にいないだろう。
薬草採集のときも、僕らが心配だからってわざわざ後をついてきてくれたのだから。
親切すぎて、ちょっとこっちが心配になってしまうくらいだ。
「……そういえば、メルティアさんもゴブリンが吹っ飛ばされるところは見てたんだよな」
それでびっくりして転んでしまったらしいけど。
その後、メルティアさんがそのことについて僕らになにか言ってくることはなかった。
ということは、あれくらい、この世界じゃ普通なのかな?
いやいや、驚いて転んじゃうってことは普通じゃないってことだろうし。
「…………」
そんなことを考えていると、ふと妹ちゃんの視線ががこっちに注がれていることに気づいた。
「……妹ちゃんはさ、メルティアさんのこと。どう思う?」
妹ちゃんはしばらく考えるようにしてから、
「――つかえるとおもう」
「使えるって。まあ、そうだけど」
やけにドライな物言いに苦笑してしまう。
でも、実際その通りではあった。
信頼できる大人という存在は、僕らにしてみればそれくらい得難いものだ。
……なんとか、あの三人のパーティに僕と妹もお世話になることはできないかな?
荷物持ちでも、雑用でもなんでもやるって言って――ああでも、あの三人がどういう活動をしているかわかんないと、それも怖いかもしれない。
あんまり危険な冒険をしているようなら、妹ちゃんはともかく僕のほうがついていけないかもだ。そうでなくとも、足手まといになってしまう恐れはあった。
「とりあえず、明日またメルティアさんに色々と聞いてみようかな……」
そんなことを考えているうちに、いつのまにか、僕のうえで妹ちゃんがくうくうと寝息をたててしまっている。
……しまった。
お湯を借りてくるのをすっかり忘れてた。
いまさら起こしてしまうのも可哀想で、僕自身が面倒になっていたこともあったから、僕はお湯のことをあっさり諦めて、目を閉じた。
なんだかんだあって今日は色々あったから、疲れもたまっていたんだろう。
すぐに眠気が襲ってくる。
心地よい疲労感に意識を手放して――すとんと、すぐに眠りに落ちた。
◆
蝋燭の炎が揺れる室内で、すうすうと少年が寝息を立てている。
まだあどけなさの残る寝顔を見つめているのは、少年よりさらに幼い年頃の少女で――けれど、その表情には年相応にあるべき全てが欠如していた。
瞬きもせず、じっと少年の顔を見つめている。
やわらかい髪の毛を梳くように撫でていると、少年がくすぐったそうに身をよじらせた。
「妹ちゃん、すごいなぁ……」
くすり、と少女は口元を綻ばせて、視線を部屋の外に飛ばした。
その視線の先にいる誰かを見るように、しばらくなにかを考えてから。寝台の脇に置かれたテーブルの上に揺れる蝋燭を一瞥する。
蝋燭の炎が消えた。
◆
エルティアは自室で一人、物思いに耽っていた。
仲間であるサンドラとキーラは酒場に呑みにでかけている。
彼女も別にお酒を飲むことは嫌いではなかったから、普段であればそれに付き合うのだが、今日は考えたいことがあったのだ。
考えているのは、昼間出会った二人の子どもたちのこと。
そして、その一人がモンスター相手にとった行動についてだった。
彼女は見た。
幼い二人の兄妹。その妹が、兄を助けようとしてなにもない空間から武器のようななにかを取り出し、それでゴブリンを一撃のもとに叩き飛ばしたのを。
まるで石ころを打ち上げるようにゴブリンは宙に舞い――そして、視線を戻した時には、少女が持っていた武器のようななにかは忽然と消えてなくなっていた。
――いったい、あれはなんだったのだろう。
この数年間、冒険者として活動してきたメルティアだが、あんな技や魔法は見たことがない。
どうやってあんな巨大な代物を取り出したのかわからないし、そもそも少女の体格で振り回せる重量ではなかったはず。
だというのに、あの少女は平然としていた。
こんな程度のことで、なにを驚くのだろう?といいたげな表情で。
ぞくりと背筋が震える心地に、メルティアは両腕で自分の身体を抱きかかえた。
恐怖と、興奮と。
それらが相交じったような衝撃。
メルティアは教会の教えに厚い人間だった。
幼いころから教えを学び、冒険者としての道を選んだのも、少しでも誰かを救うたいという目的があってのことであり――そしてもう一つ。彼女には大きな目標があった。
それは、探すこと。
教会の教えにいう、救世主――この世界で苦境にある人類種族を救ってくれるその存在を探し、導く。それこそが彼女の生涯の願いでもあった。
――あの少女が、そうなのだろうか。
やっと出会えたのかもしれない。
間違いなく、あの少女は選ばれた存在だった。
「神よ……」
両手を組み、メルティアは自らが信じる主神への感謝と喜びを祈り捧げて、
ちがう
なにかが、不意に彼女の裡でささやいた。
はっとして顔をあげる。
部屋のなかには誰もいない。当たり前のことを確認してから、
「誰かいるのですか……?」
答えはない。
メルティアは注意深く周囲の様子を警戒して、なんの異変もないことを確認してから、息を吐いた。
――なにもいない。
当たり前だった。
先ほどの声は、彼女の外側から響いた声ではない。
(ということは、私のなかから? でも、どうして――まさか、主神が私の祈りに応えてくれたのでしょうか)
ちがう
再び、声。裡なる声。
「いったい、これは――」
理解できない出来事に困惑して、メルティアは胸にかけた聖印を握りしめた。
彼女の裡に響く声はどこか聞き覚えがあって、それでいてまったく知らない誰かのようでもあった。
そして――その声は、ひどく彼女を不安にさせた。
理由はわからない。
ただ、その言葉に否定されることは、なぜか非常に恐ろしいことであるように思えた。
「疲れているのかもしれませんね……」
頭に手を当てて、不安を追い払うようにメルティアは寝台に向かう。蝋燭を消し、横になった。
暗闇のなかで、明日のことを考える。
(……明日の朝、あの子たちと話をしなければ)
あの兄妹が冒険者になるというのなら、教えてあげなければいけないことがたくさんある。依頼の見分け方や交渉の仕方。危険なモンスターと出会わない方法に、その対処など……。
幸い、メルティアたちがこの町で依頼を済ませるまでには数日間の猶予があった。
その時間があれば、必要なことを教えることはできるだろう。
(あの子……)
まぶたを閉じて脳裏に思い浮かんだのは、女の子のほうではなく、その兄のほう。
とてもいい子だった。
妹のことを思いやっていて、勇気がある。
ああいう子どもが不幸にならないようできるだけのことをしてあげることは、彼女が普段から努めている行いでもある。そのために全力を尽くすことを心に決めて――自らの裡にそれを否定する言葉が響かないことに、彼女は安堵した。
明日、二人に教えるべきこと。その手順。
頭のなかでそれらを整理立てて考えながら、いつしか意識は闇に落ちていき。
そうして、その日。
――彼女はひどい悪夢に襲われた。
お読みいただきありがとうございます。
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