三話 妹がなんかすごい
◇
薬草が採れるという森は、町の外。すぐそばに広がっていた。
「日の入りと同時に町門は閉まるからな。暗くなる前に戻ってくるんだぞ」
という門番さんの言葉を背中に受けながら、妹と二人で森へ。
……本当は、妹には町で残っていてもらおうと思っていた。
さすがにメルティアさんたちに様子を見ていてもらうよう頼むわけにはいかなかったけれど、あのお店に居させてもらうことくらいはできたかもしれない。
けれど、そのことを妹に伝えたところ、返ってきたのは、
「ヤだ!」
という強固な反発だった。
それからは僕の右腕にしがみついて、まったく離れようとしない。
こんな体勢だと歩いていて転んでしまうかもしれないからと、なんとか手をつなぐことで許してもらい、そのまま今に至っていた。
「♪、~~♪」
つないだ手を前後に振りながら、妹はにっこにこのご機嫌顔。
鼻歌まで歌っているその隣で、僕はといえば慎重に周囲を警戒していた。
森のなかには小道が続いていて、よく整備されたとまではいわないけれど、獣道よりは随分とマシなその道を歩いていく。
薬草はその周囲の木々の根元によく生えているらしく、そのあたりをよく見てみるとよい――というのは、メルティアさんが教えてくれたことだった。
ただし、と付け加えられた言葉も思い出す。
――決して、林道から外れて森の奥深くまでは入らないこと。
森の深くは人間の領域ではなく、モンスターの領域。
林道は、決してその境ではない。
素人にとっては、それ以上は絶対にダメだというギリギリの線を文字通りに示しているのが、それなのだと。
自分としても、林道からでて奥にまで行くつもりはない。
もちろん、モンスターがでてきたって戦う気なんてさらさらなかった。
遠目にだって、それが見えたら一目散に逃げるつもりでいる。
「……でも、案外見つからないなあ。薬草」
革袋から半渇きの薬草を取り出してためつすがめつしつつ、さっきからよーく根元に目を凝らしてはいるが、それらしき植物は見えない。
「やっぱり、町の近くの林道すぐそばなんてポジションは、採られ尽くされてるんだろうなあ」
誰だって採りやすいところから採っていくだろうから、そうなってしまうのは当たり前だ。
となれば、よほど林道の先までいくか。あるいは林道を離れて森の奥にいかなければ見つからないかもしれないわけで――
――林道から外れて、森の奥深くまで入らないこと。
「……もうちょっとだけ、先まで行ってみるか」
それから、森のなかを三十分くらいは歩いただろうか。
「おー、これだこれ!」
目を皿のようにして地面を凝視し続けて、僕はようやくはじめての薬草を見つけることが出来た。
手持ちの半渇きのそれと形を見比べてみても、間違いない。
ちょっと葉っぱの大きさが小ぶりなような気がするけど……こういうのも、あんまり小さいのは採っちゃダメなんだろうな。採りつくしたってダメだろうし。
「と、いうわけで妹よ」
「どうしたの、おにーちゃん?」
「おっきな薬草探したほうが勝ちゲームを開催します!」
「わー!」
ぱちぱちぱち、と拍手する妹ちゃん。
「これよりちいさい薬草は採っちゃダメな。それから、林道から離れてもダメ」
「わかった!」
うん、いい返事だ。
「それじゃあ、よーいスタート!」
掛け声を合図に、片手に見本の薬草を持ち、近くの樹に駆けていく。
妹を見送りながら、僕は油断なく周囲を見渡した。
……林道からは離れていないとはいえ、町からけっこう遠くまでやってきている。
いつどこからモンスターが現れるかわからない。警戒するにしくはなし、だ。
「おにーちゃん、あったよ!」
え、早い。さっそく発見か。
近くの樹の根元に屈み込んだ我が妹が、両手をおおきく掲げていた。
その右手には見本の半渇き薬草。
左手には、採れたての薬草が握られていた。しかも、でかい!
「うーん。かなりのグッドサイズ。妹ちゃん、2ポインツ!」
「わーい!2ぽいんつっ」
「さあ、まだまだ大きなものを探そう。目指せ10ポインツ!」
「10ぽいんつっ!」
「こらこら。あんまり、遠くに行っちゃ――」
ダメだぞ、と言いかけて。息が止まる。
走り出した妹の背後に広がる鬱蒼とした森の、さらに奥。
樹と樹のあいだに隠れるようにして、なにかが立っていた。
……見間違い?
いや、ちがう――見間違いなんかじゃない。
あれは生きてる。
立っていた。生き物だ。二本足で、緑色のモンスター。
そのモンスターは、こちらには気づいていなかった。
なにかを探すように、きょろきょろと森の奥のほうに頭を向けている。
僕は妹に駆け寄り、その手を引いた。
「どうしたの、おにーちゃ――」
あわてて口をふさぐ。
妹の声は決して大きくはなかったはずだけれど。
まるでその声が聞こえたように、視界のそれがこちらを振り向いた。
その視線が、まっすぐにこちらを見て――
目が合った。
……ただの錯覚かもしれない。
そう思いたかったけれど、現実はやっぱりそう上手くはいかなかった。
町への道を早足で戻りながら、ちらりと背後をみる。
鬱蒼とした緑にまぎれるようにして、緑の生き物がいるのが見えた。
――もし、モンスターと出会ってしまったなら。
脳内で、メルティアさんから聞かされた言葉を思い出す。
――それが、緑色の二本足なら、相手はおそらくはゴブリンでしょう。あなたと変わらないくらいの背丈の、非力なモンスターです。
緑色。二本足。背丈もたしかに大きくはなかった。
あれはゴブリンだ。多分、ゴブリンなんだと思う。
――ゴブリンを見かけたら、静かにその場から離れてください。もし、相手に見つかったら、決して走ってはいけません。
今にも走り出したい気持ちをおさえこんで、妹の手をひく。
こちらの不安が伝わっているのだろう、妹からぎゅっと手を握り返された。
――ゴブリンが一匹なら、無理に追いかけてくることはないはずです。そのまま町に戻ってください。
もう一度、背後を見やる。
たしかに緑色のモンスター――ゴブリンは、無理には追いかけてきていなかった。
でも、決して諦めているふうでもない。
つかず離れず。
そんな距離感を保ちながら、僕らの後をぴったりとついてきている。
――ゴブリンがそれでもあなたたちを追いかけてきた場合。それは相手が、一匹ではないということです。
森の奥に目を凝らす。
僕らについてくる一匹以外、それらしき姿は見えない。
――その場合も、決して走ってはいけません。あくまでゆっくりと、少しずつ町へ戻ってください。
――大人の姿が見えたら、そこではじめて走ってもかまいません。大声で、まわりの誰かに助けを求めてください。
周囲に人の姿はない。
町までの距離もまだまだあるはず。
このまま、町まで戻れれば――なんていうのが甘い考えだとわかったのは、それからすぐのことだった。
「ギャギャ!」
叫び声とともに、ゴブリンがこちらに駆けだしてきたのだ。
「! 走るよ!」
妹の手をとり、駆け出す。
もう片方の手で革袋を脇に投げ捨てた。
(これに食いついてくれればいいけど)
多分、その望みは薄いだろう。
思ったとおり、ゴブリンは投げ捨てられた革袋には目もくれず、こっちにまっすぐに向かってきていた。
数は一匹。
他に仲間の姿はない。
それでも追いかけてくるのは、きっと僕らが子どもだからだ。
二人くらい、自分だけでもなんとかできる――そう考えているのだ。
(舐めるなよ!)
闘志がめらっと燃え上がった。
立ち止まる。
足を止めた妹ちゃんがこちらを見上げた。
ほとんど息切れもしていない。
凄いな、こっちはちょっと息が上がってるくらいだってのに。
ゆっくりと息を整えながら、
「……町に戻って、門番さんを呼んできてくれる?」
「おにーちゃんは?」
不安そうな視線。
妹の頭にぽんと手を置いて、僕は不敵に笑ってみせた。
「おにいちゃんは、ちょっとあいつをぶっ倒してくる」
――少なくとも、足止めくらいはしてみせる。
「おにーちゃん……!」
「ほら、先に行って!」
背中を押すと、妹ちゃんは戸惑いながら離れていく。
振り返った。
ゴブリンがすぐそばのところまで迫っている。
向こうが足を止めたのは、僕が手に持っているものに目がいったからだろう。
護身用に貸してもらった短剣を抜き払い、牽制するように突き出す。
ゴブリンは手になにも持っていない。
有利なのは、武器を持っている僕のほうだ。
でも、
――剣なんて使ったことはない。
せいぜい、キャンプでサバイバルナイフを使ったことがあるくらいだ。
生き物相手に刃物を振るったことなんて、あるわけない。
刺す。血が出る。――殺す。殺す?
刃先が震えた。
それを見て取ったゴブリンが、にやりと笑った。
「ギャ!」
奇声とともに飛び掛かってくる。
反射的に短剣を突き出した。
避けられた。
ゴブリンは右手を大降りに振り回してくる。
左腕でなんとかガード。思いっきり殴られたが……耐えられない痛みじゃない!
相手の右腕にむけて、短剣を振り下ろす。
かすったような感触。
よし、と思って気を抜いたのがいけなかった。
伸ばした腕をとられ、そのままタックルを受ける。
ゴブリンと一塊になって、ごろごろと地面を転がった。
転がって転がって、土が目にはいって反射的にまぶたを閉じる。
すぐに目をあけると、ゴブリンのこちらを見下ろすような視線と目があった。
――見下ろされていた。
転がっているうちに相手にマウントポジションをとられて、身動きできない。
短剣を握った右手は、相手の左手で地面に抑えつけられていた。
おおきく口を歪めたゴブリンが、拳を固めた右手を振り上げて――
「おにーちゃんに、なにするの」
ぱこん
どこか間抜けな音をたてて、ゴブリンが目の前からいなくなった。
『え』
あわてて身体を起こして、反射的に目の前からいなくなったその姿を探す――すぐに見つけた。
ゴブリンは、遠く宙に舞っていた。
たかくたかく、まるでボールみたいにたかーく飛んでいって、やがて木に邪魔されて見えなくなったとおもったら、バサバサバサ、ドン!と大きな音があがった。
それで、相手が墜落したのだと悟って、視線を隣にうつす。
怒ったように眉をもちあげて、僕の妹がそこに立っていた。
ふんす、と鼻を鳴らして、右手にはその小さな体にはとてつもなく似つかわしくない、巨大ななにかを握っている。
巨大ななにか。
そう、巨大ななにかだ。
そうとしか表現できない。
あるいは、岩の塊。あるいは石柱そのもの。
決して人間が――それも僕よりちいさい女の子が、手に握って振るうような武器じゃあない。
妹の顔がこちらを向いた。
「――おにーちゃん、だいじょうぶ?」
わけがわからず、コクコクと頭をうなずかせることしかできない。
ふと目線を相手の手元に戻すと、妹が右手に持っていたなにかは、どこにもなくなっていた。
『え?』
声が二重に聞こえる。
そういえば、さっきから誰かの声が聞こえていたような――
自然とそちらのほうを見やって、
『え???』
三度、声がかさなった。
僕が視線を向けた先には、さっき町で別れたはずのメルティアさんの姿があって。
いかにも急いで走り出して転んでしまったというような四つん這いで、大きく目を見開いて、ぽかんと口をあけてこちらを見つめていた。
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