二話 三人の冒険者
◇
お姉さんに連れていかれたのは、町の食堂だった。
いや、どちらかというと酒場というほうが正しいかもしれない。
お店のなかにけっこうな人が賑わっていて、まだ日も暮れていないというのにお酒を飲んでいる人も多かった。
見るからにガラの悪そうな輩っぽい人たちも多いから、入口のあたりで尻込みしていると、
「ほら、こっちですよ。いらっしゃい」
遠くからお姉さんに呼ばれてしまう。
妹の手を取り、お姉さんの元へ急いで向かうと、
「――なんだ、この子たちは」
テーブルに座った女の人から、胡乱そうな目をむけられた。
燃えるような赤髪で、鍛え上げられていることが一目でわかる体格。
じろりとした眼差しが、頭からつま先まで検分するように一撫でしていった。背筋がぶるると震える。これは、……捕食者の目だ!
「もう。サンドラ、威嚇しないでください。……先ほど、町で出会った子たちです。どうやら、親御さんがいないらしくて」
「威嚇なんてしてない。――またか。メルティア、お前の物好きにも呆れるな」
サンドラ、と呼ばれた女の人が呆れたように頬杖をついた。
「孤児院の手配でもしてやるつもりか? 今時、どこの教会も孤児ばかりで余裕はないだろうに」
「たとえ神の御業があってもすべてを救えるわけではありませんが、自分がそれをできるうちにその行いを止めようとは思いません……。ですが、この子たちはちょっと事情がありまして」
皮肉っぽい言葉に敬虔な聖職者らしく返してから、メルティアと呼ばれたお姉さんは続けた。
「この子たち、冒険者の集まる場所を探していたようなのです」
「ほう。依頼か? 親の敵討ちでも頼むつもりか」
「……冒険者になりたいそうです」
赤髪さんの表情が歪んだ。
珍妙な食べ物を口にしてしまったような、そんな複雑な眼差しでこちらを見て、
「冒険者に? ……この子たちが?」
「ええ」
「――やめておけ」
わあ、一言。
「なにを夢見ているのか知らんが、一年で半分が死んで、残りの半分が辞めていく仕事だぞ。女なら、もう少しマシになるだろうが……。子どもの生存率なぞ、計算したくもない」
淡々と、事実を告げるように吐き捨てられる。
その威圧的な物言いに押されながら、
「……それって、女の人の方が優秀なんですか?」
「優秀? さあ、どうだか。使い勝手という意味では、そうかもしれんが――」
「サンドラ」
たしなめるようにメルティアさんが口を挟んだ。
ああ、使い勝手って、そういう……。
「あれ、なにしてんの? その子たち、どこの誰?」
新しい声がしたのでそちらを振り向くと、いつの間にか、テーブルのすぐ近くにショートの黒髪をした女の人が立っていた。三人のなかで一番若そうに見える。
「さっき、メルティアが拾ってきた。冒険者志望だそうだ」
「冒険者志望!?」
大きな瞳をまんまるに見開いて、その新しい女の人はあはは、と笑った。
「いーじゃん! いーじゃん! なろうよ、冒険者!」
お腹を抱えて笑いながら、ぽんっと僕の頭に手を置いて、
「で、あっさり死んじゃうワケだ。殴られてー、食べられてー、はいおしまい! さっさと死ねたほうがまだマシかもね?」
「キーラ!」
なによー、とキーラと呼ばれた女の人は口をとがらせて、
「ゲンジツってやつを教えてあげてるんじゃない。先輩冒険者としての優しさでしょ」
「……みなさん、冒険者なんですか?」
赤髪さんと黒髪さんが肩をすくめた。
メルティアさんは二人に軽く睨むような視線を投げてから、
「はい。私とサンドラとキーラは、冒険者です。三人でパーティを組んで活動しているの」
おお、女性だけの冒険者パーティ。
まさか実在しているとは……。
「二人はちょっと厳しい言い方をしてしまったけれど。でも、言っていることは間違ってないんです。冒険者って、本当に大変なんですよ」
こちらに目線をあわせるように膝を落として、真摯な表情でメルティアさん。
「野宿だしな」
「お風呂入れないしねー」
「茶化さないでください。……本当に、死んでしまうことだってあるんですよ。死ぬより辛いことだって、たくさんあります」
心配そうに眉をひそめる。
その相手の表情にまったく嘘がないことに、思わず感動してしまった。
メルティアさん、本当に僕らのことを心配してくれているんだ。
見るからに聖職者っぽいから、職業柄ということもおおいにあるんだろうけれど。
それ以上に、生まれつきそういう性格なんだろう。
つまりは、いい人なのだ。
「あなたたちが、どうして冒険者になろうとしているのかはわからないけれど……。よかったら、お話を聞かせてもらえないかしら。相談に乗れることもあると思うんです」
それに、とメルティアさんは続ける。
「お腹が空いているんでしょう? とりあえず、ご飯を食べながらお話しましょう」
――ぐう、と。
返事をするまでもなく、腹の虫が同意を示してしまっていた。
◇
なにはともあれ、腹が減っては戦もできぬ。
僕と妹は大人しくテーブルに座り、三人のご相伴にあずかることになった。
「親父ぃ、いつもの五つ! あと、この子たちに果汁水もー」
キーラさんが声をかけると、店の奥から「あいよ!」と怒声のような声。姿は見えなかったけれど、ドスが効いてて普通に怖い。
すぐに料理が運ばれてきた。
一枚の皿にお肉と卵。それから、追加でサラダっぽい深皿がテーブルの中央に一つ置かれて、
「ほらよ」
「あ、ありがとうございます……」
僕と妹の前には、どんっと木のジョッキが置かれる。
料理を持ってきた中年の男が、ぎろりとこちらを見下ろしてきた。
「いただきます……」
男――多分、さっきの『親父』って人だろう――は、ふんと鼻を鳴らして店の奥に戻っていく。
……こわ。
「さ、食べよ食べよ」
キーラさんとサンドラさんはさっさと食事をはじめている。
なにやらお祈りをしていたメルティアさんも食べ始めていたけれど、そのお皿には一枚肉がほんのちょっとと、代わりにいくつかの果物がのっていた。
視線を感じて隣を見ると、妹がじっとこちらを見ている。
「お言葉にあまえて、食べよう」
「――うんっ」
妹は嬉しそうにうなずいて、ナイフとフォークを手に取った。
今気づいたけど、この世界にもナイフとフォークがあるんだな。
あ、でも向こうのフォークと違って、歯が三本じゃない。二本だ。
妹はナイフと二本歯フォークを意外にも上手に使いこなしていて、お肉をぎこぎこと切り分けている。
大きく切り分けた一枚を口に運んで、
「美味しい!」
ぱあっと表情を輝かせる。
なんというか、見ているほうを幸せにするような笑顔だった。
そう思ったのは僕だけではないらしく、メルティアさんやキーラさんも頬をくずしている。今までほとんど表情を動かさなかったサンドラさんでさえ、わずかに口元をほころばせていた。
「はいはい。野菜もたくさん食べなー」
「野菜、きらい……」
「そんなんじゃおっきくなれないよー。お姉さんたちみたいなナイスバディになりたいっしょ?」
「うー」
深皿のサラダをほいほいとお皿に盛られて、不服そうに呻り声をあげる妹。
そんな様子を微笑ましく思いながら、自分も目の前の皿に視線をおとした。
「――いただきます」
「……変わった祈りだな」
え?と顔をあげると、サンドラさんがこちらを見ていた。
「そうですか?」
「気にするな。はじめて見たから、気になっただけだ」
「はあ……」
そっかぁ。いただきます、って日本限定か。
まあいいや、と思いながらナイフとフォークを手に取る。
木製のそれは、けっこうどころか、かなり扱いづらかった。
当たり前だけど切れ味もよくない。
切るというよりほとんど潰して引き千切るように、なんとか一枚肉を切り分けて一口。
……うん。硬いし、味付けはシンプル。向こうで食べるステーキとは違って、肉を焼いただけという感じではあったけど、
「……美味しい」
普通に美味しかった。
それは、お腹が空いていたということもあるだろうけれど――
ふふ、とこちらを見ていたメルティアさんと目があう。
やわらかく微笑んで、
「たくさん食べてくださいね」
女神さまかな?
「ありがとうございます。――あの、メルティアさん」
「どうしたの?」
「みなさんみたいな冒険者には、どうやったらなれるんでしょうか」
「……どうしてそんなに、冒険者になりたいんですか?」
問われて一拍、
「……僕と妹は、これから二人で生きていかなきゃいけないから」
ちょっと悲壮感を醸し出してはみたけれど、言葉にしたことは嘘じゃなかった。
僕らはこの世界で天涯孤独だ。
だったら、なにか生きていくための術を見つけなきゃならない。
冒険者でもなんでもいいから、お金を稼ぐ必要があるのだ。
僕一人ならいい。
町の残飯をあさって、たまにでもいい人の善意にすがっていればいい。
だけど――
隣を見る。
木のジョッキを両手でかかえて、美味しそうに中身を飲んでいるその姿を見て、あらためてメルティアさんを見返した。
今の僕には妹がいる。
なんとしても、妹だけでも食べさせなきゃいけないのだった。
メルティアさんは、深く深くため息をついて、
「……冒険者になる方法。そんなものは、ありません」
「そんな!」
「冒険者には、誰でもなれるんです。自分がそうだと思えば、その時点で」
ちらと背後を振り返る。
店の壁にかけられた掲示板らしきものを目で指して、
「――あそこに、様々な依頼が貼られます。その依頼を各々が受けて、達成して、金銭を得る。それを生業としている人間のことを、総じて『冒険者』といいます。誰かから認められてなるようなものではないのです」
つまり、この酒場みたいな場所が冒険者ギルド的な?
「組合なんて、マシなもんじゃないでしょ。ま、組合なんてモンがマシだってわけでもないけどさ」
キーラさんが肩をすくめた。
言い方からして、ギルドっぽいものは存在するらしい。
でも冒険者ギルドはないのか。謎だ。
そんなことを考えていると、メルティアさんが席を立ち、掲示板のほうに向かっていった。
掲示板を上から下まで眺めてから、その一枚を剥がして手に取り、酒場の親父さんに声をかける。なにか言葉を交わしてから、戻ってきた。
「――もし、あなたが冒険者でありたいと、そう思うのなら」
一枚の紙を差し出される。
「こうした依頼からやってみるといいでしょう。……文字は読めますか?」
言葉がわかるくらいなら、文字だって――
期待をもって見てみるけれど、残念ながら一文字も読めなかった。
日本語じゃないにせよ、せめて英語であってくれよ!
渋い顔をしていると、メルティアさんはくすりと笑んで、
「……こう書いています。薬草の採取。危険度最低。町の外、森のなかで薬草を取ってくる。乾燥させず、そのままの提出で可。最低10本以上から。ボーナスあり」
メルティアさんが教えてくれた内容は、いわゆる『序盤のお使い』的なやつだった。
「報酬はサニティカ銅貨7枚から。……決して報酬はよくないけれど、危険度も少ない。その代わりにとても時間がかかるから、あまり人気がない。そういう依頼です」
なるほど。
こういう不人気な依頼なら、僕にもできるかもしれない。
いわゆる小間使いだ。
それで日銭を稼ぎながらこの世界のことを知っていって、ゆくゆくは――
うん、よさそう。
「あの。薬草って、どういう形をしてるんでしょうか」
「あら、見たことがありませんか?」
こくりとうなずくと、メルティアさんは困ったように頬に手を当てて、
「ちょっと待っていてください」
席を立ち、親父さんとなにやら話している。
店の奥に消えた親父さんからなにかをもらってきて、戻ってきた。
「はい。これです。まだ乾燥しきってませんけどね」
見せられたそれは一見、どこにでも生えている雑草にしか見えない。
「……すみません。これ、お借りできませんか?」
「ふふ。もちろん、いいですよ」
わかっていたとばかりに、メルティアさんは干しかけの薬草を手渡してくれた。それから、おおきな布袋も。
「採取できた薬草は、これに容れてくるといいでしょう。それから、これも」
続いて渡されたのは、鞘にはいった短剣。
「これは――」
「護身用です。危険度が少ないとはいっても、モンスターが出ないとは限りませんから」
ああ、そっか。
やっぱりでるのか、モンスター。
そりゃそうだよな。町の外で危険っていえば、普通そうだ。
「……お借りします」
深々と頭をさげてから、ふと気づいた。
「みなさんはこのお店によくいらっしゃるんですか?」
「はい。私たちは、しばらくはこのお店に滞在しているつもりですよ」
じゃあ、短剣を返すときはこのお店に戻ってくればいいのか。
「わかりました。ご飯を食べたら、さっそく行ってこようかと思います」
お店に入る前、太陽はてっぺんあたりにあったはず。
さすがに日が落ちるまでには戻ってきたほうがいいだろうから、あんまり時間に余裕があるとは思えない。もちろん、そんな遠くにでかけるつもりはなかったけれど。
「……頑張ってくださいね」
メルティアさんは心配そうにしながら、やわらかく微笑んでくれた。
◆
食事を終えた二人の兄妹は、ぺこりと頭をさげて店から出て行った。
その後ろ姿を見送りながら、
「あーあ。あんな依頼やる気にさせちゃってさ。メルティア、ひどいなー」
「……なぜ修道院を薦めなかったんだ?」
仲間の視線を受けて、メルティアは頭を振った。
「あの子は、本当に冒険者になりたかったようですから。善意を押しつけても仕方がないでしょう」
「だからってさぁ。町の外なんて、歩いてるだけでモンスターに出逢うことだってあるってのに。あの子ら、無事に戻って来れるとは思えないけどね」
非難するような物言いに、くすりと笑む。
「随分と心配するんですね。キーラ」
「……子どもの心配するのなんて、当たり前でしょ」
「そうですね」
ところで、と続けた。
「私はちょっと出かけてきます。今日のお昼は自由行動だから、いいですよね?」
呆れたように息を吐いたのはサンドラだった。
「まったく、物好きなことだ」
「どうせ、討伐隊が揃うまであと数日はかかるんですから。そのあいだは暇でしょう?」
「好きにしろ。私は付き合わないが」
「あたしは――。あたしも、パス」
情が移っちゃいそうだし、とキーラ。
「わかりました。それじゃあ、行ってきますね」
穏やかな笑みを残して女は去り、残された二人は苦い顔をしてその後ろ姿を見送った。
「メルティアさぁ、あれでよく今まで悪いヤツらに騙されてこなかったよね」
「……まあ、そもそもが一番悪い輩に騙されているようなものだからな」
「うっわ、過激。メルティアに聞かれたら怒られるよ?」
ふん、とサンドラは不愉快そうに鼻を鳴らした。
キーラはやれやれと肩をすくめて、
「ま、キョーカイのことはあたしもあんまりだけどさ。救世主伝説ってやつ? メルティア、ほんとに信じてるもんね」
「……くだらん。そんな夢物語を信じるくらいなら、自分を鍛えたほうがマシだ」
「はいはい。ご立派ご立派」
会話が途切れる。
「どうする? お酒でも飲んじゃう?」
「いらん。帰って鍛錬する」
「わーお。んじゃ、あたしはちょっと仕事してから帰るー」
「……あまり派手にするなよ。またそっちの組合とトラブルになったら面倒だ」
「わかってるって」
気のない言葉をやりとりして、二人は別れた。
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