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十八話 頼み事

 ◇


 視界が戻ると、どこか別の場所だった。


 夢? そうじゃないなら、移動した? 転移?

 この世界に来た時みたいに、またなのか?


 混乱する頭のまま、それでも五感が周囲の情報を拾ってくる。


 寒くはない。

 ただかなり暗いし、匂いがひどい。


 唯一の光源は部屋の奥で、その前に誰かが横たわっていた。なにかくぐもった声を上げながら動いている。

 そちらに向かって妹ちゃんが歩き出していて、



   「おまえは、いらない」



 こちらの気配に気づいて顔をあげた誰かの頭が、その一言とともに吹き飛んだのが見えた。


「なっ――」


 止める暇もなかった。

 あわててそちらに駆け寄ろうとする前に妹ちゃんはくるりとこちらに振り返って、


「おにーちゃん、()()()()()?」


 天真爛漫に微笑むその表情に重なるように、誰かの悲鳴。

 ほんと言うと僕だって悲鳴を上げたかったけど、先手を打たれてしまった。


 声があがったのは、首から上を失くしてしまった死体からだった。正確にはその下。死体におおいかぶさられるように、誰かそこにいた。


 首無し死体にのっかられたら誰だって悲鳴くらい上げるだろう。

 とりあえず死体の下から引っ張り上げるべきだと思った。死体に近づくのは気が進まなかったけど、そんなこと言っている場合じゃない。


 そちらに近づこうとする僕の隣を駆け抜けて、


「カアサマ!」


 どこかから、手に松明をかかげた誰かがやってきた。

 悲鳴を聞きつけたのだろう。血相を変えて駆けつけてくる相手の声と、その姿にこっちのほうもびっくりする。


 やってきたのはスケアッロだった。


 なんで彼女がここに?

 カアサマってまさか、あの死体が……?


 最悪の事態にぞっとしているあいだにも、スケアッロは動いている。彼女が死体を脇に押しやって助け出したのが女性であることがわかって、ほっとした。


 カアサマはそっちか。

 それなら、もう一人は――


「オジウエ……?」


 首無し死体に視線を落としたスケアッロが、呆然とつぶやいた。


 それってゴブリンの群れを率いている、彼女の叔父のこと?


 それが、死んだ?

 そうだ。死んだ。


 妹ちゃんが今、僕の目の前で殺した。


 ――とりあえず、彼女の叔父さんがいなくなってくれたら、助かるんだけど――


 いったいどうして。なんて間抜けな感想を思いつこうとした僕の頭を、僕自身の言葉が横からぶん殴った。


 そんなのわかりきってることじゃないか。

 僕がさっき、()()()()()()()だ。


 だから妹ちゃんはそれをやった。

 彼女にはそれが出来るから。


 数日前、ゴブリンに襲われたときに僕を助けてくれたときのように。妹ちゃんの手には今、その時に握っていた無骨な柱みたいなものが握られている。

 武器にさえ見えない、どれだけ重いか想像もつかないそれを握ったまま、彼女はにこにことこちらに微笑んでいた。


 その表情は、僕にむかって褒めてと言っているようで。

 なんと言えばいいか、なにを言うべきかわからずその場に立ち尽くしている僕の存在にはじめて気づいたように、スケアッロがぎょっと目を剥いた。


「アニ? ドウシテ、ココに――!?」


 そうだ。まずは彼女に説明しなくちゃいけない。


 ……説明って。

 なにをどう言えばいいんだ?


 きみの叔父さんが邪魔だと思っていたら、妹がそれを消してくれました。

 なんて正直に言ってしまえばいいのだろうか。

 でも、それ以外には説明のしようがないのも間違いなかった。


「……アニ? それじゃ、あなたがスケアッロの言っていた――」


 スケアッロに助け出された女性が、こちらを見る。

 血やその他色々なものに全身が塗れてしまっているせいで、顔はよくわからない。それに松明の照明じゃ、髪が長いことくらいしか判別できなかった。


 多分、彼女がエルマさんだ。

 ゴブリンにさらわれた、恐らくは町出身の女性。


 彼女は目の前で起こった殺人に動揺を隠しきれない様子で、けれど、さっきまでのように悲鳴を上げることはなかった。

 その眼差しは思った以上に落ち着いていて、こちらを見つめてきている。


 とりあえず、話は聞いてもらえそうだ。

 彼女たちにうなずいて、とりあえずなにかを言いかけようと口をひらきかけたところで、


「ギャガギャ!」


 背後で、大きな叫び声。

 振り返ると、遠くで槍を持ったゴブリンがこちらを指さしている。


 ……不味い。


 スケアッロたちがいるということは、ここは森のなかにあるゴブリンたちの棲家だろう。

 だったら、他にも大勢のゴブリンたちが住んでいるはず。


 そんなところに急に現れた僕たちが、群れの首領であるスケアッロの叔父を殺したのだから、大騒ぎにならないわけがない。


 どうする?

 逃げるか、それとも隠れるべきか?


 ……どっちも可能だとは思えない。

 万が一、この棲家から奇跡的に逃げおおせたとしても、外は森のなかだ。しかも夜。絶望しかない。


 なら、と妹ちゃんに視線を送る。


 僕たちがここにやってきたのは、よくわからない妹ちゃんの謎の力によってだ。

 それなら、帰るのだって出来るはず。


 下手なことを考えるより、そっちに頼ったほうがいいだろう。

 そう判断して口をひらく前より先に、


「――アニさん、こちらへ」


 そう呼び掛けてきたのはエルマさんだった。

 僕と妹ちゃんを自分の近くに呼び寄せると、


「こちらに立って、向こうを向いてください。そのままで――スケアッロ、こちらへいらっしゃい」


 自分の娘もそばに呼び、それから彼女はいきなり僕の足元にかしずいた。


「っ? な、なんですか……!?」

「静かに。スケアッロ、あなたも早く」


 真剣な表情でうながされ、なにかを察したスケアッロも母親と同じようにする。

 結果、僕の右足の指先にはエルマさんが、左足の指先にはスケアッロが。ほとんど地面に擦りつけるような恰好で、深々と頭を下げる格好になった。


 突然のことに僕はその場を動けない。


 いったいなんなんだ、この状況は。

 僕はどうすればいいんだ? このまま動かなきゃいいのか?


 困惑しきっていると、遠くからぞろぞろとゴブリンたちがやってくる。

 それぞれが剣や槍で武装したゴブリンたちは、松明の灯りにたよりなく照らされた死体が自分たちの首領であることを知ると、口々に怒りの声をあげて――次いで、そのかたわら、僕の足元にかしずいているかのような二人の姿に、彼らの唸り声は困惑したようなものに変わった。


「ギーギャ、グルガ! ギャ!」


 這いつくばるような姿勢のまま、スケアッロが鋭い声でなにかを言う。

 多分、なにかの指示なのだろう。それを聞いたゴブリンたちは目に見えて狼狽えた様子を見せた。


「ギ……ギギャ、グア?」

「ギャ! グーギルガガ!」


 再度、叱りつけるような声が飛ぶ。

 それを受けて、ゴブリンたちの戦意が目に見えて萎んだ。


 一人、また一人と去っていく。

 その時になってようやく、僕は自分がいるのがとても大きな部屋のなかだということに気づいた。扉はなくて、廊下にそのまま繋がっている。


 ゴブリンたちはまだ、部屋を出てすぐのところで武器を構えているかもしれない。

 僕が油断せずそっちを警戒していると、


「……もう大丈夫です」


 エルマさんがささやくように言って、頭をあげた。


「ここは首領の間。元々、一般のゴブリンたちが近づくことは許されていません」

「でも、今は僕らがいるのに?」

()()()()()()()()()に、()()()()()がいるだけですから。問題ありませんよ」


 新しい首領?


 きょとんとする僕に、エルマさんはくすりと笑って、


「説明します。でも、その前に……スケアッロ。なにか拭くものはないかしら? ちょっと、顔を拭きたいのだけど」

「カアサマ、コレ!」


 あわててスケアッロさんから渡された手拭いで顔を拭いて、彼女はほっとしたように息を吐いた。

 まだいくらか汚れは残っているけれど、ほとんど素顔があらわになる。


 スケアッロのお母さんはとても若い女の人だった。

 年上の人の年齢はわかりづらいけれど、多分、三十歳にもなっていないんじゃないだろうか。


 ずっと昔にゴブリンにさらわれて、ヒドイ目にあってきたというのに、不思議とその顔色は悪くないように見える。もしかしたら、それは松明の灯りのせいかもしれないけれど。


 なんとなく、まじまじと目の前の人のことを見ていると、ぱかんっとスケアッロに頭を叩かれた。


「痛った!?」

「バカ! ミルナ!」


 言われてから気づく。

 エルマさんは裸だった。ほとんど裸といったほうが正しくはあるけれど、あんまり違いはないくらいの恰好だ。


「ご、ごめんなさい!」


 あわてて視線を逸らすと、くすくすという笑い声が聞こえた。


「こちらこそ、見苦しい恰好でごめんなさい。ちょっと待っていてもらえるかしら。……はい、もう大丈夫よ」


 おそるおそる視線を戻すと、エルマさんは毛皮の羽織っぽいものを身につけていた。

 彼女は姿勢を正して、僕らに向かって頭をさげた。綺麗な所作だった。


「改めて、自己紹介を。私はエルマ。ここにいる、スケアッロの母親です」

「あ。ええと、僕はアニです。こっちにいるのは、」

「――イモウトですっ」


 エルマさんは僕と妹ちゃんを等分に見つめて不思議そうに、


「スケアッロから聞いていましたけど。……もしかして、あなたたちには名前が?」

「あ、はい。兄と妹なので、そのまま名乗ってます」

「そうですか……」


 なにかの事情を慮ってくれたのか、エルマさんは眉をひそめただけだった。


 うーん。アニとイモウトってやっぱり駄目かな。駄目なのかも。


「……それでは、アニさんとイモウトさん。話はスケアッロから聞いています。まずは先日、娘の命を助けてくださったことにお礼を。本当に、ありがとう」


 深々と頭をさげてくるエルマさん。

 僕はあわてて手を振りながら、


「いえ、とんでもないです。こっちこそ、急にお邪魔しちゃって――いや、それどころじゃないですけど」


 近くで横たわる物言わぬ死体に目をやりながら言うと、エルマさんは苦笑するようにして、


「たしかに。……いったいどうやって、ここまで来れたの? ここの入り口は、そう簡単に忍び込めるようなはずはないのに。この場所はスケアッロから聞いて?」

「いえ、そういうわけじゃないんですが。……なんというか、成り行きで」


 脳を振り絞った結果、そんな言葉しかでてこなかった。


「成り行き」


 それを聞いたエルマさんはきょとんとしてから。くすくすと笑った。

 なんだか幼い笑い方でしばらく肩を揺すらせてから、ほうっと息を吐く。目尻の涙をぬぐいながら、


「ごめんなさい。なんだかおかしくて。……成り行きで、ゴブリンの棲家の奥深くまでやってきて、そのまま首領を倒してしまうだなんて。凄いことをするのね」

「……ごめんなさい」


 というか、凄いことをやったのは僕じゃなくて、全部、妹ちゃんなんだけど。


 隣を見ると、妹ちゃんはにこにこと嬉しそうにこっちを見上げている。

 そのほっぺたに、血が少し飛んでいることに気づいてそれを拭うと、彼女はくすぐったそうに笑った。


「……でも、助かったわ。娘だけでなく、わたしまで助けてくれて。ありがとう」


 苦々しく、エルマさんはかたわらの死体に目をやった。

 その眼差しはなにか複雑な感情が入り混じっているようで。さっき僕らがやってきた時、二人が重なっていた意味に思い至って、僕は顔を赤くした。


 恐らく同意のものではないだろう。

 彼女の表情からそれはうかがえる。僕がなんとも言えずにいると、彼女はそれを察したように頭を振って、


「気にしないで。それより、これからのことを話しましょう」


 これから。

 そうだ、それについて話さないと。


 まさかスケアッロのお母さんと話せるチャンスがこんなに早く来るなんて思ってもみなかったけど、せっかくの機会なんだから話せることは話しておきたい。


「えと、僕はスケアッロから、町とゴブリンたちのことを相談されていて」

「ええ、聞いているわ。わたしからの手紙を預かってもらえたと」

「そうです。ただ、『町の有力者』っていうのがよくわからなくて。もしかして、エルマさんのお家のことなのかなって思ったんですけど」

「わたしの家?」


 エルマさんは怪訝そうに眉をひそめてから、ああ、と息を吐いた。


「ごめんなさい。わたしの書いた文章で、色々と考えてもらったのね。……町の有力者というのは、別にわたしの生家というわけではないの。純粋に、町の有力者の誰かに宛てただけ。誰がゴブリンに対して穏当で、誰がそうでないのか。町から離れて久しいわたしには、なにもわからなかったから」

「そうですか……」


 それに、とエルマさんは自嘲するように続けた。


「わたしの生家に連絡したところで、恐らく無駄でしょうね」


 無駄?


「無駄って、どうしてですか?」

「……その話はまた別の機会に。それで、町の動きはどうなっているのかしら? スケアッロから明日以降、冒険者が森に入ってくると聞いているけれど」

「あ、はい。それは――」


 森で変わったゴブリンの目撃情報がでて、遠くのリヴィジョアという街まで広域依頼というのが出されて、町に冒険者が集まっていることまで伝えると、エルマさんは深刻そうに顔をしかめた。


「もうそんな事態にまで。……それで、明日から冒険者が森にやってくるのね」

「はい。目撃情報があった森の池を中心に、調査隊が組まれるみたいで。本格的な調査は明後日からみたいですけど、明日から入るチームもあるって聞いています。それで、できれば森には出歩かないようにスケアッロには頼んだんですけど……」

「あなたの言いたいことはわかるわ」


 エルマさんが息を吐いた。


「今は町側との敵対的な接触をするべきではない、というのでしょう。わたしたちも、出来ればそうしたいと思っていたわ。ただ、それが難しかったのだけど……」


 そこでちらりと、もう一度かたわらの死体に目をやって、


「どうやら、それが叶うかもしれないわ」


 スケアッロの父親が死に、後を継いだ彼女の叔父。

 主戦派だったその叔父が死んだことで、ゴブリンたちにはまとめ役がいなくなってしまった。


 今日、昼間にキーラさんが言っていたことが、図らずも叶ってしまった形になる。


 だとしたら、これはチャンスだ。

 主戦派にかたむいたゴブリンたちの志向を、昔のような和平派側に戻すことができるかもしれない。


「エルマさん。あなたが群れのゴブリンたちをまとめられますか?」

「……無理ね」


 期待を込めて訊ねたのだけど、エルマさんにあっさり首を振られてしまった。


「わたしはニンゲンのオンナよ。先代――先々代の子を産んだけれど、ゴブリンには人間社会でいう婚姻という制度はないの。だから、わたしにはなんの力もない」

「なら、スケアッロは? 彼女は先々代の首領の娘です。お父さんの後を叔父さんが継いだってことは、世襲はあるんでしょう? なら、彼女が継げば」

「それなら可能性はあるわ。少なくとも、わたしよりは」


 ただし、と続ける。


「ゴブリンたちの首領という地位は、厳密には世襲ではないの。あくまでそれは力に拠るもの。世襲とはつまり、それがわかりやすく表れるというだけでね」


 ちらりと自分の娘に目をやって、


「スケアッロはまだ若く、群れのなかで頭角を現しているとはいえない。だからこそ二か月前、この子ではなくこの子の叔父が跡を継いだのだから」


 たしかに、それはそうだ。


「今のスケアッロが首領になっても、群れはまとまりませんか?」

「……難しいでしょうね。この子一人なら」


 まっすぐに僕の方を見て、エルマさんは言った。

 その視線があまりに意味ありげで、途端に嫌な予感がしてきた。


 脳裏に、エルマさんがさっき口にした言葉が浮かぶ。――首領が居るべき場所に、新しい首領がいるだけ。


「……もしかして、なにかとんでもないことを考えてませんか?」

「あら、そんなことはないわ」


 エルマさんは真剣な表情で、


「ただ、あなたにこの子と一緒に、群れを率いる立場になってもらいたいだけ。ゴブリンの棲家の奥深くに潜り込んで、そこの首領を倒すことに比べたら、とても簡単なことだと思わない?」


 思ったとおり、とんでもないことを言い出した。



お読みいただきありがとうございます。

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