十二話 特異なゴブリンのおはなし
◇
結局、メルティアさんへの相談は夜になってしまった。
宿に戻り、まず僕らが最初にしたのはお風呂だった。
正確にはお湯を用意してもらって身体を拭くことだ。だって、昨日もお風呂に入ってないし、着替えだってそのままだったから。
宿屋の裏にある掘っ立て小屋に、宿の人に頼んで沸かした湯を持ってきてもらう。
両手で抱えるくらい大きな桶になみなみ入るだけのお湯の量で、サニティカ銅貨1枚分。
妹ちゃんとお互い裸になって髪を洗い、身体を拭く。
せっかくだから洗濯まで済ませてしまおうと脱いだ服やタオルを石鹸で洗い、買ってきたばかりの服に着替えると、気分がさっぱりした。
洗った服は外に掛けられたロープに干していいと聞いていたけれど。
悲しいことに、僕には手が届かなかった。
恨めしく見上げている僕の手から、ひょいと洗濯物が奪われて、
「サンドラさん?」
急にあらわれたサンドラさんがそれをロープにかけてくれた。
全部を干し終えてから、掘っ立て小屋のなかに入っていく。脇にお湯の入った桶を抱えていた。
「あ、ありがとうございました」「ありがとうございましたっ」
サンドラさんは振り返らないまま、手を振ってくれる。
うーん、去り方がクールすぎる。好き。
建物に戻ると、一階の食堂にメルティアさんが座っていた。
ご飯を食べている彼女に手招きされたので、僕と妹は同席させてもらうことにした。
メルティアさんは宿の人に僕らの分のプレートを頼んでから、
「お風呂はどうでした?」
「気持ちよかったです。湯船があったらもっと良かったんですけど」
メルティアさんはくすりと微笑んで、
「今度、お風呂屋さんに行きましょうか。……行ったことはありますか?」
「ないです」「おふろいきたいっ」
「ふふ。それでは今度、行きましょう。サンドラやキーラと一緒に」
プレートはすぐに運ばれてきた。
パンとサラダに果物。少ししてから、スープも届いた。
いただきます、と僕が両手を合わせると、妹ちゃんも僕の真似をする。
それを優しく見守るようなメルティアさんの視線が、なんとなく気恥ずかしかった。
「夕ご飯、いつも別々に食べるんですか?」
「サンドラとキーラですか? そうですね、キーラはあまり宿で食べませんから……。特に夜は。だいたい酒場のことが多いんです」
「お酒、好きですもんね」
昨日も朝まで飲んでたみたいだったし。
「メルティアさんは、あんまりお酒は飲まないんですか?」
「そんなことはありませんよ。あまり強くはありませんけれど……二人と一緒に、あのお店に行くこともあります。でも、今日は先約がありましたから」
先約。僕の相談のことだ。
「ええと。相談したいのは、今日のお昼のことなんですけど……」
「特殊なゴブリンたちのことですか?」
「多分、もっと特殊な相手のことだと思います」
そうですか、とメルティアさんは小さくつぶやいてから、
「……続きはお部屋でお話しましょう。サンドラが戻ったら私もお湯をもらうつもりですから、少ししてから私の部屋まで来てください」
◇
ご飯を食べた妹ちゃんは眠そうだった。
ウトウトしながらついてきたそうにしていたので、先にベッドで寝かしつけてからメルティアさんの部屋に向かう。
扉をたたくと、すぐにメルティアさんが扉をあけてくれた。
「いらっしゃい。どうぞ、入ってください」
髪を洗って普段と違うからか、それとも部屋着だからだろうか。
メルティアさんは普段と雰囲気が全然ちがっていて、そのことに妙にドキドキしてしまう。
「妹さんは、寝てしまいましたか?」
「はい。お腹いっぱいになったみたいで、もうベッドでぐっすりです」
「寝る子は育つと言いますからね。よいことです」
ふふ、とメルティアさんは笑った。
メルティアさんの部屋は、僕らの部屋より少し広かった。置いてあるものは基本的に同じだけど、一人用の机と椅子がある。
椅子のほうを僕に勧めて、自分はベッドに腰かけてから、
「特殊なゴブリンの話、ということでしたね」
さっそく、メルティアさんは話し始めた。
「あなたがさっき食堂で言っていた、もっと特殊なゴブリン。それは、言葉を話すゴブリンのことですか?」
「そうです。今日のお昼、森で会いました」
「ひとの言葉を話すモンスターと会ったのは、初めてですか?」
「……はい」
正確には、モンスターという存在に出会ったのが、昨日が初めてだったのだけれども。
そうですか、とメルティアさんは息を吐いて、
「……昨日もお話しましたが、ゴブリンは一般的なモンスターです。他のモンスターと比較しても、突出して凶暴というわけではありません。それでも、脅威としては決して低くないとされていることには理由があります。一つは、人里の近くに現れること。二つ、人間をかどわかすこと。そしてもう一つが、」
そこで彼女は言葉を区切り、こちらを気にするようにしてから、
「――人間とまぐわうこと、です」
まぐわう。
つまり……異種族との交配。
今日会った、緑色の肌の女の子の容姿を思い出す。
やっぱりあの子は、人間とゴブリンとの混血児なのか。
正直に言うと、そうなのかもしれないとは思ってた。
でも、はっきりと聞かされるとやっぱりびっくりするし、なんというか――衝撃も強い。
「私たちのあいだでよく知られるものに、こういう話があります。……大昔、知恵を持った一匹のゴブリンが大勢のゴブリンを従えて、人間や他のモンスターに戦いを挑んだ。国をつくり、文明を築いて……。王となったそのゴブリンはひとの言葉をしゃべり、彼らの生活様式は、人間種族のそれによく似ていたとされています。あくまで伝説ですが」
「ってことは、あんまりいないんですか? その――、血が混じった相手っていうのは」
「そうですね」
メルティアさんはうなずいて、眉をひそめた。
「異種族とのあいだに子を為すということは、やはり簡単ではないのでしょう。未熟児や、母体を損なってしまう場合も多いと聞きます。私も、実際にひとの言葉を話すゴブリンに会ったことはありません。サンドラやキーラも。さっきの話も、あくまで伝説としてそういうお話が知られているというだけです」
「でも。メルティアさんたちは、そういう依頼でやってきてるんでしょう?」
キーラさんが僕らを連れて森の池に行ったのは、自分たちの依頼と関わりがあるかもしれないからだと言っていた。
池周辺に出没する奇妙なモンスターの群れ。
そこに現れたのが、多種多様なゴブリンたちだった。
槍を持ち、盾を持ち、弓矢や魔法を使い、馬に乗るように猪にまたがって、高度な戦術を理解するゴブリンたち。そして――ひとの言葉を話す、人間とゴブリンの血が混じった女の子。
「そうです。私たちがリヴィジョアで――ここから離れた場所の、大きな街のことですが。そこで受けた依頼は、『辺境で噂のある、特異なゴブリンの調査』。その先遣として、私たちはこの町にやってきたのです。明日以降、同じ依頼を受けた他の冒険者たちも集まってくるはずです」
「依頼の内容は、調査だけなんですか?」
そうとは思えない。
僕の言葉にやはりメルティアさんは首を振って、
「いいえ。もしも特異なゴブリンが存在した場合、私たちの依頼はそのまま別の内容に更新されます。確認されたゴブリンたちの巣を探し、討伐すること。今日、キーラが特異なゴブリンを目撃したことで、それはほとんど確定的でした。そして今、あなたから言葉を話すゴブリンの話を聞けたことで、それは決定したと言えます」
「……討伐。するんですね」
「はい。リヴィジョアに今日の報告が入り次第、向こうで大規模な討伐隊が編成されるでしょう。多くの冒険者がやってきます。話によっては、この地を治める領主様が派兵してくることもあるかもしれません。この町はいずれ、そうした人々の集まる場所になるでしょう」
◆
部屋を出ていく少年の姿を見送って、メルティアはそっと息を吐いた。
去り際の表情を思い出す。
なにかを思い悩むような、沈痛そうな様子だった。
――恐らくは、と想像する。
恐らくは、人間とゴブリンのあいだに生まれた相手のことを思っているのだろう。
だから、キーラに昼間そのことを伝えなかった。
誰に相談するべきかを慎重に考えてから、自分に話してくれたのだ。
……やはり、あの子はとても優しい。
そしてとても賢い子どもだった。
同時に、もう一つの事実にも彼女は辿り着いている。
(……やはり、あの子たちはこの世界の人間ではない――)
この世界で生まれた人間にしてはあまりに物事を知らなすぎた。
モンスターのことだけではない。
そしてそれは、ただ単に教育を受ける機会がなかっただけとも思えなかった。
以前、生まれてすぐ生みの親に捨てられ、馬小屋で育てられた子どもを見たことがある。
教会に保護されたその子は言葉を知らず、怯え、他者を威嚇していた。まるで獣のよう、と教会の人間たちが哀れんでいたのを覚えている。
だが、あの二人は違う。
この世界の物事は知らないが、彼らは明らかに教育を受けてきた子どもたちだった。
ただ、その教育がこちらの常識とあまりに違っているだけだ。
食事前の変わった習慣や、その他の立ち居振る舞いからもそれは窺える。
昨日、今日という時間でその様子を観察するだけでも、彼女が確信を得ることは容易かった。
……彼らは名前を持たず(キーラはアニと呼んでいたが)、言葉を用いて、唐突にこの世界に現れた。
そうした存在をなんと表現するべきか。
彼女にとって、それはあまりにも明確である。――天の御使い。そうとしか考えられない。
いったいどうして、とは彼女は考えなかった。
ただその奇跡が自分の前に訪れたことに、彼女は自身が信じる主神に感謝した。
自分があの子たちを導かなければならない。
その思いをますます強くして、メルティアは神に祈りを捧げる。
強い使命感と決意に、恍惚とした思いを抱きながら眠りについて。
――その日も彼女は夢を見た。
悪夢ではない。
少なくとも、彼女はそうは捉えなかった。
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