幕間 「意思継ぎ」
「いい加減にしてください」
ーー柔らかな日差しの入る窓辺に置かれた、ロッキングチェア。
そこへ幼子を抱えて腰掛けていた男は、聞こえてきた声の方へゆっくりと顔を向けた。
その先には、静かな怒りを露わにする青年が一人。
「父上。国民を危険に晒してまで守りたいものが、それですか。あなたのしていることはただの偽善だ」
理解しかねます、と続け、青年は男へと近づいていく。
しかし男は気にする様子もなく幼子に向き直り、その小さな頭を優しく撫でた。
「それ、とは随分な言いようだな。お前と同じ、尊い命だぞ」
「……だとしても、私たちユーリシアとは無関係な命です。これ以上容認するわけにはいきません。考えを改めてください」
「容認?何故お前の了承を得ねばならんのだ」
「ーー…私は父上と違って、ユーリシアの未来を思っているのです。このまま数を増やせば、否応にも帝国の目に触れます。そうなれば、ユーリシアもただでは済まないでしょう。それだけは避けたいのです」
青年の言葉を、何とも言えない表情で聞き流す男。
幼子の茶色い髪を梳くようにして撫で続けるその姿に、青年は眉を寄せ、思わず言葉を吐き捨てた。
「父上、いつまで続けるおつもりですか。その子はーーユーリシアの民ではないのですよ」
それを聞いた男の表情が、一変する。
厳しい表情を浮かべると、幼子を抱えて立ち上がった。
「…お前には見えんのか、この命の輝きが、その尊さが」
強い瞳に真っ直ぐに射抜かれ、青年は僅かに狼狽える。
「この子は、自分が“ジョルジーガの民”だと、そう言ってわしに屈託なく笑いかけるのか?ユーリシアの民ではないと主張しながら、腹が空いたと健気に泣くのか?」
「……」
「ーーウィリアム。人の痛みが分かる人間になる必要はない。ただ、分かろうとする人間であれ」
側に来た給仕に幼子を任せ、男はウィリアムと呼ばれた青年の前へ立つ。
堪えきれずウィリアムが視線をそらすと、その先に幼子の姿があった。
真っ赤な瞳に、僅かな憂いを垣間見る。
「人が悲しい顔をすれば、何が悲しかったのか理解しようとする人間であれ。理解できぬと無視してはならん。
全ての感情に理由があり、培ってきた経験があるのだ。その理由や経験を、決して軽んじるな」
男が、そっとウィリアムの肩に触れた。
もっともな言葉は頷きがたく、しかしウィリアムの背中に重くのしかかる。
「人は死ぬまで学び続ける。どれだけ気を付けていようとも、気付けないことだってある。わしとて悔いることは山ほどあるのだ。この歳で感じるその虚しさは、とても言葉に出来ん」
「……、」
「ウィリアム。人の感情に心を傾けよ。理屈ではないと、心の底から理解するのだ。お前なら出来る。何故ならお前は…わしの息子だからだ」
つい数日前に起きた惨劇を思い出し、ウィリアムは身震いした。
幼子の抱える僅かな憂いと、強い怒りを想像しただけで、目眩がする。
「わしは、平等を望んでいるのではない。それこそ、わしの感情に心を傾ければ分かること。お前にも、いつか解る時が来る」
「…しかし…!父上、私は…私は、理解した上で…それでもユーリシアを…」
「いや、お前はまだ解っておらん。解っていたら、そんな言葉は出てこないはずなのだ」
「……!」
「…経験せよ、ウィリアム。お前に王はまだ早い」
男はそう言って、幼子と給仕を連れ部屋を出て行く。
一人取り残されたウィリアムは、暫しの間、ただ静かに項垂れた。
* * * * *
「君が、ーーーーか」
私の声に顔をあげたのは、まだ幼い少年。
その赤い瞳には憎悪が宿り、側に近付いた私を射るように見つめる。
「私はユーリシアの王、ウィリアムだ」
「……」
「君の望みを、聞きに来た」
ーー 幕間「意思継ぎ」 了