三話
「ーーー何してるの、レイリア」
移動を開始しようとした矢先、凛とした声が港中に響き渡った。
突然のことに驚いて動きを止めた全員の視線の先には、レイリアを睨みつける黒髪の少年がいた。
「ホーキン…」
ホーキンと呼ばれた少年は肩で息をしながら、他のことなど見えていない様子で言葉を投げつける。
「レイリア、どうして地下に来ないの。皆待ってるんだよ、お前が来なくてどうするんだ」
ホーキンの銀色の瞳が、レイリアの黄金色の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「ホーキン、レイリアは…」
「ロマには聞いてない。お前は黙ってろ」
言葉に詰まっているレイリアに代わってロマが答えようとするが、ホーキンはそれを強く遮った。
次いでホーキンを追ってきた兵士たちが到着し、肩を揺らして荒い呼吸を繰り返す。
「申し訳ありません…!危険だと、お止めしたのですが…!」
息も絶え絶えに報告され、レイリアは小さく首を振った。
どうやら、レイリアを探しに独断で地下から出てきたらしい。
「アリシアも心配してるよ?ほら、ぼくと一緒に行こう」
「……おれは地上に残って、状況の把握に努める。ホーキン、話さなかったのは申し訳ないとおもっているが、もう決めたことだ」
歩み寄って腕を引こうとするホーキンに向かって、レイリアは静かに答える。
すると、ホーキンの眉間に深い皺が寄った。
「レイリアがそんなことする必要なんてない。そんなの、兵士に任せてればいいじゃん」
「自分の目で確かめたい」
「まさか、本気で言ってるわけじゃないよね。それがこれから王位を継ぐ人間の言葉?」
「……何と言われようと、」
「ーージャック!ロマ!お前たち、レイリアのこんな我儘を許したの?何の為のお付きなわけ?王家も守れないようなお付きなんかいらない!突っ立ってないで、さっさとレイリアを地下へ連れて行けよ!」
興奮している様子のホーキンの目は血走っており、ただ感情のままにロマと執事を怒鳴りつけている。
ホーキンを追ってきた兵士たちが、慌ててその肩を抑えた。
「ホーキン様、どうか落ち着いてください」
「ホーキン様は、10年前の悲劇を思い出して動転していらっしゃるのです。誰か、手を」
兵士たちはそう言って、他の兵にも助けを求めた。四人がかりで落ち着くよう説得されるホーキンを、レイリアはじっと見つめる。
「考えを改めるつもりはない。これより櫓に向かう。ホーキンは地下に戻って、アリシアの傍にいてやってほしい」
「は…?櫓に行くって、此処から反対方向の櫓に?じゃぁ、此処で一体何してたわけ」
ロマと執事が、顔を見合わせる。
それから、執事は静かに兵士に合図した。無言のまま頷いた兵士たちが、ホーキンを城へと引っ張る。
「おい、離せよ!ぼくに気安く触るな!」
「不安なお気持ち、十二分にお察しします。しかし我々は、レイリア様に従い、その身の安全をお守りするのが務め。レイリア様は、我々が責任を持ってお守り致します故、」
「ーー笑わせんな!お前らには守れない!だからあの日、前王は死んだんだろ!」
「……」
「言ってみろよ!必死に港を閉じて、此処で何してたのか、誰が来てたのか!」
凍てつくような冷たさを帯びる銀色の瞳が、兵士一人一人の目を射抜いていく。
誰も答えることが出来ず、無言の時間が続く。
レイリアはため息をついて、諭すように答えた。
「ゾンガーの船が来ていた。おれが訪国を許可して、港を開けるよう指示をしたんだ」
「…てことは、あの商人が来てたんだよね?」
「ああ、そうだ。物資の補給をーーー」
レイリアが言い終わる前に、ホーキンは兵士を振り切り、勢いそのままに執事を蹴り飛ばした。
「ジャック!」
執事は体を折って地面に伏し、何度も咳き込む。
「ホーキン様!落ち着いてください!」
兵士が必死にホーキンを抑えようとするが叶わず、彼の足はもう一度強く執事を蹴り上げた。
「この、役立たず!10年前のあの日、何があったか忘れたのか!」
「ホーキン!やめろ!」
「この期に及んで、まだあの胡散臭い商人を信じてるわけ?お前らはそうやって、前王だけじゃ飽き足らず、レイリアのことも殺すんだろ!!」
執事をかばい前に出たロマの甲冑を、力のままに殴りつけるホーキン。
ロマはその手を強く掴み、言い聞かせるように言葉を連ねる。
「ホーキン…!お前の気持ちは痛いほど分かる。だが、何度も言ってるように、エマリオはあの日訪国からずっと俺たちといたんだよ。あいつが俺たちより先に王の間に向かった、そのたった数分の間にウィリアム王を手にかけ、息絶えさせたなんてとても思えない。
しかも王家の人間を、お前たち三人を残して皆殺しにするような時間なんて…」
「それは!!あの商人の仲間がやったんでしょ!ぼくは確かに、あいつがウィリアム伯父さんを殺す瞬間を見たんだ!」
「エマリオが王の間に向かったあのたった数分の間に、ウィリアム王を滅多刺しにしたって言うのか?あいつの服には、返り血一つなかったんだぞ」
「ーーだったら、何? ロマ、お前はぼくが、嘘をついてるって言いたいの?」
「そうじゃない。お前はあの日気が動転してた。誰かと見間違えていたって、おかしくはないって言ってるんだ」
ロマの言葉に、ホーキンは音が出そうなほど強く歯噛みした。
体は怒りに震えている。
「……あ、そう。じゃぁ、ぼくの言葉より、あの商人の方を信じるんだ…」
「エマリオがやったって言う根拠が、はっきりしていないと考えてるだけだ。…ホーキン、お前もう地下へ戻れ。頭を冷やした方がいい」
「ーー戻れ、だと? 兵士如きが、ぼくに指図するな!」
どん、と強く体を押されたロマが、僅かに体勢を崩す。
その隙に、ホーキンはレイリアに駆け寄って腕を掴み上げた。
「!」
「レイリア、あの日お前を刺したのが、あの商人だったらどうする?確かぼくと同じように目隠しをされて、わけも分からないまま刺されたって言ってたよね?」
「……」
「もしかしたらあの商人が、殺せと仲間に指示したのかもしれない。そうだろ?なのにお前は疑うことも知らず、バカみたいに港を開けてあいつを受け入れて!父親を、家族を殺されて憎くないの?」
「……憎い。だが、エマリオがやったと言う証拠は無い」
「ぼくが、刺したのを見たと言ってるのに?」
「ロマや他の兵士の話を聞く限り、確かではないと思っている。あの時は、誰が入ってきていてもおかしくない状況だった。お前を信じていないわけではないが、ロマの言う通り見間違えていたとしても…」
「ーーあーもう…ごちゃごちゃうるさいんだよ、レイリア…!いいから、さっさと地下へ来いって言ってるんだ!!」
「…ホーキン…」
「ホーキン。悲劇の後、エマリオがユーリシアに残した功績は、決して無碍に出来るものじゃないんだよ。無償で何年も物資の補給、再建の手助け…あれが無かったら、ユーリシアは今此処に無い。レイリアだって、ジャックやお前たちが何と言おうと、そのエマリオを疑わしいというただそれだけで門前払いするわけにはいかないだろ」
「黙れ!その話はもういい!」
そう怒鳴るなり、ホーキンはレイリアの腕を強く引っ張った。
レイリアの顔が痛みに歪む。
「行くよレイリア。地下が一番安全なんだ。お前が行かなくてどうする?」
「……」
「ああ、国民の誰かに裏切り者がいたら恐ろしいよね?だったら、アリシアと三人で避難しよう。この世界は、何が起こるか分からないんだ。10年前みたいなことが起きないように、三人で一緒にいよう」
レイリアを半ば引き摺るようにして、城へと歩き始めたホーキン。
兵士たちは止めてよいものか判断出来ず、地面に倒れている執事と引っ張られていくレイリアを見比べる。ロマさえ判断し兼ね、慌てて執事の背を支えて上半身を起こさせた。
「おい、ジャック…いいのか?あんたの願い通りにはなったが、エマリオの話し合いの内容とは…」
執事は咳き込んだ後、城へと向かう二人の後ろ姿を見つめる。
それからゆっくりと、首を縦に振った。
「よい…ホーキン様の言う通り、地下が一番安全なのだ」
「…けど」
「多少乱暴ではあったが、ホーキン様のお気持ちは痛いほど分かる。本来は、我々がああして無理にでも地下へお連れするべきだったのだ」
「……」
「エマリオのことは今は考えるな。…坊ちゃんのご意向に添えないのは、心苦しいが…」
ロマは返事出来ないまま、レイリアの背中を見つめた。
その瞳に迷いを見た執事が、何か声を掛けようとした時。
城門の方角から、二人の兵士が走ってきた。
ホーキンに引き摺られていくレイリアと、地面に座り込んでいる執事とを見比べて困惑している様子だったが、両者に聞こえる位置で立ち止まり敬礼をする。
「報告致します。つい先程、帝国の使いを名乗る者が城門前に現れ、レイリア様との謁見を申し出て参りました」
「!」
「帝国の使いを名乗ってはいますが…メディニアの風貌とは異なります。我々の見解では恐らく、西方の種族の者ではないかと。
武器も持たず、たった一人で来ているようです。如何致しますか」
想像の上を行く報告に、ロマと執事が顔を見合わせる。
しかし、レイリアは躊躇なく答えた。
「ーー謁見の間へ通してくれ。すぐに戻って、支度をする」
「承知致しました」
兵士の報告を聞いて、何故か青ざめたまま動かないホーキン。
不思議に思いながら掴まれていた腕を軽く振り解くと、引き摺っていた力が嘘のようにあっさりと離れた。
それでも、ホーキンは何も言わない。
「……ホーキン。地下へは戻らないが、城には戻る。もし事が起こればすぐに地下へ向かおう。それなら問題はないだろう」
返事はなく、口だけがぶつぶつと何かを呟くように動いている。
抜け殻のようなその姿は、どこか恐ろしい。
報告へ来た兵士が城門へ戻っていくのを見送って、レイリアは側にいた兵士に声を掛けた。
「ホーキンは、気が動転している。おれの行動がそれを助長させてしまったのは分かっているが…今は望み通りには出来ない。すまないが、ホーキンを地下へ頼む」
兵士が指示通りに動き、ホーキンは背を押されるまま城の地下へと戻って行った。
「ロマ、お前も謁見の間へ来てくれ」
「ああ…」
「ジャック…痛むか」
執事に駆け寄ったレイリアが、心配そうに眉を寄せる。
執事は軽く手を上げて応えると、気合を入れて自分で立ち上がってみせた。
「何の。ホーキン様のオイタには慣れております故…これしきどうと言うことはありませぬ」
「無理をするな、骨を折っているかもしれない。すぐに手当てをしてもらった方がいい」
「坊ちゃん、心配せずともこの爺、そんなに軟ではありませんぞ。さぁ、謁見の間へ参りましょう。いやはやメディニアめ、早速動きましたな」
よたよたと城へ向かい始めた執事の背を、ロマが支えて歩く。
引き留めようとするレイリアに、ロマは小さく首を振った。
「このジジイ、俺が悪さした時には足にギプスしたまま追い掛け回して来てたんだぞ。それに本人がいいって言ってんだ、心配すんな」
「だが…」
「呼吸も問題ないようだし、吐血もない。もう一発くらわない限りは平気だろ」
「その通りですぞ、坊ちゃん。爺のことなど気にせず、今はお国のことだけをお考えください」
「……」
そこまで言われてしまっては、仕方がない。
レイリアは頷いて、二人と並んで城へ向かった。
「ーー訪問者は西方の種族かもしれないと言っていたが……エマリオの言っていた種族である可能性はあるだろうか」
先に城に戻ったホーキンが兵士と共に地下へ入っていくのを見送ってから、三人は謁見の間を目指した。
その最中、後ほど城へやってくる〈帝国の使い〉について話し合う。
「いや…あいつの話を聞く限り、ここまで堂々とやって来れるような種族じゃなさそうだぞ。とても謁見を任せられるとは思えねぇな」
「となると、メディニアは西方の種族を二つも取り込んだことになるのか」
「メディニアを名乗れば、大概の国は間違いなく従うはず。にも関わらずわざわざ西方の種族を動かすとは…。エマリオの言う通り、此度の帝王の動きは厄介ですな」
「西との和解をするつもりなら、メディニアの歴史が大きく変わるが…目的が不明瞭すぎる。現在どこまでを味方につけているのか、かつての体制をこれから先も取るのかどうか」
「まぁ、交渉人に…しかも西方の種族に〈帝国の使い〉を名乗らせてんだ。体制を大きく変えるつもりはさらさら無いだろうぜ」
「そうじゃろうな」
話しながら謁見の間へと入り、レイリアが玉座に腰掛ける。
その少し前の両隣りにロマと執事が立ち、カーペットの脇を兵士が固めた。
「しかし…東方の国々は面白くないでしょうな。東の豊かさは作物だけに留まらず、機械の発展もめざましかった。それを帝国の法に抑圧され…帝国崩落後のこの10年で幾つか世に出たものの、再び同じ一途を辿るやもしれない。復活を喜んでいる国は、殆どないでしょう」
「北方も、ようやく採掘や資源を自由に出来る時が来たってのにな」
「いや、東方はともかく…北方が此度の帝国に従うかどうかは分からぬぞ。特に最近代替わりをしたダタン族の長は、先代以上に気性が荒いと聞く。風の噂では、年端も行かぬ少女が継いだとか」
「へぇ?そりゃ楽しみだな」
「ダタンと言うと…錬金術に長けた種族だったか」
「その通り。荒くれ者ですが、この種族ほど正しく錬金術を扱う者達もおりますまい。これまでは帝国に騙され不当な契約を結ばされておりましたが、今回上手く立ち回ることが出来れば、帝国の下につく選択肢は取らないでしょう。自ら力に屈するような種族ではありませんのでな」
「……」
「我が国とも深い交流のある種族ですぞ。御即位の後、再び関わりを持ちたいものですな」
その時、力強く扉を叩く音が響き、兵士たちが居住まいを正した。
開いた扉から兵士が一人入り、敬礼をする。
「〈帝国の使い〉を名乗る者、到着致しました」
そして、緊張感の漂う謁見の間に、使者が足を踏み入れた。
「!お主は…」
ジャックが思わずといったように言葉を溢す中。
使者はそっとレイリアの前に跪いた。
「ーーレイリア様。謁見をお許し頂き、感謝申し上げます。私は西方の地からメディニアへと渡り、〈帝国の使い〉として参りました。
チカッタラッタ族の、コールバンと申します」
少年とも少女とも言えない風貌と、西方ならではの砂塵を防ぐ薄いマントを羽織った軽装。
頭を上げるよう伝えると、短い灰色の髪をした頭がゆっくりと前を向いた。
サファイアの瞳と視線が交差する。
「…遥々ご苦労だった。まずは、要件を聞こう」
「はい、では。ーーこの度、メディニア国新帝王であらせられるセレーナ王より、レイリア様への御言葉を賜って参りましたので、一言一句違わずお伝え致します」
コールバンはそう言って懐から封書を取り出し、慣れない手付きで広げて読み上げ始めた。
「ーー“今日より10日後の朝、各国の要人を招き帝国復活を祝う宴の場を設ける。
かつての同盟国、及び〈帝王の護衛〉であった貴国には是非参加してもらいたい。良い返事を待つ”」
少々高圧的な態度を感じる内容がつらつらと述べられる。
コールバンは再び慣れない手付きで封書を閉じた後、近付いた執事にそれを手渡した。
「…確かに賜った」
レイリアが言って、コールバンが深く頭を下げる。
「北方、南方、東方の〈帝王の護衛〉の国々は、既にセレーナ様のお側についておられます。セレーナ様は数日前にユーリシア国の安寧を知り、新体制を整えるため、再びかつてのように協力を得たいと考えておられるようです」
「……」
「私は、レイリア様が御即位された後に再び訪国し、返事を賜るよう命を受けております」
「なるほどな。つまり10日以内に即位式を終わらせて、返事を寄越せってことか」
小さく溢したロマに、コールバンは苦笑する。
執事は封書を眺めながら頷いてみせた。
「…鐘の音が鳴ってしまった以上、即位式はすぐにでも執り行わねばならん。国の体制を少しでも多く立て直してから、即位式に臨んで頂きたかったのだが…。
仕方があるまい。安全を確認した後、問題なければ3日後には執り行おう」
「承知致しました。では、3日後に再び参ります」
「ーーでは、引き続き。次は〈帝国の使い〉としてではなく、チカッタラッタ族のコールバンとして話が聞きたい。楽にしてほしい」
形上の謁見が終わり、レイリアは言った。
コールバンは一度深く頭を下げると、顔色を伺うように、そして少し恥ずかしそうに頬をかきながら口を開く。
「……あの、実は、坊ちゃんにお会いするのは久方振りで…嬉しくて、とても舞い上がっているのです。最後にお会いしたのは坊ちゃんがまだ6つに満たない御年でしたから、覚えておいででないかもしれませんが」
心当たりがなくちらりと視線を寄越すと、執事は笑った。
「お会いしたと言っても、親しくしておられたわけではありませんぞ。お父上の膝の上で、彼らが仕事をこなすところをじっと見つめておいでだっただけです。覚えておられなくても仕方がありません」
「仕事を?」
「彼らはウィリアム王が秘密裏に契約を交わし、ユーリシア国と同盟国との文書の橋渡しを担って貰っていた種族なのです」
「それも、帝国にバレることなく何年もな」
「…そんなことが、可能なのか?」
驚くレイリアに、コールバンは付け加えるように話し始めた。
「帝国は、西方について詳しく有りませんでした。ですから、西方で採れる特殊な鉱石や、我々の特性についてもご存知無かったのです」
「特性?」
「はい。西方にて多く見られる特殊な鉱石には、我々が年月を経て失った種族の特性を呼び起こす力が有ります。チカッタラッタは古代より、空間転移の魔法に長けた種族です。ですから、鉱石の効力が続く限りは現代においても空間転移を行うことが可能でした」
「空間転移…」
「手を取り合わず個々で生きることを望む種族の多い西方地では、大変重宝する能力です。どこかの種族が縄張りを広げようと思えば、すぐに争いが起きますから…。気候も安定しない地域が多く、砂嵐に見舞われることもありますので。
しかしそうした忙しない日常の中で、ただ逃げ続ける為だけに能力を使う日々は…とても退屈でした」
コールバンは小さく笑って、少し嬉しそうに続けた。
「そんな時でした。我々のところへウィリアム王が訪れたのは」
「……」
「先代はウィリアム王と言葉を交わし、そのお人柄と人望の厚さ、そして帝国を恐れない芯の強さに感銘を受け、ウィリアム王に尽力することを望んだのです。
それから秘密裏に契約を結び、能力を使って、何年もユーリシア国と同盟を結ぶ国々へ文書を届けて参りました」
「いやぁ、懐かしいのう。幾つの時だったか」
「私は7つの頃から、おおよそ12になる歳まで尽力させて頂きました。様々な国を巡る日々は、本当に楽しく…。ウィリアム王にもまるで家族のように接して貰い、あのようにかけがえのない時間は、他に無いとさえ思うほど」
遠くを見つめて言ったコールバン。
それから、思いを馳せるようにそっと目を伏せた。
「レイリア様もすくすくとお育ちになり、アリシア様もお生まれになって。長いようで短い5年間でした」
「5年?」
「……メディニア前王の弟君の、その御子息であられるセレーナ様によって、ユーリシア国が西方と繋がっているという嫌疑をかけられ、友好関係を切らざるを得なかったのです。当時帝国の法により、同盟国が西方と関わりを持つことは禁止されていましたから」
「……」
「はぁ…如何ともし難いことじゃ。セレーナという名前を聞いて、ぴんと来ましたわい。当時齢13にも関わらず政権に大きく口を出しておったあの生意気な少年……何かとウィリアム王の動きを監視しておりました。
それが悲劇の際生き残り、今新帝王を名乗っておるわけじゃな」
「はい。10年前の悲劇でメディニア国の王位継承者が多く犠牲となった為、王位第5候補だったセレーナ様が継がれることとなったようです」
「セレーナ…あれも暴君の血を継いでおります故、どうあっても容赦のないやり方をする人間でしてな。セレーナからチカッタラッタに被害が被ることを恐れたウィリアム王は契約を終わらせ、しばらく西方に戻るよう指示なさったのです」
「我々は指示通り西方へと戻り、昔のように他種族から逃げ続ける日々を過ごしました。…それから程なくして、あの悲劇の日が訪れたのです」
静かに聞いていたレイリアの顔が、曇る。
コールバンも辛そうに眉根を寄せた。
「西方の反乱は、突然でした。前触れが何だったのかも分かりません。ただ、鉱石の力を惜しげもなく使う彼らを止める術は、戦う力のない我々には無く…。
我々に出来ることは、かつて文書を届けて回った国々への注意喚起、そして、ユーリシア国へ出向き事実を報告し、避難するよう促すことだけでした」
「……」
「ウィリアム王はすぐに状況を理解して動かれましたが、我々にも此処を離れるよう指示なさいました。あの時と同じ。大丈夫だから、と言われて、我々はあっさり西方へと戻ったのです。
もし、もし…戻ったりせず、離れず側にいたなら……あのようなことにはならなかったかもしれない。そう思うと…我らは…我らは…」
「コールバン…」
「…ウィリアム王の訃報を、エマリオ様の使いから知らされた時のあの悲しみは…生涯忘れることなどないでしょう。痛手を負い戻ってきた西方の種族達がしばらく大人しかったのは不幸中の幸い。余計なことを考えることもなく、ただ後悔と悲しみに暮れる日々が続きました」
ぽろぽろと涙を溢すコールバンの肩を、執事が優しく叩く。
「しかし、悲しいことだけでは有りませんでした。程なくして、エマリオ様の使いから届いた文によって、レイリア様とアリシア様がご無事だということを知ったのです」
「……」
「それからは、エマリオ様のご指示に従い、こっそりとユーリシア国の為に働いておりました。かつてのように文書を届けたり、品を運んだり…」
「エマリオからの、指示で?」
「はい。その中で、我々は強く決意したのです。レイリア様が御即位されたその時には、再びユーリシア国の…いや、ユーリシア国王の、お力になろうと。
その希望だけで、今日まで生きて参りました…」
尻すぼみになっていくコールバンの声。
その心情を察したロマが、代わりに口を開く。
「ーーだが、その前にメディニアに捕まっちまったわけだな」
「はい…」
「何故帝国がお前たちの能力を知っておるのだ」
「それが、分からないのです。ある日突然やって来たと思ったら意識を失っていて…気が付いたらメディニアにいました。呪具である「服従の枷」をつけられ、逃げることができず……仲間も数人捕らえられいて、従わなければ殺すと脅されました。
その為、逆らうことも出来ず…今は黙って指示に従っています」
「呪具?まさか。西方に封印されていたはずじゃが…なんと…」
「やっぱり、まともじゃねぇな。メディニアってやつは」
ロマが憎々しげにそう言うと、コールバンは少し考えた後、レイリアの目を真っ直ぐに見つめた。
「レイリア様…我々の受けている仕打ちを、どうかお忘れなきよう。セレーナ様は、とても口の上手な方です。既に身を寄せている国々の中にも、セレーナ様の甘言に惑わされている国が幾つも有ります。
同じように、レイリア様のお優しい心につけ込んでくるやもしれません」
「……」
「この度、私は此処へ出向くにあたり…どうしてもこのことだけはお伝えしたかったのです」
レイリアも真摯に見つめ返し、頷いてみせた。
「鐘が鳴ったことで、動き始めた国は数えきれません。明日にはその大半がメディニア国と同盟を結ぶことになるでしょう。このままでは、再び同じ一途を辿ってしまうかもしれない。しかしその中でもどうか、どうかレイリア様だけは、ご自分のお気持ちをお忘れなきよう」
「…コールバン」
「そしてどうか、どうか…我々に居場所をお与えください。ユーリシアは、我々の…唯一の光なのです」
今日一日で何度下げられたか分からない頭を、地面につきそうなほど深く下げるコールバン。
レイリアは玉座から立ち上がり、何を言うでもなくその両肩に優しく触れた。
驚いたコールバンが顔を上げ、レイリアの顔をじっと見つめる。
「……ああ、ウィリアム王の面影が見えます。レイリア様、あなたこそ…王に相応しい」
エマリオにも言われたその言葉。
まるで祈りのようなそれは、レイリアの心に良く響いた。
「ーーーでは、そろそろ戻らなくては。砂時計の砂が落ちきってしまう前に仕事を終わらせなければ、罰を与えられてしまいます」
腰元に下げた砂時計を見つめて、コールバンは名残惜しそうに言った。
「では、レイリア様。お会い出来て良かった。3日後の即位式の日に、再び参ります」
「ああ」
跪いたコールバンの胸元が、鈍く光る。
それが鉱石の輝きだと気が付いた時には、そこに姿はなかった。