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叡智のレガリア  作者: 日三十 皐月
第1章 「ユーリシア国」
3/20

一話





ーーー喧しく鳴り響く鐘の音に、少年は目を覚ました。


嫌な予感に騒ぐ心臓が、湧き上がる焦燥感を駆り立てる。振動を受けて震える窓を、体を起こして暫く何を考えるでもなく見つめていた。


やがて扉の外が慌ただしくなった頃、少年は立ち上がって着替えを始めた。

一寸の皺も見当たらないシャツと深い翠色のスラックスに身を包み、同色の背広を羽織る。

そして最後に、新品同様に手入れの施された靴を履いた時。


鐘の音が止まった。一瞬の静寂の後、再び人々のざわめきで国が震える。


次いで部屋に響いたのは、ノックの音。少年が返事をする数秒さえ待ちわびていたように、扉は勢いよく開かれた。



「レイリア坊ちゃん、鐘の音をお聞きでしょう、さぁ、早く地下へ!」



入ってくるなり矢継ぎ早にそう捲し立てたのは、老齢の小柄な執事。

常ならぬ剣幕でレイリアと呼ばれた少年に詰め寄ると、扉の外へ誘導するために問答も惜しい様子で彼の背を押す。


しかし、レイリアはその手から逃れて少し離れると、執事を真っ直ぐに見つめて言った。



「先の鐘を聞いて動くのは、メディニアを強く信仰する国と、かつての同盟国だけ。西方の種族が今すぐに行動を取るとは考え難い。不意を突かれたのは、彼らの方だ。地下へ行く必要はない」


「しかし…何かあってからでは遅いのですぞ!」


「いや、彼らは動かない」



強い口調に、執事はぐっと押し黙る。それから納得のいかない表情のままレイリアに跪くと、彼の靴紐を整えた。



「…我々は、坊ちゃんを失うわけにはいかぬのです。どうあっても行かぬと言うのであればこの爺、無礼を承知で、坊ちゃんを引き摺ってでも…」


「ーーエマリオから、訪国の報せがあった」



レイリアの言葉に、執事がはっとして顔を上げた。



「門を開く為、これより港へ向かう」



そう淡々と続けたレイリア。執事はこめかみに青筋を浮かべ、憤慨して立ち上がる。



「そんな報告は受けておりませんぞ!なぜ今、エマリオが此処へ…!もしこの事態を予測していたのだとすれば、尚更奴を信用することなど…!」



怒りに震える執事を宥めるように、レイリアは彼の肩へ手を置いた。



「…数日前に、暗号で書かれた手紙がエマリオの使いから届いた。昨日の夜ようやく解読したんだが…手紙には今日、この時間に訪問するという旨しか書かれていなかった」


「…!」


「暗号で手紙が届くことは今までも何度かあった。訪問の報告だって、いつも気まぐれだっただろう。あいつにとっても、メディニアの動きは不測の事態だった……かもしれない」



眉を寄せる執事を置いて、扉の外へ歩みを進めるレイリア。執事はその後を追う。



「あいつには返しきれない恩がある。それに」



港へと向かいながら、レイリアは呟くように言った。



「…父上が最後まで信用していたんだ。俺も、そうでありたい」



その言葉に苦々しい表情で黙り込んだ執事が、それ以上口を開くことはなかった。






*   *   *   *   *






「坊ちゃん、一体何処へ。地下はあちらです、お急ぎを」


階下に着き扉に手をかけるレイリアを、近衛兵が慌てて止める。しかし、当の本人は気にする様子もなく扉を押し開けた。



「地下への避難は滞りないか」


「は…今、再度民家を確認中ですが」


「そうか。もし手が空いている者が出たら、港へ回してくれ。直にゾンガーの船が来る」



驚く兵士を余所に、歩き去っていくレイリア。後ろを歩いていた執事は従うよう兵士に一言指示をすると、近くにいた他の兵士も呼びつけた。


それから五人ほど引き連れて、レイリアは港へと歩く。



「坊ちゃんに何かあった時、とても我々だけでは…。港は我々が開きます。坊ちゃんは、どうか地下へ避難を」


「必要ない」



しかし、と食い下がる兵士を制したのは、執事だった。

小さな声で「ロマを呼べ」と指示をすると、最後尾にいた兵士が踵を返して城下町を駆けていった。




やがて港へと辿り着き、門を開く。

確認できる位置で、見慣れた大きな商船が港を見据えていた。



「積荷はほとぼりが冷めるまで倉庫にて保管する。船員にそう伝えてくれ」



頷いた兵士が、大きな倉庫の扉を開ける。同時に上陸用の橋を渡した時、船はゆっくりと入国した。

重たい錨が落とされ、停船する。


活気のいい声が響き渡り、積荷と一緒に次々と船員が上陸していく。兵士が倉庫へと誘導し、市場の者がいないこと以外はいつものように事が進んでいった。


ーーそんな中、のそのそと甲板に顔を出したのは中年の男。

少し癖のある髪を小さく束ね、顎には若干の無精髭を生やしている。

掛けられたサングラスの奥で、薄い碧色の瞳が港を見回した。


レイリアがじっと見上げると、その姿を捉えた男は豪快に笑う。



「よう、お坊ちゃん。地下で泣くのはやめたのか」


「…ああ。お陰様でな」



その返答に、にやりと大袈裟に口角を上げた男。

甲板を後にし、船員に混ざって港へ降りると、レイリアの頭を乱暴に鷲掴んだ。



「それでこそウィリアム王の息子だ、感動したよおじさんは」


「…いい加減子供扱いをやめてくれ、エマリオ」



がしがしと頭を揺らされて、迷惑そうに眉を寄せたレイリア。

すると、船員の動向を指示していた執事が慌てて走り寄ってきた。



「エマリオ!その無礼な手を離さんか!」



噛みつきそうな勢いで声を荒げた執事。

エマリオと呼ばれた男は含み笑いを溢すと、言われた通りにレイリアから手を離す。



「ジジイ…俺は坊ちゃんと立場は一緒なんだぜ?無礼ってのは、他国の王子を怒鳴りつける執事のそれだ。兄貴が倒れりゃ、国王になるのは俺だぞ」


「何を世迷言を…お前など王の器ではないわ!」



執事はそう言ってレイリアとエマリオの間に立ち、威嚇するように続けた。



「昔からいけ好かない奴だと思っておったが…今回のことは目に余るぞ、エマリオ」


「何の事だ?」


「お前の思惑など知る由もないが、この国を…坊ちゃんを手にかけるつもりならば容赦はせん」


「…へえ、こわいねぇ」



暫く二人が睨み合う時間が続く。

レイリアは大きくため息をついた。



「やめろ、こんな時に。地下での生活を余儀なくされた時、倉庫に物資がなくては困る。このタイミングで来てくれたことに感謝すべきだ」


「だとよ、ジジイ」


「ならば何故港へ伝令を飛ばさなかった!此度の上陸は気まぐれではなく、予め決めておったのだろうが。よりにもよって今日、この日の上陸を」


「…何を勘繰ってるのか知らねぇが。まさか俺も、この日が帝国復活の日になろうとは思いもしなかったよ」



そう飄々と返したエマリオが指笛を鳴らすと、船首にて羽を休めていた一頭の鷹が地上に向けて滑空した。

鷹は風を感じるほどの羽ばたきを繰り返し、エマリオの差し出した腕に落ち着く。



「今までは港か城への使いをさせてたが…訓練の甲斐あってようやくレイリアの部屋を覚えたんでね。せっかくなんで、試しにいつもの伝令をレイリアの部屋に送ってみたってだけの話だ。深い理由なんてねぇよ」


「……」


「しかしまぁ、無事に届いたみてぇで安心した」


「ああ。本当に優秀だ」



レイリアが伸ばした手を、嘴で頬擦りするようになぞる鷹。

微笑ましい光景だったが、執事は頑として険しい表情を崩さなかった。



「…何故、坊ちゃんの部屋を覚えさせる必要があった」


「レイリアがこいつをえらく気に入ってるんだね。何かあった時に役に立つし、助かる方法は一つでも多い方がいい。緊急時、お前らに使わせるよりレイリア本人に飛ばした方が早いからな」


「何か目論んでいると、そう疑われても仕方がないとは思わんか」



エマリオは、睨み続ける執事をじっと見据える。

レイリアが再びため息をついて、宥めようかと動いたその時。




「レイリア」



数人の兵士が港へと駆け付け、その先頭にいた青年の兵士がレイリアに声を掛けた。



「ロマ」



ロマと呼ばれた赤銅色の髪をした青年は、端正な顔立ちを歪め、執事と同じく険しい表情を浮かべる。

呼吸を整える度、兵士長であることを示す紋章がゆらゆらと揺れた。



「急いできてみれば…何の騒ぎだよ、これは。ゾンガーが来るなんて報せは受けてないぞ」


「報せを送ってねぇからな」



堂々と答えたエマリオに、ロマは呆れた視線を送る。



「…図ったようなタイミングでの訪国じゃないか?エマリオ」


「虫の知らせってやつだ。ユーリシアに危機が迫れば、意識していようとなかろうと身体が勝手に動くんだよ」


「……」



「ーーー俺は今でも、ウィリアム王に忠義を尽くしてるんでな」



何か含んだような台詞に、ロマは眉を寄せて黙り込んだ。

そんな彼に、執事が慌てて声を掛ける。



「ロマ!エマリオのことは今はいい。早く、坊ちゃんを地下へお連れしろ」


「…ああ」



執事の言葉を受けて、ロマはレイリアへと向き直った。

対するレイリアはゆっくりと首を振って答える。



「地下への避難はしない」


「…レイリア」



自分の名前を呼ぶ声に小さく怒気が含まれているのを感じ、レイリアの瞳が一瞬揺らいだ。

しばらく無言の時間が続いた後、ゆっくりと口が開かれる。



「…現状、その必要はない」



しかしレイリアがそう答え終わる前に、ロマは勢い良く彼の胸ぐらを掴み上げていた。



「その根拠の、種はなんだ」


「……、」


「いいか。次期国王であるお前の行動一つで、ユーリシアは崩壊するんだぞ。お前は多くの知恵や知識を持ってる。だが書物だけじゃ、人や事象は図れない。それだけは、忘れるな」



ロマの行動に、兵士たちがざわめく。一番動揺を見せたのは執事だった。



「ロマ!坊ちゃんになんてことを…!」


「…呼びつけといて、説教はするなよ」



ぱっとレイリアから手を離したロマは、今にも拳を振り上げそうな執事から距離を取った。

それから、レイリアへと向き直って諭すように言葉を紡ぐ。



「…地下に避難した人々は、お前の姿が見えないことを不安に思ってる」


「……」


「確かに、今すぐ西方の種族が中央地へ攻め入ってくることはないかもしれない。地下への避難は、杞憂に終わるかもしれない。ーーだが、それはお前が地上にいる理由にはならない」


「……」


「お前は、一国を背負う、王になるんだぞ」



ロマの言葉を受けて、レイリアは数秒目を閉じた。

兵士を含めた面々が、緊張した面持ちで彼のそんな様子を見つめる。


その時だった。




「行くな、レイリア」




ーーエマリオが、強い口調でそう言った。

一瞬で港の空気が張り詰め、レイリアは思わず目蓋を上げる。

荷卸しの作業をしていた船員たちもぴたりと動きを止め、エマリオの方を注視した。



「地下へは、行くな」



真剣な眼差しで続けたエマリオに、執事は激しく狼狽える。



「何を言っておる、エマリオ…お前は、一体…」


「レイリア。俺は、一国の王となるお前に、進言してるんだ」


「……」


「お前はもう、守られてるだけの子供じゃない」


「エマリオ!これ以上…これ以上坊ちゃんを惑わせるな!」


「レイリアは充分地下で過ごしてきたんだ。閉じ込めておくには、レイリアは育ちすぎた…そうだろう、ジジイ」



語気荒く放たれた言葉に、港はしんと静まり返る。

その重苦しい雰囲気に誰もが小さく息を呑んだ。

波風がそよぎ、レイリアの黒い髪を揺らす。



「時代が動いたんだよ、ロマ。これから世界がどうなっていくのか、その行く末を一つ残らず目に焼き付け、そして…決断していく。

それがユーリシアに王子として生まれたレイリアの、抗えない使命だ」



サングラスの奥の瞳が、熱を持ってロマに訴えかけている。

エマリオのそんな様子に、船員たちですら戸惑いを見せていた。



「……ロマ、地下の皆には心配ないと伝えてほしい。アリシアと、ホーキンにも」


「!レイリア、」


「頼んだぞ」



有無を言わさず告げたレイリアを引き留めようと、ロマが必死に思考を巡らせる。

しかし、エマリオはそれを遮るように言葉を連ねた。



「ロマ。俺とレイリアの話が終わったら、船に上がってこい。数人の兵は倉庫前に、残りは地下の護衛に当たれ。明朝までは避難の形を取り続けろ。物資の補給は、如何なる時も倉庫内の地下通路から行えよ」



話しながら船へ移動するエマリオと、その背を追うレイリアを、ロマは苦々しい表情で見つめる。



「じゃ、俺からは以上だ」


「何を勝手なことを…!坊ちゃん、お待ちくだされ!」


「…エマリオの言ったことに何の異論もない。指示された通りにしてくれ」


「坊ちゃん、成りませんぞ!ロマ、お止めしろ!」



執事が喚くように言って、ロマも動く。しかし、レイリアははっきりと告げた。



「ロマ、少しでいい。話がしたいんだ」


「……」


「緊急時であることは心底理解している。だが今だからこそ、この時間が欲しい」



板挟みになったロマが、ぐっと眉を寄せて目を閉じる。

そして、しばらくして一つ大きなため息をつくと、脱力した様子で頷いてみせた。



「……分かった」


「!何を言っておる!」


「話が終わったら、呼んでくれ」


「ありがとう、ロマ」



礼を言ったレイリアはエマリオと視線を交わし、船へと体を向ける。

二人を止めようとしないロマに、執事は強い苛立ちを見せた。



「貴様、自分が何を言っているか分かっておるのか!」



しかし、ロマからの反論はない。

歩き始めた二人に気が付き、執事は慌てて駆け寄ってエマリオの腕を掴んだ。



「待てエマリオ!二人きりにはさせられん!話し合いなら今此処ですればよい!護衛もつけぬなど、」


「だったら、武器は全部置いていく」



執事の手を振り払ったエマリオは、ガチャガチャと武器を外して地面に落としていった。



「話し合いは甲板でする。俺が何か不審な動きを取ったなら、撃ち殺してもらって構わねぇ。それでどうだ」


「……そこまでして…お前一体、何を考えておるんだ…!」



「光の国、ユーリシアの安寧。ただそれだけだ」



「…!」


「おい、お前。確認しろ」



衣類のみとなったエマリオが、傍にいた兵士を呼びつける。

兵士は戸惑いながら入念に武器の有無を確認した後、ゆっくりと首を振った。



「…有りません」


「心配なら全ての船員を武装解除させるが」


「一体、何の為にそこまでする必要がある!我々としては、この緊急時にこんな時間を取っていることすら腹立たしいのだぞ!」


「俺はこいつと二人で話がしたいだけだ。その為に必要なことなら、何だってする」



悪びれることなく言ったエマリオに、怒りで顔を赤く染める執事。

勢いそのままに怒鳴ろうとした時、レイリアがさっと間に入った。



「先も言ったが、おれ自身エマリオと話がある。帝国が復活した今、ユーリシアが今後どう動くべきなのか、同盟国として早急に話し合いたい」


「…しかし…!」


「こちら側は銃の所持だけでなく、発砲の許可も得ている。エマリオの指示通り、話し合いの最中は数人の兵士が港に残りエマリオに照準を向ける。それで十分だ」



執事は言いたいことを我慢するように唇を噛んでいる。

それをじっと見据えた後、エマリオと目配せをしたレイリア。



「では、ゾンガーとの話し合いを始める。港より、護衛を頼む」



二人は再び甲板へと歩き始める。

何を言うことも出来ず、兵士たちは敬礼をして見送った。


執事とロマは、エマリオを注視したまま動かない。




船に乗り込んでいく二人を最後まで見送った後、執事は口を開いた。



「…ロマ、どういうつもりだ」


「……」


「ウィリアム王に忠誠を誓った同志と思っておったが…どうやら考えを改めねばならんようだな」


「……ジャック。盲信的にエマリオを疑うのは、もうやめにしないか」


ジャックと呼ばれた執事は、小さな声で言ったロマを強く睨みつける。



「何が言いたい」


「エマリオは、ウィリアム王を深く慕っていた。今回の動きは確かに怪しいが、あのエマリオが王の息子であるレイリアを手にかけるとは…とても、」


「何を生温いことを!ゾンガーは、帝国の許可なしに貿易など出来ぬのだぞ!」


「………」


「奴らは帝国の言いなりだ。帝国が10年の時を経て今復活をしたということは、どこかで10年もの間生き長らえていたということ。その身を寄せた先がゾンガーだった可能性は、大いにある」



最後の積荷を運び終えた船員が、船に上がらず港で待機している仲間の元へと走り寄る。

その様子を横目に見ながら、ジャックは続けた。



「帝国や西方だけではない。ゾンガーを含む他国他勢力からお守りする為にも、我々は坊ちゃんを、何としてでも地下へお連れするべきだった。お前はそれを、放棄したのだ」


「…、」


「我々はユーリシアの光を、失うわけにはいかぬ。エマリオが味方かどうかなど、どうだってよいのだ。商国は南方にもあるのだからな」



冷たい目をしていたジャックが、一瞬何か思い起こしたように瞳を揺らがせた。

しかしすぐに首を振って、兵士たちへはっきりと指示をする。



「奴がおかしな動きをすれば、すぐに撃ち殺せ。片時も目を離すな」



甲板に立ったエマリオが、ジャックとロマを見下ろす。

ロマは迷いの残る表情で甲板を見上げた後、ゆっくりと銃の照準を合わせた。






*    *    *    *    * 






「レイリア、一定の距離を保てよ。撃ち殺していいとは言ったが、撃ち殺される理由を作るつもりは無ぇからな」



心地良い海風の吹く、甲板の上。

数本の銃口に捉えられて、エマリオは苦笑いを浮かべながら言った。


レイリアは了承して数歩下がり、大きな樽に飛び乗って腰掛ける。


対するエマリオは照準から逃げることなく、レイリアから少し離れて船べりに腰掛けた。

お互いが手を伸ばしても届かない距離だ。



「聞こえるか」


「ああ」



声を抑えて聞いたエマリオに、レイリアは応える。

港を背にして横並びになった二人は、お互いの顔を見ることなく言葉を交わした。



「そうか。だったら……」


「……」


「…せっかく二人になったんだ。何か言いたいことがあるなら…聞くだけ聞いてやる」



まるで仕方なく、というような口調で言った彼はどこか複雑そうで、レイリアはその心情を探ろうと思考を巡らせる。

それから、言葉を選ぶようにして口を開いた。



「エマリオ、お前……知っていたんじゃないのか」


「……」



肯定も否定もせず、先を促すように視線だけ寄越したエマリオ。

それを横目で確認して、彼以外に聞こえることのないよう声を抑えて続ける。



「…暗号の手紙には訪問の日時だけでなく、はっきりと、地上に残るよう書いてあった。始めは何を意味するのか分からなかったが、今朝鐘が鳴ったことでその意味を理解して、おれは迷った末ーーーお前を信じて、地上に残ることを選んだ」


「賢い選択だったな」



茶化すように笑われ、レイリアは真剣に問う。



「…何が目的なのか、おれは聞くことが出来るのか」



しかし、答えはない。小さくため息をついて、さらに続ける。



「エマリオ。おれはお前を、信頼している」


「そりゃぁ、有難いねぇ」


「だが、城の人間はそうじゃない」


「……」


「今回のお前の動きは、いつも以上に乱暴だった。それはメディニアの復活を知った上で、“危険を冒してでも成すべきこと”が、あったからじゃないのか。問題はその行動が、ユーリシアの同盟国としてか……否かということ」


「……」


「もう一度言うが、おれはお前を信頼している。その上で、帝国復活の事実を知って尚疑われる覚悟でユーリシアに来た、お前の行動の真意を知りたい」



レイリアの言葉を受けて、エマリオは港から向けられる銃口をそっと振り返った。

その表情にどこか強い意志を感じた兵士たちの照準が、僅かに乱れる。



「……言っただろ?聞くだけ、聞いてやるって」


「…」


「言いたいことはそれで全部か?……だったら、俺からも言っておきたいことがある。一度しか言わねぇからな。聞き漏らすなよ」



はぐらかすように言ったエマリオの声に、これ以上は無駄だと判断したレイリアは、黙って耳を澄ませた。

すると途端に空気が張り詰めて、甲板に緊張感が増す。


船べりから降りて数歩前に出たエマリオは、レイリアに背を向け話し始めた。



「俺たちにとってユーリシアは、お前はーーー、“地上を照らし、闇との共存を果たすことの出来る唯一無二の光”だ」


「……」


「その光を失った時、俺は死ぬ」



いつになく真剣なその声音は重く、彼らしくない言葉がすらすらとレイリアへ贈られた。



「この有事に伴って、西の英雄からお前に伝えてくれと頼まれた」


「……」


「“今こそ日の目を見る時だ、ユーリシアの光よ。お前自身が、迷える魂の道導となるのだ”ーーと」



西の英雄、という言葉に考えを巡らせるレイリア。

しかし答えには行き着かず、エマリオの話の続きを待った。



「10年前の悲劇で、ユーリシアの光は途絶えたと思われていた。だがそうじゃない。お前は生きた。生き延びたんだ。

そして国を背負う為、お前はおよそ8年もの間地下で過ごし今、ようやく日の目を浴びる」



振り返ったエマリオの瞳は、過去を思い起こすように遠い目をしていた。



「ウィリアム王の光は、確かに受け継がれている。聡明で優しく、揺るぎない信念。そして強さ。レイリア、お前こそ王に相応しい」


「……エマリオ」


「これだけは、絶対に忘れるな。俺はこれからユーリシアの為ではなく、お前の為に動く。今以上に疑われることもあるだろう。だが、その全てがお前への献身であると……ただ信じ続けてほしい」



何も言えずにいると、エマリオは小さく続けた。



「……いいか、お前をサポートする国は他にも幾つかある。一見非協力的に見えるかもしれないが、よく見定めて、俺の言葉を思い出せ」


「…、」


「父親の遺した絆だ。糸を手繰り寄せて、そして、お前自身が守りたいものを同時に見つけていけ」


「…おれが、守りたいもの…」


「そうだ、お前なら出来る。皆、そう信じてる」



少しだけレイリアに近付いたエマリオ。港から、銃を構え直す音がした。

しかしエマリオは気にすることなく、真っ直ぐに言い放った。



「俺はもう、お前を子供扱いしない」


「…」


「生きてくれ、レイリア。多くの祈りが、お前を導くだろう」



彼の言うことの殆どは抽象的で、レイリアには分からない。

だが、それでもレイリアは頷いてみせた。


その反応に満足げに笑ったエマリオが、空気を切り替えるように声音を変えた。



「さぁ、内密な話はここまでだ。これからのことでも話し合うか」



そして船べりから、ロマに上がってくるよう声を掛ける。

待ちかねていたようにロマは走り出し、執事もそれに続いた。




「エマリオ」


「なんだ?」



港の兵士が銃を下ろしたのを見計らって、レイリアはエマリオに近付いた。

少し以外そうな顔をした彼に、一枚の写真を手渡す。



「笑うかもしれないが……幼い頃から面倒を見てくれたお前のことを、おれは…家族のように思ってる。悲劇の後も飽きもせず地下に通い、扉越しに外の話をしてくれたことも、感謝してる」


「…、」


「これは城の旧地下室にあったもので、見つけてからはおれが保管していたんだが…。お前に、持っていてほしい」



受け取ったエマリオはサングラスを外し、しばらく写真を見つめていた。

それから、普段にはない優しい微笑みを溢した。



「……お前は本当に、優しい子だ」



写真には、今二人が立っている甲板で、幼いレイリアを抱えて海を見つめるエマリオが映っていた。



「東の端っこで手に入れたカメラ……珍しいもんだったが、当時あの技術は帝国を関せず完成されたもんで、法に触れてた。売れもしねぇしどうしようかと持て余してたら、その話を聞いたお前の父親がどうしても欲しいって言うんで、現像から焼き付けに至る技術ごと渡したんだ」


「…そうだったのか」


「ああ。〈帝王の護衛〉のくせに大胆なやつだったよ。お前は真似しなくていいからな」



エマリオはそう笑いながら、瞳に焼き付けるようにして写真を見つめた。



「…しかし、そうか……いい写真が出来てたもんだ」



大事そうに写真をポケットへ入れて、サングラスをかけ直したエマリオ。

レイリアは、駆け寄ってくるロマとジャックに視線を向けながら静かに口を開いた。



「…父上はとにかく色々な写真を撮っていて、大事に保管していたようだ。だがその多くは両親の写真や、過去のユーリシアの光景で…おれがまともに見ることが出来たのは、その一枚だけだった」


「…レイリア」


「だからいつか、この国の完全な再建が成された時には…その全てを一緒に見よう、エマリオ」


「……そりゃぁ、随分かわいい約束だな」



エマリオはそう言ったが、すぐに何度も頷いてみせた。



「お前が望むならそうしよう……必ず、必ずだ」



甲板に辿り着いたロマとジャックが、少し涙ぐんでいるエマリオを見てぎょっとする。

エマリオは、誤魔化すように豪快に笑った。




「さぁ、話し合いを始めようぜ」










第一話 了








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