十一話
「あんた、いつまでそんなことやってんの?」
ーー脇腹を蹴られた痛みを、脳が強制的に思い出させる。
ああ、またあの記憶だ。と気がついたところで、目の前の女が黙ることはなかった。
「大金使ってふらふら。女はべらせてがはがは。何てつまんない人生送ってんだ、あんたはこんなところで腐って死ぬ男じゃないんだって、早く気付いて立ち上がれって」
「…ちっ、うるせーババァが来やがった。何回も同じこと言うなよ、耳にたこが出来る」
興が醒めて酒を呑むのをやめた俺を、横にいた若い姉ちゃん達が甘い声で引き留める。
軽く断って席を立ち、満足そうに笑って歩き始めたうるせぇ女の後ろをとぼとぼついて歩く俺の背中の、なんてちっぽけなことか。
「それでいい、それでいいんだよエマリオ。お前は馬鹿になるように育てられたから、まだ舵取りの方法が分かんないだけ。分かんなきゃ分かるやつについていけばいい。自分の足でついていけてればそれで充分。後からきっと色んなことに気が付いて、自分で考えて舵を取れるようになるから」
「あーうるせぇうるせぇ。ついて歩く度にそれ言うのやめろ」
「反復反復。分かるまで言ってやるよ。ついて歩いてこられるようになっただけ感心感心」
「俺がお前についてってんのは、お前が船に面白いもん積んでるのを知ったからだ。別にそうやって煽られたからついてってるわけじゃねぇ」
「赤ん坊に色々教えるには、好奇心をくすぐるのがいいんだよ」
「誰が赤ん坊だ!」
「似たようなもんだろ?何も教えてもらえなかったんだ、お前は何も悪くない。お前がそうやって何も分からず毎日を消費していくことに苦しむことなんてなくなるように、あたし達がたくさん色々なことを教えるから」
むかついた放った俺の未熟な蹴りなんて当たらない。
重力を無視したようにひらりと避けられて、時に女とは思えない力でねじ伏せられることもあった。
それは力の使い方を知っている奴と、何も知らない俺の歴然とした差。
「ねぇ、此処から出なよ、エマリオ。お前がこの船を動かすんだ。お前にはその力がある」
「馬鹿か。王族の俺が商船に乗って物売り捌いて歩くような野蛮な真似するわけないだろ。お前みたいなのと一緒にするな」
「あらあらぁ。商船がないと王族は毎日の食事すら危ういってのに、大きいお口ですねぇ。おぼっちゃま」
「…王族がいるからこの国土があるんだ。民がせっせと俺たちに金を運んでくるのは当然だろ」
「はぁ…いい加減目覚ませよエマリオ。あたし達は促すことしかできない、決めるのはお前なんだ。頼むから、早く分かるようになってよ」
「訳わかんねぇことばっか言いやがって…」
小さく呟いた時、目の前の光景に思わずぎょっとした。
他国の面白い掘り出し物を乗せてる商船に、その日は場違いな男が乗っていたからだ。
忘れもしない、何度も夢に見る。
身綺麗な格好をしたそいつが船員ではないことは明らかだった。
「やぁ、ウィリアム。連れてきたよ、これが“船長”のエマリオだ」
「……」
「エマリオ。この子はユーリシア国の若き時期国王、ウィリアムだよ」
「時期国王…?が、こんなとこで何やってんだ…許可取って入ってんのか…?つーか、船長ってなんだよ…船長はお前だろ…」
「時期国王がここにいるのはまずい?じゃぁ新しい船員のウィリアム君ってことでどう?」
「お前さっきから何言ってんだ…どこまでが冗談なんだよ?」
ウィリアムだと紹介されたそいつは、怪訝そうに俺を睨んだまま口を開く。
馬鹿にしたような、蔑んだような。そんな顔で。
「…ゾンガー王家の第二王子だと聞いているが」
「あぁ…エマリオだ」
「噂通り、まともに取り合うのは難しそうだ。本当にこれが船長になるのですか?イオン」
「なっ…!どう言う意味だ!」
「まぁまぁウィリアム。今に分かるよ」
「自分というものがない人間とは会話にならない、という意味だ。君にはどう見ても芯がない。与えられた場所で背中を丸めてふらふら生きているだけ。そういう人間とは話していてもまるで会話にならない、時間の無駄なんだ」
「ぺらぺら喋りやがって…!会って早々何なんだよ!」
「まぁまぁウィリアム。序盤からそんなに飛ばさないで」
「この男を情で役目に仕立て上げようとしているだけでは?てっきりもっと話の通じそうな男を連れてくるものだと」
「見たんだ、間違いないよ。それも想像通りだった、この子しかいないと思ってた」
「……あなたがそう言うなら、そうなのでしょうが。私にはまだ信じられませんね」
俺を置いて話す二人を、ふつふつと込み上げる怒りの中じっと睨みつける。
すると、うるせぇ女ーーイオンは小さく笑って俺の手とウィリアムの手を無理やり握手させた。
「君たちは同志だ。これから先、お互いの大事なものを託し合うような、尊い想いを分かち合うような、そんな存在になる。忘れないで、ここには絆が生まれる」
「馬鹿!やめろ!気持ち悪ぃ!」
「ウィリアム、それが分かる時まで諦めないで話し続けて。きっとその日は近いから」
「………」
イオンの言葉に、ウィリアムは少し黙って、そしてーー、
「人の縁というものは不思議だと、いつだってそう思わされる」
* * * * *
「人の縁って不思議だわ。何故だかいつだってそう思わされる」
ーーユーリシア国にて
国の城壁に辿り着き、ようやくその足を止めたエマリオがいそいそと何やら作業をしているのを見つめていたアリシア。
息を整え終え、彼女がぽつりとそう呟いた時。
何気ないその言葉は、集中していたはずのエマリオの意識を容易く奪った。
「…お前は本当に親父そっっっくりの発言ばっかだな。何だ?魂でも入り込んでんのか?あ?」
「何よ、急に。だってそうでしょう。お国の中だけでもたくさんのご縁があるのに、あなたみたいに他国のために……かどうかは分からないけれど、こうして…無断で入ってきて訳の分からないことをする人間もいるんだから」
「あーあーどうせ訳の分からない男だよ俺は」
「今はあなたの動向から目を離さないことが最優先だと思って黙って見てるけど、本当、昔から訳の分からない人だわ。なにが目的なの?」
「はぁ…お前の親父に忠義を尽くしてるだけだって何回言わせりゃいいんだ?」
「その割には私がお父様と似てるって毛嫌いしてるじゃない」
「色々あんだよ大人には。最初から全幅の信頼で忠義を尽くすような間柄だったわけじゃねぇってこった」
「そういうことも含めて、やっぱりご縁って不思議ね。それに、私がお父様に似てるって言われるのも…不思議だわ。5歳までしかご一緒しなかったのに、似てしまうものなのね」
「アメリアの顔したウィリアムが喋ってるみてぇで混乱しちまうくらいだ。遠慮なしに物言いすぎなんだよお前ら親子は。正論言ってりゃいいと思ってるだろ」
「思ったことを言っているだけよ。全てが正しいとは思ってない」
「うわっ!!今のも聞いたことあるぞ俺!!勘弁しろよな…」
嫌な顔をして言ったエマリオに、アリシアはむっとする。
「何よ、不法入国のくせに…」
「そりゃお前の親父にも同じこと言ってやれよな」
「は?」
気を取り直したように手を動かし始めたエマリオは、壁沿いに3つのチョークを置き、何やら思案しながら一つ一つ違う魔法陣を描き始めた。
「ちょっと、また魔法を使う気?」
「危害は加えねぇ。黙って見てろ」
懐から手記を取り出し、重ね合わせるように確認しながら魔法陣を完成させていく。
やがて三つの魔法陣を描き切ると、壁に両手をついてぶつぶつ詠唱を始めた。
「御身より授かりし紋章の力を以て…」
エマリオの詠唱に、一つの魔法陣が弱々しく光る。
しかし魔法陣はすぐに光を放つことをやめた。
「ちっ…」
足でチョークの魔法陣を掻き消し、再び壁に手をつく。
そして繰り返し詠唱。
一度目と同じように魔法陣は光を放ち、また消えていく。
「……ねぇ、大丈夫?」
「お前の親父ほどの魔力はないんでね。お前に使っちまった分が効いてやがる…何度も試すのはきつそうだが、やるしかねぇ…」
「………」
訳もわからず見守るアリシアの手にも、力が入る。
すると、アリシアの指輪とエマリオの指輪が同時に光った。
それはエマリオの視界にも入り、思わず顔をあげる。
「……アリシア…お前…」
「…な、何よ?何か、指輪が…」
「お前まさか、紋章が見えるのか?」
「紋章…?」
言われて辺りを見回すが、紋章と言われて目につくのはエマリオの描いた魔法陣だけ。
それぐらいしか、と言いかけたその時、エマリオがアリシアの側に寄り、壁の方へと押しやった。
兵士たちが制止しようとするも敵わず、アリシアは城壁へ両手をつく。
「アリシア、集中しろ。もしかしたら、レイリアにはアメリアの、お前にはウィリアムの力が引き継がれてるかもしれん」
「は…?」
「この壁のどこかに魔法陣が描かれてるはずだ。壁の紋章が教えてくれるはず……手のひらに意識を向けて、自分の紋章と重ね合わせるようにして息をしろ」
「意味分からないこと言わないでよ…!紋章って…」
「魔法陣を探せ。それは壁にとって異質な紋章……お前になら壁の方から教えてくれるはず」
突然のことに狼狽えながら、無意識にエマリオが描いた足元の魔法陣を見つめて壁に手を添え直す。
ーー紋章…魔法陣…壁が教えてくれる…?
「目ぇ閉じろ、呼吸を整えて…」
「……、」
言われるままに意識を集中させると、瞼の裏側にクレヨンで描いたような線がいくつも現れ始めた。
生きているようにうねりながら線を足していくそれらは、やがてクレヨンよりも繊細な筆先に、そしてさらに鉛筆で描いたように細くなるとーー、
いつの間にか、美しい紋章が現れていた。
紋章はアリシアの鼓動に呼応するように、同じリズムでゆらゆらと波打って揺れる。
そしてそれは静かにアリシアの意識を別の方へと誘導しーー、
此処より少し遠い位置が、ぼんやり光を放ち始めた。
引き寄せられるようにそこへ集中すると、確かに魔法陣が描かれているのが見えた。
その瞬間、まるで体ごと移動したかのように視界が魔法陣の正面へと運ばれる。
「……エマリオ、あったわ……魔法陣……これだと思うのだけれど、どうしたらいいの…?」
「でかしたぞアリシア!!魔法陣で特徴的な部分はあるか?」
「……ダイヤが連なってるようなマークが幾つか……あとは、矢のようなマークが上下にあるわ…」
「これだな…!確認してくれ」
はっとして瞼をあげると、エマリオが魔法陣の描かれた手記を差し出していた。
それはたった今、意識の中で見たものと全く同じものだった。
「間違いないと思う。もう少し先の方にあるみたいだったけれど」
「同じ物体に描かれてるなら場所が離れていても問題ねぇ。さぁ、やるぞ」
「……何を?」
「打ち消しだよ。俺よりお前がやった方が精度がいいに決まってる」
エマリオは手記を見比べながら再び地面に魔法陣を描くと、アリシアへ壁に手をつくよう指示した。
有無を言わせない態度に眉を顰めながら、渋々その指示に従って両手を壁につける。
「目閉じろ、壁にあるこれと同じ異質な魔法陣を意識しながら、こう唱えるんだ。
其の紋章に描かれし意思ある魔法陣よ、役目果たす為ユーリシアの血に呼応し、我が掌を伝い重ね合わせ相殺せよ」
「………いくら何でもそんなに長い文、すぐには覚えられないわ。復唱するからゆっくり言って頂戴」
「其の紋章に描かれし」
「…其の紋章に描かれし…」
ゆっくりと目を閉じてエマリオの言葉を復唱し、詠唱が終わる。
すると、意識の中で見つめていた魔法陣が内側から神々しい光を放ち、外側に向かって円を描くように順に光り始めた。
それはまるで、魔法陣を描く時とは全く反対の順序で筆を進めているかのような光景だった。
神々しい光が魔法陣の全ての線に行き届くと、それは糸を紡ぐかのように2つの線へと変化していきーーアリシアの両手へそれぞれ吸い込まれていく。
そしてそれは意識体のアリシアの足元へと向かい、地面に描かれた魔法陣へ進んでいった。
「もういいぞ」
はっとして目を開ける。
振り返って地面に描かれた魔法陣を見ると、先程の神々しい光がそこにあった。
それは描かれた魔法陣の線を光で埋め尽くした後、溶けていくように淡い光を放って消えて行った。
「…………」
「やりゃ出来るじゃねぇか。いやぁ、やっぱ俺のとは全然違うな…所詮預かった力だ。俺のは豆電球くらい弱々しい光しか出ねぇもんなぁ」
「……今のは何なの?打ち消しっていう魔法が今の?」
「そうだ。紋章が見えるやつと、その資格があるやつしか使えねぇ。壁に描かれてた“魔獣寄せ”のマーキング魔法を、全く同じ魔法陣を逆から描いた特殊な魔法陣で相殺させる、詠唱魔法使い泣かせの特殊魔法だ」
「…マーキングを消しに来たっていうのは、この魔法陣を消しに来たって意味だったのね」
「魔法陣はその魔法が発動されない限り本来は消えない。それを、相殺させることで無理やりその役目を終わらせて打ち消す…ってのが打ち消しの魔法の力だ」
「チョークで描いた魔法陣は?足で掻き消していたけれど」
「こりゃ俺専用の打ち消し用特殊チョークなんでね。このチョークで魔法陣を描いても魔法は使えねぇ。重要なのは意識の中で逆の順序で描いていく魔法陣の方だ」
「そう…理屈は分からないけれど、魔法ってそういうものだものね」
「いやぁ、勉強になっただろ!アリシア!それじゃぁ、次の課題を言い渡すからな!」
始めにアリシアの追手を撒こうとしていた態度とは180度打って変わり、むしろ引き気味のアリシアを今度は逃すまいとするようなエマリオの意味深な笑み。
じり、と後退りすると、エマリオはずいと近付いてきた。
「ちょっと、何よ。怖いわ。何するつもり?」
「おい、不審者扱いすんな。何もしねぇよ。むしろやるのはお前の方だ」
「何ですって?」
「お前が完璧に紋章が見えて、打ち消しの力があるってことが分かったんだ。城に残しとくのは勿体ねぇ。
どうせ城の人間はばたばたしててお前がこんなとこにいることも知らねぇし興味ないんだからな」
「随分な言いようね…」
「おかしいと思えよ。いいか、今お前の国にいる奴らはどいつもこいつも自分たちのことしか考えてねぇんだからな。それだけ理解してろ」
「……」
「お前の身はお前自身か、俺たちが守るしかねぇんだ」
「……私は城にはいられないという風に聞こえたけれど。どこに連れていくつもりなの?」
「船」
「は?」
「俺の船」
「ばっっ……かじゃないの?!兄様がご不在の中で私がそんなところにいられるわけないじゃない!!」
「現に今城から出て俺について城壁まで来てんだろ。誰も何も言いやしない」
「……!」
「ジジイとロマには俺から話をつけとく。……後でな。
とりあえずお前には、今すぐ魔法陣を全部覚えて、一刻も早く全部書けるようになってもらわねぇとな」
と、いうわけだ。
と兵士を振り返り言い放ったエマリオは、早速自分の船を停めているという港へと歩き出してしまった。
「ちょ…!ちょっと待ちなさいよ!」
「あ、アリシア様。アリシア様の身に危険が及ぶとあれば、我々はご命令に背いてでもエマリオ様をお止めし、アリシア様を安全なところへお連れしなくてはなりません…!」
「……、」
「お止めするなというご命令の元で我々はこうしておりますが、エマリオ様を捕らえろと一言命じて頂けたなら今すぐにでも従います」
勿論アリシアは、兵士が言ったことをそのまま今すぐにでも命じたい。
しかし効力は弱まっているようだが、未だにエマリオにかけられた魔法の力はアリシアの中で拍動することでその存在を誇張するかのように存在し、彼の行動を制限するという選択肢を限りなくゼロに近い形で潰してくるのだ。
振りたくもない首をぶんぶんと振ると、「それはできない」と勝手に小さく言葉が口から転がり出てくる。
「彼は他国の王子だわ。我が国にとって要人…兄様が不在の今、私が彼を無下に扱うことは許されない…」
「しかし、アリシア様…」
「気持ちは痛いほど分かる。私だって本当ならあなたの言った通りに動きたいしそうすべきだと心の底から理解してる、でもそれはできない。命令できないわ」
「…承知しました。ですが、せめて兵長に追加の報告をさせては頂けないでしょうか。我々だけでは、これ以上の判断は」
「ーーそれは是非報告しに行って頂戴。今すぐに」
この命令はなぜかすんなりと口にすることができ、聞くなり兵士が一人全速力で国内へと駆けて行った。
ーーエマリオの行動を制止することとは直結しない行動だと判断されたのかしら
「話は終わったかー?」
「……本当に、こちらを他所に呑気な男」
遠ざかっていた背中を早足で追い、数人の兵士と共に彼の数歩後ろを歩く。
「…船に行くのはもう、この際いいでしょう。でもまさか、出航したりしないわよね?何の準備も無しに船旅なんて…いや、そういう問題ではないわね。疲れてどうかしているみたい…」
「何だ、準備すりゃ男所帯でやっていく自信があるのか?いやぁ、アリシアちゃんには無理無理。すぐ泣いちまうからな」
「誰が…!!あれはあなたが訳の分からないことを捲し立てたからでしょう!」
「んなことで泣きまくってたら俺はもう毎日のように身体中の水分飛んじまうなぁ」
「…また話を逸らされた。今度はその手には乗らないわよ。出航するの、しないの?返事は2択よ」
「あー?面倒くせーなぁ、15歳のクソガキ連れて船なんて出す訳ねぇだろ」
「本当ね?今聞いたわよ。兵士全員がしっかり聞いたから」
「はいはい好きにしろ」
適当に手をひらひら振りながら、あくびと共に返事したエマリオ。
ーーもしも船を出すだなんて言われたら、今の私には断れないもの。ひとまず安心ということでいいかしら
船についてしばらくすれば、報告を聞いたロマが駆けつけてきてエマリオを牢屋にぶち込んでくれるはず。それまではエマリオの指示に従うしかないわ…どうせ逆らうことはできないけれど
港までの道を行きながら、アリシアは考えを巡らせる。
その時、ふと先程見た壁の紋章が頭に思い浮かんだ。
目の前を歩くエマリオの背中を見上げながら、そっと口を開く。
「…ねぇ、エマリオ。あなたは紋章が見えるの?」
「あ?あぁ…俺は借り物の力だからな、うっすらとなら見えるぜ。ただし何重にも重なって見えやがるから、お前と同じ景色じゃないはずだが」
「そう…」
「……いつかウィリアムが言ってた。
『息を呑むほどに美しい。瞼を下ろせば、この目で見てきた物のどれよりも美しく眼前に現れるのに、それはこの世に存在する物や人全てにそれぞれ違う紋様が描かれているんだ。それだけでこの世界そのものがどれだけ美しいのか殴られるように思い知らされる』ってな」
「お父様は、私の思いを全て口にしてくださっていたのね。まさにその通りだわ。壁が見せてくれた紋章は、本当に…まるで完全を体現したかのような美しさだった。他にはないわ。でもそれが、この世の全ての物質にあって、それぞれ違う紋様だなんて。信じられない」
「ちなみに一番好きな紋章は、アメリアの紋章なんだってよ。ペッペッ、砂吐いちまうぜ。なぁ?」
「お母様の紋章…是非この目で拝見したかったわ。壁の紋章を知ってしまったからには、たくさんこの目に焼き付けておきたい。私にも、好きな紋章ができるかしら」
「…女の子だねぇ。おじさんもお前たち親子が魅了される紋章をこの目ではっきり見てみてぇもんだ」
異様な状況だというのにまるで緊張感のない会話をする二人に、兵士たちの方が戸惑う。
しかし口を挟むことはなく、港の方へと進んでいくアリシアとエマリオを、ただ静かに見つめていた。
「ねぇ、エマリオ。私シャリティナ国の作る織物の紋章が見てみたいわ。あんなに精巧に織られた作品達に、作品の数だけ紋章があるだなんて不思議。できるだけたくさん用意しておいてくれない?」
「仰せのままに、お姫様。上物をたくさん抱えてんだ。いくらでも見とけ」