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叡智のレガリア  作者: 日三十 皐月
第1章 「ユーリシア国」
15/20

幕間 「いつ如何なる時も」












「智慮には幾重もの層がある」



ーーそう話す男の言葉を、少年は静かに聞いていた。




「識れば識る程空へ向かい、そこから落とした言葉は層を越えるたびに砕け散り、地に着く頃には塵になっている。反対に、下から投げつけられた言葉は宙を舞い、歪さを保ったまま智慮ある者を傷つける」


「…智慮ある者の言葉は脆いということですか」


「誰をも傷つけたくないと望む者の言葉は、自他を省みず言葉を吐く者のそれより砕けやすいということだ。ウォン」



ウォンと呼ばれた少年は、不服そうに眉根を寄せる。

その様子を横目で確認すると、男は深く溜息をついた。



「君は感情的で賢すぎる。その激情につけ込むのは恐ろしく容易い。

心穏やかにするということは、ただ凪いでいるということではない…己の心へ容易く他人を踏み入れさせないということだ。出来ねば賢いだけの操り人形になる」


「…ウィリアム王。僕はお説教を受けに訪ねたわけではないのですが」


「そうか。訪ねてくるなりあまりにも思慮のない質問をするものだから、灸でも据えてやろうと思ったのだが。不要だったとは驚いた」



ウィリアムと呼ばれた男は、羊皮紙に筆を走らせながら淡々と言ってのける。

ウォンの眉間の皺が更に深くなったところで、扉を叩く音が響いた。


返事に応えて開いた扉から、翡翠色の髪をした青年が顔を出す。



「ーー失礼します、ウィリアム王…。あぁ、ウォンもご一緒でしたか」


「いいところに来た、シンク。ウォンを連れて行ってくれないか。自国での公務も忙しいというのに、くだらない質問で足止めを喰らっては敵わない」


「えっ」



シンクと呼ばれた青年は戸惑いながら部屋に入り、おどおどと二人を見比べる。



「唐突ですね…ウォンがまた失礼なことでも言いましたか?」


「ウォンは先祖代々受け継いだ力を軽視する傾向にある。自身を踏み躙るような発言をする者に何も守れはしないのだと、お前からも諭してやってほしい」


「私もまだまだ若輩者なので、心苦しい気持ちはありますが…仰せのままにしましょう」



むっとしたままのウォンの肩にそっと手を添え、シンクが困ったように微笑む。

ウィリアムは小さく頷いた後、記し終えた羊皮紙をくるくると巻きながら再度口を開いた。



「ーーそれで、シンク。君は何の用で此処へ?」


「えぇ。ボタニカ女王が、西のツヴァック国のことで話がしたいとのことで。ウィリアム王をお呼びするよう仰せつかりました」


「他国の王子まで御用聞きになさるとは…彼女には誰も逆らえないな」


「いえいえ、まぁ。私は第3王子ですから」


「そう笑って返すところが、聡い君にとって一番の悪い癖だ」



言いながら、紐で括った羊皮紙を窓辺にいた鷹の足に引っ掛ける。

干し肉を与えてすぐに飛び立った鷹の姿が小さくなるまで見送ると、ウィリアムはまた次の羊皮紙を取り出した。



「これを書き終えたらすぐに向かう。わざわざ此処まで、迷惑を掛けたな」


「いいえ。私はこういう頼まれごとをこなしていくのが好きな性分なのです。誰かに頼られて悪い気はしませんから」


「…君が人好きされる理由はよく分かる。温厚で丁寧な人柄はお父上に良く似ているよ」



その言葉を受けて、シンクが嬉しそうな笑みを溢す。

反対に、隣にいたウォンが不機嫌そうにシンクの足を軽く蹴り上げた。



「ええと、それでは…要件は終えましたし、私はこれで」


「あぁ」


「ウォン、行こう」



無言でついてくるウォンを先に部屋から出し、ウィリアムに頭を下げてからシンクも後に続く。






パタン、と扉を閉めると、待ちかねていたようにウォンがシンクの脇腹に肘を入れた。



「ぐっ…!何だい、ウォン…!痛いじゃないか」


「……お前のこともウィリアム王のことも嫌いだ。分かったようなことばかり言って。気に入らない」



言うなりシンクを置いてスタスタと廊下を進んで行くウォン。

体格差がある為追いつくのは容易かったが、シンクは追い越してしまわないようにしながらその背を追いかける。



「大体予想はつくけれど…何を聞きに行ったんだい?」


「我が国のように力を持たない種族が“帝王の護衛”に加わる為にはどうしたら良いのか、お知恵を借りたいと」


「はぁ…ウィリアム王の御言葉もごもっともだよ。その言葉選びは良くなかったと思う」


「僕には何が良くなかったのか分からない。ウィリアム王にあんな風に言われて、不愉快ですらある」



冷静に言ってはいるが、足取りからは子供の地団駄のようなそれを感じる。

ーー幼い時のように、よしよしと頭を撫でることはもう許されないんだろうなぁ


どう宥めるべきかと考えながら、シンクは言葉を選んだ。



「君たちの治癒魔法は特別だ。他の種族には唱えられない…膨大な魔力を持つ帝国ですらだよ。医学や薬草に頼るしかないんだ。

他にできないことを当然のようにやってのける君たちが、『力を持たない』だなんて自分たちを貶めるように言ってしまうのは悲しいことだと思う」


「治癒魔法しか、ないんだ。僕たちは」


「そんな風に言うべきではないよ。君たちを頼りにしている国がどれだけいるか…」


「そうやって他国に擦り寄って生きることしかできないって言ってるんだ。これから先もそんな風に生きることしか出来ないなら、せめて帝王の護衛になりたい。そうすればお前たちやユーリシアみたいに色んなことが優遇される」


「…ウォン。確かに帝王の護衛であることは少なからず名誉なことかもしれないけれど、それ以上でもそれ以下でも…」


「帝国お抱えで力を持つお前たちには分からないだけだ」


「帝国は四大元素を持つ国と、自分たちとは相反する力を持つユーリシア国を抱えていたいだけだよ。そこに固執して自分たちを貶めるのは間違ってる」


「僕らは魔力の高い種族や国に攻め込まれたら終わりなんだ!その力に敵う兵力も武器もない。

同盟国が多くたって、何かあった時に僕らを守ってくれる国なんていない。それなら帝王の護衛だっていう抑止力が欲しい」


「………」


「僕が王位を継ぐ時までに、今の国としての生き方を変えたい。それの何が間違ってるっていうんだ」



幼く力強いウォンの言葉に、二の句を継げず黙り込む。

暫し無言で廊下を歩く足音だけが響いた。






そうして進んで行きーーー城から出て、西方側の海を臨む岸辺に出た時。



「ーーー…どうして僕らの国じゃないの」



立ち止まったウォンが、呟くようにそう言った。

シンクは回り込んで目の前に跪き、大粒の涙を溢して鼻を啜る姿を何を言うでもなく見つめた。



「同じ東方地で、お前たちの国は強くて、水の精霊に愛されて、帝王の護衛になってる…。僕だって、僕だって強い力が欲しかった。誰かを救う力なんていらない。僕は僕を救う力が欲しい」


「………」


「でも、そんな力無いから。だから、こうしてたまに治療に来るくらいじゃ足りない。帝王の護衛にならなくちゃだめなんだ。

…帝王の護衛に選ばれたのが僕らの国だったら良かったのに。水の精霊に愛されたのが、僕らの種族だったら良かったのに。こんな力いらない」


「ウォン…頼むから、そんなこと言わないでおくれ」


「お前たちはいつも好き勝手言うんだ。僕は望んでこの力を持ってるわけじゃないのに」


「……ウォン…」



抱きしめたい気持ちをぐっと堪え、ウォンの肩にそっと手を置く。

振り払われるだろうとシンクは身構えたが、ウォンは拒否するでもなく泣き続けた。



「…ウォンがどう思うか分からないけれど…私は、誰かを救う力が欲しいよ。救いたい命はたくさんある」


「……、」


「そして君はその命を、救ってしまうんだ。私は君を、神様のように思うよ」



波打つ音が優しく漂う空間で、二度と訪れない時間を共有する二人。

ウォンの心にどれだけ届くのか分からない、しかし言葉にせずにはいられなかった。

シンクは思うままに言葉を紡ぎ続ける。



「君がどれだけ、自分の力を望まないものだったと嘆いても…いつかきっと、その力を愛しく思う日が来る。だからどうか、その日の為に誰かを救い続けてほしい」


「……」


「そうだな…じゃぁ、私が救えない命を君は救えるんだと思うことで、その力を使い続けてはくれないかな?」


「……名案だね」


「だろう?」


「嘘に決まってるだろ。バカ」



ごしごしと目元を擦って涙を拭うウォン。

赤くなってしまうよ、と止めようとした手を、今度こそ振り払われる。



「お人好しのシンクに慰められるなんてどうかしてた。忘れてよ」


「…泣き止んでくれたなら良かった。私は君の涙に弱いんだ、すぐに泣き止むと分かっていてもどうしようもなくなってしまう。昔のように抱きしめるわけにはいかないからね」


「絶対にやるな」



きっと睨まれて、シンクはくすくすと笑う。



「我が国は本当に医学や薬草学に興味が無いから…ウォンの国に頼りきりだ。いや、逆か。ウォンの国を頼りにしてるから、今に至るまでその必要性に駆られていないんだ。君たちが自分の力を愛せないなんて言って救うことをやめてしまったら、私たちはいの一番に終わってしまう」


「…他の国へは月に三度ほどの訪国治療なのに、お前たちのところへはその倍行かされてるからな」


「君が我が国に遊びに来てくれる機会が多くて嬉しいよ」


「遊びに行ってるわけじゃない」



海風が、まだ幼い横顔を優しく撫ぜる。

シンクはそれを見つめながら、ため息をつくように言った。



「…ウォンは私たちを羨ましいと言うけれど、私はウォンを羨ましく思うな」


「……僕を?お前が?」


「私はどう頑張っても王様にはなれないからね。兄上が王位を継いだ国の中で、王子として生きていくしかない」


「………」


「だからこうして帝王の護衛の仕事に携われるのは、嬉しいことなんだ。誰かを救いたいと願う私にとって、誰かの為になっていると思えることは幸せなことなんだよ」


「……、」


「無いものねだりだと分かっていてもね」



シンクのそんな言葉に、ウォンは少し困っているようだった。

言うべきではなかったかと省みていると、彼は小さな声で返す。



「…お前がそんな風に思っているなんて、知らなかった。いつも、のほほんとしてるから」


「のほほんって…私にだって悩みくらいあるよ」


「お前が王になったら、アルファリオ国は幸せだと思う。ウィリアム王も言ってたけど、お父上に良く似てるのはシンクの方だし、お前の兄貴は血の気が多いから…」


「ありがとう。嬉しいよ」


「…お前の兄貴が王様になっても、僕はお前としか国の話をしないからな。シンクが王様だと思って話を進めていく」


「……ううん、ウォン。気持ちは嬉しいけれど、それは困るな。兄上と喧嘩になってしまう」


「でも…そう言うことだ。僕の中ではお前が王だ」



珍しく気を使って話している様子のウォンは、何と言えば良いのか考えているようだった。

思わず吹き出してしまったシンクに、ウォンの瞳からさっと感情が消える。



「………何笑ってるんだ」


「ごめん…ありがとう、ウォン。嬉しくて」


「嬉しいと思わず吹き出して笑うのか?失礼なやつだ。僕がどんな気持ちで…」


「そう、その気持ちが嬉しかったんだよ。私には手の届かない王位だからこそ、その重責がどんなものなのかよく分かる。君がそれを一生懸命に背負おうとしている姿は、羨ましくて…同時にとても健気で、とても…誇らしい」


「……」


「君がどんな道を進もうとも、私は味方だよ。国は違うけれど、兄弟のように思ってる。頼りにしているし、頼りにしてほしい」



シンクが言い終える前に、ウォンは立ち上がって城の方へと歩き始めた。

ゆっくりその背を追うと、蚊の鳴くような声が聞こえてくる。



「…シンク。さっき、嫌いだって言ったのは八つ当たりだった。ごめん」


「分かってる。いいよ」




大海を背に、異なる国で生まれ育った二人が異国の地を並んで歩く。


額の中の絵画のように切り取られたその景色には、分け隔てなく生を享受する世界が相反するように映っていた。








ーー幕間「いつ如何なる時も」 了




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