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叡智のレガリア  作者: 日三十 皐月
第1章 「ユーリシア国」
10/20

幕間 「光差す中庭で」







国中が歓喜の渦に包まれた、即位式。


新王による〈御言葉〉が国民へと授けられた後、それからしばらくの間は即位を祝うパレードや祝祭が行われる。

王族もつかず離れず王の側に控えるのが通例なのだが、驚いたことに、残されたたった三人の王族の一人であるホーキンはそれを拒否した。


「お前と僕だけが側について歩くなんて、格好悪すぎる。あれは大勢が権力を見せつけるようにして歩くから意味があるんでしょ。王族が王以外にあと二人しかいませんよなんてわざわざ無様な姿を見せつけるくらいなら、いない方がマシだよ。やりたいなら兵士をたくさん並べ立てたら?」


「…本気で言ってるの?」


「僕はごめんだね。お前一人でついて歩けばいい」


アリシアが低い声で問うても、面倒臭そうに目も合わせず返答するホーキン。

こめかみに青筋を立てて説得を試みようとするアリシアを尽く無視した後、ホーキンはさっさと玉座の間から出て行き、兵士を引き連れて自室へと戻って行った。


レイリアはパレードの衣装に着替えていた為にその場にいなかったのだが、戻ってきた彼がホーキンの不在に驚くことはなかった。


「陛下、ホーキン様が…」


「気にするな。元々、鐘が鳴った日から万全な体調ではなかったはず」


「し、しかし」


意に介さない様子のレイリアに、アリシアは眉間の皺を寄せる。


「ーー陛下。王の一存を以て、連れ戻すべきかと。あのような我儘を許すべきではないように思います」


即位式を経て王となったレイリアへ複雑な面持ちで進言するも、王の表情は変わらなかった。


「…パレードの形態を変え、兵士を後ろにつける」


貴族の要人や兵士、使用人のいる手前、アリシアがこれ以上の発言することは許されない。

一歩下がって、指示通りに動く兵士たちを恨めしく見つめる。




ーーもう、私たちしかいないのに



ただでさえ不安定な世界の中で、残されたのは子供の自分たちだけ。

立ち行かなくなれば、王政そのものが危ぶまれる。血筋だけで続けていくには無理があると、早々に判断されれば王家に明日はない。


ーー十年前のあの日、悲劇に乗じてユーリシア王家を潰そうと動いた人間がいた。王族を皆殺しにしようと動いた中で、私たちだけ…それも次期国王だった兄様が生き残っていたのは、恐らく意図しない結果だったはず


不幸中の幸いだったのか。

何にせよ、手放しで喜べる状況ではない。残されたのはたった三人の子供だけ。

いつでも潰せるところを泳がせているのか、自滅するのを待つつもりなのか。


ーー兄様は、崩れない足元を探して歩くしかない。叶うならその足元を支えたいのに…私という存在は、なんて非力なのかしら





王の側に控え、パレード用の馬車に乗り歓喜に震える城下をゆっくりと進む。

その様子を、全く興味のない様子でホーキンが城から見下ろしているかと思うと、どうしようもない怒りに苛まれた。


子供たちが「レイリア王」と慕う声が聞こえる。

ユーリシアの国旗を一生懸命に振る姿を、王はその目に焼き付けているようだった。


王とそう歳の変わらない少年たちもまた、ユーリシアの国花を胸ポケットに挿し、伝統楽器の音色でパレードを彩る。

アリシアとそう歳の変わらない少女たちもまた、ユーリシアの伝統衣装を身に纏い、馬車に乗る王から見える場所にて舞いを披露していた。



ーーこんな気持ちで、彼らを見つめるはずではなかった


明日の平穏さえ危うい今の世界で、慌てたように迎えた今日という日に

平和な世界で迎えることを夢見ていた、兄様が王位を継ぐ大切な日に


こんな、深海で光を求めるかのような気持ちでいるはずではなかった




それでも、弱音を吐くわけにはいかないと何度も自分に言い聞かせる。


伝統楽器を高らかに鳴らす彼らが、伝統衣装をはためかせ美しく舞う彼女らが、沿道で王の即位を祝う皆が。

伝統に則り、ユーリシアという国を愛し、王家の進む先を未来としているのなら。

堂々胸を張らなくてはいけない。


未来はどうなるのかなんて、不安な顔をすることは許されないのだ。


沿道の国民へ、笑顔で手を振る。

アリシア様、と呼ぶ声に耳を澄ませる。

父や母、王家の皆皆がいない今、そう呼ぶ声だけが今のアリシアという少女の心を王家の娘たらしめる。







『ーーアリシア。この国を、この国に住まう人々を誰よりも愛すことが、我々にとって何より大切なお役目なのですよ』


『お国のことはとっても大事。でも、知らない人ばかりだもの。私の小さな頭では、お話もしていない全ての人を愛することなんてできない』


『ふふ、アリシアは本当にあの人そっくりね』


『…お父様も、私と同じ気持ち?』


『ええ。でも、今はそうじゃない。一番大切なことを話して聞かせるから、良く聞いていて』



いつか母とした会話が、頭に思い浮かぶ。

穏やかで美しい彼女は、5歳だったアリシアをいつだって優しく抱きしめた。



『ユーリシアは、光の国よ。道に迷った人たちが、導かれるように集う国。どうしてか分かる?』


『分からない』


『それはね、ユーリシア王が、まるで大きな器のように愛を持って全てを受け入れるために作った国が、ユーリシアという国だからよ』


『ユーリシア王って、一番最初の王様?』


『そう。アリシアにとって、ずっとずっと昔のおじいちゃんにあたる人ね』


『ずっとずっと昔の人が私のおじいちゃんだなんて、不思議』


『そうね。でもアリシアは、おじいちゃん達から受け継いだ命を繋いで、今此処に生きているのよ』



朝露に濡れたユーリシアの国花が、陽の光を浴びてきらきらと煌く。

庭園でその様子を見つめながら、アリシアは母の腕にもたれかかる。

暖かくて、心地いい。幼いアリシアにとって、そこは世界で一番居心地の良い場所だった。



『ユーリシア王が〈叡智〉として紡いだ言葉の数々は、次世代の王へレガリアとして引き継がれる。そうすることで、ユーリシア王はその自らの悲願を時を経て叶えようとしたの』



当時幼かったアリシアには難しい話だったが、それでも彼女は静かに諭すように話し続けた。


『それがこれから、ウィリアムの代で叶うかもしれない』


『お父様が、おじいちゃんの夢を叶えるの?』


『ウィリアムは、アリシアと同じように現実主義でどこか打算的なところがあったから、悲願とは一番遠いところにいたのだけれど…王になる少し前に、考えが変わったの。彼にとって、とっても…とっても大きな出来事だった。

あの人の行先は、もうユーリシア王の望む未来へ向かっている』


『私も、何かあれば変われる?』


アリシアの質問に、彼女は柔らかく微笑んで答えた。


『アリシア。あなたはさっき、全員を愛することは難しいって言ったわね』


『うん。だって、よく知らないもの』


『そうね。でも、彼らの方はいつだって、私たちへ祈りを捧げてくれる。そうでしょう?アリシアとお話したことがない人たちだって、あなたを大事にしてくれるわ。これまであなたを呼び捨てにして、粗雑に扱う人がいたかしら』


『ううん、そんな人はいない。みんなアリシア様って、呼んでくれる』


『どうしてだと思う?』


『……私が、王家の娘だから』


『そうだけど、そうじゃないのよ。ただそれだけだと思うのは、とても危険なことだわ』


『じゃぁ、どうしてなの?』


『あなたを愛するということは、ひいてはお国を愛することに繋がるからよ。あなたたち、そして私たちが、愛しいユーリシア国の象徴だから。

これは、あなたが答えた理由と似ているようで、最も大きく違う答えなの』


彼女の綺麗な黒髪を小さな手で梳きながら、アリシアは口を尖らせる。


『分からないわ。むずかしいもん』


『いいえ、あなたなら分かる。だって、お母さんとお父さんの子供だもの』


『……いつか、分かる?』


『ええ。だから、あなたへ慈しみをもって祈りを捧げてくれる人々へ、大事に思ってくれる人々へ、未来を託してくれる人々へ。

愛をもって応え続けるの。祈りを一身に受けた王家の人間として、誇りを背負って』


力強い言葉に、どこか違和感を覚えた。

母の震える手のひらが、アリシアの頭を優しく撫でる。


『……お母様、泣いているの?』


答えない母の腕の中、困惑したまま身を預ける。


『……いつまでも、いつまでも。あなたをこうして、腕に抱いていたい……』


とても、小さな声だった。

泣いている母を見たのは初めてで、どうしてよいのか分からずただ戸惑う。


『アリシア…愛してるわ。お兄ちゃんと二人で、支え合って……そしてどうか、どうか生き続けて…』


『…お母様。私も、お母様のこと大好き。だから、泣かないで…』


『…ありがとう…アリシア…』






ーーーそして、その1ヶ月後に起きた悲劇は、アリシアから最愛の温もりを奪った。



あの時、母は。

まるで、何かを予見しているようだった。


アリシアは母親との会話を思い出す度に、そんなことを思う。



私がもっと大人で、もっと賢かったなら。あの時何か役に立てたかもしれない。

頼られていたなら、私が関わることで未来を変えることが出来たなら、両親は今も生きていたかもしれない。


ーー“旧イナンタの予言書”には、ユーリシア国の悲劇について一切記述がなかった。それどころか、帝国崩壊の未来すら存在していなかった


つまり帝国図書館にて予言書が白紙で発見されたあの日以前に、起きるはずのなかった何らかの改変が起き、未来が変わってしまったということ


それをお母様は予見していたのか…それとも……







パレードを終え、日が落ちる前に城へ戻ったのとほとんど変わらない頃に〈帝国の遣い〉が訪国した為、玉座の間へ移動し書簡の受け渡しを見届けた後。


アリシアは自室へと戻り、侍女にコルセットを軽く緩めてもらいながら、窓辺にて祝祭が行われる城下の様子を見ていた。

そこへ響いたノックの音。ドレスを正し、返事をする。

アリシアお付きの執事が扉を開けると、そこには敬礼をするロマの姿があった。


「入って。ホーキンの件でしょう」


ロマを残して、使用人を下がらせる。

その間ずっと恭しくしていた彼に「気味が悪いわ」と正直に言ってのけると、扉が閉まってすぐに違和感のある態度は軟化した。


「…あのな、俺だって自分が気味悪いんだよ。わざわざ教えてくれなくたって結構だ」


「兄様にもそんな態度なの?」


「おーいレイリアーなんて声掛けようもんなら、ジジイにこめかみ撃ち抜かれるからな」


「私が言えた義理ではないけれど、それにしたって落差がありすぎるわ。一か百しかないの?これまでの態度からそこまで余所余所しくされるなんて、理解していることとはいえ兄様だってお辛いでしょう。初めからそうしていた方がよっぽど健全だったわね」


「お前たちの警護し始めた時は、ガキにへこへこ頭なんて下げられねぇって平気で言えるくらいガキだったんだよ」



不服そうに言われて、はぁとため息をつく。


「とりあえず座って。ゆっくり聞くわ」


そう諦めて話を変えようとしたのだが、ロマは応じなかった。


「いや、アリシア様と座ってお話してたなんてバレたら、兵士長の鼻へし折られるどころか甲冑まで脱がされちまう」


「アリシア“様”?やめてよ、気持ち悪い」


「気持ち悪いって言うな」


「何を今更気にしているのか知らないけど、兄様はとにかく私はこれまでとそう立場は変わらないんだから。構うことはないでしょう」


「レイリアに恭しくしてんのに、お前には馴れ馴れしくしてたら変だろ。王の妹君なんだから」


「王の娘なら良かったの?呆れた。言い分は分かるし、そうせざるを得ないということも理解しているけれど…これまで親しい風に接してこられたところを突然そんな風に扱われる私の気持ちも察してもらいたいところね」


「勿論お前の言いたいことも分かる。が、お前たちの御立場を無視できない程度には俺も大人になったってことだ。あと親しい“風”って言うな」


「もういいわ。じゃぁ、お立ちになったままお話になって?兵士長さん」


「ああ、お慈悲に感謝致しますアリシア様」



茶化すようによろめきながら言ったロマに、くすりと笑う。


ーーこれまであなたを呼び捨てにして、粗雑に扱う人がいたかしら


そういえば、此処にいたわ。

いつかの母からの質問に、頭の中で訂正して答える。


ーーロマは両親の前でもこんな感じだったけれど、それがなんだか普通のことのように感じていたから…お母様も当然のこととして頭から抜けていたのね


それぐらい昨日まで日常的だった、アリシアとレイリアにとって、友人のような兄のような関係性。

今まで通りにしてと我儘を言うことは酷なのだと分かっていても、寂しさは拭えずつい地団駄を踏むようになってしまう。



だからこそ、とにかく座ることはせずに、窓辺に立って報告を聞いた。


「即位式までの間、兵士がいそいそとホーキンの部屋に料理を運んでいたことについて、何か気になるところはなかったかとコックに聞いたんだが…コックの話じゃ、どうやらいつもと食べ方が違ってたらしくてな」


「食べ方?」


「好物は残すし、いつも自分でやるから用意だけしろと言われる紅茶の葉も、一切手がつけられていなかったんだと」


「………」


「部屋から出られないほど体調を崩していたから、紅茶も淹れられず好きなものにも手が出なかったのだろう、と納得しようとしたようなんだが。昨日に関しては深夜に突然叩き起こされて、眠れないからいつもの紅茶を出せと言われたらしい。

それで、不審に思って『御夕食の紅茶はお気に召しませんでしたか』と聞いたそうだ」


「…そしたら?」


「何かはっとした様子で数秒黙った後、『“今日は”飲まずにいようと思ったが、眠れないから気が変わったんだ』と言ったらしい。

まるで今日以前も紅茶に手をつけなかったことを知らないようだったと。あまりに様子がおかしかったものの、鐘が鳴ってからずっと不安定なのも知っているし、誰に話せばいいのかも分からないからと黙っていたんだと」


ーートレーの食事は怪しまれないように兵士か誰かが代わりに食べていたと。それはつまり、ホーキンは即位式までの数日間城で食事を摂っていなかったということ。


「はぁ…頭が痛いわ。何で記念すべき兄様の即位の日に、こんな憂鬱な気持ちにならなくちゃいけないの…今夜は私の方が眠れなくなりそう」


「紅茶でも持ってこようか?」


「紅茶はティータイムの時だけで結構よ…。余計に眠れなくなってしまうわ」


国内のどこかにいたのか、それとも国外へ出ていたのか。

信じ難い話だったが、不審な兵士の行動やホーキンの不安定さを見る限り、誰かの思惑が動いていることは確か。


「…国内だとも思いたくないけれど、もしも国外に出ていたのだとしたら…それ以上に厄介ね」


「考えたくないことだったが、怪しい点が多すぎる。ホーキンの考えが分からない以上派手に抑えることは出来ない。ただ…パレードの同行を拒否した辺りを考慮すると、根は深そうだぞ」


「…いつからだったかしら…兄様に敵意を向けるようになったのは。人が変わったように冷たく当たるようになったから、もしかしたらあの辺りから既に誰かに揺さぶられていたのかもしれないわ」


「ホーキン御付きの兵士たちについても、ここ最近は“変わったやつら”という域を超えてきてる。他の兵士に対しての態度が今までよりも横柄に感じると話が出てたんで少し話をしたんだが、聞く耳持たないとはまさにあのことだな。

返事はするが、何を話してもまるで部外者のような態度だった」


「兄様の即位式にいたかどうかも怪しいわ」


「それは直前まで確認した。後で兵士にも確認したが……むしろ出て行ってもらった方がマシだったとだけ報告を受けてる」


そこまで聞いて、一度目を閉じる。

軽く深呼吸してから瞼を上げて城下を見下ろすと、祝祭で賑わう通りにちらほらと明かりが灯されているところだった。



「…内側から、壊そうとしているのね。悲劇の後もそう。ホーキンの話すことは、何から何まで支離滅裂だったわ。5歳の私でも、何か嘘をついているのだと分かるほどに」


「……アリシア」


「今でも、刺された感覚を覚えてる。だというのに傷跡は欠片も存在しない。目隠しをされていたから、余計に夢だったみたい。それなのに、ホーキンの腕には大きな傷があって、悲劇の時にやられたのだと…」


「………」


「兄様の傷も、私と同じように綺麗に無くなってるの。私たちだけが、あの瞬間の痛みと血の匂いに囚われてる」


昨日のことのように思い出す、十年前の出来事に。

いつまでも囚われて、抜け出すことが出来ない。


フラッシュバックした記憶によろめくと、ロマが駆け寄って肩を支えた。

窓辺から離れて、椅子に座らされる。


ロマはその前に跪いて、アリシアの手に優しく触れた。


「思い出させるような話をして、悪かった。今回鐘が鳴ったことで、悲劇を思い起こして動揺しているのはホーキンだけじゃない。お前たちもそうだろう。気丈に振る舞うのは国民の前だけで充分だ」


「……そうね。そうかもしれないわ」


「ホーキンの件は引き続き探っておくから。今はただ気にせず、ゆっくり身体を休ませた方がいい」


ぽんぽんと、あやすように手を叩かれる。

静かに頷くと、ロマは微笑んだ。



「言うかどうか迷ったが」


「?」


「普段懐かない奴がしおらしいと、借りてきた猫みたいで面白いな」


「…迷ったなら言うべきではなかったわね」


「おーおー、その調子その調子。粥でも持ってきてもらって、食ったら寝ろよ」


立ち上がったロマの後に続いて、部屋の前まで見送る。


「ロマ」


「ん?」


「ありがとう」


「…アリシア様。私のような人間に御礼など、大変な光栄に御座います」


真剣に御礼を言ったつもりだったのだが、大袈裟に茶化されたので遠慮なく冷ややかな視線を寄越す。


ロマは肩を竦めて笑った後、敬礼をして部屋を後にした。




「…今日はもう休むわ。お粥を持ってきてくれるかしら」


「畏まりました」


給仕に伝えて、部屋に戻る。

侍女がそっと近付いてドレスを脱がしてくれたところで、夜着に袖を通した。


「アリシア様…本日のドレス、大変お似合いでした」


「ありがとう。確か、お母様が着ていたものを仕立て直したんだったかしら」


「はい。国花の刺繍が施されたこのドレスを、アメリア様は宝物のようにしておられました。きっと、本日のアリシア様の装いを、心から喜んでおられたことと思います」


「……そう願ってるわ」


ドレスを掲げて見せてくれる侍女を、そっと振り返って微笑む。




食事を済ませて、ベッドに横たわる。


今日の出来事やホーキンの一件がぐるぐると頭の中を巡ったが、ロマが気遣ったように身体が休養を欲していたのかすぐに眠気に襲われた。



ーー愛をもって応え続けるの。祈りを一身に受けた王家の人間として、誇りを背負って



母の言葉を反芻しながら、微睡みの中に意識を投じる。

心地よい浮遊感を感じた後、アリシアは母と話す夢を見た。


5歳の自分ではなく、今現在の自分と母が話す夢。



ーー今日、お母様のドレスを着たの。見てた?


ーーちゃんと見てたわ。とっても、とっても綺麗だった



まるで現実のようなそれは、目が覚めた後に寂しさをもたらしたとしても、今のアリシアには何より必要な時間だった。









次の日。


目が覚めたアリシアが中庭へ行くと、ユーリシアの国花がいつかのように朝露に濡れていた。

そこには母はいなかったが、レイリアの姿があった。


「兄様…?」


周りに人がいないことを確認して声を掛ける。

振り向いたレイリアは、微笑を携えて答えた。


「昨日、言いそびれたことがあって…アリシアも此処へ来るような気がして、待っていたんだ」


「言いそびれたこと、ですか?」


「ああ」


恥ずかしそうに頬を掻く姿は、これまでの兄と変わらない。

そんな兄が国王になったのだと思うと、かつてのこの日常が早々過ごせるものではないのだと思うと、言いようのない孤独感に苛まれた。


「ーー昨日のドレスが、母上の着ていたものだったと聞いた。本当に、良く似合っていた」


「………」


「悲劇の際、城は荒らされ、地下室に置かれていたもの以外まともに遺されたものはなかったから…母上を感じられるようなものが一つでも多くアリシアの手元に渡るといいと思ってる。

その内の一つがドレスで、それをおれの即位式で着てもらえたということが、とても嬉しい」


「…兄様…」


「ホーキンの件はロマから聞いている。いらない心労をかけてしまってすまなかった。思うところもあるだろうが…しかし今は、おれが父上の跡を継げたということを、二人で喜ぼう」


「はい」



それから、兄妹で少しの間話をした。

過去のこと、今のこと、そして未来のこと。


もう訪れないかもしれないこの時間を、アリシアはいつまでも忘れまいと、必死に心に焼き付ける。


中庭でこそこそと話す二人はまるで、小さな子供のよう。

使用人が中庭を覗いて、気付かれないようににこにこ微笑む。




雲の隙間から覗いた太陽が、そんな長閑な光景にそっと光差していた。








ーー幕間「光差す中庭で」了






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