第四十二話 パパと精霊
……なにが、起こったのだろう。
目の前が暗い。
僕はそう思って、ようやく自分が目を瞑っていたのだと気付く。
――何故?
何故僕は目を瞑っている?
ついさっきまで、ファラドと戦っていたはずだ。
彼の放った魔術を、セレーナとコロナの防御魔術が防いだはずだ。
ならば僕は、目の前の娘達が見えていなければならない。
魔術を防がれて驚くファラドの顔を、拝まなければならない。
これは、どういうことなんだ――?
僕は状況が呑み込めず、とにかく身体を動かそうとする。
だが、上手く動かせない。
全身が鉛のように重く、それでいて鈍痛に蝕まれていることに気付く。
そしてようやく、僕は自らが床の上に倒れていることを理解した。
「ぐ……う……」
僕は、意識を失っていたのか……?
だとしたら、一体何分くらい……?
戦いはどうなった?
ファラドは?
セレーナとコロナは?
気を失う直前の状況が思い出せない。
僕は痛む身体に鞭打って、上半身を起こした。
「セレーナ……コロナ……? どこに、いるんだ……?」
なんとか握り締めていた杖に頼って身体を起こした僕は、瞼を開け、霞む視界の中で娘達の安否を確認する。
彼女達なら、きっと大丈夫なはずだ。
如何に【雷の精霊】であっても、【賢者】であるセレーナとコロナが魔力を重ね合わせた防御魔術を破ることなど容易ではないはず。
そうだ、きっと僕が臆病者だから気を失っただけで、彼女達はまだ戦ってくれているに違いない。
彼女達は――まだ立っているに違いない。
僕はそう思って――――そう信じて、目の焦点を前方へと合わせた。
そんな僕の目に映り込んだのは――――
…………僕と同じように、力なく横たわる二人の少女。
そう――――倒れたままピクリとも動かない、セレーナとコロナの姿だった。
「せ……セレーナ……!? コロナ……!?」
――ウソだ。
――こんなの、ウソに決まってる。
僕は床を這いつくばって、彼女達の下へと近付く。
全身が千切れるように痛い。
意識がまだ朦朧として、視界が歪む。
それでも、僕はあの子達の下へ行かねばならない。
這う這うの体で二人の下に辿り着いた僕は身体を起こして、より傍で倒れていたセレーナを抱きかかえる。
「セレーナ……セレーナ……! しっかりするんだ……っ!」
ぐったりとする彼女へ何度も呼び掛ける。
だけどセレーナは目を開けず――僕の声にも応えてくれない。
「コロナも……目を開けてくれ! た……頼むよ……っ」
コロナへも呼び掛けるけれど――やはり反応はない。
……信じたくない。
信じられない。
こんなのは悪い夢だ。
だ、大丈夫。きっと大丈夫だ。まだ間に合う。
急いで二人を回復すれば――
『……見事なり』
不意に、声が聞こえた。
ファラドの声だ。
彼はさっきまでと変わらぬ場所に立っていた。
「え――――?」
『……その娘ら、見事なり。我が閃光、《ガンマ・レイ》を耐え切った人の子は、汝らが初めてよ』
彼は無機質な、けれど落ち着いた声でセレーナとコロナを称える。
認められた。
【賢者】である僕の娘達が、【精霊】に。
これは名誉である。
これは快挙である。
これで、彼女達の名は間違いなく歴史に刻まれるだろう。
【精霊】にすら認められた、【伝説の双子の大賢者】として――
けど――――僕は、こんな結末を望んでない。
戦いの果てに、娘である彼女達が、親である僕を護って、犠牲になるなんて――
「……だから、だからなんだって言うんだ……。いくら攻撃を防ぎ切っても、コレじゃ意味がないだろ……!
どうして僕だけ生きてるんだ……っ! どうして、この子達が……どうして……!」
僕はセレーナを抱いて、やるせなさに咽び泣く。
――――しかし、
「………………おとう、さま……」
あまりにも弱々しく、けれど確かに、セレーナが声を発した。
彼女は――まだ――
「――!? せ、セレーナ!?」
「だ……大丈夫……ですわ……こんな怪我……へっちゃら……です……」
息も絶え絶えに、彼女は僕に笑顔を作って見せる。
どこが……どこが"へっちゃら"なもんか。
もう笑うどころか、意識を保つだけでも大変な苦痛のはずなのに。
それなのに、キミは笑ってくれるのか――――
『……残るは、汝のみ』
ファラドが、僕を見下ろして言う。
「な……んだって……?」
『……汝は、如何にする。我はその娘らの"力"を認めよう。汝の魔術の才も認めよう。しかし、まだ足りぬ。まだ試さねばならぬ』
ファラドはどこか憂いのある顔で、
『……その娘らは、我が力を与えるに値するだろう。だが、力を欲するは汝と言ったな。
……汝だけで我に挑むなら、向かってくるが良い。だが娘を案じて去るのならば……止めはせぬ』
「――っ」
選べ、と言われている。
尻尾を巻いて逃げるか、それとも無謀な挑戦を続けるか――――
"情け"、をかけられている。
【精霊】に、情を向けられている。
「ぼ、僕は……」
『……我は人の子を好いている。闘争こそ愉快なれど、無意味な殺生は好まぬ。
……娘らの尊厳を、無碍にするような真似はせぬ。全ては……汝が選ぶと良い』
――どうする。
――――どうすればいい。
いや違う。
こんなの、悩むようなことじゃない。
僕は、セレーナとコロナの身が一番大事なんだ。
彼女達が助かるなら、僕の"夢"なんて捨てるべきなんだ。
天秤にかける必要もない。
それに、僕一人がいたところでなにが出来るのか。
なにも出来ないじゃないか。
だから――――
……でも、それでいいのか?
それじゃ、セレーナとコロナが話してくれた、彼女達の意思や"夢"はどうなる?
彼女達が語った「お父様の"夢"を叶えることが"夢"なんだ」という言葉を、僕自身が踏みにじることにはならないか?
それが、彼女達の望むことなのか?
僕は――
僕は――――
「…………お父様……」
僕の腕の中で、今にも途切れそうに呼吸するセレーナが、僕を呼んだ。
その声に反応して僕が彼女へと顔を向けると、セレーナはおもむろに僕の懐に右手を突っ込む。
そして"何か"を掴み出すと、今度は左手で僕の襟を引っ張って――――
――――僕の唇に、口付けをした。
セレーナの柔らかな唇が、僕に触れる。
ほんの僅かに、僕と彼女の舌触りが交わる。
温かく、滑らかな感触。
それは――――少しだけ、血の味がした。
彼女の唇が、僕から離れる。
「セレー…………ナ…………?」
「……一分、ですわ」
"一分"――――
その単語を聞いて、僕はハッとする。
見ると、彼女の右手には一枚の小さな紙切れが握られ、それを自らの胸に押し当てていた。
――クレイチェット先生から預かった、魔術陣の描かれた紙だ。
どうせ使うことはないと思って、胸のポケットへ入れっぱなしになっていた物だ。
その紙切れは金色に発光を始め、それに続いて僕の胸ポケットに残った紙も光りだす。
「……迷わないで、下さいませ。……諦めないで、下さいませ。
私は……信じております。お父様の"夢"は……必ずや、叶うと……」
そう話す彼女は――――笑っていた。
いつもの笑顔で、いつもの口調で、いつものように――――
「セレーナ……」
「……申し訳、ありません……私は……少し、眠ります……
……ああ……"夢"が……見えますわ…………お父様も……どうか……良き"夢"を……叶え……て……」
――セレーナの目が、閉じる。
それきり、彼女が言葉を発してくれることはなかった。
彼女は……きっと、"夢"を見ているのだ。
最後の最後に――僕が、"僕らの夢"を叶えている"夢"を。
「…………」
僕はセレーナをゆっくりと床の上におろすと、杖を突いて立ち上がる。
そして――――真っ直ぐに、ファラドを見据えた。
『……その意気や、良し』
ファラドもほんの少しだけ笑みを浮かべると、再び魔力を収束して"雷の渦"を帯電する。
もう一度、さっきの魔術を撃つつもりだ。
僕は――杖を構える。
「…………"星の大海に浮かびし闇よ、陽の光さえ喰らう虚ろの混沌、夜よりも暗き引の心核、エルカン・ハルバロッジの名の下に、漆黒の力で万有を無に帰し給え"――――」
僕は詠唱する。
僕に使えない魔術の呪文を。
けれど【伝説の双子の大賢者】ならば使えるであろう、僕が思い付く限り最高クラスの攻撃魔術を。
あらゆる物質を飲み込み、深淵へと送り込む闇属性のS級攻撃魔術。
その名も――
「――――《ブラック・ホール》」
魔力を帯びた漆黒の球体が、ファラドなどひと飲みに出来る巨大さとなって彼へと向かう。
「さあ…………最後の勝負だ、【雷の精霊】ッ!!!」
『……良いだろう。我に、汝を認めさせてみよ。――――《ガンマ・レイ》』
彼が術名を唱えるや――――"巨大な黒球"と"雷の閃光"は、ぶつかり合った。




