第二十二話 出発
「気にすることないよ。あの人は、パパに嫉妬してるだけなんだから!」
ぷんぷんと可愛らしく怒りながら、コロナが言う。
"嫉妬"かぁ……
服屋で三人の少女達にも似たようなことを言われたけど、まさかいきなり攻撃されるほどとは……
僕は気が重くなって、口からため息が漏れる。
――僕ら親子三人は、現在セレーナとコロナの宿舎に来ている。
つまり、僕は今"娘達の部屋"にいる。
【賢者】の部屋だけあってどんな豪勢な場所が用意されているのかと思いきや、至って質素な二人用の部屋だった。
これは彼女達が【賢者】だからと優遇されるのを断って、他の生徒と同じ学生寮を希望したからだとか。
せっかくなんだから、少しくらい贅沢させてもらってもいいんじゃない?と思ったりもするが、謙虚な性格に育ってくれて父は嬉しいぞぅ。
僕は内心でうんうんと二人を褒めてみたり。
セレーナも冒険のための荷造りをしながら、
「……『ハーフェン魔術学校』ほど大きな場所にもなると、様々な理念を持つ魔導士が集まります。とはいえ"学校"という体裁がありますから、普段はそれほど人的トラブルは起こらないのですが――」
「水面下の"派閥争い"かい? ……なんとなく、そんな感じはしたよ」
僕が聞くと、セレーナは肯定するように頷く。
「この学校には……そうですわね、大きくわけて、二つの派閥が存在します。
一つは、校長先生を筆頭とする派閥。もう一つは、教頭先生を筆頭とする派閥です。
私達やクレイチェット先生は……一応校長先生の側に所属していることになりますわ」
ふむ――その言い方からするに、進んで派閥に組しているというワケではないのか。
僕は少し安心感を覚える。
どんな場所でも、組織が大きくなれば自然と派閥は生まれてくる。
そして、大体がちっぽけな理由で争いに発展していくのだ。
セレーナとコロナは、『ハーフェン魔術学校』が二百年振りに生んだ【伝説の双子の大賢者】。
どうしても、派閥争いから逃れられなかったのだろう。
……父親としては、娘がそんなつまらない出来事に巻き込まれているのは、この上なく嫌な気分だけど。
「――それで、さっきのツァイス先生って人が教頭派の人間、ってことなんだね?」
「そうなの! ホンッッット、嫌な先生なんだよ!?」
コロナが魔術に使用する薬品を棚から出しながら怒る。
危ないから、落ち着いて喋ってほしいなぁ。
「ことあるごとに、"キミ達は『ハーフェン魔術学校』の代表である自覚を持つべきだ"とか、"僕の下にくれば今以上の名誉を約束しよう"とか、そんな感じでセクハラしまくってくるんだから! オマケに、成績が低い生徒達を露骨に差別するんだよ!? サイテーだよね!」
――ああ、やっぱりそういう性質の人なのか。
典型的なエリート魔導士であり、典型的なエリート教師。
プライドと自己顕示欲の塊。
進んで実力のない者を排斥する、差別主義者。
それが、例え自らの教え子であろうとも。
半面――そのプライドに裏打ちされた実力は、本物。
不意打ちに近かったとはいえ、【賢者】であるセレーナとコロナ相手に余裕を崩さなかったのが、その証左だろう。
「それにしても……僕だけを狙ったならまだしも、いきなり校内で、しかも生徒であるキミ達まで巻き添えにして攻撃してくるとか……あのツァイスって先生、よくこの学校に在籍してられるね……」
僕が言うと、「そうなんですわよね……」とセレーナが頭を抱えた。
「確かに、ツァイス先生が優秀な魔導士なのは間違いありません。彼の教え子も、また優秀な者が多いですわ。
――ですがそもそも、あの方は代々『ハーフェン魔術学校』の教師を務めてきた由緒正しい家系の生まれなのです。ツァイス家と言えば、他の世界三大魔術学校でも名が通るほど名門ですから」
「なるほど……で、そんな家系の人間が教頭派に癒着しているから、学校側としては"追い出したくても簡単には追い出せない"、か」
僕が聞くと、「ええ」とセレーナが肯定する。
「教頭派の先生達は、エリート思考の方が多いのです。だから【賢者】である私達を執拗に勧誘しているのですわ。まったく、いい迷惑なのですけれど」
――そういえば、さっきもツァイス先生は戦いながらセレーナとコロナを称賛していた。
少なくとも、彼女達に明確な敵意があるようには感じられなかった。
攻撃に関しても、セレーナとコロナならば回避するか、でなければ十分に防御出来ると踏んで魔術を選んだのだろう。
その辺の駆け引きは、僕のような下降支援魔術しか能がない魔導士にはわからない。
むしろ敵意というより――"歯痒さ"とでも言うのだろうか。
優秀な者が、何故高みを目指さないのか――
何故、才能を生かさないのか――
そんな苛立ちが、僕へと向けられた気がした。
彼は彼なりに、セレーナとコロナを案じているだと思う。
それは、とても自己中心的な考えに基づいているけど。
――――"お前"のせいで彼女達は、未来へ歩めなくなっている。
……それもまた、真実かもしれない。
セレーナとコロナは、父である僕の"夢"を叶えようとしてくれている。
それは、紛れもなく僕のためだ。
そんな彼女達の行為は、彼女達のためになっているのか?
もう娘達と冒険に出ると決めたのに、こんなことを考えるとは情けない。
けど、僕はどこまでいっても"父親"なのだ。
どうしても…………色々な考えが、頭の中を巡ってしまう。
「――お父様、今おかしなことを考えていらっしゃいませんか?」
まるで、僕がなにを考えているかなどお見通しだ、と言わんばかりにセレーナが目を細める。
「え?」
「私達の将来を案じていらっしゃったのかもしれませんが――それは、今考えることではありません」
「アタシ達は、もう冒険に出るって決めたんだよ? パパだって、今更止めるなんて言わないでしょ?」
「それは、まあ……言わないけどさ……」
ここまで来て、やっぱり止めるだなんて、それだけは言えない。
そんなことを言ったら、それこそ二人に失望されそうだ。
「だったらさ、難しいことは冒険が終わった後に考えればいいじゃん♪」
「そうですわお父様。それに……父親が父親なりに子を想うならば、子供も子供なりに父を想うのです。それを、ご理解下さいませ」
どこまでもポジティブな考えで、二人は笑う。
――子供も子供なりに、か……
昔から"親の心子知らず"なんて言葉があるけど、"子の心親知らず"というのも、また然り、なのかなぁ。
……そうだよな、さっき食堂であんな偉そうなことを言ったんだ。
ちょっとは、父親として威厳がある態度を見せないと、だな。
「……そうか、いや、そうだね。二人の言う通りだ。とにかく今は、目の前の課題に取り組むことを考えよう。
――――ところで、キミ達はなにをしているのかな?」
僕が真面目な話をしているつもりになっている間に――セレーナとコロナは、鏡の前で"下着選び"をしていた。
自らの身体に下着を当てているのだが、セレーナは紫のスケスケなセクシーランジェリーを手に取り、コロナはフリルの付いたピンク色の可愛らしい下着を手に取っている。
どちらも、決して冒険に適した下着ではないだろう。
「やだな~パパぁ♪ こうやって勝負下着を選んでおけば、パパの気が変わった時に――」
言いかけたコロナの口を、ガバッとセレーナが手で覆う。
「そうそう、そうですわ! 危険な冒険の旅に出るのですから、こうやって気合の出る下着を持っておいても損はないかと! 決して、深い意味はありませんことよ!?」
モゴモゴと喋ろうとするコロナを必死に抑えながら、セレーナが引き攣った顔で笑う。
……もしかしなくてもキミ達、懲りてないね?
◇ ◇ ◇
――――翌朝、僕達三人は『ハーフェン魔術学校』の正門前にいた。
見送りとして、クレイチェット先生も来てくれている。
まだ時間が早いので、周囲には他に人影はない。
「それじゃあクレイチェット先生、行ってきます」
「気を、付けて。コレは、餞別」
クレイチェット先生はそう言うと、僕に"杖"を手渡してくれる。
僕の身の丈ほどの長さがある、水晶の付いた大きな杖だ。
「そんな! なんだか気を使ってもらっちゃって……ありがとうございます」
「いいの。この杖は、特別製。術者の負担を、少しだけ、低減して、くれる。それに――ミスター・ハルバロッジには、杖が、よく似合う。
…………そ、それから、こ、コレも、念のため……!」
クレイチェット先生は次に、小さな三枚の紙切れを手渡す。
三枚の紙には全て、魔術陣が描かれている。
「……コレは?」
「こ、コレを媒介に、すれば、一時的に、他者と、《魔脈》を、繋げられる。ほ、本当は、大掛かりな準備が、必要だから、一分も、繋いで、られないけど。
ひ、非常時に、コレを、それぞれが、胸に当てて、そ、その、せ、せせ、接吻、でも、すれば――!」
「……わかりました先生。無理に仰らなくても大丈夫ですから……」
僕はセレーナとコロナに目をやる。
すると彼女達は、とぼけた様子で僕から目を逸らした。
やっぱりキミ達の差し金なのね……本当に懲りてないんだから……
僕は先生に突き返そうかとも思ったが、少なくとも先生の心遣いを無碍には出来なかったので、仕方なく胸のポケットに紙をしまい込んだ。
使う機会は……まあたぶん無いだろうが。
クレイチェット先生は一息入れると、
「学校に、諸々の許可は、もらった。『雷電の洞窟』に、入る前に、近くにある、『ディカーラ』という街を、尋ねるといい。そこで、学校が準備した、"水先案内人"と、会える」
「わかりました。先生には、お世話になりっぱなしですね……。必ず、【雷の精霊】の試練を乗り越えてきますよ」
僕は勇んで言うが、対するクレイチェット先生の顔からは笑みが消える。
「……聞いた。昨日、ツァイス先生と、揉めた、とか。
注意、した方が、良い。彼らも、【精霊】の力を、狙ってる。
それに、ツァイス先生や、教頭先生は、『ハーフェン魔術学校』の、実権を握ろうと、躍起になってる。
校長先生が、抑えてくれてる、けど……邪魔しにくる、かもしれない」
――彼女の言葉を聞いて、流石に僕も笑っていられなくなる。
ただでさえ未知の存在と戦うことが予想されるのに、他の魔導士からの邪魔も入るとか、もう気が休まるとは思えない。
――――でも、
「……大丈夫ですよ。僕には、この子達がいる。そしてこの子達には、僕がいます。だから、なんの心配もいりません」
そうだ。
僕は信じる。
これからも、娘を持つ父の不安や心労は消えないかもしれない。
しかし"魔導士"という一点だけならば、僕はセレーナとコロナに全幅の信頼を置ける。
一抹の不安もない。
彼女達も、僕に背中を預けてくれるだろう。
僕を信じてくれるのだろう。
だから、僕も信じる。
僕のかわいい娘である、双子の【賢者】を。
もし、またツァイス先生が不意打ちでも仕掛けてこようものなら――その時は、今度こそとびきりの弱体化とステータス異常を喰らわせてやるさ。
「それじゃあ――えっと、セレーナに任せていいのかな?」
「ええ、今度という今度こそ、私が《ソアリング・フライ》を使いますわ」
「むぅ~、別にアタシでもいいのに……」
文句を言うコロナをなだめながら、僕ら三人は身を寄せる。
クレイチェット先生は軽く手を振りながら、
「……貴方達の、冒険に、幸多からん、ことを」
「では先生、行ってまいりますわ」
「行ってきま~す!」
「ええ――――行ってきます」
セレーナが、魔術を詠唱する。
そして僕らは、大空へと飛び立った。
こうして――――僕らの冒険は、始まった。




