第二十話 精霊
「ふん、ふふん、ふふん♪」
時計台の薄暗い廊下の中を、コロナが軽めのステップを踏みながら歩く。
「おいおい、転んだりしないでくれよ、コロナ?」
「ダイジョ~ブだよぉ~♪ いつも歩いてる廊下だもん♪」
それはまあ、そうなんだろうけどさ……
彼女のはしゃぎっぷりを見ていると、なんだか不安になってしまう。
「コロナが喜ぶのも仕方ありませんわ、お父様。これでようやく、家族水入らずの冒険の旅に出られるのですから♪」
セレーナも嬉しそうな様子で、僕へ笑顔を向けてくれる。
彼女達からすれば、あれほど熱烈に僕を誘った冒険へ出られるというのだから、それは胸が躍る想いだろう。
僕だって、若い頃にパーティに所属して初めて冒険に出た日は、それはそれは興奮したものだ。
「ハハ……そうだね、冒険――か」
◇ ◇ ◇
時を遡って、時計台の学生食堂の中。
僕は、ずっと"ほら話"だと信じてきた【精霊】についての最新情報を、クレイチェット先生から教えられた。
――――『ハーフェン魔術学校』のダンジョン調査チームが、とあるダンジョンの深部に《精霊の遺跡》を発見した、と。
それは完全に、全く偶然の発見だったそうだ。
調査チームがダンジョンの地質等を調べていた所、遺跡への入り口が見つかったと。
なんでも入り口は分厚い岩盤で物理的に封じられていたらしく、何千年も発見されなかったのも当然だったらしい。
《精霊の遺跡》を見つけた調査チームは、歴史的な瞬間に喜びを抑え切れず、勇んで遺跡の内部へと入っていったそうだが――
十名いた調査員の中で、生きて帰って来れたのは、たったの一名だけだったそうだ。
その生存者の話により――――【精霊】の実在が、確認されたのだという。
「――以上が、少なくとも、ワタシが、聞いた内容。
この話は、基本的に、口外厳禁。『ハーフェン魔術学校』以外の、世界三大魔術学校にも、知られていない」
クレイチェット先生が、僕に言う。
「……にわかには、信じられない話ですね。しかし大丈夫なんですか? 部外者である僕に、そんな重要機密を話してしまって……」
「問題、ない。ミスター・ハルバロッジは、セレーナちゃんと、コロナちゃんの、父親、だから。おかしな真似は、しない」
……なるほど、『ハーフェン魔術学校』を代表する【伝説の双子の大賢者】という娘がいる以上、世間的にバカな真似はしないだろってことか。
まあ実際、僕は娘達に迷惑がかかるようなことはしたくない。
そもそも、このご時世で"【精霊】が見つかったんだよ"などと世間に流布して、誰が本気で信じるだろうか。
「……つまり、その【精霊】に会うことが出来れば、僕や先生のような体質の者でも――」
「特定の属性の、魔術を、使えるようになる、かもしれない。……逸話を、信じるなら」
そう、なるのだろうな。
長年"ほら話"として伝わってきた逸話でも、【始まりの賢者】は【精霊】から魔術を教わったとある。
属性という、魔術においては自然界の理と言って差し障りないモノを司る、"神"に近しい存在。
そんな【精霊】なら、魔導士一人の先天的素質など、どうとでも書き換えられてもおかしくはない。
「さらに、生き残った、調査員の、話によると、【精霊】は、彼らを、試した、らしい。
――――"八大精霊である我に、力を示せ。さすれば、汝らに恩恵を授けん"
そんな感じの、ことを、言っていた、とか」
「それはそれは……ハハハ、確かに"難しくて危険な方法"だ。確実性も保証もあったもんじゃない」
【精霊】に認めてもらえれば、攻撃魔術が使えるようなるかもしれない。
だがそのためには、【精霊】と刃を交える必要がある。
しかも認めてもらえたとしても、先天的素質の問題から必ずしも魔術を使えるようになるとは限らない。
こんな――危険で分の悪い"賭け"は、そうはないだろう。
「……セレーナちゃんと、コロナちゃんが、いれば、学校側から、遺跡への立ち入り許可を、もらうのは、難しくない。あとは――伸るか、反るか」
クレイチェット先生は、前髪で隠れる目で、じっと僕を見つめる。
《精霊の遺跡》の調査ともなれば、かなりの危険が伴うだろう。
そこで、『ハーフェン魔術学校』の最大戦力の一角である【伝説の双子の大賢者】を送り込むというのは、学校側としても理に叶う話だ。
【精霊】との対話を学校公認の【賢者】が成功させたとくれば、それも魔術学校の名声に直結する。
僕が同伴したとしても、然したる問題はないのだろう。
けど――
「……セレーナとコロナは、このことを聞いていたのかい?」
娘達に尋ねる。
子供達を危険な場所に向かわせる――しかも、相手は未知の力を持つ【精霊】だ。
最悪の事態が――どうしても頭をよぎる。
冒険に出るならば、大なり小なり危険と隣り合わせではあるが……今回の話は、あまりにもリスクが大きい。
如何に【賢者】といえども、無事では済まないかもしれない。
自分が道中で息絶えてしまうなら、別に構わない。
だがもしも、愛娘の"最期の瞬間"をこの目で見てしまおうものなら――――僕は、とても正気でいられる自信がない。
僕は、娘達の顔を見る。
すると、
「勿論、以前から聞いておりましたわ」
「アタシ達の答えは変わらないよ、パパ」
セレーナとコロナの瞳は、いつもと変わらぬ自信と希望に満ちていた。
その眼力は、僕の情けない恐怖心を払拭するのに十分過ぎるほどの眩しさだった。
「確かに、【精霊】は未知の存在です。危険な冒険になるでしょう。ですが、だからなんだというのです?」
「そんなの、怖くもなんともないもん。それにアタシ達には、"下降支援魔術の天才"であるパパがいてくれるじゃん♪」
「――!」
僕は、驚きのあまり茫然としてしまう。
……頼られてしまった。
下降支援魔術しか、マトモに使えないのに。
遥か格上の存在である、【賢者】に。
【精霊】相手に、下降支援魔術が通用するのかもわからない。
それなのに。
初めて、かもしれない。
魔導士として、誰かに頼られたのは。
「……ア、アハハ……そっか……僕がいる、か……」
ああ――――この感覚は、ダメだ。
年甲斐もなく、胸が高鳴ってしまう。鳥肌が立ってしまう。
そんな風に、言われちゃったらさあ――
「ズルいなぁ……そんな言い方されたら、進むしかないじゃないか」
僕は一度目を瞑り――――再び開いて、クレイチェット先生を見る。
「……先生、その《精霊の遺跡》は――どこにありますか?」
僕の決意を察してくれたであろうクレイチェット先生は、やっぱり無表情のまま頷く。
「『ハーフェン魔術学校』から、百三十里ほど、北西に離れた、場所に、『雷電の洞窟』という、ダンジョンが、ある。
そこに、【雷の精霊】が、いる。
ワタシは、一緒には、行けない。でも、学校からの、支援は、手筈しておく。出来る範囲で、サポート、するから。
だから――――ミスター・ハルバロッジ、セレーナちゃん、コロナちゃん。
貴方達が、魔術の新しい時代を照らす、光とならんことを」
◇ ◇ ◇
――ってなことがあったのが、ついさっき。
ひとしきり話を聞いた僕ら親子はクレイチェット先生とわかれ、さっそく旅支度を始めることにしたのだ。
「しかし……十七年振りの冒険かぁ。しかも目的は【精霊】とか……。まったく、どうなるモノやら……」
「どうとでもなりますわ、お父様♪ それより、今は冒険の始まりを楽しみましょう♪」
「そうだよそうだよ! とりあえず出立は明日にして、今夜はご馳走だね! アタシが腕を振るうよん♪」
気が重くなる僕とは対照的に、まるで遊びにでも行くかのようにウキウキして見せるセレーナとコロナ。
頼もしいけど……これはこれで不安だなぁ。
などと僕が思っていると――廊下の途中で、不意に"長身の男"とすれ違った。
深紅を思わせる紅いローブをまとった、如何にも品位の高そうな魔導士の男だ。
あれ、珍しい。
さっきまで誰ともすれ違わなかったのに――
僕がそう思っていると、
「――待ち給え」
紅いローブの男が、僕達を呼び止めた。




