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May Storm Day

母の日に贈る花束。

 赤のカーネーション、それとも白のカーネーション。

 一般では赤は生きている母へ、白は亡くなった母へだろうか。

 色の違いで花言葉も変わってくる。そして変わらないことは綺麗な花ということだ。

 ただ、どちらを選んでも、ぼくにはその花を贈ることができない。

 なぜって……「お母さん」と呼んでいたヒトは「お母さん」と呼べなくなってしまったから。いや、それはぼくの個人的な意識の問題だ。ぼくの姉さんは、ぼくたちを産んだヒトを今でも「お母さん」と呼んでいるのかもしれない。


 覚えていることは――むかし、テーブルにぽつんと置いてあった離婚届の用紙。そこには、かつてお母さんと呼んでいたヒトの名前が書いてあった……印鑑も押してあったと思う。

 一方的だと思ったけど、ぼくと姉さんには止められないことだった、なによりぼくが興味を示すことはなかった。

 遺伝により性格も似るとするなら、勝手気ままに道を歩いている両親は、ぼくたちに興味はなかったのだろう。

 〝興味ない〟そう言って、ぼくは自分の道だけを見ていたのだから、ひどく似てしまったんだ。

 かつての話――勝手にぼくと姉さんの意識を世界に産み落とした両親は、簡単に離婚した。


 いまになって解ることは……生まれた時からぼくの意識に不備があったということ。

 たぶんぼくの両親は、ぼくが異常であることを知っていた。身体的ではなく、精神的な異常。

 当時のお父さんとお母さんは疲れていたんだ――ぼくという異常をこの世界に適用させるため、無理な教育を施すのにストレスを溜め込んでいた。

 「むかしはよく笑っていたよ」

 と、両親のことを姉さんから聴いたときに、ぼくは理解してしまったんだ。

 「ぼく」ではない意識だったら、「ぼく」がもっと正常な精神を持っていたら……お父さんは今日という日、お母さんに花束やプレゼントを渡していたのだろう。

 姉さんも、感謝の言葉やプレゼントを渡したのだろう。


 そしてぼくは、母の日に……


 カーネーションも植物であるから、永遠を持ってはいない。

 <li:言葉には永遠はあるだろうが、花や心と同じように色あせる>

 <li:言葉を与えられた植物でも……絶滅すれば死語となる>

 それをぼくは知っているから、

 ぼくは存在を消して、誰かに贈られるカーネーションとなりたい。

 ――いいや、ぼくが花として生まれていれば、誰の心も傷つくことはなかったのに。


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