〈第一話〉 『お悩み部』の面々
どうもー、引き続き侍従長です。
これからはそれぞれ『~~編』というふうに、章ごとでやっていきます。
ほかの二人がどうするかまではわかりませんが、よろしくお願いします。
放課後。俺は一人鞄を持って、『お悩み部』の部室がある部活棟三階の廊下を歩いていた。
部員数一桁の、何のためにあるのかも分からないような部活でも、部室が与えられているのだ。まあ、能力者を一か所に集めて置くための隔離部屋的な意味合いもあったのだろうが。
そしてウチの部は、基本的に休みの日はない。休日にも、たまにやることがある。依頼人が来なければ、ただひたすらにダベってるだけなんだけどな。
「……雨、止んだか」
何気なく廊下の窓から外を覗くと、いつの間にか雨は止んでいた。これ幸いと、運動部が部活に励んでいる。水溜りだらけのグラウンドで、ご苦労なことだ。
あの中に能力者は居ない。能力者は時に、スポーツマンシップに著しく反する能力を所持していることがある。というか、スポーツなんかに真剣に打ち込むような健全な精神を持っているようなヤツは、能力に目覚めはしない。
「そろそろ鴛文は来てる頃か。澄川は――」
「シンヤー!」
「ぐふっ」
物思いに耽る俺の後ろから、何者かが全力の体当たりをかましてきた。背中というか背骨に衝撃が走り、危うく寝たきりになるついでに昼食ったモンを全部吐き出すところだった。虚弱過ぎる。
一体誰だ……と思うものの、俺の名前を呼びながらこんなことをしてくるようなヤツは、生憎一人しか知らない。
ややうんざりしながら振り返り、ニコニコと屈託ない笑みを浮かべるソイツに苦言を呈する。聞かないとは分かっていても。
「おい、佐久良……お前、いきなり跳びついて来るのは止めろとあれほど」
「ごめんね、シンヤの背中が見えたからつい!」
「何だ、俺の背中には赤い布でも付いてんのか?」
「私は牛じゃないよ?」
「知ってるよ」
どっちかというと猫だよな。すげー人懐っこいヤツ。
キョトンとした表情を見せるソイツ――佐久良夜那。
やや色素の薄い黒髪をポニーテールにして、ぱちくりした大きな瞳をしきりに瞬かせている。身長は大体百五十ぐらいで、百七十ある俺の胸の辺りまでしかない小柄ながら、豊かなそれは制服のブラウスを押し上げて、出るとこは出ていることが分かる。
俺と同じ高校二年生で――我らが『お悩み部』の部長でもある。の割には、今のように落ち着きが足りない部分もかなりあるが。
性格は一言で言ってアホの子であり、そして極度のお人好し。でなければこんな部活を作ろうなどとは思わないだろう。
「っていうかおい。いい加減離れろ」
「いいじゃん別に、このままでも!」
「歩きにくいんだよ」
二パッという風に笑う佐久良だが、コイツは自分の体形のことを理解していない。頭ん中は小学生なのに、体つきはほぼ成熟している。
尚もひっついてくるアホを引き剥がしている内に、俺たちの部室のドアが見えて来た。
すると佐久良はパッと身を離し、部室へと駆けて行く。残念だとかは微塵も思っちゃいない。柔らかい感触を名残惜しいと思うのは気のせいである。
「こんにちはー!」
「うーす」
ガララッと景気よくドアを開け放って元気よく挨拶をする佐久良の後ろから、テキトーに会釈して部室へと踏み込む。電気が点いていなかったので、手探りにスイッチを探し当て、カチッ。
うちの部室は、部員数に比べてかなり広い。教室一個分、優に二十帖はあるだろう。もっとも、隣が居ないのをいいことに右隣の部室まで壁をぶち抜いて無理矢理繋げたのだから、広いのは当然だ。ちなみに学校公認である。
無理矢理繋げた方の部屋が部員専用のスペースで、元の部室の方が、依頼人の話を聞くための応接スペースとなっている。一応カーテンで仕切られて入るが、これが閉められることはあまりない。
「おつかれー」
答えが返って来たのは、部員専用スペースの方、隣の部屋からだった。部屋の片隅、いくつも設置された大型ディスプレイの前、椅子に腰かけて三つほど横に並べられたキーボードを一心不乱に叩きながら、彼女はこちらに背を向けたまま、振り返りもせずに答えた。
部屋の隅っこに配置された仕事机の上には九個ものディスプレイ。下には何かよく分かんない機器の群れ。足元には何本もの色とりどりのケーブルが伸びている。
椅子に座った小柄な影は、その腕だけが素早く動かされているだけで、後は微動だにしなかった。ってかコイツ、電気も点けずにやってたのか。目悪くするぞ。
彼女の名は鴛文莉恵。『お悩み部』部員ナンバー3の古株で、一年の頃からの付き合いだ。
普通なら眉を顰めるであろう態度だが、俺たちはもう慣れ切っている。特に気にせずに、それぞれの定位置へと向かった。
「はふーっ、うーん、やっぱり安心するねー」
佐久良が向かったのは窓際、居間スペースだ。鞄を無造作に放り出し、きちんと掃除された畳の上にゴロリとうつ伏せに寝転がる。ここは自宅か。パンツ見えるぞ。
「ふぃー……」
溜め息を吐き出しながら、俺は鴛文の隣、鴛文のと同じ、けれど小ざっぱりとした机に鞄を置いて、椅子にどっかと座りこんだ。
背もたれに身を預け、何となく天井を見つめる。天井の模様はいつもと変わらず。
出来ればずっとこうしていたいが、生憎と俺はこの部の副部長である。そうでなくとも、あのやる気溢れる部長が許してはくれまい。
「さって、休憩もそこそこに! そろそろ始めよっか!」
ほぅら来た。
「待て待て。まだ澄川のヤツが来てないだろ」
「あ、それもそっか。なら待たないとだね」
納得して、正座して突き上げていた拳を戻す佐久良。残念そうな顔だ。そもそも依頼人が来なきゃ何も出来んだろうに。
アホの子に苦笑し、俺は再び背もたれにもたれかかって力を抜く。ふむ……茶でも淹れるか。本来なら澄川の仕事だが、まだ来てないしな。
思い立って立ち上がり、二つの部屋の境目の辺りにある給湯器へと向かう。ポットの中を確認し、一度部室から出て水を補給し、セット。すぐにコポコポという音とともに湯気が立ち始める。
乾かしてあった湯呑茶碗を三つ用意して、急須の中の網に茶葉を投入。ついでにちょっとした茶菓子も用意。そうこうしている間にお湯が沸いたので、それをまずは湯呑の方へ注ぐ。
湯呑の方が十分に温まったところで、湯呑のお湯を急須に入れる。二度手間ではあるが、これはこれで便利で重要なのだ。分量を間違えることがないし、適度に冷やせる。茶の風味を殺さない……って言っても、そこまで上等な茶葉でもないが。
くるくると急須を揺らし、十分だと思ったところで、三つの湯呑に少しずつ、順繰りに注ぐ。一杯目に三分の一注いだら、二杯目に三分の一、そして三杯目にまた三分の一、次に戻って……という作業を繰り返す。まあ、これでよかろう。
三杯の湯呑と用意した茶菓子をお盆に載せて、他の二人の所へと持って行く。
「ほれ、佐久良。茶だ」
「あ、ありがとー! ……熱っ!」
「いやお前馬鹿だろ。何ですぐ飲んだ」
熱いのは分かり切ってるだろ。猫舌のくせに……。呆れながら、取ってきた煎餅やら柿の種やらを渡す。柿の種美味いよね。
両手で湯呑を持ってフーフーしながらちびちび飲んで行く佐久良を尻目に、もう一杯の湯呑をもう一人の部員の元へと運ぶ。
「鴛文。茶だ」
「……」
「おーい」
「…………」
「鴛文さーん……」
「………………」
「………………」
反応ナシ。すごい勢いでキーボードを叩く指以外は微動だにせず、鴛文はディスプレイへ向かっている。
チラリと九つもあるディスプレイを見るが、何かよく分からん文字と数字の羅列がズラーッと並んでいて、何かよく分からん。
多分コイツのことだ、またぞろなんかよく分からん『研究』に没頭して、午後の授業サボってここに居たんだろう。担任の苦労が偲ばれる。
溜め息を吐き、熱中する彼女の頭頂部に軽くチョップを喰らわせる。
「あうっ」
「さっきから話しかけてんだから、ちゃんと反応しろよ」
キーボードから手を離して、鴛文は頭頂部を両手で押さえてプルプル震える。そこまで痛くもなかっただろうが。
何食わぬ顔で彼女の机に湯呑を置いた俺を、鴛文は恨めしげな眼で睨んできた。
「うー……女の子に手を上げるなんて、キミ、それでも男かい?」
「礼儀ってもんを知らんヤツに、直接叩き込んでやっただけだよ。ほれ、茶と、お菓子」
「む。……ありがとう」
「どういたしまして」
むくれながら礼を言った鴛文に、俺は頷いて席に戻る。
佐久良と並ぶ小柄な体躯。学校指定の制服の上に、何故か羽織ったブカブカの白衣。その白衣の白と同化するような、新雪のような色合いの髪をロクに手入れもせずに腰の辺りまで伸ばしている。
顔立ちも十分以上に、佐久良と同等ぐらいには整っていて、湯呑からの湯気で曇っている細い赤縁の眼鏡が良く似合っていた。
何で俺いちいち比較対象が佐久良なんだろうか。
チラッと、バリバリと煎餅を食べる佐久良の方へ視線を向けると、?という感じで首を傾げて微笑みかけられた。
「ふぅ……」
息を吐いてから、冷める前に自分の分の茶を啜る。温かい……沁み渡る……。
「お疲れかい、シンヤ?」
「あー……まあ、な。昨日はあんま寝てなくてな」
「ふむふむなるほどなるほど。そんなキミにとっておきのものがあるんだけど」
「?」
訝しむ俺を置いて、鴛文はニヤニヤしたまま机の下の引き出しから、何やら怪しげなラベルの貼ってある小瓶を取り出した。中には大きめの錠剤が詰め込まれている。
「……それは?」
「ボク特製、一錠飲んだだけで問答無用でストレスも何もかも吹っ飛んで全身が元気になるお薬だよー!」
「んなあからさまに怪しいモン、誰が飲むか」
「まあまあ、鴛文印の特製ブレンドだよ。効果のほどは保証するって」
「お前が作ったって言うから安心できないんだろうが。このマッドサイエンティストめ」
「マッドとは失礼な。ボクのことは、天才科学者・プロフェッサー鴛文と呼びたまえ」
と、妄言を吐く鴛文に、俺は冷ややかな視線を送った。
そう、この鴛文莉恵は、紛うかたなき狂科学者なのである。
彼女の机に設置されたコンピューター機器類の全てはその為だけに彼女自ら運び込んだものであり、この部屋のさらに隣には、彼女専用の研究室まである。
そして、何かを作る度に彼女は俺を実験台にしようとしてくる。ごくごく稀に役に立つものを作ることがあるが、圧倒的大多数を占めるのが『すごいけど使い道がほぼない道具』や『見た目からして怪しさ大爆発の薬』などだ。今回のように。
絶対、ただの栄養剤とかじゃない。鴛文が勧めてくるのだから、確かに元気にはなるのだろう。だが、その分副作用とかが怖い。しかもそういうのがあるかどうかを俺で試そうとしてくるからさらに怖い。
やはりコイツも能力者。頭のネジが一本か二本外れている。
だから俺も、コイツの言動や発明品は一部しか信じないことにしている。それが賢い選択というものだ。
しかしこの世には、危機察知能力が全く働かないおバカさんというのも往々にしているもので――
「元気になるお薬かー……。リエちゃん、私にもそれちょうだい!」
「いいよー。…………本音を言えばシンヤの方がいいけど、まあ実験台としては申し分ないかな」
「おい待てコラ」
部長に何飲ませようとしてんだお前。聞こえてんぞ。
無邪気に手を伸ばす佐久良を目で諌めてから、鴛文の持っていた瓶を奪い取る。一応蓋を取って中を見てみると、目がちかちかするような色彩の錠剤と、名状しがたい異臭に埋め尽くされた空気が詰め込まれていた。
即座に蓋を閉めて、俺の机の引き出しに放り込む。最近この引き出しもギュウギュウになってきた。主に鴛文の作った無駄グッズのせいで。
はぁ。溜め息が止まらん……。
不満げな顔をした佐久良が口を開きかけたところで、部室のドアがガラガラと開かれて、一人の女子生徒が駆け込んできた。
「すいません、遅れましたー!」
ドアの枠に手をついて荒い息を吐きながら謝罪したのは、『お悩み部』部員ナンバー4、澄川茉奈美。俺たちの一つ下、一年生の後輩だ。
肩の辺りで切り揃えた茶髪に、榛色の大きな瞳。頼りなく下がった眉と全体的に覇気に欠ける表情から、気弱な性格であると推測できる。
身長は佐久良や鴛文よりも高いが、発育的には……あー、まあ、劣る。本人もそれがコンプレックスらしいが……成長期です。
「ホームルームが長引いてしまって……すいませんでしたっ!」
「いーよいーよー! まだ依頼人も来てないからねー」
屈託なく笑って返した佐久良に、恐縮していた澄川はホッとしたような表情を見せた。
「ありがとうございます、佐久良先輩。あ、すぐにお茶出しますから……って、もう出てます!? 木更枝先輩ですか?」
「ん、ああ」
「すいません、私の仕事なのに……」
「ん、ああ。別に気にすんなって」
ペコリと九十度の礼をする澄川。相変わらず律儀なヤツだ。俺は思わず苦笑した。
さて、澄川も来たことだし、どうせ他のヤツらが来ることはないだろう。ほぼほぼ幽霊部員だし。
まずは茶でも淹れてやるか。思い立って立ち上がり、再び給湯器へと向かう。
「座っとけよ。茶は俺がやるから」
「あ、でも、それは後輩である私の仕事で……」
「いいからいいから」
運動部とかは違うのかもしれんが、ウチの部は特に年功序列とかは気にしない。基本ユルいし。依頼がない日なんて、本気でダラダラしているだけだ。
湯呑を準備していると、視界の端で澄川が鴛文に話しかけているのが見えた。
「あ、あの、こんにちは、鴛文先輩」
「にちはー、マナミたん。……早速なんだけどさ、少し手伝ってもらってもいいかな?」
「お手伝いですか? 私に出来ることであれば……」
快諾した澄川だったが、俺は思った。いい加減学習しろよ、ソイツがまともな頼みごとをするはずがないだろうに。
そして、それは案の定だった。
「はいこれー。ちょっと一錠飲んで感想聞かせてよ」
「え、えっと……あの、このお薬は? 何だか、すごく目に痛いカラフルな色をしているんですけど……」
「これはね、ボクが昨日徹夜で作った、特製の豊胸剤さ!」
「ほうきょ……っ!?」
鴛文の言葉を聞いた澄川が絶句した。ついでに俺も手に持った急須を落としそうになった。
あのバカ、何てモン作ってやがる……。
「当り前だけど、これは女の子しか効かなくてね。ボク自身は別に胸なんて要らないし、ぜひともキミに試してもらいたいんだ」
ちなみにだが、鴛文の胸は平らである。真っ平らである。あるが、別に気にした様子はない。
「な、何で私なんですか……!?」
「だってほら、ヤナちゃんじゃ試そうにも……」
言葉を切って、鴛文はふと視線を別の方向へと向けた。つられて澄川も視線を動かす。
そこには、両手で湯呑を持ってコクコクとお茶を飲む佐久良の姿があった。
正座の状態で首を後ろへ傾けて、最後の一滴まで飲み切った佐久良は、元の体勢に戻って満足げに大きく息を吐いた。
その拍子に、制服の上着を下から押し上げるソレが、たゆんと弾んだ。
「はふー。……ん? どったの?」
鴛文は、首を傾げる佐久良の胸を指差して、
「ほら、ヤナちゃんにはこんなの必要ないでしょ? その点、マナミちゃんは……」
「ほっといてくださいよぉ!」
自身の控えめな胸に面白がるような視線を向けられた澄川は、肩を抱くようにして視線から逃れて、涙目で叫んだ。むごい。
俺は努めて意識しないようにしながら、澄川に湯呑を手渡した。
「……ほら、茶」
「あ、ありがとう、ございます……」
小声で礼を言った澄川の哀愁漂う姿から逃れるようにして、飲み切ったらしい佐久良の湯呑を受け取りに行く。
もう澄川を弄るのは飽きたらしく、鴛文はマイペースにディスプレイに向き直っていた。その指がキーボードの上を踊る。
佐久良から湯呑を受け取ったところで、佐久良に質問された。
「ねぇねぇ、シンヤ。……ホーキョーザイ、って何?」
「………………あー」
どうやらバッチリ聞こえていたらしい。好奇心に瞳を輝かせる佐久良から、俺は視線を逸らさざるを得なかった。
「ねーねーってば、何なのー?」
「お前はまだ知らなくっていいこと」
「むー! 子供扱いしてー!」
「いいんだよ。……お前には必要ない薬だしな」
「え? 何て?」
「いや、何でも」
俺が適当にはぐらかしたところで、部室の――応接スペースの方のドアが、コンコンと控えめに叩かれる音がした。
ウチの部員と顧問に、わざわざノックをして入ってくるようなヤツは居ない。というより紛らわしいのでしないようにしている。
なのにノックの音が聞こえたってことは、
「依頼人だね!」
嬉しそうな佐久良の言葉通り、依頼人で間違いないだろう。
早速動き始める部員たち。澄川が茶を淹れ直して、来客用のお菓子を引っ張り出し、鴛文がのろのろとディスプレイから顔を上げ、佐久良はパタパタと応接スペースへと向かう。
さてさて、今回はどんな依頼が舞い込んでくるのやら。出来れば、そんなに大変じゃないヤツがいい。
そんなことを思いながら、俺はドアへ近付き……あれ何て言うんだろうな、ドアの窪みに手を添える。
そして開け放つと同時、俺は言った。
「ようこそ、『お悩み』部へ」