影から愛しています。
その女はひどく俺を混乱させた。俺は彼女の言動の端々に、俺への好意を感じた。彼女の目はいつも俺に言葉にできない思いを伝えようとしているように思えた。彼女の俺への接し方は、他の男への接し方とは違うように思えた。しかし思えるばかりで、客観的に見て、その証拠はどこにもないのだった。だから直接的な返答をするわけにはいかなかった。婉曲に、それとなく、俺の思いを態度に出して示すしかなかったのだ。
恐ろしくじれったい、苦しみの日々が続いた。彼女は俺のことを愛し、俺は彼女のことを愛しているはずなのに、それを直接伝えることはできない。一線を越えることはできない。しかしあとほんの少し、ほんの少しだけでも彼女がヒントを差し出してくれれば良かった。本当に彼女が俺のことを愛しているのだという証拠を。こっそり俺の手に触れてくれるだけで俺は確証を持つことができたのに、彼女はいつでも思わせぶりな瞳を俺に投げかけて、さざ波を残すだけなのだ。
見かねた様にもう一人の俺が冷たく問いかけた。すべて俺の思い過ごしだとしたら?
俺は心底震えた。俺の心は分裂し、千切れ、また千切れた。疼痛のごとき苦しみが、現実感を伴った堪え難い痛みへと変わった。あの女が俺以外の男に恋しているとしたら、俺はその男を憎むだろう。俺は頭の中に架空の恋敵を作った。そして頭の中で何度も殺した。もう一人の俺がそんな俺を嘲笑し、呆れたようにため息をついた。そしていつの間にか立ち去った。
俺は今日も夜の闇に潜む。
月明かりも街灯も及ばぬ暗がりで、目だけを外に晒している。もはや俺は肉体もなければ輪郭もない非実体だった。しかし俺にはわかる。彼女はいつか気づく。自らの影の中に一対の瞳があることを。そして彼女の瞳は俺に語りかける。
「どうして私の手に触れてくれなかったの?」