無愛想な年上と、未来の仲間
「で、一体どういうことなんでしょう?」
背の低い女子生徒が、腰に手を当て肘を張って三人を見回した。長身の男は壁にもたれかかり、自分は関係ないとでも言うようにそっぽを向いた。もう一人の男子生徒は少し離れた席に座り、両足投げ出している。アリーシャだけがまるで自分が怒られているかのように縮こまって座っていた。
「あ、あの……」
アリーシャは、少女の方を見ながらおずおずと右手を上げた。
「なあに?」
気の強そうな、それでいてどこか涼しげな視線がアリーシャを見やる。
(うっ)
その視線に射抜かれたように、アリーシャは体を丸めた。人の視線には、やはり慣れない。
「全く状況が飲み込めないんですけど」
「ああ、ごめんなさい。えっと、自己紹介がまだでしたね。私はメリル。中等部の2年生よ」
「基本生意気だけど、まあいいやつだから気を悪くしないでね」
すると明るい方の男子生徒が楽しげに口を挟んだ。
「ほら、あなたも自己紹介しなさいよ」
「はいはい。んーと、俺の名前はジュリアン。高等部3年。改めて、よろしく」
「アリーシャよ。よろしくね」
アリーシャは二人が年下だと分かって、少し安心したような気分になる。
「おい、君もだよ」
呼びかけられて、壁際の男はちらりとアリーシャに目を向けると、また視線を元に戻した。
「ダグラス。大学部2年。……これでいいか」
「……よろしく」
(何よこいつ)
アリーシャはそう思いつつ、顔に出さないように細心の注意を払った。
「ダグラス、そろそろ機嫌直したらどうです」
「こいつは、俺の邪魔をした」
メリルに言われて、ダグラスという男は少し表情を崩してからすぐに元に戻す。
でも実際、全く会った覚えもないし。さっきから一体何のことだろう。アリーシャは思い切って口を開いた。
「ちょっと。さっきからいろいろ言ってるけど、一体何が言いたいの? 何のことだか全然分かんないんだけど」
「全く、年上に対してタメ口とは。どんな非常識な人間かと思っていたら、予想通りだな」
「だから、何でそんなこと言われなきゃいけないの? 非常識はそっちじゃ……」
(あれ? 私、何で初対面の人にこんな風に話せてるんだろう)
アリーシャはもともと、人見知りする性格である。それに相手はとことん無愛想な、見上げるほどに大きい男である。
すると言い争いを遮るように、ジュリアンの明るい声がアリーシャの耳に届く。
「それだけじゃ分からないさ。まあ、俺は分かるけど」
「ほら、今朝あなた、講堂に入ってきたでしょう?そのとき舞台にいたのが、ダグラスだったってワケ」
メリルがその後に続いて説明する。
「えっと、それじゃあ」
「そうだ。お前は俺のスピーチの途中で、会場に入ってきた」
そう言って、苦いジュースでも飲んだかのような表情をする。
「お陰でスピーチは失敗し、俺は大損害を被ったというわけだ。どうだ、分かっただろう」
「ちょっと待って。どうしてそれが大損害につながるっていうわけ? 確かに邪魔したのは悪かったけど……始業式のスピーチだったんでしょ」
「だからそのタメ口は何だ」
ダグラスは低音で呟くと、こちらをじろりと睨みつけた。
「ごめんなさい」
鋭い視線で凄まれて、アリーシャはとっさに謝罪する。は背は高いが特にガタイが良いわけではない。なのに、妙な圧力が伝わってくる。
「いいだろ。ここは敬語使わなくていいってことになってるし」
それが逆に面倒なんだ、と言いたげにダグラスはため息をついた。
「始業式はその前。ダグラスが参加してたのはその後のスピーチコンテストだったのよ」
メリルによると、話はこうだった。
毎年各科の成績優秀者が代表に選ばれ、始業式の後の壇上で社会問題などについてのスピーチを行う。会場には官僚や企業のお偉方も集まる、一大イベントらしい。
コンテスト優勝者は学費が免除されたり、有名企業から声がかかったり、みんなから尊敬の眼差しで見られたりとそれはもういいことずくめらしい。
(っていうか、最初からこの子に聞けばよかったわ)
アリーシャは密かにそう思った。
「でも、何でも彼女のせいにするのはどうかと思うけどなー。要はダグラスがそれに動揺しなければよかったんだろ?」
それまで黙って聞いていたジュリアンが口を開く。
「ほんっと。あの後のスピーチ、アリーシャに聞かせてあげたいくらいだわ」
「……」
ダグラスは何も言わなかった。どうやら、上手くごまかしたり冗談で茶化したりできないたちの男らしい。
アリーシャは相手がしゃべらないので、逆に謝る気になった。もっとも、謝る必要があるかは別だったが。
「えっと……とにかくそれは本当に申し訳なかったと思うわ。ごめんなさい」
「……もういい」
少しして、 ダグラスが諦めたようにまたため息をつく。
それにしても、改めて見ても愛想のない男である。吸い込まれそうな黒い瞳に、固く閉ざされた口元。例え笑ったとしても崩れそうにないほどだ。
「それで……この流れでなんだけど、勧誘の話していい?」
沈黙を破って、ジュリアンがそう笑いかけた。
すっかり忘れていた。アリーシャはここに、図書館委員会を見学しに来たのである。
するとジュリアンが概要の書かれた紙をテーブルに置く。
「図書館委員会は、学生の図書館運営への参加を目的として作られた委員会で。活動日は週に二回だけど、目的なく集まって来る人も多いかな。部員は全部で15人くらい。中等部から大学院まで……あと社会人枠の人もいるよ。幽霊部員もいるけどね。主な活動内容は図書の選定会議への参加、図書館運営への意見の提出、広報誌の制作などなど。あとは好きな本と好きな館についてひたすら語り合う」
「好きな館?」
「そう。だってここは、『図書館委員会』だからね」
ジュリアンはさらりとそう言った。アリーシャには、それがとても不思議に感じられた。
「それであなたは、やっぱり本が好きなわけ?」
説明なんてどうでもいい、と言うようにメリルが明るい表情で尋ねる。
「ええ、もちろんよ。むしろ他に、あまり好きなものなんてないもの。家に図書室があってね。そこには物語と、あと図鑑もたくさんあって……」
聞く人が聞いたら、自慢だと思われそうな言い方である。しかしメリルはそれを聞くと、ぱああっと目を輝かせる。
「すごい! 家に図書室だなんて……初めて聞いたわ」
「いつでもいろんな本が読めるなんてそんなの、最高じゃん」
ジュリアンも心底うらやましそうにその後に続いた。そのような反応をされるのが新鮮だったので、アリーシャは少し驚いた。
「ぜひ、図書館委員会に来て欲しいな。歓迎するから」
「ああ。みんなで図書館の運営できるのって、楽しいぜ」
二人は顔を見合わせ、それから明るい笑顔を向ける。
アリーシャは考えを巡らせる。同じ本が好きな仲間がいて、図書館の運営にも携われる。とても、魅力的だった。
「そうね。私も、ぜひ入りたいところなのだけれど……でも」
アリーシャは、近くにいる無愛想な青年をちらりと見た。ただじっと腕を組み、静かに目を閉じている。
「あまり、歓迎されてないみたいね」
それを聞いてダグラスはゆっくりと顔を上げた。
「まあ、気に食わないとは言わなくもないが」
気に食わないんだな、と一同は思いつつ、耳を傾ける。
「だが、ここは図書館委員会。俺が何か言ったって、仕方ないだろう」
「いいの?」
「ああ。委員会活動に、出来れば個人的な感情は挟みたくない。それに」
少しだけ、穏やかな表情を浮かべたような気がした。
「本が好きな者を、俺は拒みはしない」
その言葉が、妙にアリーシャの心に響いた。何のわだかまりもなく、すうっと入ってくる。それは彼女もまた、そういった感覚の持ち主だからだろう。
「分かったわ」
この人は……ダグラスは無愛想だし、あまり得意なタイプではない。いきなり突っかかってくるし。でも、悪い人ではないと思う。
「ありがとう」
アリーシャは、自然とそう口にしていた。
図書館委員会にはたぶん、いろんな人がいて。好きな本もそれぞれ違うだろう。それでも、ここでならやっていけそうな気がする。
「じゃ、決まりだな」
「これからよろしくね、アリーシャ」
後の二人も、アリーシャのそばに集まってくる。
それはこれからこの図書館委員会で起こる事件などまだ想像もしない、うららかな春の日だった。