入学式と、気づかない予感
「どうされましたか、お二方」
困惑しきった二人の上に、突然落ち着いた声が降りかかってきた。
振り返ると、そこには体格の良い紳士が立っていた。その血色は良く、表情からは見せかけではない穏やかさが感じられる。
「おや。もしかして、特別留学枠の方ではないですか」
「え? あなたは……」
数分後、アリーシャたちは広い応接室に座っていた。このような革張りのソファは、もといた国ではあまり見たことがない。つやつやしてるのにふかふかして、何だか変な感じだ。
「改めまして初めまして。私、この学園の理事長のエドガー・ロンズデールと申します」
「初めまして、アリーシャ・イスハークです」
アリーシャは普段の3分の1くらいの声量で応える。初対面はどうしても苦手だ。そもそも初対面の人というのにあまり会ったことがない。
「まあ、そんなに緊張なさらずとも。ごゆっくりなさってください。入学式にはまだ時間がありますからね」
つまりアリーシャたちは時間を勘違いして、上級生たちの始業式に割り込んでしまったと言う訳なのだ。
「本当に、ひどい目にあったわ」
「それはこちらのセリフです。お嬢様がちゃんと時間を把握していないから」
「だって、午後からだとは思わないでしょ、普通」
他の生徒はちゃんと時間を理解して午後に来るわけなのだが。
目の前には、見慣れないデザインのカップに入ったお茶が置かれている。アリーシャは優雅な手つきでそれを手に取り、口に運ぶ。
「おいしいわ」
ふんわりと甘い香りがする。もしかしてバラの花だろうか。
「それはよかった。いい茶葉を仕入れたかいがありました」
そう言ってロンズデールは手を組み、穏やかな笑みを浮かべた。その様子からは、裕福でありながら殺伐とした争いとは無縁な者特有の余裕を感じさせる。これもここが知識の集積と研究を主軸とする学園都市だから可能なことなのだろう。
「それでは時間もありますことですし、ベルクリアと本校のことについてお話しするとしましょうか」
そう言って、ロンズデールはソファーに深く座り直した。
それはかいつまんで話すとこんな感じだった。
かつてこの大陸では、長きにわたる戦争が行われていた。争いが終わり、協定を結んだ両国だつたが、そのころにはお互いの文化が入り交じり、人々の流れも活発化していた。そのちょうど中心に位置する人々の文化の集積地、それがここベルクリアである。
この学園はさらにその中央奥に位置する、国の象徴の一つとも言える存在である。図書館司書を養成する特別科の他に様々な学部・学科があり、最先端の知識を学び、研究を深めることができる。中等部から大学院の12歳から24歳まで、さらには別枠で社会人も入学することができるという訳だ。
まあ歴史のことは本でも読んできたし、学園のことも受験のときに調べたから8割方知ってるんだけど。それを知った上で、憧れてここまで来た訳なのだし。
ロンズデールは話が長くなってしまったことに気づいたのか、ふと時計を見た。
「そろそろお時間ですね。会場までご案内しますよ」
講堂にはもうすでに、多くの新入生が集まっている。
入口まで来たところで、フェイザが一歩下がって頭を下げた。
「では、私はここで」
「え? どういうこと?」
「席にまで着いていったら、さすがにおかしいでしょう。私は後ろで見ております」
「そういうものなの?」
「ええ」
確かに周囲を見回してみても、同伴者はみな後ろの方の席に着いている。
幼いころから、ずっと誰かが傍にいた――本を読んでいるとき以外は。この異国の地で一人になるかと思うと、急に心細くなる。
「そんな、私 フェイザがいないと生きていけないわ……」
アリーシャが瞳を潤ませ、フェイザをじっと見つめる。フェイザもその様子に心動かされたのか、切なげな表情を浮かべた。
「お嬢様……! おいたわしや」
無論、数時間後にはまた再会できるのだが。はたから見れば、きっと永遠の別れのように見えたことだろう。
「……それじゃ、行ってくるわね」
アリーシャは目をこすって顔を上げると、元気に手を振って講堂へと入っていった。
式は滞りなく進み、そろそろ終盤に入るかと思われたころだった。
「ここで、特別枠留学生の紹介をします。名前を呼ぶので、壇上に上がってください」
(何それ。聞いてないわよ)
思いつつも、アリーシャはゆっくりと立ち上がって壇上へと向かった。
特別留学枠というのは毎年5人しか選ばれない、入学時の試験で共通科目とベルクリア語がともに通常の授業を受けるのに問題ないとされてた学生のことだ。つまりアリーシャは、とても頭がいいのであった。
「それでは、一人ずつ自己紹介をお願いします」
そう言って、アリーシャにマイクが手渡される。
その場にいる全員の視線が、アリーシャに集まる。
アリーシャは先ほど間違って入ってしまったときの感覚を思い出し、めまいがしそうになる。
「ねえ、あの左端の子。どこの国かな」
「」
「……結局、注目されるんじゃないのよ」
アリーシャは誰にも聞こえないようにつぶやいた。
そもそも留学生であり、その外見も華やかな彼女は注目されない方がおかしいのだが。
そう思っているうちにもマイクが回ってきた。
(どうしよう。人前で喋るのなんて初めてだわ)
アリーシャは、震える手を握りしめてから口を開いた。
「えっと、初めまして。アリーシャ・イスハークです。
ここに来たのは本が好きで、もっと勉強したかったからで……」
そう言ってから、名前と軽い挨拶だけで済ませればよかったと気づく。
「……よろしくお願いします」
会場には、温かい拍手が起こった。
アリーシャは一つ息をついて、胸をなで下ろした。
(ふう、何とかなったみたい)
こうして入学式を終えたアリーシャは、フェイザの元へと駆け寄った。
「ねえ、フェイザ。どうだった?」
「バッチリでしたよ、お嬢様」
そう言って穏やかな笑みを浮かべる。なんだかんだいって、彼女はアリーシャには甘いのだ。
アリーシャのこれからを考えると、まったく似つかわしくないほどの穏やかな日差しが、彼女たちに降り注いでいた――