適性判断
土曜と日曜の夜をつぶして書いた小説がついに完成した。ぼくはそれをネットで公開しようと思うのだ。
投稿を前に、とりあえずディスプレイに向かって声を掛ける。すると画面の隅にくるくると踊る光の輪が現れた。
「ユニィ、昨日言ってた小説を書き終わったんだけど、見てくれないかな」
そういって頼むと、わかりました、とどこかいたずらっぽい笑いを含んだ声でぼくの電子秘書は答え、さっそく小説を読み込みはじめた。
「あー、だめですね、これは」
そしてものの三秒もしないうちにそう判定が下された。
「うわ、だめかな。けっこう苦労して書いたんだけど」
そうなのだ。現にいまも、ずっとキーボードを叩いていたせいで肩が重い。それに体だけではなく、頭のほうも心なしか疲労感に包まれている。これまでとは違う、慣れないジャンルに手を出したせいかもしれない。──ぼくは初めて純文学小説を書いて投稿しようと思ったのだった。
「まず、長いです。あなたが小説を投稿しているサイトですが、文字数が六千字を超えると読者は減少するというデータがあります。それに加え、この小説自体の文章が硬すぎる。形態素分析の結果、希少語と難読語が平均よりもはるかに多く使用されています。つまりベリー・ハードです。それに冒頭で読者を引き付けるような工夫もない。これではまず、ほとんど読まれないでしょう」
ぼくの電子秘書はふだんからかなりストレートにものを言う。特にそう設定した覚えはないのに、学習と最適化によって自然とそうなってしまったのだ。もちろん日ごろから誰とでも正直に話したいと思っているぼくにとって、特に不満のない状態ではある。
「でもね、ユニィ。これは、いままでの小説とはジャンルが違うんだ。これまではファンタジーやコメディを書いていたけど、今回は純文学なんだ。そのあたりも計算してくれてる?」
「当り前でしょう」
光の輪がわずかに赤みを帯びた光を発する。
「こんなこましゃくれた小説が純文学以外のジャンルで投稿されたら逆に困惑しますよ。あなたが顔を赤らめながらうんうん唸って書いてる様子が目に浮かぶくらいに純文学です」
ぼくの電子秘書はたまにずいぶんとストレートな言い方をする。というか口が悪いときがある。学習と最適化の結果、自然とこうなってしまったのだ。
「つまり、これが純文学ジャンルで投稿されたとしても、ほとんど読まれないことに変わりはないわけです。評価によるランキング入りはおろか、ブックマークが一つ付く可能性すらとても低い」
「そうなのか……」
ぼくは頭を抱えた。はじめて投稿した純文学作品がそんな散々な結果に終われば、ぼくはもう一度書こうという気を失うかもしれない。それなら今回の投稿をあきらめて、次の作品に取り掛かるべきなのだろうか。でも、この作品を捨ててしまうのも惜しい。
迷ったすえに、中間の選択をすることにした。
「それじゃ、ちょっと書き直してみるよ。全体を短くして、冒頭に印象的なシーンを持ってきて。その上でもういちどユニィに読んでもらおう」
「だめです」
光速で否定をくらう。
「だめって、どうして」
「時間の無駄だからです」
「無駄?」
「そうです。残念ですが、あなたは純文学を書くのにはまったく向いていません。テストの結果がそれを示しています」
「テストって、さっきの要素解析のこと?それならなおさら、書き直せばいいんじゃないかな。要はぼくの文章がまずかったわけだから」
ぼくは少しむきになって答えた。こういうとき、いつも冷静な電子秘書が少しうらやましくなる。でもそれにしたって、書き直しくらいしてもいいんじゃないだろうか。いくらぼくの頭脳の出来や計算能力がユニィを下回っていて、いろいろなことを見通せないとしてもだ。
「いえ、違います。別の、もっと単純なテストです」
「別のテスト?」
「はい。さきほどわたしは、この小説がサイト上で評価される可能性はとても低いと言いました。しかしこのことは、作品自体が実際に評価に値しないものだということとイコールではない。わたし自身はあなたの小説そのものにまだなんらの評価も下していません」
「そんな。それなら初めからユニィの思うところを言ってくれればよかったんだよ。そんなケインズの美人投票みたいなメタ的意見でなくてさ」
「ですから、テストと言ったでしょう。問題はそのあとです。あなたはそう言うわたしの意見を受けて、素直に書き直しを提案した。つまり、評価がもらえないと分かって、書いたものに自信を無くしたわけです。作品を計る絶対的なものさしを自分の内に持てていないということです。残念ながら、このようなタイプの書き手は純文学を書くのには最も向いていないと、これまでに蓄積されたデータの統計でわかっています」
ぼくは顔が赤くなるのを感じた。有能な電子秘書に、表情の視認機能まで付いていなくて良かったと思う。
「自慢ではありませんが、あなたの物書きとしての性格はわたしが一番よく理解しているつもりです」
そのとおりだ、とぼくは考える。
「もちろん、こうした純文学風の作品を書き続けることで、ある程度周囲に認められるような筆力は付くかもしれません。しかしそれに時間を割くよりも、これまで通りファンタジーやコメディーといったジャンルで納得いくものを書いたほうが楽しく執筆をつづけられますし、実力も伸びるのです。それに」
目の前の光の輪が、また少し色を変えた気がして、ぼくは目を丸くした。
「わたしはあなたの書くファンタジーやコメディが好きなんです。こんな堅苦しいのではなく。計算や解析とは関係なしに、そう思うんです」
複雑な電子秘書がやっと本音を言ってくれたらしいとぼくは気づいた。そしてこうやって、素直に作品が好きだと言ってくれるのはとてもうれしかった。計算とか解析とか関係なく純粋に──あれ?でもそれって、だめなんじゃないだろうか。
ぼくはそう問い返したくなるのをこらえて、すこしだけ小さくなっている光の輪に声を掛ける。
「ぼくが書き直しをしようと言ったのは、ふだんから君のアドバイスを信頼しているから、そして君に少しでも良いものを読んでほしいと思ったからだよ」
それからぼくは数週間かけて別の小説を書いた。それは日ごろの感謝に代えてぼくの電子秘書のために書いたのだった。彼女はとても嬉しそうに、これならランキング入りも確実だと保証してくれた。
投稿後、予想に反して小説はまったく評価されず、ブックマークも付かなかったが、ぼくはそれを気にしなかった。