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虹の降る街

自分のあの頃を思い返しながらなんとなく書いてみたものです。


 高校の名前は多種多様あることは誰だって学校というものを知っていれば分かっていることだ。むしろ当たり前すぎて考えたこともない人だって少なくない。有名な科学者、歴史上の偉人の名前を冠したり、地元出身のスポーツヒーローや、多額の寄付をした慈善家にちなんで改名されることもある。人名ではなく、歴史上の事件や一部には地名、動物の名前、あるいは子供の名前を決めるような感じで会議で練りだされる校名もある。

 俺「日々谷叶真ひびやとうま」の通う私立拓導高等学校はそういう意味でも無個性ではないかと賛否両論があったそうだが、そんなことは第50期生の一学生である俺にとってはどうでもいい話。自ら道を「開拓」し、社会の未来を「導く」者の育成……だったかどうかは忘れたが、とりあえず校訓とか校名に拘るほど、俺は暇ではない。

 日付、5月8日の月曜日。時刻は10時35分。3限目まであと10分。目の前には中途半端に殴り書きされたノートとなにも書かれていない教科書。俺の状態異常、焦燥感・精神的ストレス。

 一言で表せば、宿題を忘れたのだ。教師来室デッドラインまで10分を切っている。

「あーっ! もうなんでこんなに漢字がわんさかあんねんこの文章!」

 俺の隣で髪の無い灰色の頭をガツンと机の上のノートに頭突きした坊主は「蔵町翔哉くらまちしょうや」。俺の数少ない友達の一人だ。

「そりゃ漢文だから漢字だらけに決まってんじゃん」

 そう言いつつも救済措置ノートをみせた救世主。俺と蔵町は貧困地帯で飢えた子どもがゴミの中で見つけた貴重な食料を貪り尽くすように、予習された漢文のノートを書き写す。教室の蛍光灯が逆光となってその救世主が神々しく見えるが、そんな一瞬に構わず、俺は眼球と脳と手をフルに動かした。

 その救世主の名は「日西陽輝ひにしようき」。地毛が茶髪のメガネ男子だが、性格の明るさはやらかし運動部とそう変わらない(俺にとって)稀なタイプ。

「泉先生(古典の女教師)が怖い先生だと知っておいて、なんで予習しないのか不思議だよホントに」

 日西が呆れつつ、俺らの無様に足掻く様子を楽しげに見ているが、今はそんなことはどうっていい。今に始まったことではないのだ。

「宿題はその直前までやらないのが高校生ってもんや」

 手を止めることなく、蔵町は誇らしく言うが、人はそれを劣等生バカというんやで。いっぺんその坊主頭滝に打たれてこい。

「それ完全に成績悪い奴の考えることだぞ」

 似たようなことツッコんだ日西は教室の時計を見、「時間ないぞー」と親切に教えてくれた。しかし、時間がないことはとうに承知している。

「チックショー! ソラリンのやつ気持ちよさそうに寝やがって!」

 蔵町は教室の一番正面右の席で居眠りしている大柄の男をちらりと見る。髪が少し藍色っぽく、がたいがいい。後姿の上、寝ていて顔が分からないが、認めざるを得ないイケメンのひとりである。

青池蒼空あおいけそら」。このイケメンも俺の数少ない友達のひとりだったりする。ソラリンという仇名の持ち主も、このイケメンだ。

「しょーがないさー、あいつ授業終わった直後に終わらせる派だから」

 俺も今度からそういうスタイルにしようかな。今度っていつだ。

「もー漢文は漢字の暗号だらけでマジで嫌なカンジやで。こんなどっかの渡来人の言語勉強したところで何になるんや!」

 それは同感だ。しかしクッソつまらない駄洒落については絶対触れない。

「嘆く暇あるなら手をもっと早く動かせよ。チャイムと同時にノート回収するからな」

 それはまずい。俺と蔵町の書き写すスピードがぐんと上がった。こんなゲームみたいにスピードが上がるのか。

 いつもこんな速さだったら、勉強も捗るのにとできもしないことを考えながら、なんとか蔵町よりも早く終わらせることができた。2限目に内職でちょいちょいやってたおかげで、デッドラインは免れられた。

 どっと来る安心感は温泉に入った気分とそう変わりない。あくまで極論の話だが。

 最初から白紙だった蔵町は結果として間に合わず、最後のほうだけ書けなかった。悪い予想は当たり、予習していないところに限って指名され、答えられなかったペナルティとして質問ラッシュを浴びることになる蔵町であった。 

 その犠牲のおかげで、今回の授業で当てられる人は少なかった。そう言う意味では蔵町も救世主だ。その眩い坊主頭にお祈りしておくよ。


     *


「あ~終わったで! ホンマなんなんあれ、俺ばっか当てて、泉先生俺のこと好きとしか思えへんわ」

 生徒数が多い為か、やけに広い男子トイレはよく生徒のくつろぎ場となっている。トイレ特有の異臭もなく、先生も全くと言っていいほど来ない、見回り回避ポイントでもあるので、よく携帯電話を使っている生徒が多くみられる。

 4限前の休み時間、そこにいたのは壁に寄り添う俺と蔵町、携帯電話を使っている日西と欠伸をしている青池の4人しかいなかった。

「別の意味で好きそうだけどな」と俺は笑う。まぁ泉先生は黒縁くろぶち眼鏡かけているけども、若いし綺麗で案外スタイルがいい。ドのつくS字と真っ黒な胃をもたなければいい先生だ。

「狙われているな完全に」と日西も笑う。

「次の古典が恐怖やで……次なんやった?」

「数学Aだ」

 素っ気ない答えを出したのは、この中で一番背の高い青池だった。やはり少女漫画が実写化したようなクールスポーティボーイだ。こうして俺たち非リア充組と一緒に居させているのが申し訳ないが、本人から進んで(無言でだけど)俺たちのところに来るから自己責任で頼むぞとよくわからないお願いを脳内で念じた。

「あー、確率やったっけ。あれややこしいからなー」

「そこまで難しくないだろ」

 と言っても、得意ではない。

「まぁ、特に課題とかなんもないし、普通に授業聞いていれば大丈夫だろ」

 とフォローしておくが、日西の一言が俺の胸にさっくり刺さる。

「でも寝たら意味ないよね」

 正直に述べれば、俺と蔵町はよく居眠りする。蔵町は運動部に所属していて、それもバスケ部というハードレベルの部活だから疲れが取れなくて寝てしまうというのは頷ける話。しかし帰宅部の俺はいったい何に疲れてしまっているのか。

「つまらん授業するさかい眠くなるんや」と反論。

「興味持とうとしないから眠くなるんだ」とさらに反論。

「そういやヨーキ(日西)っていっつも真面目に授業受けてるのか?」

 気になった俺は尋ねてみる。青池は個室のドアに寄りかかって目を閉じている。カッコいい立ち絵になりそうだが、そこまでして寝たいなら無理して俺たちのところに来なくていいぞと耳元で息を吹き付けながら言いたい。

「全然。おもしろそうだなって考えて普通にノート取って、話聞いているだけだ。50分ずっとそんな感じだ」

「逆にいえばそんだけずっと授業に集中してるってことだな。半分欲しいよその集中力」

「まずそこらへんの雑魚倒してある程度レベルアップしてから改めて訪ねてこい」

 勉強とクエストいっしょにするな。どこの仙人気取りだよ。

「ちなみに俺の現時点でのレベルは?」

 日西は「んー」と指を顎に当て、

「42辺りか」

 あれ、予想よりも高い。

「なんだよ、結構あるじゃん」

「クラ(蔵町)はレベル45ぐらい、ソラリン(青池)は56、んで俺は67だ」

「おいそれこの間の学力調査試験スタディリサーチの偏差値のこと言ってるよな絶対」


     *


 6限の世界史が終了。寝ぼけ眼を擦りながら、時計を見る。これ以上の授業数はもうないので、やっと恋しい家に帰ることができる。待ってろマイハウス。

「そういや月曜ってバスケ部練習ないよな。剣道部も休みだし……あれ、科学部は?」

「今日は自由参加。大抵来た人も理科室で駄弁っているぐらいだし、基本休みだ」

 日西は帰り支度をしながらそう答える。ちなみに名列番号順で席が配属されているので、俺の前の席は日西だ。蔵町は右から前2番目の席、青池は出席番号1番なのでいちばん端の席だ。

「ヒビヤンは今日部活休みなんか?」

 ヒビヤンとは俺の仇名である。見事なまでに安直なニックネームだが、人の仇名などそういうものだ。名付け親は蔵町とかいう坊主。ちなみに青池の仇名ソラリンもその坊主が名付けた。

「分かっていってるだろ絶対。帰宅部だ俺は」

「あっはははは!」

 あまりにおかしそうに笑うので俺もつられて笑ってしまう。しかし笑いのツボがわけわからないので、この坊主は髪の毛剃ってくるとき、頭についていたネジも一緒に剃ってしまったのだろう。

「じゃー今日は4人で遊ぼうや! どこで遊ぶ?」

「あれ、おまえさっき他のやつらに誘われてなかった?」

 こう見えてもこの坊主、クラスはおろか、他のクラスにまで陣を張っているムードメーカーなのだ。その人気っぷりは性格にもあるが全中バスケ(中学のバスケットボールの全国大会のこと)で優勝し、MVPを獲得している有名バスケット選手だという未だに信じられない事実がいちばんの理由だろう。話題も大体がバスケと家電製品の話だ。

「断ってきたわ。今日はこの4人で遊ぼう思てな!」

 と、歯を出して笑った。

 そういうところは、本当にいい奴だよなと思っていたりする。俺もいっしょに歯を出して笑い返した。

「そうや! ソラリン家で遊ぶのはどうや。ソラリン推薦でこっちに越してきたから一人暮らしやろ? ええか?」

「ああ……いいぞ」

 相変わらずの冷静な対応。暑苦しい坊主と並べて間にガラスでも置けば気温差で結露が出てきそうだ。

「よっしゃ! じゃあ今から行くで!」

「場所はいいけど何しに行くんだよ」

 日西の声が届き、「そうやったな」と踵を返す。

「まぁ、それは一緒に帰るときに考えればいいだろ」

 俺はそう言って、3人と一緒に教室から出た。他に知っているクラスメイトに「じゃあな」と声をかけながら、学校から駐輪場へと向かう。

 澄んだ青空の地平線奥は夕方の前兆がグラデーションとなって、照らす光の色を変える。もう少しで夕刻だ。


 このあとは多分、友達の家に遊びにいって馬鹿騒ぎして、家に帰ってご飯を食べて風呂に入って、宿題して、自由なことをして、また明日を迎えて学校に行って……そんな生活を何度も体験するのだろう。

 こんな平凡な毎日を繰り返している俺たち。平和で、穏便で、何もない、あくびが出る程の退屈な日々。

 誰だって、同じことの繰り返しは退屈だ。つまらなくて、眠たくなってしまう。そんな退屈の中に、俺たちはちょっぴりの刺激を精一杯楽しんでいく。ほんのちょっぴりだけの刺激はたくさんある。けど、基本は変わらない毎日。

 だけど、そんな毎日を大切にしたい俺がいる。

 4月の入学から約1カ月が過ぎ、あの3人を中心に、ある程度話せる友達もできてきた。小さいけど、大事な関係。この先、かけがえのものにならない宝になるだろう。

 みんなのつながりを壊したくない。壊されたくない。いつ、壊れてしまうのかに怯えている。離れてしまわないかと怖れている。

 そんな杞憂つまらないことで悩んでいる俺は、みんなには知られてはいけない障害を患っている。

 あと3か月。8月の8日。

 俺はこの世を去る。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 高校生のクラスの雰囲気が伝わってくるかの様に、場面の思い浮かぶ、文章でした。 繊細な感情が、伝わりました。 [一言] 私は、初心者ですが、感想書かせていただきました。 これからも、頑張って…
2020/03/25 13:46 退会済み
管理
[良い点] 何気ない日常を上手く書いている点。 後は最後に驚かされました。 [一言]  学生の時に思いがちな事の描写に嫉妬w 確かにこうやって数名と話している人が大半でしたわ。僕はボッチ党員でし…
[一言] なんともない日常のヒトコマ。こんな青春の日々は誰にでも思い出深く残っていると思います。 四人の個性が際立っていて、ほのぼのと楽しみましたが、最後のどんでん返しにやられました。「え!?」とびっ…
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