01 プロローグ
俺の名前は佐藤 紳士、二十七歳。名前の通りとっても紳士な無職のナイスガイ……だった。
俺の前には今ひとつの死体が転がっている。しかもこの死体、なんと俺自身の死体なのだ。
ちなみに死体を見下ろす俺には別の体がちゃんとある。外見年齢から察するに十七歳くらいだろうか。元の体に比べるとすこぶる健康な若者の肉体だ。
今朝部屋で目が覚めるとこうなっていた。
理由は分からない。いや、目の前にある俺の体が死んだ理由には心当たりがあるのだが。
毒キノコを食べたことによる中毒死である。
今にして思えばなぜあんなキノコを食べたのかと悔やまずにはいられない。色も派手なオレンジ色をしていたが、なんと言っても形がやばかったからなあのキノコ。
どう見てもチン……いや、雄々しく猛るすごい珍奇なキノコだったんだ。それをついつい喰っちまったのである。
それが死因となったのだろう。目の前にある俺の死体は長い間苦しんだのか、見るに堪えない苦悶の表情を浮かべていた。
そうして俺は死体の前で途方にくれていたのだが、ふとベランダに人の気配を感じる。振り返ってみると、いつの間にか小さな女の子がベランダに立っていた。
その少女を一目見て俺は、一瞬言葉を失った。
死神――俺が少女に受けた最初の印象はそれだった。服も髪も、その頭にかぶるくす玉みたいな帽子まで、全てが真っ白な純白の少女。
顔立ちは人間離れするほどに美しく、普段の俺だったなら、彼女を天使のような少女と思ったかも知れない。だが俺は、彼女の姿になぜか『死』の匂いを感じた。神秘的なまでに白で統一されたその姿も、まるで死に装束ででもあるかのように――
そして全ての色が消え失せたかのような世界の中で、彼女の両の目だけが赤く、強い光を放っている。
「……すみません、中に入れてもらえるでしょうか?」
少女はそう言って、その小さな手で窓をコンコンと叩いていた。
普段の俺なら、ベランダに突然現れた少女を部屋の中に入れたりはしなかっただろう。
だが俺は彼女を招き入れた。自分の死体を見るという異常な状況の中で、俺は思考が麻痺してしまっていたのかも知れない。
そうして俺がベランダの窓を開けると、少女は部屋に入りながら挨拶をしてくる。
「……初めまして。私の名はアマニタ・ヴェルナ。マイセリアドーター……キノコの妖精さんなのです。長いのでマイセリアと呼んでもらっても構いません。少し……お話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」
……キノコの妖精さんだと? 俺の中の少女のイメージが、一瞬にして死神からキノコの妖精さんへとクラスチェンジした。
この娘……とんでもない電波さんだ。やっぱりお帰り願った方がいいかも知れない。俺はヴェルナと名乗る少女をベランダに戻そうと思い彼女の前に立ち塞がる。
「あっ……」
ここでヴェルナが声を漏らした。彼女の視線が俺の下半身に向いていたのでその場所を確認してみると……。
なんと、俺のキノコ君がチャックの隙間からコンニチワしていた。
俺は慌ててヴェルナの顔を確認する。ヴェルナはしばらく俺の股間を眺めた後、無表情のままじっと俺の顔を見つめてくる。
……すごく気まずい。なんとかこの場を和ませないと。俺は表情が全く読めないヴェルナの顔を見ながら考える。
そして至高のアイデアを閃いた。キノコの妖精さんだ!
俺はズボンから出ているキノコ君を両手でつかみ、リズミカルに動かしながらヴェルナへと話しかける。
「僕は珍キノコ。お姉ちゃんと同じキノコの妖精さんだよっ! 僕、お姉ちゃんとお友達になりたいなっ」
どうよ!
場を和ませつつ、ヴェルナに親近感さえ抱かせる完璧な話術だろうこれは。
そう思って再びヴェルナを見ると、顔が小刻みに震えているのが見て取れる。そしてここで、驚くべき事態が発生した。
ヴェルナの被るくす玉みたいな帽子が上から真っ二つに裂け、中から鋭い牙の並んだ、モンスターの口みたいな物が出てきたのだ。
「ファーーーック!」
そのおぞましい口から軽快な声が響いてくる。
「タケリタケは……キノコの仲間じゃないのですよ」
鼻下まであるコートに隠れて見えない下の口からも、ヴェルナは非難の声を上げていた。
そしてモンスターじみた上の口から、煙のような物が勢いよく吐き出される。その煙はめまぐるしく形を変え、鋭い爪を持つ巨大な腕へと変貌した。そして――
「……そんなタケリタケはもげればいいのです」
そう言ってヴェルナは煙の腕を大きく振り上げ、勢いよく俺のキノコ君へと振り下ろした。
「オーマイサーンッ!」
俺の悲鳴が部屋中にこだまする。煙の腕は確実に俺のマイサン(息子)をとらえもぎ取っていた。
あんなするどい爪で攻撃されては可愛い息子はひとたまりもない。俺は恐る恐る自分の息子を確認する。
息子は無事だった。
考えてみれば当然だ。いくらするどい爪がついてても所詮はただの煙だからな。そんなガス状生命体で我が息子が倒せるとでも思ったかこの幼女め。
俺は勝ち誇った顔でヴェルナの顔を見た。だがヴェルナは今の結果に納得がいってないようで驚いた顔をしている。
「ありえないのです。……私の胞子は特別製。普通なら煙が触れた瞬間に内臓が壊死……そのまま死に至るはずなのに」
何それ怖い。
息子とお友達になってよと言ったのは悪かったけど、何も殺すことないじゃん。俺は非難のまなざしでヴェルナを見つめる。
そのヴェルナは、少し考えた様子を見せた後に口を開いた。
「すごく不本意なのですが……やはりあなたが私達の探していた人間で間違いないようなのです。宜しければ……お名前を聞かせてもらっても宜しいでしょうか?」
ヴェルナは俺を殺そうとしたことを謝る素振りもなく名前を尋ねてくる。まあ口振りを見る限り、俺に毒が効かないことは想定内だったのかも知れないが。
ともかくまずは自己紹介だ。
「俺は佐藤 紳士。名前に恥じない素敵な紳士さ」
「そうですか。紳士……変態なのに? ……いくらなんでも紳士はないのですよ。それならまだ珍キノコの方があなたのイメージにはぴったりなのです。……でもタケリタケは珍菌ではあってもキノコではない。そうですね、せっかくなのであなたのことはこれから……珍菌さんと呼ばせてもらうのですよ」
自己紹介したら新たな名前をつけられてしまった。
だが文句を言っても始まらない。それより俺は疑問に思うことをヴェルナに尋ねる。
「互いの名前が分かった所でヴェルナちゃん。君が突然現れた理由を聞かせてもらってもいいかな?」
尋ねると、少し戸惑った様子を見せてからヴェルナは口を開いた。
「はい。私はマイセリア……キノコの妖精さんみたいな物なのですが、実はこことは違う世界からやって来たのです。……目的は毒に耐性のある人間を探すこと。つまり私は……珍菌さんを私達のいる第七世界へと招待するためにこの異世界へとやって来たのですよ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
俺は第七世界についての説明をヴェルナから受けた。まとめるとだいたいこんな感じだ。
まず、第七世界って言うのはかなりファンタジーな世界らしい。地球より文明はだいぶ遅れており、魔物みたいな生き物も闊歩しているのだとか。
ちなみにヴェルナ自身は第七世界の人間ではないらしく、ヴェルナ達マイセリアドーターは百年ほど前に第七世界へと移って来たとのこと。
この第七世界と言う呼び方そのものも、マイセリア達が七番目に見つけた世界という意味なのだそうだ。
そしてヴェルナ達がやって来た時の第七世界はひどい有様で、強大な力を持つ魔王が世界を支配していたらしい。
だがマイセリア達の手により魔王及び魔王軍はわずか七日で滅びる。ヴェルナが言うには「全員毒殺で余裕でした」とのこと。
後に『毒の七日間』と呼ばれる地獄が顕現したかのようなその期間を経て第七世界には平和が訪れたという事だ。
それから百年。
今ではマイセリア達は神様みたいに各地で崇められているということだ。
そういうわけで第七世界は現在平和らしいのだが、マイセリア達は今、積極的に人間と交流を持とうと計画しているらしい。
だがここで一つの問題が持ち上がる。それは毒だ。
マイセリアドーターは大抵の娘が毒を持っている。それも七日間で世界を征服出来るような超強力なやつだ。
これは人と交流を持ちたいマイセリアにとってはかなりやっかいな物である。どうすれば安全に人と接することが出来るかを知ろうにも、それ自体人間と関わらなければ分からないんだからな。
その問題点を解決するために、マイセリア達は毒の効かない人間を呼ぶことを考えたのだそうだ。そうして最終的に、俺に白羽の矢がたったとのこと。
「説明はこれで以上です。……では行きますよ珍菌さん」
「いや待て、話は分かったが俺はまだ行くとは言ってないぞ」
そう言うと、ヴェルナは驚いたような顔で俺を見た。ヴェルナは表情が乏しいので感情を読みづらいが多分本気で驚いている。
……そして彼女はこう言った。
「まさか……この世に未練があるのですか珍菌さん」
いや、うん。さすがに今のはひどいぜヴェルナちゃん。正直言うとそれほどこの世界に未練はなかったりもするし、俺は行かないとも言ってはいない。
だが未練のあるなし以前に、俺には先に処理しておかなければいけない問題があった。
「異世界に行くか考える前に、まずは死体を片づけないと」
「え? 死体?」
俺が言うとヴェルナは驚いた顔をする。そしてすぐ、ベッドで寝かされている死体に気付いてこう言った。
「……殺ったのですか?」
「殺ってねえよ!」
この死体が実は俺の死体であり、死因は毒キノコだろうということをヴェルナに説明する。言ってておかしい所だらけの話だが、ヴェルナは素直にその話を信じてくれた。
「なるほど。……だったら何もしないのが一番なのですよ。現場は触っちゃ駄目なのです。珍菌さんの死体は……警察の人がちゃんと片づけてくれると思うのですよ」
実に冷静な答えが返って来る。そしてヴェルナはさらに言葉を続けた。
「でもその話が本当なら……珍菌さんはこの世界では既に死人ということになりますね。珍菌さん……実は行く当てもないのではないですか?」
ヴェルナは俺が現在抱えている問題をするどく指摘してくる。事実、俺は彼女が現われるまで正にそのことについて悩んでいた。
今の俺には住所はおろか身分証すら存在しない。仮に死体を上手く処理出来たとしても、これから日本で生活するのは厳しい状況だったのだ。
そんな俺の顔を眺めて、ヴェルナは表情を変えずにこう告げた。
「でも私としては都合が良いのです。私は第七世界へと珍菌さんを招待しに来たのですから。珍菌さんに行く当てがないというのなら、この話に乗らない手はないはずなのですよ」
確かに――ヴェルナの言う通りだ。今の俺は日本に居場所がない。そんな俺にとって、異世界への誘いというのは決して悪い話じゃなかった。
俺は異世界への誘いに乗ることを決心する。
「確かにヴェルナちゃんの言う通りだ。分かった。俺は君に付いてくよ」
「うん。……良かったのですよ」
そう言うと、ヴェルナは服の中から琥珀色の液体が入ったビンを取り出した。
「では、これを飲んで下さい。これは私の仲間の力がつまった飲み物なのです。これを飲めば珍菌さんは第七世界にトリップ出来ます。さらに言語系の力も付与されてるので、向こうで会話などに困る心配もないのですよ」
俺は琥珀色の液体をヴェルナから受け取った。
これを飲めば俺は第七世界へと旅立つことになる。そう思うと俺は全身に緊張が走るのを感じた。正直言えば、不安を感じないわけでもない。
だが正直な所、俺はそれほど日本に未練はなかった。
死んでるせいで居場所がないのも大きいが、その前に色々とろくでもない状態だったからな。思い返しても後悔しか浮かばない。だが……。
俺はそうした後悔が心に押し寄せてくるのを振り切るように、差し出された琥珀色の液体を一気に飲んだ。
ろくでもない後悔は、死体と共にこの世界に置いて行こうと思う。持っていくのは明日への希望だ。
俺の前世での後悔は、まとめれば「あの時もう少しだけ頑張っていれば」の一言に尽きる。
だから俺は、今度こそそのもう少しだけを頑張ってみようと心に誓う。
そんなことを考えながら、俺は自分の意識が遠くなるのを感じていた。