ハローニューワールド
かなりかなり久しぶりに更新しました。すみません。
ワシントンD.C ホワイトハウス。
アメリカ本土が正体不明の兵器から攻撃を受けるという未曽有の事態に、大統領は直ちにアメリカ合衆国連邦緊急気事態管理庁(FEMA)に早急に対応するように指示を出した。
それと同時に、【リチャード・ロウ】と名乗る人物からのメッセージが届いた。
——私は全てを奪われた。金も、名誉も、地位も要らない。世界に復讐することが私の全てである。お前たちは、【名もなき男】に滅ぼされる。かつて私達にそうしたように——
匿名のメッセージには、この一連のテロ事件を匂わす写真や、世界地図に謎の印が描かれている画像が添付されており、各機関は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
そして、各機関のトップたちは今、この事態に苦虫を噛み潰したような顔をして、席についている。
疑念、焦燥、保身。あらゆる思惑が錯綜しているが、それは表に出ることはない。透明な水の底、濁った澱みの中で色々なことが起こるのは世の常である。
「今しがた、CIA長官の死亡が確認された。」
重々しい大統領の一言に、会議室の空気が一瞬で凍り付いた。その態度は普通の死に方ではないという事を強調していた。
「まさか…?なぜ…」
「なぜだと?君が一番わかってるんじゃないか?オライリー?」
国家安全保障局(NSA)のマクナマラが、茫然と呟いたロバート・オライリー国防情報局長官に噛みついた。オライリーは心外だとばかりに彼を見る。
「優秀なNSAでさえあの兵器の正体を掴めないとは、ずいぶん悠長だな。マクナマラ。」
「やめないか。」
二人のやり取りを見かねて国防長官が割って入る。
「……そして現在、長官の補佐官だった男の行方が分かっていない。おそらく、長官を殺害したのは補佐官であるエリック・ワイズマンだ。」
ざわりと会議室の空気が揺れた。まさか、そんな近くにテロ組織と関わりのある人間がいたという事実がここにいる全員に衝撃を与えた。
だが、数人が何かに怯えるように一点を見つめている。
「どうやら私の関知していない情報があるようだ。」
大統領がそれを眼の端で一瞥し、世界地図の表示されたディスプレイを見ながら、静かに言った。
「エリック・ワイズマン。いや、リチャード・ロウが何者なのか、私は知らなければならない。」
詭弁の類はもう聞き飽きた。と、白髪を後ろに撫でつけた男が厳かに言う。
アメリカ合衆国大統領、エドガー・ディケンズは、かつて戦闘機パイロットだった頃と同じ鋭い目で卓上に座る彼らを見渡した。
「暗いな。」
エレベーターは地下深くに降りてゆく。上を見ると地上の明かりが遥か遠くに見えた。アケローン河を渡り、地獄を旅したダンテはこのような光景を見たのだろうかと思わせるほど、暗く深い穴は、底知れぬほど不気味で、恐ろしげに口を開けている。地下深くに到達してしまえば、もうアレンからの無線は届かない。ここからは、ワンマンアーミーでやるしかない。
「蝗の王の棲み処……か。」
零は冥い闇を見ながら呟いた。
がくんとエレベーターが動きを止めた。銃口を前に向けて周囲を警戒するが、誰もいない。最低限の灯りが広く冷たい鋼鉄の部屋に薄ボンヤリと灯っているだけだ。フラッシュライトを点ける。かなりの広さだ。おそらく、5、6階建てのビルならすっぽりと入ってしまうだろう。
その中に、大きなコンテナが整然と置かれている。しかも、大量に。
「なんだ?」
うず高く積まれているコンテナを一つ一つ照らす。コンテナの端に描かれていたマークを見て戦慄が走った。
黒い円を中心とした三つ葉のようなマークが、黄色い背景に描かれている。放射性物質を示す、ハザードマークだ。
「まさか……これ全部が!?」
もしこれが全て核兵器となりえるのなら、世界の大部分が死滅するだろう。なんということだ。まさか、こんな亡びた国の地下深くにこんなものがあるとは。零の背筋に冷たいものが走った。もしも、これが目的であったとしたら。
「ここは【保管庫だ】」
暗闇から響いてきた声に、零は我に返った。すかさずその方向へ銃を構える。かつ、かつと冷たい音を立てながら声の主が近づいてくる。その音はまるでアポリオンが自らの長い爪で硬い地面を叩いているような、不気味なものに聞こえた。
「ようこそ。クラフトマン。我が棲み処へ。」
現れたのは、仕立ての良いブラウンのスーツを着た中年の細身の男。顔は整っているのだろうが、一度見ただけでは覚えられないほど印象が薄い。恐らく、それを計算して整形をしたのだろう。しかし、その眼光は、冥く冷たい憎悪が宿っていた。零は用心深く銃口を突き付けながら、「動くな。」とだけ言った。
「【ここ】はかつて東側が使っていた保管庫でね。この小さな国はこういうものを隠すにはもってこいの場所だった。だが、あの独裁者が実権を握った途端、その均衡は崩れ、君たち西側はこの保管庫の存在をかぎつけた。」
ワイズマンは、舞台の上の役者のごとく、大仰なしぐさで言った。
「そして、あの作戦。赤いカナリア作戦と名付けられたそれは、私の父、【アポリオン】の設計者であるミハイル・アドラーを西側へ逃がすこと。ふん。逃がす…ね。作戦は見事に失敗。父は母と妹と共に当局に捕らえられ、生きながらにして焼却された。設計データの行方は不明…そこまでが奴らのシナリオだった。いや、この場所を見つけるための囮と言ってもいい。アポリオンの設計データとこの場所を見つけることが奴らの目的だったのだからね。」
男の声は静かで、慇懃な物言いであるが、ぞっとするほどの怒りに満ちているのが零にも感じられた。ひやりとした空気が、何倍にもなって肌を刺してくるような錯覚にとらわれた。
「前に会ったのを覚えているか?君は実に優秀だった。あの中ではジョエルかクリスあたりが生き残ると思ったが…いや、実に素晴らしい。おや?顔色が変わったな。そうだ。君は【テスト】に合格したんだ。あの作戦から生き残ることでな。」
「……あの作戦はお前の差し金か……?」
「【私だけ】の意志ではないが、結果的には望むべくものが手に入ったといえばいいかな。あれはペンタゴンの総意でもあったからね。しかし…本当に君はよく働いてくれた。【ギルド】のクラフトマンとして、そしてCIA局員2名を殺害した売国奴としてね。」
「貴様…!貴様の下らない茶番で、何人死んだと思ってる!!」
「いやいや、私の目的はもっと大きなものだ。あんなものは幕開けのきっかけに過ぎないさ。だから私は決起した。もう。自分を偽るのはやめだ。」
「ワイズマン!!!」
「その名を呼ぶのはやめてくれないか。虫唾が走る。そうだな、今はリチャード・ロウ(名もなき男)だ。それが私にはふさわしい。」
零の中で、真っ黒な怒りが燃え上がった。この男を今すぐに八つ裂きにしてやりたいほどに怒り狂っていた。
だが、ここで撃てば、奴は別の手段を隠しているかもしれない。それは危険だった。
おもむろにリチャードがぱちんと指を鳴らした。一斉に照明が点灯し、倉庫をぐるりとかこむ二階の足場には10~20の兵士。その銃口は全て零にぴたりと合わされている。
「君も私を、世界を憎んでいるはずだ。そうだろう?大切な人間を無惨な形で失った……まさかここまで来たのはコミック・ヒーローばりの正義感で来たわけではないはずだ。理不尽な力に巻き込まれ、怒っている。だがその怒りを正義感とすり替えているだけだ。実に、実に愚かで短絡的思考だ。それ故に非常に使いやすい。君たちのように忠誠やら仲間やらを大事にしている兵隊はね。」
リチャードの挑発に、零は低く笑った。
「ご高説どうも。別に私はあの国がどうなろうと知ったっこっちゃないし、お前の目的なんてどうでもいい。ここまで来たのは別の理由だ。」
「ほう?」
「お前みたいに陰でコソコソする糞野郎が大っ嫌いでね。だからその面を拝んだ後、ケツにキスしてやろうかと遥々来てやったのさ。糞野郎。」
「君は兵士としては優秀だが、エージェントとしては少々品がない。残念だよ。」
「そりゃあどうも。最高の褒め言葉だ。」
零がくつくつと笑う。だが眼は笑ってはいなかった。寒気のするような殺気に満ちた笑顔だった。
「しかし、残念だ。君のキスを受ける前に、私の目的は果たせそうだ。」
リチャードが、胸ポケットから小さな端末を取り出し、そのディスプレイに指がかかった。零がそれを見て顔色を変えた。おそらく、あの端末からアポリオンを操っているのだろう。零はそれを見て歯噛みした。
「やめろ!!!」
零が止める間もなく、その指は発射を示すボタンを押した。これで、世界中に災厄の槍が降り注ぐ……はずだった。
「……何故だ……? 貴様……何をした!?」
地を這うような慟哭が、倉庫全体を震わせる。その一方で、零のほうは先程の焦りなどどこ吹く風で、ほうっと息をついていた。どうやら、【間に合った】ようだ。
「間に合ったか……私じゃないさ。グレアムの遺志だ。」
彼が最期に遺したたった一つの希望。ワームウッドのオリジナルコード。そして、それを受け継いだアレン。彼らの力がなければ、この場所にすらたどり着けなかっただろう。オリジナルのワームウッドをアレンが改変させた、そのプログラムの名前は、
「スターオブベツレヘム。ニガヨモギよりよっぽどいい名だ」
全てのプログラムに関する干渉を全てシャットダウンさせ、完全なスタンドアロンとさせる、新たなウィルスプログラム。そこに第三者が干渉する隙は一切なく、使い方によっては諸刃の剣となるものであった。
「さあどうする? 素直に投降したらどうだ。私の仲間が続々と駆けつけるぞ。それにお前らも撃ったらどうなるかわかってるな!?当たったら放射性物質が漏れ出すかもしれないぞ!!」
周りの兵士たちに動揺が走った。それと同時に零は駆け出し、リチャードを羽交い絞めにした。このまま彼を盾にここから出ようと言う算段だった。
「……無駄だ。無駄だよ。クラフトマン。君は詰めが甘い。見たまえ。」
持っていたスマートフォンの画面をかざされ、それを見る。自動落下プログラム。これは、アポリオンのものではない。
「アポリオンはいくつか別の衛星とリンクしていてね。そのうちの最も近い一つとランデヴー(結合)させた。その衛星はアポリオンとともに地球へ落下する。この場所を目指して、ね。」
その言葉に、零の背に冷たい汗が流れた。反射的にその首を強くつかみ、怒鳴っていた。
「何分だ!?あとどれくらいでここに落ちる!?」
「…ふふ…そうだな。あと20分だ。さあ、君の健闘を祈ろう。」
リチャードは零のライフルの銃身を自分の顎に引き寄せると、自ら引き金を引いた。甲高い発砲音とともに、リチャードの体が頽れる。零は呆然とそれを見つめて、それから歯噛みした。こいつは元から自殺するつもりだったのだと、己の甘さを呪った。
「クソッたれが!聞いたか!あと20分でこの場所に衛星が落ちてくるぞ!私なんかにかまってる暇があったら、とっとと逃げろ!」
割れんばかりの大音声が響き渡ると、一瞬の静寂の後、蜘蛛の子を散らさんがごとく兵士たちが逃げ出した。
零はアレンと連絡を取るべく、急いで地上へ向かった。
———
「一体、何があったんだ?」
いきなり呼子を何倍にもしたような大きな音がそこら中で鳴り響き、斎藤は耳を押さえながら首を傾げた。そして敵の様子が一変したのをみて、なにかただならぬ事態が起きたのだと悟った。
≪斎藤さん!今零さんと一緒ですか!?≫
「いや、先程別れてからまだ合流できておらん。」
耳元でわんわんと響いた声に顔をしかめながらも、斎藤は答える。
≪早くそこから離れてください!≫
「なにがあった?」
≪アポリオンの高度がどんどん下がっているんです!落下プログラムが発動するわけないのに…どうして!≫
「おい!俺にもわかるように話せ!なにを言ってるのかさっぱりわからんぞ!」
焦りのあまり我を忘れたアレンに苛々と斎藤が言うと、アレンも負けじと怒鳴りつけてきた。
≪だから!その場所にどでかい衛星が落ちてくるんですよ!落ちたら数キロ四方は確実に吹き飛びますよ!≫
早く逃げてください!という声を聞く前に、斎藤は零の姿を探していた。逃げ惑う兵士たちの中に彼女の姿はない。
「零!!」
斎藤の声だけが、騒然とする基地内にこだましていた。
———
「早く、早く、早く!」
アレンは一人、端末の前で格闘していた。恐らくアポリオンではなく、その周りの小さなスパイ衛星がアポリオンと共に落ちようとしているのだと睨んでいた。だが、その衛星を特定するのに時間がかかっていた。このままだと、あと15分。衛星が特定できれば、落下地点をずらすことができるはずだ。
汗がとめどなく流れ、キーボードに落ちていた。47ほどに絞り込んだ衛星を一つ一つ確かめてゆく。エンターキーを押す。違う。これじゃない。
その間にも時間は刻一刻と流れていた。もはや一刻の猶予も許されない。
深呼吸をする。神経を集中させて、キーを叩く。——落下プログラム発動中。
「……これか!」
あと、12分。
———
「ちくしょう!なんでまだ撃ってくるんだ!」
ようやく地上に出た零は、未だ攻撃してくる敵に四苦八苦していた。完璧なコンディションなら後れを取ることはないだろうが、今は満身創痍と疲労であり、更に血が足りていない。ポーチの造血剤とアンフェタミンの錠剤をを噛み砕いていはいたが、そんなものは気休めにしかならなかった。
頭の上を銃弾がかすめた。慌てて顔をひっこめる。
職務熱心なのは感心ではあるが、ここまで熱心にならなくてもよいだろうと叫びだしたいほどだ。
「ああそうか!賞金首だもんな!この守銭奴共が!」
零の首には既に合衆国政府から400万ドルの賞金がかかっている。その情報が広がっていないはずがない。
奪い取ったライフルを撃ち尽くし、ハンドガンだけで応戦する。視界の端に、ジープが見えた。しかし、周りに障害物になるものはない。
何度目かの「Shit!」を吐き捨て、ハンドガンを三発ほど撃つ。弾幕が一瞬途切れた隙を見計らって遮蔽物から飛び出した。そのまま思い切り走る。
あと一歩でジープにたどり着こうとした時、右のふくらはぎに激痛が走った。そのまま路面を滑るように倒れ、弾みで銃が手から離れていった。
「くそ!」
足が動かない。這いずりながら銃に手を伸ばす。が、こめかみに硬い感触を感じた。ゆっくりと手を上げると、髪を掴まれ上を向かされた。強く睨みつけると、銃床で顔を思い切り殴りつけられた。
「動くなよ。動いたら殺す。」
「おい早く逃げようぜ!こんな奴どうでもいいだろ!?」
「お前、こいつには400万ドルの懸賞金がかかってんだぜ?それをみすみす逃すってのか!?」
「マジかよ…じゃあ、連れて行くのか?」
「ああ。連れてく。俺とお前とで山分け……おい、なんだそれ?」
「……え?……あ?ごほっ。」
懸賞金の額に、にわかに沸き立っていた兵士の一人の腹から、何かが突き出ていた。血に濡れた、白刃。
「——俺の相棒に、何をする。」
腹から刃を突き出した兵士は、最後まで間抜けな声を出したまま絶命していった。自分が何故死んだかすら分かっていないかのように。
どしゃりと斃れた兵士の陰から現れたのは、血刀を携えた、異様に鋭い眼差しの男。
「う、うわあああ!!」
もう一人の兵士が恐慌し、ライフルを撃った。だが、恐怖と焦りで照準が定まっていない。男は重心を低くして、滑るように近づいた。
そして、ただ一閃のみ。剣閃すら見えぬ早業であった。
兵士の上半身が地面に滑り落ち、遅れて下半身が斃れた。零はそれを一瞥することもなく、血振いをくれてから近づいてくる男を見て笑った。
「白馬の王子様と言うより、血まみれの狼が来てくれたって感じ。」
「それは、皮肉か?」
「ええ。来てくれたんですね。斎藤さん。」
「お前にこれを返さないといけなかったからな。これは俺の肌には合わん。」
零は笑って、斎藤から銃を受け取った。




