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Lone wolf  作者: 片栗粉
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Here's to you

サハムの血肉は、歓喜で沸き立っていた。


今まで、どんな標的もその黒い剣の前にはなすすべなく斬り捨てられて、戦いというものすら起こらなかった。皆、銃を抜き、銃口をサハムに向ける前に、この世から永遠に別れを告げていた。


中にはナイフで応戦してきたものもいたが、サハムにとってそれはは抵抗ですらなく、赤ん坊が手をめちゃくちゃに振り回すような、そんなものであった。


サハムはカウスとは違い、銃を使うことには不得手だった。


しかし、ナイフや近接戦闘、シャムシールを使わせたら右に出る者はいないほどに成長した。


どういうわけか、彼には【死線】が見えた。


どこを斬れば敵が死ぬか、どう避ければ自分が生き残れるか。


それが手に取るように分かった。


カウスの精密な射撃能力と、サハムの剣技の前に、あらゆる敵がその命を散らしていった。

やがて暗殺者サイレント・キラーとして裏社会で恐れられるほどにまでなったが、サハムにとってはそんなことはどうでもよかった。


自分は兄のために、いや、二人の目的を果たすための武器なのだ。



しかし、淡々と標的を屠り続ける日々に倦んでいたのも事実だった。


心のどこかで、己の力を、技術を最大限に発揮できるような敵を望んでいた。


そして、サハムはこの異国の剣技を遣う男に出逢った。


不思議なことに、この男の【死線】だけは見えなかった。


サハムの変幻自在の剣技に動じることもなく、燃え滾るような殺気を放ちながら、確実に受け止め、そして鋭い斬撃を返してくる。


そうだ。これだ。これこそが俺が求めていた敵だ。


サハムの中の獣が、血腥い咆哮をあげながら、ゆっくりと起き上がった。


――――――


異国の剣士とはこれで3度目の邂逅であったが、前とは明らかに違う剣の冴えに斎藤は内心舌を巻いた。


剣だけではなく、蹴りや拳打、柔術のような技を混ぜながらの攻撃は、非常に読みづらく、戦いにくい相手であった。


今まで幾度となく剣林弾雨の中をくぐりぬけてきたが、ここまでひやりとさせられた相手は西南の役の際に立ち合った中村半次郎以来であろうか。


受け止められた剣を素早く持ち替え、喉めがけて突きを繰り出す。が、男がそれを半身となって避けた。


すぐさま死角から鋭い蹴りが襲ってきたが、それは予想していた。右腕を防御の形に取ると、重たい一撃を受け止めた。右腕がじいんと痺れ、眉を顰める。


その長身から放たれる蹴りは重くしなやかでいて、素早い。力も段違いだ。


痺れる右手を庇いながらどうにか距離を取る。が、一瞬遅かった。


黒い刀身が斎藤の顔めがけて襲い掛かってきた。辛うじて後ろへ飛んで避けたが、避けきれなかった切っ先が右のこめかみに掠り、どろりと視界が半分赤く染まった。


これ以上、長引かせるのは危険だと斎藤は思った。素早さはほぼ互角であるが、力も間合いも向こうの方が上であった。


(後は技と経験の差だな。)


変幻自在の攻撃をいなし、受け止める。鍔迫り合いになった刃同士がギリギリと音を立てる。

上から被さるように剣を交える男の力に、さすがの斎藤も腕が震え、汗が滲んだ。


(力では到底敵わんな……。)


男は何を思ったのか、刃を一旦離して数歩後ろへ下がった。その眼には酷薄な愉悦の色が湛えられ、すぐに死んではつまらない。とでもいうような余裕が見て取られた。


斎藤は呼吸を鎮め、平正眼の構えを取った。だがそれは通常の平正眼とは違い、少しだけ半身となり、切っ先は下がっている。


異国の剣士はその構えを興味深そうに一瞥し、豹が獲物に襲い掛かる寸前のように、黒い剣を構えた。


雪混じりの冷たい風が、二人の間を吹き抜けていく。


(……悪いが、あんたの力を貸してくれ。)


斎藤の剣先が僅かに揺れた。それと同時に、褐色の剣士が強靭なバネをもって一気に距離を詰め、シャムシールを斎藤めがけて斬り下ろす。


その刀身が斎藤の頭蓋を両断しようとしたと同時に、白刃の煌きが稲妻の如く空間を切り裂いた。


黒い影が二つ、雪の舞い散る管制室で交わった。


先に揺らいだのは、長身の影の方であった。


がらん、とコンクリートの床に黒い湾刀が落ちる。


勝負は既に決していた。


だが、サハムは死にぞこないの獣のように歯をむき出して笑っていた。見たものを震え上がらせるような、恐ろしい笑顔をみせながら、ぐらりと揺れた。


斎藤はそれをじっと見つめる。



――三本が一本に見えるように突くんですよ。そうすれば、どんなに力の強い敵も敵わない。



飄々とした若者の声が、斎藤の脳裏に蘇った。


かつて、新選組一番隊組長が一番得意としていた必勝の技。その技は数多の志士達を屠り、稽古の度に斎藤も幾度敗れたかわからない。


その切っ先は、サハムの肉を貫き、肺にまで達した。流れる血が床のコンクリートを染め上げてゆく。


「ぐぅっ……。」


呻き声とともに、夥しい血が喉からあふれ出た。斎藤は深々と刺さった刀身を抜き、その長身が膝をついてから漸く残心を解いた。二人分の荒い呼吸が、冷たい部屋の中に響く。


(悔しいが、あんたのように速くはなれんな。)


かつて見た稲妻の三本突きには程遠い。いたずら小僧のようなしたり顔を思い出し、斎藤は苦笑した。


そして、か細い呼吸ながらも、未だ殺気を放つ手負いの獣に視線を移した。


「あれで倒れぬとは……頑丈な奴だ。」


揶揄ではなく、心からの感嘆を乗せた言葉だったが、男は自嘲めいた笑みを浮かべ、斎藤を見つめた。


「ふ、ふふ。やはり俺の見立ては正しかった。」


膝をついたままのサハムが、掠れた声で言った。


「お前は今までの敵とは違う。俺には解る。お前も俺と同じ、孤狼だ。全てに見捨てられ、そして全てを捨てようとしたが、捨てられない、そんな中途半端な存在だ。」


斎藤は、その傍でじっとサハムを見つめていた。


「俺達は社会的な正義や悪などどうでもいい。全てに報復する。ただそれだけの為に生きてきた……だが、全てを憎み、恨む日々に疲れ果てていたのかもしれない。いつか、この終わらない憎悪の連鎖を断ち切る人間が現れることを願うように、強い奴を求めていた。」


彼は血塗れの顔に、悲しみと少しの安堵を滲ませて言った。獣のような殺気は既に無く、驚くほどに穏やかな声音だった。


「お前は、素晴らしい戦士フェダイーンだ。最期にお前と戦えた事を誇りに思う。」


ゆっくりとサハムは立ち上がる。ごぷりと喉から新たな血が溢れたが、彼は最期の力を振り絞るようにして真っ直ぐに立ち上がった。その後ろには施工されていないエレベーターシャフトがぽっかりと大きな黒い口を開けている。


「さらばだ。異国の剣士よ。お前はお前の信ずる道を行くがいい。それがどんな道であろうとな。」


そして、褐色の戦士は羽ばたくかのように両手を広げ、粉雪とともに漆黒の闇へ落ちていった。


「……見事な最期であった。お主との戦いは生涯忘れぬ。」


斎藤は、少しの間サハムを飲み込んだ闇を見つめた後、踵を返した。

その表情は、勝利の余韻とは程遠く、苦々しいものだった。


サハムの言葉は、アレンが作った自動翻訳マイクで大体は聞き取ることができていた。理不尽な力に家族を奪われ、復讐の為に、全てを捨てて自ら鬼となった幼い兄弟。


サハムの言葉一つ一つが、斎藤の心に鉛のような澱を残した。


平和を謳うほど青臭くもないし、かと言って何が正しいのか、悪いのか、斎藤には分からない。


だが、今この世界で起きている戦は、国や民の為ではなく、憎しみや報復が起こしているような気がしてならなかった。


憎悪と報復の連鎖は、大きな狂気を生み出し続けるだろう。


ならば、自分は、何のために戦っていたのだろうか。憎悪と狂気を生み出しただけに過ぎないのではないのだろうか。


胸の中にぐるぐると黒い靄が渦巻いて、湿った声で囁き始める。


ぎしりと奥歯を噛みしめ、眼を瞑った。



――君にはまだ、やるべきことがあるだろう?


その時、懐かしい声が斎藤の耳に響いた。


もう、遠い記憶。どこにも居場所がなかった俺の、唯一の場所。そして、仲間。


時代に翻弄され、飲み込まれたが、信念の為に戦ったことを後悔したことはない。



――斎藤君。君は……



焼け焦げた若松城の大手門で、彼が言おうとした言葉を思い出す。



――生きろ。そして、己自身の正義と信念の為に戦え。それが茨の道であろうともな。



「土方さん……貴方の言葉の意味、漸く分かったような気がします。」


自分の中の黒い靄がすうっと晴れたような気がした。


そうだ。自分には未だやらねばならないことがある。


腕は立つくせに、自分のことには無頓着で無鉄砲な相棒を死なせるわけにはいかない。


そして、最後までこの戦いを見届けなくてはならないのだ。


粉雪が舞い散る管制室を背に、斎藤は走り出した。



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