Number ten
運命がカードを混ぜ、我々が勝利する。
~ショーペンハウアー~
長い通路からまた長い梯子を上り、漸く地上への光が見えた。梯子を上る体が疲労でいつもより重たく感じる。
残念ながらエレベーターは作動しておらず、このクソ長い梯子を上る羽目になったのは計算外であった。
下を見れば底が見えないほどに高いところまで来ている。少し下から零と同じ黒い戦闘服に身を包んだ斎藤がついてきていた。
「まだ、着かぬのか?」
いい加減うんざりしたというような声がすぐ下から聞こえた。
「もう少しです。」
「なぁ、零……。もしも俺が斃れたときは、構わず先に行ってくれ。」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。万に一つあればですがね。」
それからは、お互い口を利くことはせず、無言で梯子を上り続けた。
梯子を上り終え、外に出ると、そこは荒れ放題になった小さい山であった。周り一面を枯草や蔦が覆い、丁度良いカモフラージュになっている。
ライフルを低く構えて周囲を警戒したが、幸いにも誰もいない。だが、代わりに異様な光景を目にすることになった。
斎藤がそれを見て呆然と呟く。
「なんだ……?あれは……?」
スコープの倍率を上げると、厳重なゲートに、夥しいトラックやAPC。兵士の数は百を超えるだろう。
その向こうには、巨大なアンテナと重厚な造りの建物、そして、ロケットの発射台と思われる装置が並んでいる。
バイコヌールと同じくらいの規模の宇宙基地がそこにあった。
見れば作業着を着た人間が忙しなく立ち回っている。
この基地は、今も稼働中ということだ。
零は小型無線機でアレンに繋いだ。今度は名前ではなく、コールサインを呼ぶ。
「17:44。ドルツヌイ北西部。ライラプスからアトラスへ。作戦開始だ。位置を割り出して彼等に送ってくれ。」
≪アトラス、了解。≫
短いアレンの声が小型の無線機から聞こえる。たった二人だけの最後の戦いが始まろうとしていた。
山を下ると、改めて基地の大きさを思い知らされた。
ぐるりと有刺鉄線を張り巡らされた高い塀が周りを囲み、中はスタジアムが3、4個入るのではないかと言う位広い。
徒歩で建物まで行くのは時間がかかるし、かえって怪しまれるだろう。
そこで、丁度崖下の道を通りかかろうとしていたトラックの車列を見つけた。
中には同じ格好の兵士たちが乗っている。
奇跡的なタイミングに、零はほくそ笑んだ。
身を低くしながら、トラックの車列を追う。
暫くすると車列が停まり、ゲートの前の検問所で検問が行われていた。
細心の注意を払って、車列の最後尾のトラックへ向かった。
「通行証は?」
検問の兵士が言うと、運転席の兵士がカードを取り出した。それを受け取り、カードリーダのスリットに通した。
門の緑色のランプが点滅し、ゲートが開く。
車列がゆっくりと基地の中へ進む。助手席の兵士が何かを咀嚼しているのに気付き、運転していた兵士が声を上げた。
「おい、それ俺のチョコバーだぞ。」
「知るかよ。ダッシュボードに置いてあればそれは共用品だぜ。」
そんなたわいもない会話を聞きながら、トラックは建物へ近づいて行く。
薄暗い車庫は、ひんやりと湿った空気に満ちていた。
「荷物を降ろすぞ。」
兵士二人がトラックから降り、荷台へ向かう。
零たちに緊張が走った。
「うわ!」
一人が荷台を見るなり素っ頓狂な声を上げた。
「どうした!……なんだネズミかよ。おどかすな。」
「5匹もいりゃあ驚くだろ!俺はネズミが大っ嫌いなんだよ!クソ!あーあーこんなに齧りやがって。」
「ほら、行くぞ。飯の時間だ。」
未だぶつくさいう兵士をなだめながら、二人の兵士は車庫を後にした。
暫くして、トラックの下からぬっと黒い頭が現れ、引っ込むと、今度は別の二人の兵士が車体の下から這い出てきた。
「行ったか……。さてと。」
体に付いた埃を払うと、ぐるりと周りを見る。そこはかなり広い倉庫のようだ。車両や武器、糧食などが大量に置いてある。全てにガレオン・インダストリーズの系列会社のロゴが記載されている。
零はそれを丹念に調べると、武器の入っているケースからいくつかの武器弾薬を失敬し、そっと蓋を戻した。
「かなりの装備だ。戦争でもするつもりか?」
「零、誰か来たぞ。」
斎藤の低い声に、零は即座に手を止め、身を隠した。斎藤もそれに倣い隠れる。
「ったく。なんで忘れるんだよ。お前のせいで食いっぱぐれたぞ。」
「あれぇ、おかしいな。多分トラックの中だと思うんだが……」
言いあうような声が聞こえ、二人分の足音が聞こえてきた。
さっきの二人が戻ってきたのだ。
トラックへ戻り、何かを探しているようだった。
斎藤に合図を出し、二人は隠れている場所からゆっくりと移動した。
気配を殺して、背後から近づいてゆく。
零の腕が手前の兵士の顔を覆い、素早く喉にナイフを突き立てる。
それとほぼ同時に、斎藤が刀を抜きもう一人の胸を背中から貫いた。
埃臭い倉庫の中に、鉄錆の匂いが漂う。
死体を隠すと、さっきのトラックへ戻り、ライトをつける。座席の隙間にプラスチック製のカードを見つけた。ゲートを通る際に渡していた通行証だった。
セキュリティパス・LEVEL2と書いてある。
それをポケットに入れると、零はバラクラバをつけるよう斎藤に指示を出して倉庫を出た。
4月だというのに、雪でも降り出しそうな鉛色の雲が空を覆っている。標高が高いのだろう。溶け切らない雪がそこかしこにあった。白い息が目の前で溶けて消える。
「これからは敵地の真っただ中です。絶対に喋らないでくださいね。ばれたら蜂の巣じゃ済みませんから。」
「無論だ。元から無駄口は好かん。」
その言葉通り、斎藤は何も喋らず、黙々と零の指示通り動いていた。刀はライフルケースに仕舞い、カモフラージュしている。
まずは電力供給を切ることが優先だった。アレンのハックしたスパイ衛星の映像から、ここから北東の通信棟へ行き、ウィルスプログラムをアップロードすれば電力の供給システム、そしてセキュリティシステムに侵入できるはずだ。そして、その限られた時間に旧兵器廠の中へ侵入しなければならない。
鉄骨の塔の上に、巨大なパラボラアンテナが見える。目的地は確認できた。
二人は基地内の兵士を装い、通信棟に向かった。
基地の中に入ってからというもの、中の兵士たちの殆どがスラヴ語を話しているのが気になった。
会話程度は何とかなるが、訛りや方言が強い地域の言葉だと難しい。ボロを出さない為にも口を開くのは最小限に留めたかった。
こんな所でドンパチし始めたら、たった二人しかいないこちらが圧倒的に不利だということは目に見えている。
幸運なことに、彼等の持っていたセキュリティパスは、通信棟の扉を開くことが可能だった。緑色のランプが点滅したとき、零はほっと息を吐いた。
重い鉄扉を開けると、鉄骨がむき出しになった構造のエレベーターと、それをぐるりと囲む階段が上へ上へと続いている。空洞の棟内には、ひやりとした空気が辺りに漂っていた。
エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。
金属が擦れ合う音を立てて扉が閉まり、エレベーターは上昇を始めた。
エレベータ内にカメラがないことを確認し、零は口を開いた。
「関係ない斎藤さんを、こんな所まで付き合わせちゃいましたね。」
すみません。と謝る零に斎藤が怪訝そうに首を傾げた。
「なんだ?いきなり。」
「いえ。ずっと、斎藤さんが何者なのかって思ってたんですが、もうどうでもよくなりました。」
斎藤は無言で零を見つめた。
「あの時、雪の中で死にそうな貴方を助けたとき、なんだかずっと前から知ってるような気がしたんです。自分でもよくわからないけど。目覚めたあなたの眼を見て、ああ、同じだと思いました。」
群れから逸れた、孤独な狼のような眼をして。
必死に吼えても仲間はもうどこにもいない。
傷だらけで、一人ぼっちで。
明るい世界に目を背けた、憐れなはぐれ狼。
零がバラクラバの中で小さく笑う。表情は斎藤からは見えなかったが、その目はどこか遠くを見ていた。
「もし、私が途中で任務を遂行できなくなったら……アレンの指示に全て従ってください。」
「断る。」
きっぱりと言い放たれたその言葉に、零は目を丸くした。
「俺も、もう同胞の死は見たくない……お前の背は俺が守る。」
それが、死に損なった俺の役目だ。斎藤は静かに言った。
「……頼りにしてるよ。相棒」
エレベーターは最上階に差し掛かり、ゆっくりと、止まった。
ドアが開かれる。
幾人か兵士がいるようだが、二人の姿は彼等と同じだ。警戒されないよう十分に気を配り、システム制御室に急いだ。
数人の兵士に軽くあいさつを交わしながら歩いていると、斎藤が「待て」と零の背を軽くつついた。
すぐに止まると、通路の曲がり角から聞き覚えのあるアラビア訛りの英語が聞こえてきた。
『ネズミが入り込んだか。よし、3班に分かれて捜索しろ。もし刀を持ったアジア人がいたら、殺すな。そいつは俺が殺る。』
ツインズの片割れ、サハムだ。二人に緊張が走る。数人の兵士達が走り去り、サハムの足音がゆっくりとこちらへ近づいてくるのが分かった。
向こうからこちらは死角になっている。
ここでツインズの戦力を半減させるか、ここはやり過ごすか。二つに一つ。サイレンサー付きのグロックを抜こうとした時だった。
後ろから走ってくる複数の足音が、否応なしに後者を選ばせた。
舌打ちをしたい気持ちを堪えて、さも自然な風に後ろから走ってきた兵士達に混ざる。
「チーフ、ハンスとジェフが見つかりました。ナイフで一撃です。」
もう死体が見つかった。此処の連中は思ったより優秀なようだ。
零はマスクの下で歯噛みした。
「そうか。中央棟の奴らにも知らせておけ。十分警戒するようにとな。ああそれと。」
「はい?」
「後ろの二人。俺に付いてこい。」
予想外の事態に困惑したように斎藤を見たが、英語のできない斎藤は何を言われているかわからなかったようで、不思議そうに零を見返すだけだった。
「了解。」
零は努めて冷静に言うと、サハムの後ろに付いた。斎藤も零の意を汲み、怪しまれないようライフルを手にして後を追う。
かなりの突貫工事で建てられたのか、剥き出しの鉄骨が目立つ通信棟内は、音がよく響く。
今も工事現場の足場のような簡易通路に3人分の足音が響いていた。
「お前達、神を信じているか?」
前を歩くサハムが唐突に言った。その質問にどういう意図があるのか、零は即座に目まぐるしく頭を動かす。
「いいえ。」
短い返事にサハムが鼻で笑った。
「そうか。俺もだ。神などこの世にはいない。運命は自分自身の力で切り開くしかない。俺はそうしてきた。」
低く、地の底から湧き出るようなぞっとする笑い声を上げながら、サハムは歩みを止めた。
「そうだろう?クラフトマン。」
いきなり強い力で零は横に吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。それと同時にガキン!という金属が噛み合う嫌な音が聞こえた。
「やはりな。また会えて嬉しいぞ。異国の戦士。」
黒いシャムシールを銀色の刃が受け止めていた。斎藤が零を投げ飛ばさなければ、首と胴体の二つのパーツに分かれていただろう。
「行け!」
斎藤が叫ぶ。
「迎えに行くまで生きててくださいよ!」
零はそれに叫び返すと、脇に落ちたライフルを引っ掴んで通路の奥へ走り去っていった。
後には、2人の剣士だけが残された。
サハムの剣を弾いた斎藤は、間合いを取って刀を構え直す。
鋭い斬撃が手の痺れとなって残っていた。
『ようやく二人になれたな。存分にやろうじゃないか。サムライ。』
そして、褐色の悪魔が、牙をむき出して笑った。




