デッド・ゾーン
天空は動いても、次なる未来を教えはしない。
~フランツ・カフカ~
「よし。左右クリア。前進する。」
かつてはレンガ造りの建物だったであろう残骸の陰から、零が通りを確認した。
ゲリラの気配はない。が、突然どこからか銃弾が飛んで来る可能性は大いにある。
後ろから、慎重に建物の上を警戒するユーリと、斎藤が続く。
「斎藤さん。これ、一応持っててください。」
零が左腿からグロックを抜き、くるりと斎藤にグリップを向けると、斎藤が首を振った。
「俺は、これでいい。」
「お守りですよ。いざという時にあると便利なものです。撃ち方は……」
簡単な説明をすると、零は固辞しようとする斎藤にホルスターを付けさせた。もしも自分に何かあったとき、少しでも生きて帰れる確率を上げてやりたかった。
彼が何者なのか、そんなことはどうでもよかった。ここまで行動を共にしてきて、敵ではないとは分かっている。少なくとも、人を見る目は衰えていないはずだ。
自分の因果に巻き込んでしまった事を後悔もしていた。
この頑固で素直じゃない男を、こんな場所で死なせたくはなかった。
「撃つときは、心臓を狙うんです。外れてもどこかに当たれば御の字だ。」
零は自分の心臓を指さして冗談ぽく笑うと、斎藤はむすっとして、鉄砲は不得手だ。と呟いた。
「サーモバリックでもぶち込まれたのか?こりゃひでぇな。おい。」
漸く旧大統領官邸まで辿り着くと、ユーリが顔を顰めた。
巨大な官邸はほぼ半壊しており、僅かな壁と、天井は殆ど骨組みしか残ってはおらず、耐火構造のコンクリートですら真っ黒に焼け焦げた状態だった。
「余程民衆から恨みを買ってたんだろうな。」
零が燃え落ちた元大統領の肖像画を見ながら言う。それを見たユーリは汚いものを見たかのように顔を歪めた。
「ああ。酷かったらしいぜ。クーデター時の大統領とその家族の処刑の様子は。銃殺後、死体にガソリンぶっかけてそのまま往来で燃しちまったって話さ。」
いくら憎かったからってそれはクソのすることだぜ。とユーリは吐き捨てた。
もう十年以上経っているはずなのに、未だに嫌な焦げ臭さが漂っている。
「……恐らく、此処のはずだが……。」
零が辺りを見回すが、何も見つけられなかった。
「此処、何かおかしいぞ。」
大統領執務室の前の廊下の床に跪き、斎藤が零に言った。ユーリと零が其方へ向かう。
焦げ付いたカーペットの表面、微かだが、妙に隆起していた。
ユーリが非常用の手斧でその周りを叩き割る。
「やはりな。」
そこには大統領やごく僅かの側近だけが知るであろう非常用の通路の入り口らしきものがあった。目線を床すれすれの所に置くと、うっすらと複数の足跡も見えた。
「アレン。聞こえるか。通路を見つけた。最近使った跡がある。」
≪シグナルはそこから出ています。その先は、ダージニア旧兵器廠に繋がっている可能性が高いです。でも、地下を進むなら、暫く無線は使えません。それを念頭に置いておいてください。≫
「ああ。分かってる。此処まで来たんだ。むざむざ帰ることは出来ないさ。」
ドン!と外で破裂音が聞こえた。
「クソ!追いつきやがったか。おい!先に行け!俺は此処で食い止める!」
ユーリが壁を背にして怒鳴った。既に幾人か入り込んだ気配がしていた。
恐らく、一人で食い止められる人数ではない。だが、零は苦渋の決断を下した。もう一刻の猶予も許されなかった。
工具を隙間に押し込み、てこの原理で無理矢理持ち上げると、ばきりという音がして、重たいハッチのような扉が開いた。
斎藤と二人掛かりで持ち上げると、人ひとりが通れるくらいの四角い穴と下へ続く梯子が現れた。
そこにまず斎藤を押し込む。零もすぐさまそれに続く。銃口を外に向け、辺りを警戒するユーリを見上げた。
「……必ず戻る。それまで生きていろよ!」
「おう。生きてたらズブロッカの15年物を奢れよな!」
ユーリの銃口がさく裂したと同時に、零は地下へ続くハッチを閉めた。
「あの男はどうした。」
「彼は……殿を務めてくれます。追っ手を食い止めるために。」
斎藤の問いに、零は何事でもないように答えたつもりだったが、それが強がりであるともう彼は見抜いていた。
付き合いは短いが、これほどまで濃密な時間を過ごした人間は、後にも先にもかつて散っていった彼等と零だけだ。
顔色、声音で何を考えているのか、斎藤にはすぐにわかる。
零は冷徹なように見えて、仲間を殊の外大切にする人間だと、斎藤は分かっていた。
辺りには斎藤と零の息遣い、そしてくぐもった銃声だけが響く。周りは真っ暗で殆ど見えない。
零はポーチからサイリウムを取り出し、片腕で梯子を掴みながら歯を使って折った。
緑色の蛍光塗料がぱあっと光を放ち、少しだけ視界が開ける。それを2、3本繰り返し、そのうちの一本を下へ落とした。
明るい蛍光色が、下へ下へと落ちてゆく。軽い落下音がかなりの深さで止まるのを確認した。
「ざっと、3、40mってとこかな。足元気を付けてくださいね。」
遥か下の方で光り輝く緑を見ながら、下を見なければよかったと、今更ながら斎藤は考えていた。
「っ、酷い臭いだ……。」
漸く梯子を降り終えると、広い下水道の様な丸い配管の道に辿り着く。だが、中に汚水は満たされていないのが幸いだったが、代わりに白骨化した遺体がそこかしこに転がっていた。
ライトを向けると、その骨の間からネズミなどの小動物が一斉に逃げていくのが見えた。
「この通路、ダージニア兵器廠に繋がっているようですが、詳細は不明です。有事の際の避難路にしていたみたいですね。」
サイリウムを掲げながら、暗い通路を進み続ける。周りには戦闘服や、軍服を纏った物言わぬ屍たちが横たわっている。
「抜け穴か……今も昔も変わらんな。」
「昔も、こんなのがあったんですか?」
「一度、長州志士の桂小五郎を捕縛一歩手前まで追い詰めた事があった。三本木の置屋を張っていたのだが、いざ乗り込むときになって、奴は煙のように姿を消した。」
「なぜです?」
「奴は芸妓の手を借りて、前もって仕込んでいた抜け穴から逃げ出したのさ。用心深い奴だった。とうとう奴を捕縛することはかなわなかったがな。」
斎藤が自嘲したが、零はそれを聞いて、ふと考え込んだ。
「……なぜ、大統領は此処を使わなかったんでしょうね。なにか、まずいことが兵器廠にあったのか……」
「使う前に殺されたか。そんなところだろうな。」
零の後を斎藤が引き受けた。この通路の先に何があるのか、米政府や諸外国の情報機関は血眼になって情報を欲していたはずだ。
だからこそ、大統領がこの通路を使う前に短期決戦に持ち込んだのだろう。
しかし、それ以来手が入った様子がない。それが気になる。調査したが、単なる張子の虎であったということだろうか。
「行き止まりだな……」
緑色の光が照らす方向には、丸い通路を密閉するかの如く、分厚い壁が立ち塞がっていた。
斎藤がサイリウムを持っていないほうの手で、巨大な壁をぺたぺたと叩いた。
「どこかに、通路は……。」
「仕方ない。これで行きましょう。」
零はアレンから貰った試作品のドアブリーチ用小型爆薬を取り出す。小さいがかなり強力で、厚さ数十cmの強化コンクリートでも粉砕できる代物とのことだ。
爆薬をセットし、斎藤を後ろに下がらせた。
合図とともにスイッチを押すと、通路内に凄まじい爆発音が反響し、土埃とコンクリートの粉塵が舞い上がった。
一瞬、視界が灰褐色に覆われ、何も見えなくなる。
その向こうから、赤いレーザー・サイトが幾本もこちらへ伸びてくるのが見えた。
すぐに傍にいる斎藤を引き倒しながら自分も地面に伏せた。
全神経を尖らせる。
3人分の足音、くぐもった声、ガスマスクをつけているようだ。
さらに聴覚を研ぎ澄ませる。
早口の南スラブ語。北海道のセーフハウスを襲った襲撃者と同じ言葉だった。
土煙が晴れる前が、勝負だ。コンバットナイフを抜き、逆手に構える。
黒い戦闘服にブーツを履いた足が、すぐ脇に見えた。
蛇の様な零の腕が万力の如き力でその足を掴み、ナイフが一度閃く。
ひざ裏の靱帯を切断され、地面に伏した哀れな兵士は、自分が襲われたことに気づいたが、それを仲間に知らせることすらできなかった。
首に突き刺したナイフを素早く抜くと、驚きのあまり一瞬硬直したもう一人の隙を見逃さなかった。
くるりと刃先を持ち替えた右手が一閃すると、弾丸のように放たれたナイフは、狙い違わずむき出しの首に突き刺さった。
ものの数秒で、二人の兵士が斃れ、後には斎藤と零だけが残った。
「流石だな。」
斎藤が地に伏した二人の兵士を検分するかのように近づいた。
最小限の攻撃で命を絶たれた死体は、首と足からの出血の他、ほぼ綺麗なままだ。
その手際のよさに斎藤は感嘆のため息をついた。
死体から身元を探ろうとしていたら、その一つから雑音と何者かの声が響いて、二人の間に緊張が走った。
≪Charlie 3-1, odgovor. (チャーリー3-1、応答せよ)≫
2度目のコール音に、零はゆっくりと死体の胸から無線機を取った。
「Kliknite ovde Charlie 3-2 (こちらチャーリー3-1)」
出来るだけ、声を低くして喋る。そして爪でマイク部分を軽くひっかけば、雑音と混ざって聞き取りづらくなり、偽物だとばれる確率が下がる。昔からの先人たちの知恵だ。
≪iskakanje zvuk je ?ula, anomalija ili ne (何か大きな音がしたが、異常はないか)≫
「Nije bitno. Krenuo zid je izbilo samo.Postoji puno buke. Ve?ina ne razumem.
(問題ない。ひび割れた壁面が崩れただけだ。それにしてもノイズが酷いな。殆ど聞き取れないぞ)」
≪Jer ovo je tajna objekata za proizvodnju oru?ja. Ne postoji na?in. Charlie 3-1, homing.
(兵器製造の極秘施設だからな。仕方がないさ。了解だチャーリー3-1。帰投せよ。)≫
「チャーリー3-1了解。アウト。」
無線を切る。独特の訛りが旧ダージニア共和国の人間の発音に近かった。恐らく、北海道のセーフハウスを襲ったのもダージニア国の人間だろう。
ともあれ、彼等が死んだことはまだばれてはいない。これは好機だった。
「彼等の装備を拝借しますか。」
たちの悪い悪戯を思いついたかのような表情で、零が斎藤を見た。仏頂面の彼もまた、にやりと口の端を歪めていた。




