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Lone wolf  作者: 片栗粉
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イスカリオテは誰だ

裏切り者の中で最も危険なる裏切り者は何かといえば、

すべての人間が己自身の内部に隠しているところのものである。


~セーレン・キェルケゴール ~





「随分仲良くなったんですね。あの因業そうな爺さんと。」


ユーリが待つヘリへ向かう途中、零が隣を歩く無口な相棒を見た。その声音にはからかうような色が含まれている。


「言葉は分からなかったがな。だが、言いたいことはなんとなく分かった。」


「へえ?」


「あれは俺たちと同じ、残された側の眼だ。」


「……。」


ぼそりとつぶやかれたその言葉に、零は少しだけ苦しそうな表情を浮かべると、何も言わずヘリに乗り込んでいった。



――――


「さて、行くんだろ?ドルツヌイへ。あそこはまだ情勢も不安定でゲリラの巣窟だぜ? 装備はいいのを持っていけよ。」


ユーリがにやにやと笑いながら言った。なぜそれを知っているのかと声に出す前に、ユーリが口を開く。


「サハロフの旦那は何もかもお見通しさ……おっと、噂をすればだ。 Да(はい)」


恐らく、サハロフなのだろう。ユーリが携帯を取り出し、早口のロシア語で何やら話していると、おもむろに携帯を零に差し出した。


「あんたにだ。」


ユーリから携帯電話を受け取る。スピーカーから、少し酒焼けした美しいバリトンが流れてきた。


≪やあ友よ。私の部下は役に立っているか?欲しい物があったら言ってくれ。後で実費で請求させてもらうがね。≫


「サハロフ。あんたはグレアム達の仲間か?随分耳が早いようだな。」


≪利害が一致しているだけに過ぎんさ。彼のネットワークは世界中にあるからな。私はその末端にあやかっているだけだ。≫


ざらざらとしたノイズと共に低い落ち着いた声が零の耳に届く。


ハーミット【隠者】とは、慈善団体なのだろうか。老人たちの暇つぶしにしては随分と過激なものだ。だが、考える間もなくサハロフが零の疑問に答えた。


≪奴らはボランティア団体ではないさ。きちんとあるべき所から報酬はいただくし、あまり公に事を大きくするには都合の悪い人間がスポンサーにつくことだってある。≫


それを聞いて、零が呆れたように笑った。


「ふん、それじゃあまるでフィクサーだな。」


電話の向こうでサハロフが呵々と笑う。聞いている者の背に脂汗を滲ませるような、迫力のある笑い声だ。


≪事情はミセス……いや今はミズか。ミズ・ストリギナから聞いたよ。彼女は元気かね?相変わらず美しいだろう。顔を見られんのが残念だ。≫


「サラのことか? 伝えておくよ。あんたが会いたがっていたって。 」


≪ははは。いや、遠慮しておく。 それじゃあレイ、私もドルツヌイに向かっている。向うで落ち合おう。≫


「あんたも来るのか?」


サハロフの思わぬ言葉に、零が驚いたように言った。


≪私も、あそこには少なからず縁があってね、いや、因縁と言ったほうがいいか。まぁ、そういうわけだ。隣のサムライにもよろしく伝えてくれ。≫


そういうと、サハロフは通話を切った。難しい顔で何かを考え込む零を、じっと斎藤が見つめているのに気づき、苦笑をもらした。


「サハロフが斎藤さんによろしくですって。」


「そうか。」


短い答えであったが、斎藤の表情が少し明るくなった。あのストリートチルドレンも避けて通るロシアンマフィアの首領を比較的気に入っているようだ。やはり不思議な男だと、改めて思う。


ふと、サラから受け取ったガンケースを思い出した。弾薬や銃器の補給もままならないこの状況下で、かなりありがたい申し出であった。


蓋を開けると、ドイツのH&K社製、G28ライフルがケースの中で静かに出番を待っていた。


「へえ……。」


これはすごい。と感嘆の声を漏らす前に手に取ってその重みを確かめる。G28は半自動式狙撃銃、いわゆる選抜射手マークスマンライフルである。


選抜射手とは狙撃手とは違い、歩兵部隊に属している。彼らは主に800m以内の標的に対して精密な射撃をするために訓練された兵士であり、分隊とともに行動する分、精密さだけではなく素早さも求められる。


グレアム邸での戦闘でも思ったが、彼女の狙撃能力はずば抜けていた。


銃身も、煤一つなく綺麗にに磨かれている。長い間ずっと手入れを怠ることはせず、大切にしていたのだろう。


この一件にケリをつけたら必ず返しに行こう。


零は静かな決意を滲ませて、ガンケースの蓋をゆっくりと閉めた。


――――


モンテネグロ領ドルツヌイ。かつて、ダージニア共和国と呼ばれた場所。バルカン半島の中央部に位置していたダージニア共和国は、20年にもわたって独裁政権が支配していた。


反政府組織の弾圧や、宗教的、民族的排他主義は苛烈を極めており、20世紀の負の遺産を未だ引き摺る国と、国連からは悪の枢軸国として危険視されていた。


ダージニア共和国と隣国モンテネグロは、国境のレアアース採掘を巡って、度々武力衝突を繰り返していた。


しかし、ダージニア空軍がモンテネグロの都市部を空爆したことをきっかけに、国連は軍の派遣を決定した。


これを、第3次バルカン戦争と呼ぶ。


数年間、常に銃声と砲撃音が鳴り響き、数多くの死体と瓦礫の山を積み上げた末、民兵からなる反政府義勇軍が大統領官邸を制圧、戦争は終結した。


統計上の死者は3000人とされているが、実際は1万人近くにも及んだとされている。


モンテネグロ領となって10年近く経とうとしている今でも民族や宗教間の紛争は絶えず、旧ダージニア国の戦災復興は未だ途上のままであった。



灰色の空の下、褐色のジープが走る。


路面はひび割れや凹凸が酷く、舗装されていない場所もあってか、タイヤに巻き上げられた小さな小石が車体に当たるカチカチという音がひっきりなしに聞こえてくる。


その車内で揺られながら、零は灰色に彩られたゴーストタウンを見つめていた。


「……酷いものだな。」


斎藤の視線の先には、砲弾の直撃を浴びたのか大きな穴が開いたマンションらしき建物があった。その壁面は夥しい数の弾痕が刻まれている。周りの建物も同じような有様で、この地域で起きた戦火の激しさを物語っていた。


「ドルツヌイは一番戦闘が激化していた地域ですから。大統領官邸周辺はもっと酷いらしいですがね。」


零が斎藤の視線の先を追うように窓を見つめた。


その時だった。


ボン!という鈍い音を立てて前を走っていたトラックがいきなり爆発炎上した。ジープは衝撃で蛇行を繰り返し、激しく車体が揺さぶられる。


「RPGだ!気をつけろ!左右の廃墟の中にいるぞ!」


ユーリが運転しながら無線で叫び、思い切りアクセルを踏んだ。エンジンがうなりを上げる中、両脇の崩れかけた廃ビルから白い煙を帯びた弾頭が、一直線に路面に向かい、爆発する。


「斎藤さん、伏せていて下さい!」


「わかった……。」


その声と同時に零は窓からライフルを突き出して、銃撃の爆音を響かせた。斎藤が前もこんなことがあったなと言わんばかりに眉をしかめて耳を塞ぎ頭を下げた。



襲撃者は大通りの両脇にある大きく崩れたビルにいるのか、ひっきりなしに銃撃音と爆発がジープを襲い、唯でさえ悪い路面にクレーターを作らんばかりに撃ち込んでいた。


ジープは爆発の衝撃で酷く左右に振られながら、瓦礫の街の中を疾走する。後ろからは改造されたピックアップトラックが数台追ってきている。


「Черт партизанская оба! Не глупи!(ああ畜生!クソ忌々しいゲリラ共が!)」


ユーリがロシア語で口汚く怒声を上げると、思い切り右にハンドルを切り、狭い路地に無理矢理車体をねじ込んだ。


ミラーが吹き飛び、左のライトが思い切り標識にぶつかって粉砕されたが、なんとか車幅ギリギリで走っている。聊か乱暴ではあるがユーリの運転技術は中々のものだ。


瓦礫を弾き飛ばしながら、ジープは路地を縦横無尽に走り回る。その間にも、後ろからはアサルトライフルの銃声が鳴り響き、ジープの外装や窓に銃弾が撃ち込まれている。


鼻先を銃弾が掠めているというのに、斎藤は声一つ出すことなく、酷く冷静だ、と少なくとも零にはそう見えた。いや、気分が悪いだけなのかもしれないが。


銃弾のせいで放射状にひび割れたリヤガラスを銃床で叩き割ると、零は照準を後ろから猛追してきたピックアップトラックに定める。


一呼吸おいて、引き金を絞る。零の肩に重い衝撃が加わる。


銃弾は丁度トラックの運転席側に当たり、トラックが不自然に揺れた。


「よし。」


後ろから金属がひしゃげる様な派手な激突音とクラクションが鳴り響き、零は満足そうに息を吐いた。


路地から勢いよく飛び出すと、驚いた通行人が悲鳴を上げて逃げようとしているのが見えたが、そんなことにかまっている暇すらなかった。


「ああくそ!しつこい奴らだ!」


今度は二人乗りのバイクの群れがエンジン音を響かせて猛然と後ろから追ってきている。全員バラバラの格好や装備ではあるが、手に武器を持っているのはみな同じだ。

その中にはRPG-7を持っている奴までいるようだ。それを見て、零が何かを思いついたようにユーリへ向けて怒鳴った。


「ガソリン缶は積んでるか!?」


運転に集中していたユーリが、ああ!?と怒鳴り返した。


「あるぜ!後ろに積んでるはずだ!」


見れば後部座席の後ろにかなり古そうな20Lジェリカンが積んである。

半ば錆びついたキャップを外し、斎藤が重い鋼板の容器を後ろに投げ落とした。


すでにレティクルは缶の中心に定めている。


揺れる車内にも動じることなく、弾丸は狙い通りに缶のど真ん中に着弾した。


すぐにドン!という爆発音と、ガソリンが燃える臭いが辺りに立ち込める。ゲリラの一人が背負っていたRPG-7の弾頭が爆発したのだろう。


はるか後ろでは、衝撃でバイクもろとも吹き飛ばされた者や、紅い炎に巻かれて狂ったように転がり落ちていくゲリラ達の悲鳴がこだましていた。


「……これで少しは落ち着けるか。」


熱くなった銃身から弾倉を取り出し、替えの弾倉を装填した時だった。ガクンとジープの速度が落ち、ガタガタと異常な揺れを感じた。


「くそ!タイヤをやられたか!」


車を人気のない場所で停めてみると、後部右側のタイヤがバーストしていて、とてもではないが装甲できる状態ではない。スペアタイヤは先程の逃走劇のせいで穴だらけだ。


「ここから徒歩で行くしかないか。ほかの車両は?」


「駄目だ。無線が通じねぇ。さっきの襲撃で散り散りになっちまったからな。だがそう簡単にくたばる奴らじゃねぇさ。」


ジープの中から武器弾薬を取り出しながら、ユーリが言った。


すると、丁度アレンからの通信が来たのに気付いた。彼は別の場所からモニターしているはずだ。


≪大丈夫ですか!?≫


「大丈夫だ。何とかね。悪いが位置を割り出してくれ。ここがどこか見当もつかない。」


周りを見ると、歴史が感じられる石造りの教会や住宅があるが、どれ一つとして無事な建物はなく、どこかしら崩れているようだ。そして、人の気配は全くない。

人の絶えたゴーストタウンで冷たい石造りの建物だけが、静かに風化という死を待っていた。


≪そこはドルツヌイの北西部ですね……そこから4km程西に向かうと旧大統領官邸に着くはずです。そこまでいけば目的地はすぐですよ。≫


「ドルツヌイの北西部か……確か一番の激戦区だったな。道理で人がいないわけだ。」


≪ええ。国連軍の空爆でかなりの死傷者が出ましたからね。あ、そういえば……≫


アレンが何やら電話の向こうでカタカタとし始めた。


「どうした?」


≪CIAの上層部で動きがありました。ちょっと別のルートから情報を得たところ、CIA長官が、殺害されたと。≫


「なんだと!」


衝撃的なその内容に、零は瞠目した。米情報局の中枢を担っている人物だ。どこに行こうと常に護衛がいるはずである。だが、そのあとのアレンの言葉で零はそれ以上の衝撃を受けた。




≪それで、長官付きの秘書官と連絡が取れていないそうです。確か……エリック・ワイズマン。≫


ワイズマン。そうだ。あの忌々しい日の後、病院で零に新しい名前と鎖を与えた張本人だ。その時のことを今一度、思い出す。


「あいつの眼……そうだ。あいつの眼だ。」


灼熱のサバンナで見た、あの燃えるような憎悪を秘めた眼。笑顔の分厚い仮面を被っていたが、それだけは隠せなかったのだ。

口の中が乾いていく。


もしかしたら、イスカリオテはごく近くに潜んでいたのかもしれない。


「アレン。エリック・ワイズマンの素性を調べろ。大至急だ。」


≪分かりました。僕達もそちらに向かってますので。それまで死なないで下さいよ。≫


アレンの冗談で、零を包んでいた動揺が少しだけ晴れた。すぐに電話の向こうの若者に憎まれ口を送る。


「ご心配どうも。こちらには一騎当千のサムライがついてんだ。負けるわけがないだろ。」


「おい!あんたの連れ、顔色悪いけど大丈夫かよ!」


後ろからユーリの声が投げかけられ、振り向くと、今にも吐きそうな面持ちで蹲っている斎藤が見えた。やはりあの乱暴な運転には耐えられなかったようだ。少し休めば大丈夫だろう。


「まぁ、乗り物酔いしやすいのが玉に瑕だがね。」


零は苦笑すると、通話を切った。すぐに厳しい表情に立ち戻る。今の戦力は3人。散り散りになった仲間と合流する時間はない。戦況は極めて不利だ。次にゲリラに襲われたら恐らく無事では済まない。


だが、あの悪魔の様な兵器が再度起動したときに狙われるのは、各国の中枢機関や人口密集地である可能性が高い。


アクエリアス・タワーの二の舞だけは絶対に避けねばならない。


エリック・ワイズマン。彼が何者で、何が目的なのか。


全ての鍵はこの地にある。


そう零の勘が告げていた。


零が灰色の空を見上げる。今にも降り出しそうな空模様だ。タクティカルベストのポケットにスマートフォンを仕舞う。


「行くぞ。時間がない。」


離れたところにいる二人にそう告げると、一行は目的地、旧大統領官邸に向けて歩き出した。



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