Interval~Tower of Babel~
たとえ世界が滅ぶとも、正義は遂げよ。
~フェルディナンド一世 「語録」~
「一体、何が起こったんだ。」
トーマス・ギブソン捜査官は、呆然としながら変わり果てたマイアミ屈指のリゾート街を見つめていた。すでにかなりの負傷者、死者が出ているようだ。
周りにも野次馬らしき人間が大勢押し寄せており、現場の警官だけでは人員が少なすぎて対応しきれていない。
同行してきたマイアミ警察の警官がギブソンを困惑したように見つめた。
「ギブソン捜査官、我々は応援へ行っても……」
「ああ、そうしてくれ。俺は一人でも帰れる。」
ほっとしたように警官は頷くと、仲間数人を連れて人だかりのほうへ消えていった。
「小さい隕石でも落っこちたってのか……?」
薄ら寒い思いで、無惨に窪み、砕けたアスファルトを見る。既にホテルの敷地には立ち入り禁止のテープが張ってあり、ギブソンは立番の警官にバッジを見せて捜査用務であることを告げると、規制線の中へ足を踏み入れた。
「どうだ?現状は……これじゃあ朝になっても帰れなそうだな。」
モール前入口で様子を見ていた中年の黒人警官に声をかける。警官はトーマスに気付くと苦々しげに頷いた。
「ああ。一向に火が収まらないそうだ。崩れるのも時間の問題かもしれないな。」
未だに赤々と炎と煙を吹きだす3本のタワーを見ながら、ひでえことしやがる。と警官は吐き捨てた。
「目撃者か経緯を知っている奴はいないか?」
「おそらく、スカイラウンジにいた人間ははっきり言って絶望的だろうな。ほら、跡形もなくなっちまった。ビルの足下は死体の山だろうが、火が強すぎて近づけないんだ。」
なんてことだ。トーマスは舌打ちした。これではあの911の時と同じではないか。いや、もっと性質が悪いだろう。
無線では、爆弾が爆発した、航空機様のものがビルに突っ込んだなど数々の情報が飛び交っていたが、これは事故の類ではない事は明白だ。
「出来れば現場にいた人間と話をしたいんだが……」
≪B03から04≫
言いかけた時、丁度警官の胸につけていた無線機から通信が聞こえ、トーマスもそれに注意深く聞き入る。
「ちょっと失礼。こちらB04。オーバー。」
≪カジノ付近で生存者を発見。人手が足りない。応援願う。アウト≫
「聞いただろ?生存者だとさ。参ったな、ここは俺しかいないのに。」
「俺が行こう。人手が足りないだろうからな。」
トーマスの申し出に警官はいいのか?と言ってはいたが、その太った身体では100メートルも歩きたくはないだろう。トーマスは「気にするな。ここは頼んだ」と警官の肩を叩くと、さっさとカジノのほうへ歩き去った。
カジノ付近では20人近くの警官や消防士が慌ただしく動いていた。カジノの目の前のロータリーは崩壊を免れてはいたが、その路上にはどす黒い血や肉片が散らばり、黒い遺体袋が所狭しと並んでいた。
それでも足りないのか、並べた遺体には毛布、テーブルクロス、シーツ、果てはスーツのジャケットまで掛けられ、この事態の異常さと凄惨さを訴えているようだ。
「生存者がいるときいてきたんだが!」
酷い光景だ。トーマスはそう思った。忙しく立ち回る警官や消防士たちは埃や煤で真っ黒になっていて、緊迫した空気が場を覆っている。
何回か怒鳴るように言うと、ようやく警官の一人がトーマスに気付き、待ち望んでいたかのような顔で声を上げた。
「ああ、待ってたぞ!こっちだ!」
警官の後に付いていくと、ロータリーの片隅で明るいブロンドの少年が脅えたように毛布にくるまっていた。
歳は6、7才だろうか。仕立てのいいカッターシャツに半ズボンの出で立ちで、腕や足には痛々しい擦り傷を負っているが、大きなけがは無いようだ。
警官の誰かがカジノから引っ張り出してきたのか、赤いスツールに座って、水のペットボトルを抱えるようにしていた。
トーマスは少年に近づき、彼の顔を見上げるような形で膝をついて、できるだけ穏やかな口調と表情で語り掛ける。
「やあ。おじさんはトーマスというんだ。君の名前を教えてくれるかな?」
トーマスはバッジを見せ、まず彼を怖がらせない事を第一に考えた。一人でいるところを見ると、家族とはぐれたのか、あるいは火災に巻き込まれたのか。どちらにしろ、幼い子供には苛酷過ぎる状況だ。
「……スティーブ。」
「こりゃあ驚いた。キャプテン・アメリカじゃないか。握手をしても?」
トーマスが合衆国に住んでる人間なら誰でも知っているヒーローの名前を出すと、ようやく少年、スティーブにほんの少しだが笑みが浮かんだ。煤で汚れた小さな手がトーマスの手を握る。
「何があったのかわかるかな?覚えてることだけ教えてくれる?」
安心させるようにトーマスはゆっくりと問いかけると、スティーブは青い眼を瞬かせて小さくうなずいた。
「雷が光って、それからドーン!って揺れたんだ。大人の人たちは地震だって。でも僕は違うと思った。マイアミでは地震なんて無いっておばあちゃんが前に言ってたから。」
「きみはその時どこにいたの?」
「屋上だよ。スカイラウンジにいたんだ。ママと花火を見てた。」
トーマスは内心驚いた。今は跡形もなくなってしまったスカイラウンジにいたのに大きなけが一つしていない事が。その時は丁度セレモニーが開かれており、避難した従業員の話では500人以上の人間がその場にいたとのことであった。
原因は不明だがそのスカイラウンジ自体が崩落する異常事態だ。そこにいた人間の安否はほぼ絶望的であろう。
「ママを探さなきゃ。」
ママという言葉を発して初めて気づいたかのように、スティーブが不安げな瞳で周りを見た。腰を浮かせかけたスティーブの肩にトーマスが優しく手をかける。
「大丈夫だ。ママはおじさん達がきっと探し出す。」
「ほんと?」
「ああ。だから泣かないで待っててくれ。おじさんは悪い人を捕まえなきゃいけないんだ。何か見たとか、覚えていることを教えてくれないか?」
うるんだ青い瞳で気丈にも見つめ返してきたスティーブを見て酷く心が痛んだ。トーマス自身に子供はいないが、仕事上親を亡くした幼い子供に出会う事も少なくない。そして、何も知らぬまま消えた母や父の行方を問われて言葉を詰まらせたことも。
この言葉が気休めにすらならない事も分かっている。虚しさも散々味わってきた。
この事態が何者かによって引き起こされたのだとしたら。
それを考えると、トーマスは猛烈な怒りが胸の中に燃え上がるのを感じた。
絶対に、犯人に裁きを受けさせる。それがだれであろうとだ。
「サムライのおじさんが僕を助けてくれたんだ。」
「サムライのおじさん?」
意外な言葉がスティーブの口から出て、トーマスは面食らった。スティーブは小さな手を懸命に動かしながらその時のことを説明する。
「空が光って、地震が来て、皆怖がってた。僕はママを探してて、転んじゃった所をおじさんが助けてくれた。言葉は分からなかったけど、優しかったよ。」
「どうしてサムライってわかったんだい?」
「だってカタナを持ってたもの。かっこよかったよ!ライジング・ZANみたいだった!」
最近ティーンの間で流行っている日本の侍をモチーフとしたヒーローアニメの名を出して、スティーブは興奮気味に言った。トーマスはスマートフォンを出して画面を少年に向ける。
「こんな感じの人かな?」
「うん!そうだよ!」
クイーンズのダウンタウンのカフェ付近の監視カメラに映っていた画像だ。テラスに座った細身の東洋人の姿を見て、スティーブはあっさりと肯定した。
トーマスの中に疑問が渦巻く。あの男はコールマンとつながりがあるのか。何故ここにいたのか。そしていったい何者なのか。
「あれ?」
不意にスティーブが声を上げた。しきりにズボンのポケットを気にしているようだ。
「どうかしたかい?」
「ポケットの中に何か入ってる。」
小さな手がつまみ上げたものは、折りたたまれた白い紙だった。身に覚えが無いのか、スティーブは小さな頭を傾げている。
「おじさんに貸してくれるかな?」
「いいよ。はい。」
メモを開くと、何やら書いてあるが、その文字は英語でもドイツ語でもなく、中国語のようにも思えたが、残念ながらトーマスには読むことが出来なかった。
「これ、おじさんにしばらく貸してもらえるかな?必ず返すから。」
「うん。いいよ。おじさん、悪い人を捕まえるんでしょ?頑張ってね。」
「ありがとう。」
その言葉を聞いて、トーマスの胸に熱いものがこみ上げた。必ず、真実を明らかにしなければ。
スティーブを救急隊員の元へ送り届け、トーマスはすぐに遠く離れたニューヨークにいる相棒に電話をかけた。コール音さえも鬱陶しいというように、じりじりと足踏みをする。8コール目でようやく出た。
「おいデイヴ。3コールで出ろって散々教えただろう。で、何か出たか。」
≪ちょっと、かけて来て早々それですか。こっちはこっちで忙しいんですけど!≫
「こっちだってキングコングとゴジラがいっぺんに来ちまったかのような有様だ!御託はいいからさっさと結論を言え!」
≪怒鳴らないで下さいよ!もう。ガレオン社の件ですが、妙なことが。とある筋から金の流れを追ってたんですが、明らかにどの部門にも属さない使途不明金が4千万ドル。ガレオン社の子会社の口座に入っているのがわかりました。≫
4千万ドル。それを聞いてトーマスは小さく呻いた。
≪以前、ウォール街の金融機関にサイバー攻撃があったでしょう?≫
「ああ。覚えてる。」
あの時は、別件の連続猟奇殺人を追っていて詳しいことは分からなかったが、被害総額が大きかったため、かなり局内が騒然としていたのは覚えている。
≪何回かに分割されて送金されていたのが、その数週間後。それで、気になって調べたんです。その子会社、社内システムなどを開発する会社なんですが、その中に気になる人間が。≫
誰だ。トーマスがそういう前にディスプレイに画像が転送されてきた。長い髪のその男は、ドラッグバーにたむろするジャンキーと間違えそうになるほど病的な顔だ。
「こいつは?」
≪名前はビリー・スパイク。経歴を見たら驚きますよ。もとはフリーのハッカーだったみたいですが、CIAの情報戦略室に所属していた記録がありました。≫
「ほう?お前と同じような経歴だな。」
その言葉にむっとしたような声でデイヴが反論した。
≪僕はこんな風に痕跡を残したりしません。彼はどちらかというとウィルス作成のプロだったようですね。ギーグの掲示板やSNSを悉く当たった甲斐がありましたよ。≫
「ウィルス……。」
嫌な予感がトーマスの脳裏をよぎった。
≪ワームウッド。今はトランぺッターと称されているようですが、ここ最近、ボヘミアンと呼ばれるクラッカー御用達のサイトでそのウィルスコードがばら撒かれている形跡がありました≫
「なんだと!?」
≪クラッカーたちがそれを使って政府や行政、インフラ制御のシステムにハッキングをかけていたとしたら……。≫
アレンが悔しそうに呟く。トーマスはそれを遠くで聞いていた。何かが欠けているような、そんな気がした。
ワームウッド(ニガヨモギ)。トランぺッター。いずれも聖書に出てくる単語だ。この裏にいる人物は、どでかい何かを引き起こそうとしてるのではないだろうか。
死んだブライアン、ガレオン社、アレクシス・コールマン。彼らを繋げるものはなんだ。
まさか。トーマスは自分の思い立った結論に狼狽えた。
「デイヴ。少し頼みがある。これはかなりヤバいヤマだ。」
それでもいいか?という言葉を待たずにアレンが笑いながら答えた。
≪何言ってんですか。今更。弾丸トーマスって呼ばれてるくせに。 それに僕ならエリア51の住所だって5分で調べられますよ。≫
若い相棒の頼もしいその言葉にトーマスは自然と笑みが浮かんだ。そうだ。何を迷う必要がある。
「生意気言うな。この野郎。…まあ、その、ありがとうな。」
≪……なんですかいきなり。もう切りますよ。やらなきゃいけないことが山ほどあるんで。≫
「あ! ちょっと待て! もう一つ頼みがある。これを解読できるか?俺にはさっぱり読めない。」
照れからか、そっけない態度で通話を切ろうとするデイヴを慌てて引き止め、スマートフォンのカメラにスティーブのメモを近づけた。フームという声がして意外な言葉が出た。
≪多分……日本語ですかね。それも現在使われている表記ではなく、かなり古い表記だと思いますけど。≫
ボールペンらしき字で書かれたそれは、漢字とカタカナで書かれており、見るものが見ればかなり達筆だと分かるだろう。
「悪いが、翻訳できるか?」
≪スタンフォードに日本語の古典を研究している知り合いがいますから、聞いてみます。≫
「すまんな。俺はこっちの調査と引継ぎを済ませてからすぐに帰る。」
≪ニュースで見ました。酷い有様ですね。こっちでも何か掴んだら連絡します。≫
通話を切ると、トーマスは改めてタワーの方を見上げた。半ば崩れ落ち、赤々と燃え盛るタワーは、まるで……
「バベルの塔って事か。神様気取りのクソ野郎が。絶対に引きずり出してやる。」
そう低く呟いたトーマスの瞳には、その怒りを表すかのように、吹きあがる真っ赤な炎が映し出されていた。




