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Lone wolf  作者: 片栗粉
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レクス・タリオニス

死者だけが戦争の終わりを見た。


~プラトン~

ヘリ内の硬い椅子に腰かけると、酷く疲れたように斎藤が息をついた。


『二人とも無事か?』


引き上げた兵士がロシア語で話しかける。バラクラバをまくり上げたその顔は、右眉の辺りにに深い傷があり、より凶相に磨きがかかっている。


『大丈夫だ。済まなかったなユーリ。無茶を言って。』


『お前たちに協力しろとボスの命令だからな。』


ユーリは仏頂面で言うと、ふいと顔を背けた。サハロフから不愛想な奴だが優秀だと聞いてはいたが、その通りだと零は小さく笑った。


前はスペインの民間軍事会社に所属していたらしいが、詳しい経歴は不明だ。あまり自分のことは語らないらしい。


だがそんな事は些細なことだ。確実な仕事、そして結果が出せる人間ならそれでいい。零はそう思っている。


「斎藤さん。あの子は?」


メディックに介抱されている金髪の少年を見て、零が斎藤に聞いた。少年は未だ気を失ってはいたが、命には別条はないとのことに斎藤は安堵したようだった。


斎藤自身も着ていたスーツはボロボロに成り果てて、頬には白い絆創膏が貼られている。見ているだけで痛々しい有様だ。


「あの惨事の中生き残った子供だ。母御は……手遅れであった。」


悔しそうに眉を寄せる斎藤の肩に手をかける。


「……やるべきことをやったんです。それに今は後悔している時じゃない。」


「空が光った。稲妻が走った様なそんな光だった。その後にあんな事に……。あれは……なんなんだ?」


その言葉に零が険しい表情になった。


「一度目からどれくらいの時間で空が光ったかわかりますか?」

「……わからん。だが、そう時間はかからなかった……気がする。」


「アレン。あれの正体はわかったか?」


零が無線機に問いかけると、すぐに応答が来た。


≪ええ。転送して貰ったビリーのデータと、前のブライアンのメモリからとんでもないことがわかりましたよ。≫


もったいぶった言い方に、零が苛々と舌打ちした。


「前置きはいい。結果だけ言え。」


≪その名も、ローカスト計画。ガレオン社と米政府が極秘裏に進めていた計画です。≫


ローカスト。蝗という意味だ。零はビリーがその名前を口にしていたのを思い出した。それが何を意味しているのか気づき、更に顔をしかめた。


「だから、【アポリオン】……か。」


アポリオンはヨハネの黙示録に登場する奈落の王で、天使が吹くラッパとともに現れ、蝗の群れを率いて人々に5か月間、死さえ許されぬ苦しみを与えると言われている。


アレンのあきれた様な声音が無線機から響く。


≪ええ。悪趣味な名前ですよ。こんな名前を付けた担当者の顔が見たい。≫


「これはミサイルではない。そうだろう?」


≪アポリオンは、タングステン、チタン、ウランからなる金属棒に小型推進ロケットを取り付け、高度1000kmの低軌道上に配備された宇宙プラットフォームから地上へ投下。落下中の速度はマッハ11に達し、迎撃はほぼ不可能。今の技術では核兵器には程遠い威力ですが、十二分に脅威になりえます。≫


「衛星軌道上からの攻撃……か。地球上のあらゆる場所が標的になるんだ。パワーバランスの崩壊なんて生易しいもんじゃない。」


文字通り、黙示録が始まるだろう。零はグローブに包まれた拳を無意識に握りしめた。


「奴らの目的が何であれ、次の発射は絶対に阻止しなければならん。グレアムの遺志を引き継いだ私たちがな。」


≪そうですね。その通りです。……もう一つ、斎藤さんと接触があったこの男ですが……≫


端末に、斎藤と刃を交えたあの男の画像が映し出された。


≪ほとんど情報が無いんです。あるのは、【ツインズ】という通り名だけで、詳細な情報はほとんど……≫


『こいつは、【ツインズ】の片割れか?』


隣にいたユーリが、画像を見てつぶやいたのを見て、零が端末をユーリへ向けた。


『ユーリ、何か知っているか?』


『そこまで知ってるわけじゃないが……昔リビアでの掃討作戦で見たことがある。あの時は味方だったがな。姿形から全て瓜二つで表情も何もない、不気味な奴らだった。一人はバカでかい対物ライフルで狙撃、もう一人は変わった剣とナイフで正面から突っ込んでいく。正気の沙汰じゃねぇ。』


気味の悪い幽霊と出会ったかのようにユーリが言った。


やはりあの時ビリーを撃ったのは二人組のうちの一人だったのだ。一人は狙撃、もう一人は近接攻撃。暗殺にはうってつけの人材だ。


≪それと斎藤さんの記録映像から、気になるものが。≫


続いて零と別れてからの斎藤の映像が転送される。褐色の紳士と接触するところから、ビルの崩壊の瞬間までが克明に映し出されている。。


「訛りがある。アラブ系ではあるが……!」


ある場面で零が何かに気付いた。


『……タウス・マーレクの導きだな』


その言葉に零はピンときた。


「タウス・マーレク……ヤジディ教のクジャクの姿をした天使か。」


斎藤が前に立ち合った時に白檀の香りを嗅いだと聞いて気になっていた。


クルド人はよく白檀と沈香の香を焚くと昔ヨルダンで出会ったクルド兵に聞いた事を思い出したからだ。


ヤジディ教はイラク北部において信じられているクルド人の民族宗教で、長い間、イスラム過激派組織に迫害、虐殺されてきた。


その迫害の歴史は、苛烈で、凄惨なものであるが、未だ、彼らに対する救いの手は差し伸べられていない。


零の胸の中に、苦いものが広がった。


「零、あの子供はこれからどうなる。」


斎藤が少年を見ながら不安げに声をかける。こんなに傷にまみれ、死地の真っただ中から生還したというのに、他人を気遣えるその優しさが甘いと思う一方で、羨ましくも感じた。


「大丈夫。あの子は地上の救急隊に任せましょう。ここからは連れていけない。」


母親が死んだのは気の毒だが、自分たちにはもうこれ以上何もできない。そう言外に滲ませて、零は斎藤を見た。


「そうだな……。」


穏やかに呼吸を繰り返す小さな頭に、斎藤はそっと手を乗せた。


ーーーーーー



30分前。合衆国バージニア州ラングレー。CIA長官室。


「一体どうなっている!」


パソコンの画面の前で、CIA長官であるレイモンド・シアーズは声を荒げた。


ローカスト計画は様々な問題により凍結していたはずであった。だがそんな事よりも重大なのは、それが合衆国本土を攻撃したということだ。


シアーズは怒りに震える手を抑えようともせずに、拳をデスクにたたきつけた。


「議会で……いや大統領にどう説明すべきか……。」


大統領府も知らない極秘プロジェクトだ。知っているものはCIAとペンタゴンの上層部、それと数人の上院議員だけだ。これが露見されれば唯で済むはずが無い。


「長官。国務長官からお電話ですが。」


「後にしろ!」


どんな時も常に冷静で忠実な補佐官の声に、無性に腹が立って怒鳴りつける。


いつもはその言葉を忠実に守り退室するのだが、その気配が無かった。険しい表情で出て行けと言おうとした時だった。


「エリック……?」


「長官。残念ですが、後はもうないのですよ。」


顔を上げたシアーズが見たのは、どんな時も陰からシアーズを支えてきた、忠実で有能な補佐官、エリック・ワイズマンであった。


彼の手には、黒いサイレンサー付きの銃が握られ、銃口はピタリとシアーズの眉間に向けられている。


「なんの真似だ。エリック。」


「ミハイル・アドラーという名前を憶えていますか?おそらく貴方は出世に忙しくて覚えていないでしょうね。」


「ミハイル……?まさか……。」


シアーズの顔色が変わった。エリックは相変わらず生真面目そうな顔で淡々と答える。


「あの狂った独裁者に支配された国がまだあった頃。あなた方のつまらぬ意地と目先の利益で、一人の科学者とその家族が処刑された。」


眼鏡の奥の眼が不気味な光を放ち、シアーズを見つめた。それは、長い間燃え尽きる事のなかった復讐心が、熾火から業火に変わる瞬間だった。


ダージニア共和国。東ヨーロッパの片隅にあった、もう地図にはない国。かつて独裁政権が支配し、周辺諸国と武力衝突を繰り返したのは20年以上前のことだ。


「アポリオンは、その科学者の設計でした。」


感情のない瞳が、脂汗を滲ませるシアーズを見つめた。


「あなたが東欧部門の作戦担当官だったことは存じ上げています。その作戦を承認したのが当時長官だった現副大統領ということもね。 」


「君は……彼の……?」


呆然とシアーズが呟いた。ミハイル・アドラー。ダージニア共和国の研究施設で宇宙開発に携わっていた科学者だった。


著名な科学者でもあり、ノーベル化学賞を最年少で取った科学者としても知られていた。


人類が月に到達して既に40年だというのに、未だ宇宙開発は黎明の途中であるが、アドラーの研究がそれを大きく前進させたと各科学誌には大きく報じられた。


そんな時、東欧の小国、ダージニア共和国で軍事クーデターが起こり、当時ダージニア軍参謀総長だったフランツ・ディートリッヒが政権を奪取、掌握した。


ディートリッヒ政権は兵器開発、軍事力の強化などに力を入れ、亡命を企てたものや反体制の言動をした識者などを容赦なく粛清し、軍部は議会に対し影響を強めていった。


国土は小さいが、レアアース等の豊富な鉱物資源を抱えるダージニア共和国の軍事力強化に、国際社会は反発を強めていく。

当時、中東との問題を抱えていた合衆国の対応は後手後手に回り、連邦議会でも痛烈な批判の種のなっていた。


だが、共和国の首都、ドルツヌイで情報収集をしていた工作員の情報により、事態は急転した。


ダージニア宇宙開発機関の科学者から米国への亡命要請がある。


合衆国は直ちに真偽を確認するため、極秘裏に動き出した。


そして、【赤いカナリア作戦】と名付けられたその作戦の統括指揮官に選ばれたのは、シアーズであった。


「あの時、ドルツヌイに潜入した時点で、既に当局に情報が漏れていたんだ。」


シアーズが唸るように言った。


「だから設計データだけを入手して見捨てた。いいえ、元からそういう筋書だったのでしょう?データだけを手に入れ、不要なものは永久に抹殺する。自分の手を汚さずに。」


事実、アドラーとその家族の粛清は全世界に知れ渡り、国連はダージニア解放に向けて本格的に動き出した。


「彼は、あの時国家保安部の兵士たちが迫っているのを知って、我々にデータを託したのだ。決して見捨てたわけではない。」


それを聞いて、エリックの瞳が眼鏡の奥で物騒な光を放った。


「結果は同じことです。彼の家族だけでも連れ出せたはずだ。だが、それをしなかった。まだ幼い娘を抱えた妻とともに、彼は無残な最期を遂げた。」


そうだ。彼らは他の囚人や捕虜達と大型焼却施設に入れられ、焼かれていった。無論、生きたまま。


「皆、生きながらにして焼かれ、死んでいきました。何故、何の罪もない彼らがそんな惨い死に方をしなければならなかったのでしょうか。」


呪詛の様に放たれた言葉に、シアーズは固く押し黙ったままだ。


「お前は……何者だ。」


「私はリチャード・ロウ(名無し)とでも呼んでください。もはや国籍も名前も意味がないのでね。ああ、でも貴方がその名前を呼ぶことは今後ないと思いますが。」


エリック、いやリチャード・ロウと名乗る男は、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべてそう言った。


「アドラーには息子はいなかったはずだ。」


「それはあなた方の調査不足というものですよ。アドラーにはドイツの知人の元に留学していた息子がいた。だが、クーデターが発生する直前、彼を戸籍から抜き、その知人の養子にした。そしてアドラーは息子の存在を自分の元から消し去った。」


何ということだ。シアーズが声もなく唇を動かした。まさかこんな近くに国家の脅威と成りえる人間がいたことにまだ信じられなかった。


「エリック、君達はおそらく外部から擬似信号を送って無理に接続したのだろうが、無駄なことだ。すぐにセイフティロックがかかる。アポリオンはもう二度と起動できない。」


「知っていますよ。そんな事は。だからこうして貴方に銃を突き付けているんですから。」


「……君の目的は…」


全てを言い終える前に空気が抜けるような音が3発ほど鳴った。

シアーズの体がびくりと震え、上等な肘掛けの上にだらりと腕が垂れ下がるのを補佐官は冷ややかな目で見つめていた。


「私の目的は、この国……いや、世界に復讐し、新しい規範を作ることです。貴方は私の目的の為の踏み石でしかない。」


冷徹な復讐者は銃をしまうと、無言のままのシアーズにゆっくりと近づいていった。



「それではごきげんよう。レイモンド。いい旅を。」


背を向けたままの椅子に向かい、いつもの口調で声をかける。その椅子の下は大量の血の海と化していたが、それを除けば何の変哲もない金曜の夜の光景だった。


「あっ、ワイズマン補佐官!長官は今……」


丁度扉の外で鉢合わせるような形になってしまい、情報部の主任である女性局員が驚いたように声を上げた。しかし彼はいつも通りの柔和な笑顔を湛えて答えた。


「今はホワイトハウスからの電話に対応中だ。おそらく長くなるだろう、30分程経ってから出直したほうがいい。」


「あ、わかりました。ありがとうございます。」


女性局員はあっさりと納得し、その場を立ち去った。彼の持つ封筒の中に人の指と眼球が入っていることなど気づいた様子すらなく。


「私だ。少し早いが、計画を実行する。ポイント・ダコタへ移動しろ。」


黙示録の歯車が動き出した。冷徹な表情の中に昏い炎を燃やしながら、復讐者は歩き出した。



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