ブルズ・アイ2
第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
~ヨハネの黙示録 8章6節~
トーマス・ギブソン捜査官は、目の前に広がる惨状に愕然としていた。
隣では、同行してきたマイアミ警察の警官達が皆同じように呆然としている。神よ。という言葉すら出ないようで、あんぐりと口を開けたままだ。
その視線の先には、けたたましいサイレンの音と、赤く染まる夜空。地上には夥しい死体と、けが人、泣き叫ぶ人々であふれかえっていた。
そして、その後ろには、アクエリアス・タワーだったものが、炎と黒煙をを上げて鉄骨やコンクリートを無惨に晒していた。
その中から、呻き声や悲鳴が聞こえてはいるが、火の威力が強すぎて救助隊も近づけず、焦りと悔しさが彼らの顔に滲んでいた。
その傍らで消防士達が必死に消火活動に取り掛かっているが、一向に鎮火の兆しすらない。
アクエリアス・タワーだけではない。
周りの道路、ビーチも、爆発もしくは竜巻が起きたのかとしか思えないほどに破壊し尽くされている。
悲鳴と怒号の渦の中でトーマスが、呆然と呟いた。
「何が、あったんだ……。」
――――――――
2時間前。
零は55階に通じる従業員用の通用口に居た。二人いた警備員は、既に制圧している。
55階はワンフロア貸し切りにされている分、警備も厳重にされており、ジャミングの影響でビリーの正確な位置が掴めない。このまま行けばみすみす罠の中に飛び込むようなものだ。
零は、首に提げていた小型の暗視装置を取り出して装着した。
「位置に着いた。」
《了解。ウィルス展開します。》
アレンの言葉と同時に、タワーは下から上へと順々に暗闇に包まれていく。バツンという音を残して、零のいる通路から明かりが消えた。
赤い非常灯がぼんやりと照らす中、零はするりと扉の隙間に身体を滑り込ませる。
中では突然の停電に狼狽える警備員たちが無線でしきりに連絡を取っているようだ。だが、無駄だ。警備員のいる各階に小型のジャミング装置を仕掛けてある。
無線が効かないことに気付けば、否応なしに侵入者の気配を察知して警戒するだろうが、応援も呼べない。
「さて。その間に奴を探すか。」
暗闇を利用して、右往左往する警備員たちの脇を掻い潜っていく。余計な戦闘はしないに越したことは無い。当局に指名手配されている以上、極力目立つことは避けなければならなかった。
前進していると、アレンから連絡が入った。前を見ると、通路の角からライトの明かりがちらりと動くのを捉え、零は傍のシーツのワゴンの陰に隠れて小さく応答した。
《ビリー・スパイクの端末の位置がわかりました。 転送します。》
新しくマーカーが腕の携帯端末のディスプレイに点滅している。ここからそう遠くない位置だった。中からの方が近いが、外から突入したした方が人目にはつかないだろう。
屈めた身体を起こそうとした時だった。カツリと膝がワゴンに当たり、音を立ててしまった。舌打ちしたいのをこらえ、息を殺す。
「誰かいるのか?」
ライトがこちらを向き、訝しげな声が聞こえた。足音はだんだん近づいてくる。気配は一人だ。
零はサプレッサーのついたグロックのグリップを握り締め、足音が近くなるのを今か今かと待っていた。
「どうなってやがるんだ。停電にしても長すぎるぜ。」
「無線も通じない。恐らく侵入者だろう。」
「他のフロアの連中は何してやがったんだよ全く!」
赤い非常灯が点灯した通路で、二人の警備員がそれぞれに愚痴を言い合っていた。その後ろのドアにはエグゼブティブ・ルームのプレートが掲げられている。
そこに、通路の向こうから一人の警備員が歩いてきた。それを見た片方が、隣の相棒の肩を叩いた。
「おい、見ろよ。」
「ん……? なあ、上で何かあったのか?」
だが、彼は問いかけに答えることはせず、ふらふらとこちらへ向かってくる。何故か腕を後ろに回したまま。
「様子がおかしいぞ!」
「おい!どうした!」
二人の警備員たちは異常に気付いたのか銃を構えた。しかし、銃口を向けられている警備員は何も言わない。いや、言えないと言ったほうが正しいか。
「うー!うー!」
「おい、そこで止まれ!」
何かを訴えようとしているのだろうが、もごもごと言葉になっていない。不自然な様子に、ますます警戒し、二人は語気を強める。
「何が……」
一人がそう言いかけた時、強い力で押されたように彼が倒れこんできた。慌てて二人は受け止めようと、その体に触れた途端、バチリ!と青白い光が一瞬辺りに迸り、
3人の警備員は瘧にかかったかのように体を震わせて、崩れ落ちた。
数秒後、後ろの暗がりから静かに黒い影が現れて、微かに呻いている警備員に近づき、小さな楕円形の平たい何かを胸から引き剥がした。
アレンが作った吸着型スタンガンの試作品である。
様々な場所に貼って遠隔操作することができ、1,5mの範囲内なら落雷と同じくらいのショックを与えられるという物だ。
《スイッチの感度が一瞬遅いですね。これは改良しなければ。》
「アレン。私を試作品のデータ採取に使うなよ。」
呆れたようにため息をつきながら、ドアノブに慎重に手をかける。案の定ロックされていた。
「開けられるか?」
《あと1分待ってください。》
「いや、大丈夫だ。」
《え?》
青白いバーナーの光が、暗い通路に小さく光り、バチバチと火花を散らす。
数秒後、零が思い切り蹴りつけると、縁を残してドアがばたんと部屋の中へ倒れた。
《全く、せっかちにも程がありますよ。》
「古典的なやり方が好きでね。よし。中に入るぞ」
中は真っ暗であったが、高解像度の暗視ゴーグルのおかげで昼間のように明るく見えた。
銃を構えてゆっくりと中へ入る。警備員は居ない。ここまでフロア中に警備が敷かれていたのに、何故この部屋の中には誰もいないのかが不思議だった。
豪華なバスルーム、ダイニング、リビング、キッチン。全て見回ったが、ビリーはいない。使った形跡があったので、彼はここにいるはずだ。
いくつかの部屋を開けて回り、何度目かのドアレバーに手をかけようとした時だった。中から物音が聞こえ、開けようとしていた手を一度離した。
――――――――――
ビリー・スパイクは、真っ暗な部屋の中、眼を爛々と見開き、震える手でワルサーPPKの銃口を入口に向けていた。荒い息が、配線とピザの空き箱、ペットボトルそして、薬の空容器が散乱した寝室の中に響く。
時折響く、ドン!という花火の音にびくつきながら、寝室のドアを凝視する。片方の手は、しきりに胸元の守るように握られている。その手からはシルバーのボールチェーンがちらりと見えている。
「クソッ。来るなら来やがれ!」
強がってはいるが、声は震えている。新しい容器から、錠剤を数粒取り出して、口に放り込んだ。がりがりとかみ砕けば、苦みと同時に不安感が少し薄らいだ。
隣のドアが開けられたのが分かった。ごくりと唾を飲み込む音が耳に響く。
「ち、チクショウ……」
ドアのレバーが下に下がる。ビリーがそれを見て小さく悲鳴を上げた。
「ひっ……!」
しかし、レバーは下に降り切ることは無く、そのままゆっくりと元に戻っていった。安堵より疑念が沸き上がり、恐る恐る入口へ近づく。
震える手でドアを開けてほんの少し顔を出した。真っ暗なリビングホールには、人の気配すらない。
暗闇が余計に恐怖感をあおり、ビリーは慌てて部屋に引っ込んだ。ドアを背にずりずりと床に座り込んだ。
「SSIR……向精神薬か。用法容量を守って服用したほうがいい。まだ若いんだ。薬漬けになる必要はない。」
一人しかいないはずの部屋に低い声が響いて、ビリーは恐怖に目を見開いた。
「あ、ああ……。」
もう一発大きな花火が上がった。その光が寝室を照らし、ぼんやりと一瞬だけ黒い影を映し出した。
ビリーが言葉にすらならないうめき声を上げて、ワルサーの銃口を向けたが、影は怯むことも無くその場に佇んでいて、ビリーを鼻でせせら笑った。
「ああ、やめたほうがいい。慣れないことは怪我の元だ。」
黒い影、零が静かに言った。一歩、一歩と、ゆっくり近づく。
「来るな!撃つぞ!」
ビリーが両手でワルサーを構え、喚き散らす。ひどく興奮しているようだ。瞳孔が開き、呼吸が荒い。零は努めて落ち着いた動作と声で、ビリーに語り掛けた。
「……セーフティがかかっている。そのままじゃペーパーウェイトにしかならないぞ。」
「え……?」
向けられていた銃口が横に逸れた。その瞬間を狙って長い腕が鞭のように襲い掛かり、ワルサーを取り上げた。
ビリーはぽかんとした表情で自らの両手を見つめる。
取られたことさえ解らなかったほどの早業だった。
かしゃんかしゃんと薬室と弾倉から弾を抜き、放り投げる。それを見て、ビリーがへなへなと座り込んだ。
「さて。【仕立て屋】。お前が知っていることを全部話してもらう。話したくなくても無理やり喋らせる。どちらがいいか、その賢いオツムで考えろ。」
黒い腕が女とは思えぬ程の強い力でビリーの襟首を掴み上げ、パソコンが置かれたデスクに押し付けた。息苦しさと痛みでビリーが呻き声をあげた。
「ひ、ひひひははは!」
「何がおかしい。」
突然狂ったように笑うビリーに冷徹な声が被さった。
「お前、クラフトマンだな。知ってるぜ。俺がギルドに居た頃に何度かバックアップしたことがある。」
「ギルドは隊員同士の接触は禁じられている。お前が同僚だったとは知らなんだがな。」
「あんたも俺も、嵌められたんだ……政府に。そして、奴に。」
「奴?奴とは誰だ!言え!ビリー・スパイク!」
首を締められているにも関わらず、くつくつと喉の奥を鳴らすように笑う痩せたハッカーを、零が厳しい声で追及する。
しかし、へらへらと笑うばかりで一向に何も喋らないビリーに零はナイフを抜き放ち、ぞっとするほど低い声で恫喝した。
「いいか?時間がないんだ。次はお前の大事な指を切り落とすぞ。【トランぺッター】とはなんだ?」
「こ、このサディスト野郎が。【トランぺッター】は、ワームウッドの完成形だ。だが、それ事態が問題じゃない。」
息を荒げてビリーが泡を吹きながら早口でまくし立てるのを、零は辛抱強く聞き続ける。
「あれは鍵だ。わ、わかるだろ?ラッパ吹きがい、いねぇと奈落の王は出てこれねぇ。」
「なんだと?どういうことだ。」
いきなり意味不明な事を言い出すビリーに、流石に零も苛ついた声を出した。しかし、ビリーは忙しなく視線を巡らせて、興奮したようにべらべらと喋り続ける。
「俺はもう、玩具になるのはまっぴらだ。だから最後にウィルスをばら撒いて、ハッカー面してる屑どもを焚きつけてやったが、どうやら奴の方が上手だったみたいだな!」
ドン!とビリーが脇にあるパソコンのキーボードを乱暴に叩いた。ディスプレイに、数字や文字の羅列が瞬く間に表示される。
「何をした!」
「俺が、最後のラッパ吹きだ。全て鳴り終われば、奈落の王【アポリオン】が地に降り立つ。」
≪―――……コード認証。発射シークエンスに入ります。≫
ディスプレイから合成音声が無機質にカウントを始める。零は激高するかのようにビリーを机に再度叩きつけた。
顔を少し歪めたビリーが恐怖なのか楽しいのかよく解らない上擦った声を出し、首に提げていたボールチェーンのネックレスを引き千切った。
「貴様!」
「げほっ……そう興奮するなよ。あんたにはこれをやる。俺の【保険】だ。どうするかはあんた次第だ。生きてここを出られたらの話だがな!」
ひゃはははは!とアドレナリン過多のジャンキーのように笑い続ける。零はビリーから渡されたネックレスをポーチに仕舞い、未だ引き攣ったように笑うビリーの身体を起こし、腕を後ろに捻ると、両手を結束バンドで拘束する。
合衆国という強大な獣に人生を食らいつくされた哀れな若者。だが、この一連のテロ事件に加担したという事は紛れもない事実だった。
今ここで殺すのは容易だが、黒幕を引きずり出すために生きてもらわねばならない。ビリーの証言は法廷でも重要なものになるからだ。
「がっ!」
不意にビリーの笑い声が途切れた。ビリーの背中ががくりと前のめりになり、床に頽れるのと、その前方に細身の黒い影を視認した。
完全にビリーの体が床に倒れる前に、零はすぐさまその場から飛び退き、後ろのデスクの反対側へ回った。
間髪入れずに花火とは明らかに違う銃声が響き、すぐそばのデスクの足に火花が散る。
「チクショウ!あと少しで!」
盛大に舌打ちと悪態をつきたいのを堪え、次の手を考える。あのディスプレイのカウントは、ミサイルかそれに近い兵器か。どちらにせよ、どこに着弾するのか解らない以上防ぎようがない。
その間にも銃弾は容赦なく撃ち込まれ、デスクの上に載っている書類やパソコンの破片が降り注ぐ。破片の雨を頭に受けながら、暗視ゴーグルをOFFにした。
弾も無限ではない。零は敵が弾倉を換える一瞬の隙を利用して、デスクの陰から飛び出した。それと同時にピンを外していたスタングレネードを放り投げる。
まばゆい光と破裂音が響き、小さな呻き声とともに銃声が止まった。
「ぐぅっ!」
零がここぞとばかりにライフルで応戦する。しかし、その銃弾は全て壁や調度品に当たっただけだった。既に入り口付近には誰もいない。一瞬だけ見えた敵の姿は、ユニオンシティで遭遇したあの異形の剣士と似たような体格をしていた。
斎藤と互角の勝負を繰り広げた、槍のように痩せぎすの男。
同じ人間ならば、接近戦では到底勝ち目がない。
早々に退散する選択肢を選ぼうと、バルコニーに足を運んだ時だった。
稲妻のような光が、花火で彩られた空を切り裂いた。




