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Lone wolf  作者: 片栗粉
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雪嵐 2

我々が理解しないことは制御しがたい。


~ゲーテ~

翌日、吹雪は一向に止まなかった。


きっかり6時に目を覚まし、ハンモックから身を起こすと、相変わらず窓を叩きつける暴風に、うんざりしたようにため息を吐いた。


ガスも立ち込めて、2m先すら見えない。これでは車を走らせるのは自殺行為だ。今日もあの奇妙な男と過ごさねばならないのかと、恨めし気に窓の外を睨みつけた。


気分を変えるべくシャワーを浴びようと、バスルームに足を向ける。かなり狭いバスルームではあったが、零はそれほど頓着しない。シャワーから湯が出れば御の字だ。


コックを捻ると、熱い湯が体を打った。一気に目が覚める。ガシガシと髪を洗い、ざっと流してシャワータイムは終了だ。女性にしては驚くほど烏の行水だった。だが、長年の習慣は容易に変えることはできない。


着古したジーンズとTシャツを着ると、リビングへ向かった。


(おや……?)


リビングでは、藤田がすでに起きだしていた。電気もつけず、窓の外をぼうっと眺めている。


眉間に深く皺を寄せたその顔は、酷く苦しそうに見えた。電気をつけると、はっとしたように藤田がこちらを見、バツ悪そうに俯いた。


「おはよう藤田さん。今日も酷い天気だわ。送るのはもうちょっと弱まるまで待とう。良かったらシャワー使ってください。」

「しゃ…?……ああ。」


タオルで大雑把に頭を乾かしながら、シルバーのボウルにドッグフードを入れると、カンカンとスプーンで縁をたたいた。


その音を聞きつけてライが弾むような足取りで皿の前まで来ると、そのままぴしり、と姿勢よく待ての態勢を取った。


どんなに腹が減っていても主人の許可がなければ絶対に口をつけない。子犬のころからそう躾けてきた。


「よし。」


途端にがつがつと鼻先をボウルの中に突っ込んだ。皿の中のエサが見る見るうちに無くなっていく。


「よく躾けられているな。」


藤田がドッグフードを無心に食べ続ける大きなウルフドッグを見た。


「子犬から育てたんだ。猟の師匠から貰ってきてね。」


「いい犬だ。」


「ありがとう。ほら、シャワー浴びてきた方がいいよ。そこの突当りだから。」


バスルームを指さしながら、照れ隠しにぶっきら棒な口調で言うと、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出した。零は、ぎこちない足取りでバスルームのドアに消えた背の高い痩せた背中を見つめた。


その直後だった。バスルームから何かがぶつかり、壊れる音が聞こえた。


すかさず腰からグロックを引き抜き、ぴたりとバスルームのドアに狙いをつけた。足元では、忠実な相棒が食事を中断し、音のした方向を睨みつけ、低く唸っている。零は小さな声で、「ステイ」と相棒を落ち着かせるように手をかざした。



たっぷり数秒待って、銃を構えたままゆっくりと近づいた。ドアの前で止まると、中の様子を伺う。シャワーの水音が鳴り続けている。藤田が動いている物音はしない。左手で2回ノックして、声をかける。


「大丈夫?藤田さん。開けるよ?」


銃を構えたままドアノブを回すと、開いたドアの隙間に体を滑り込ませた。


中には、ざあざあと雨を降らすシャワーの前で、呆然としたように固まっている藤田がいた。驚いたことに服を着たままだ。全身がしとどに濡れている。さっきの破壊音は、彼の前で無残な姿を晒している鏡が元凶だろう。銃をおろし、おそるおそる声をかけた。


「な、どうしたの?」


驚いたように、びくりと体を震わせて振り向いた藤田の表情は、今までになく頼りなかった。零は未だ無言のままの藤田にもう一度声を掛けようとした。


「…これは、何だ。」


うつろな表情で呟いた声は、低く、聞き取りづらかった。


「……え?」


「一体これは、此処は何なんだ!俺は、どうしちまったんだ!?」


いきなり激昂したように怒鳴る藤田に、零は呆気にとられたまま見つめるほかなかった。


「おい!どうしたんだ!」

「黙れ!」


落ち着かせようと、肩に手を掛けようとした時だった。物凄い力で腕を捻りあげられた零は、浴室の壁に叩きつけられた。衝撃で一瞬息が止まり、首に藤田の腕が食い込んだ。


(なんて力だ!)


飢えた狼のような、殺気の籠った目が零を射抜く。ギリギリと首に腕が食い込み、呼吸もままならない。だが、銃を手放さなかったことは零にとって僥倖だった。

持てるすべての力で、思い切り後ろの壁を蹴った。壁から背中が離れ、反対の壁に藤田を叩きつける。鈍い大きな音が狭い浴室内に響く。その一瞬の隙をついて、藤田のシャツの襟首をつかみ、額に銃を突きつけ、耳元で怒鳴った。


「ヘイ!落ち着いてくれ!できれば、あんたの頭に風穴を開けたくはないんだ!」


徐々に藤田の眼に理性の光が戻り、万力のように食い込んでいた腕が少しだけ力が弱まった。


急激に肺に酸素が送り込まれ、激しくせき込む。藤田はだらんと腕を垂らし、案山子のように突っ立っている。

後ろへ撫でつけていた黒髪は、今はぐしゃぐしゃに乱れていた。零は荒い息を吐きながら、浴室の壁にもたれ、ずるずるとへたり込んだ。


「……藤田さん。何があったんだ?」

「……すまん。」


先程とは打って変わって、小さくぼそぼそと呟くように喋る藤田に、流石の零も苛立ちを隠せなかったが、当の本人は小さく謝罪を述べただけで、俯いたまま、顔を上げようとしなかった。


その姿を見て、零はむかむかと腹が立ってくるのを感じた。藤田だけではなく、次から次へと面倒事を引き起こす種を拾ってきてしまった自分にだ。


「まあ、いいさ。話は後だ。このままじゃあ風邪をひく。」


怒鳴りだしたいのをぐっとこらえてそう言い残すと、零はさっさと着替えを取りに浴室を後にした。


「一体、どうしたんだ。……いや、あんたは一体誰なんだ。」


コーヒーメイカーから、アルミのカップにコーヒーを注ぎながら、零が言った。言い直したのは、目の前の男が北海道警の警察官ではないという事はわかっていたが、いまいち何者か見当もつかなかったからだ。ここに置いておくにはあまりにもリスキーな人間なら、猛吹雪の中に追い出すことも辞さないと心に決めていた。


マホガニーのダイニングチェアに腰掛けた藤田は、憔悴したように俯いている。鋭い目からは殺気はもうない。代わりに戸惑いの色が浮かんでいた。


しばしの沈黙が、部屋の中を支配した。カップから立ち上る湯気を眺めていると、何かを決心したように藤田が口を開いた。


「ここは、俺の居た場所ではない。」

「…それは前聞いたけど。」


「いいから聞け。俺がいたのは明治16年の北海道、函館警察署だ。俺は、確かにそこにいた。」


その言葉に、零は暫し開いた口が塞がらなかった。いきなりそんなこと言われても、理解が追いつかない。


「は?」


「俺はここへ来てから、全てが生まれて初めて見るものだった。その動くほとからを映し出す箱や、湯が出るあの絡繰り、他の物もだ。全て俺がいた所には無かったものだ。それに…」


「ちょっとごめん、ええと、メージ16年…は…」


あわてて藤田の言葉を遮り、頭を抱えた。日本に移り住んで数年たつが、この国の過去の歴史まで詳しい訳ではない。零は引き出しから携帯端末を取り出し、調べ始めた。


「メイジ、明治…、1883年!?ちょっと待ってくれ!?

じゃああんたは空飛ぶスーパーカーでタイムスリップしたとでも?…いきなりそんなこと言われてホイホイ信じられると思うか?」


「俺の上着に手帳が入っていたはずだ。もう、見ているんだろうがな。信じないのならばそれでもいい。俺を追い出しても別に恨みはしないぜ。」


いとも簡単に思考と行動を読まれ、舌打ちをしたい気分だった。自分としたことが、なんてざまだ。

確かに、上着の内ポケットに、漢字の書かれた手帳が入っていた。『警察手牒』と書かれたそれは、デザインこそ古めかしいが、何十年も年月を経た骨董品には見えなかった。寧ろ、おろしたばかりのように新しいものに感じられた。


「……確かに、あんたの持ち物を確かめさせてもらった。正直言って、私も見たことがないものばかりだった。だが、そんな突拍子もない話を信用することはできない。北海道警にも確認した。藤田五郎なる職員は存在しない。そう言われたよ。」


零の眼が、藤田の眼を推し量るように真っ直ぐに見つめた。暫し互いの視線が交錯し、張り詰めた空気が漂った。


「……だけど追い出したりはしない。あんたを拾ったのは私だし、こうなったのは自分の責任でもある。当初の予定通り、吹雪が止んだら美瑛の駅まで送る。それ以降は一切かかわらない。」


「それでいい。それまで世話になる。」


口の端をゆがませて不敵に笑う姿は、腹立たしいほど格好良かったが、どう考えても世話になる側の人間の態度には思えなかった。零は、ぐっとこらえてあと数日の我慢だと自分に言い聞かせた。

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