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Lone wolf  作者: 片栗粉
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ブルズ・アイ1

すべての人間の生命は同じように終わる。

ある人間がほかの人間と異なるのは、どう生きてどう死んだかの細かな部分だけである。


~アーネスト・ヘミングウェイ~

上空200メートルから吹き付ける風は、穏やかなビーチとは比ではなく、嵐かと思うほどに荒々しく吹きすさぶ。


太陽は完全に沈み、空よりも目立つ地上の星々が、夜はこれからだ、と主張しているかのようにギラギラと輝きを放っていた。


零はその輝きを見つめながら、特殊なガラスカッターで丸くくりぬいた窓の前に立つ。その傍には組み立て終わったジップライン射出機が無骨な姿をさらしていた。

斎藤がその背中を黙って見つめる。


《カウント開始。》


小型の無線機からアレンのカウントが始まる。それと同時に、上のスカイラウンジからもセレモニーのカウントダウンが始まる。


《5、4、3、2、発射。》


一斉に歓声とともに花火が上がる。ジップラインは真っ直ぐにそして音もなくタワー3の壁に突き刺さった。注意深くスコープで周囲の窓を見る。フロアの廊下を歩いているのは従業員と少数の客くらいだ。誰も壁に何かが突き刺さったなど気づいてはいない。


「オーケーだ。問題ない。派手なセレモニーだ。良い隠れ蓑になりそうだな。」


絶え間なく打ちあがる花火を横目に、外へと伸びる強化ナイロンのロープに電動回転付きのフックをかけた。


「斎藤さん。私が向こうへ渡ったら、手筈通りに始めて下さい。」


黒いバラクラバを被った顔が斎藤を見つめた。斎藤が緊張した面持ちで頷く。その手には、零から渡された黒いビジネスバッグが提げられていた。


「無線でアレンが誘導します。大丈夫。あんたならできる。」


「……ああ。お前も、気をつけろよ。」


零が頷く。そして、蝙蝠が飛び立つかのごとく、虚空へ飛び出していった。



凄まじい風が容赦なく全身を撫でる。海岸沿いには色鮮やかな花火が上がり、零は絶好の見物場所だな、と自嘲した。


数十秒の滑空を終えて、壁に足を付けるとロープを伸ばして降下態勢に入る。人目に触れそうな場所を避けながら慎重に降りる。


ようやく、人の居ない空き部屋を見つけ、ガラスカッターで少し大きめの穴を作る。サクションリフターを取り付け、ゆっくりと力を入れると、ごりごりと分厚いガラスが丸く引き抜かれる。


音もなく部屋の床に着地し、姿勢を低くしたまま周囲をうかがう。人の気配はなく、ベッドも綺麗なままだ。


「侵入した。そっちはどうだ。」


《機器の動作に異常なし。モニターも良好。そこはタワー3の56階東側ですね。端末に現在地が出ている筈です。》


腕に取り付けたスマートフォンには、ホテル内の見取り図と、現在地を現す小さな点が表示されていた。あの短時間で、しかも即席にしては良くできていると内心感心していた。


「この階下の何処かに居るわけだな。」


《宿泊リストを調べたところ、55階はジョシュア・オブライエンという人物が貸し切りにしているようですが、ネット予約のIPアドレスから調べたところ、ある企業の名前が出ました。》


「どこだ?」


《ガレオン・インダストリーズです。》


「いいぞ。奴のスポンサーはガレオン船だ。だが、このテロとはまた別の臭いがするな。それが未だわからんが。」


《別の臭いですか?》


「この一連のテロがビリーの犯行だと知ったら、ガレオンは優秀なハッカーを失うことになる。奴らが主導したとは思えない。」


第一、リスクが大きすぎる。戦争を起こして儲けようという企業が黒幕の映画が良くあるが、それはもう時代遅れだ。


今はサイバー戦争の黎明期から大分経つ。情報やイメージ戦略が全てのカギを握る。


彼らは紛争が起きそうな地域に、少しだけの油と火を供給するだけだ。その炎が大きくなればなるほどに、彼らの懐は潤う。決して自らが墓穴を掘るような真似はしないはずだ。


「この絵図を書いた奴が誰なのか、慎重に見極める必要があるな。」


ビリー・スパイクがどんな情報を持っているのかは分からないが、グレアムが命を賭して掴んだ情報だ、無駄足で終わることなど許されない。


《まずはコントロールを奪う事が先決ですね。システム制御室へ向かってください。ジャミングを無効化まではいかずとも一部を乗っ取ることは可能です。》


「了解した。」


零は静かに、そして素早い動きで無人の部屋を後にした。


――――――――


斎藤は、縄一本で向こう側へ渡っていった零を見送ると、より緊張した面持ちになった。右耳には、小さなイヤホンがかかっている。戸惑ったように咳払いをすると、低く呟いた。


「行ったぞ。これからどうすればいい。」


《了解しました。僕の指示に従ってください。》


斎藤のネクタイに付けられているタイピンには、小型カメラがついており、その映像はアレンへと転送されているのだ。彼はホテル近くに止めた電子機器がこれでもかと詰まったバンの中で、二人をモニターしている。


「わかった。」


斎藤は、零の反対を押し切ってこの作戦に同行することを望んだ。今更傍観者で居続けるのはごめんだ。と無理矢理零を説き伏せたのだ。そして、自分も役に立ちたいと自らこの役割を買って出た。


《ネクタイは曲がってませんよね?それでは、部屋から出て下さい。》


小さく息を吐くと、斎藤はドアを開けた。落ち着いた臙脂色の絨毯が、薄暗い廊下に真っ直ぐに伸びている。同じドアがたくさん続いているのを見ると、自分がどこに居るのか一瞬分からなくなりそうだった。


《右へ進んでください。暫く進むとエレベーターホールがあるはずです。》


エレベーターホール。零と一緒に何度か通った場所だ。斎藤には飛行機に次いであまり乗り心地の良い乗り物ではなかった。


だが、そうも言っていられない。逡巡している間にも時間は刻一刻と過ぎ去っていくのだ。


ずっしりと重みのあるビジネスバッグを片手に、そして肩にはゴルフバッグというあまり夜には似つかわしくない出で立ちだ。


持ち前の強面とスーツ姿が功を奏したのか、周りの宿泊客は視線こそ逸らせど、じろじろと見てきたり寄ってくるようなことはなかった。


エレベーターホールに着くと、幸いなことに殆ど人はいなかった。ほんの数分しか歩いていないが、緊張で冷や汗が出そうだった。無性にタバコが吸いたかったが、生憎と今は持ってはいない。


アレンの指示通り上の階へのボタンを押すと、すぐに扉が開いた。誰もいない。安堵しつつ乗り込んだ。


《一番上のボタンを押してください。》


少し迷ってから、一番上の【R】のボタンを押す。扉が閉まり、駆動音も響かせることもなく、エレベーターは上に向かって行った。夜空の星よりもギラギラとした地上の光を見つめていると、アレンが話しかけた。


《一つ、聞いてもよろしいですか。》


「なんだ。」


《コールマンとどんな関係なんですか。貴方の経歴を調べましたが、データがないんですよ。貴方が何処かの機関に所属しているとは思えないですが、念のため。》


冷静な声が、斎藤の耳に響く。疑われるのも当然だった。だが、真実を話しても信じてもらえるとは思えない。無論、それは斎藤自身が良く分かっていた。


「……遭難しかけたところを助けられたまでだ。それ以上でも、それ以下でもない。」


《それだけの為に、貴方はここまで命を張るのですか?》


不可解だ。とでも言いたそうなアレンの言葉に、斎藤は口の端を少しだけ歪めた。


「……一度、死に損った命だからな。」


《なんですって?》


「いや。何でもない。」


《まあ、いいです。貴方は極度のデジタル音痴みたいですからね。少し気になったまでです。》


「悪かったな。」


《……いえ、その、こんなこと言いたいわけじゃなかったんです。……あの時、助けてくれて、有難うございました。僕、現場には殆ど出たことがなくて……》


憮然と斎藤が言うと、恥ずかしそうにぼそぼそとアレンが呟いた。本当はその事を言いたかったようだ。


「……気にするな。お前はお前の仕事をすればいい。」


エレベーターの速度が遅くなる。あと数秒でエレベーターはスカイラウンジのある屋上へ到達するだろう。


ピン、という音を立てて、ドアは静かに開いた。


セレモニーの影響で、スカイラウンジへの通路はかなり混雑していた。様々な国の人間や言葉が飛び交い、気後れしてしまいそうになる。


蒸せかえるほどの熱気に眉をしかめながら、斎藤は人の波をすり抜けていく。喧騒と、割れんばかりになる音楽、上空で花を咲かせる光が、この世の風景すら危うく思えてくる。


だが、斎藤は何を思ったか、その場で立ち止まってしまった。その視線は一点を見つめたままだ。


その両脇を流れゆく人々が怪訝な顔をして斎藤を見るが、当の本人は動じることもなく、その場で突っ立ったままだ。


《斎藤さん。どうかしましたか?》


斎藤が動きを止めたことを不審に思ったアレンが声をかける。


しかし、斎藤は返答することなく、巌のような体は微動だにしない。


「奴が居る。」


静かだが、はっきりと殺気を滲ませた声音が低く響いた。


――――――――


その頃、零は58階に居た。この階はほかの階と違い、客室は無く、オフィスの様になっている。アクエリアス・タワーは一つ一つのタワーが独立した電力の供給と制御をしている。その制御室は3つとも同じ階ではなく、全てバラバラであり、完全に機密扱いとなっていた。


制御室には、無論アクセス権限を持つ警備員しか入れない。


至る所に警備員が立っていた。壁に張り付き、様子を窺う。物々しい装備からして、ホテルの従業員でも、一般の警備員では無いことは一目でわかった。


「あれはガレオン社製の……ベクターC26?」


数年前、マグプル社を買収したガレオン社が、マサダというライフルを改良したもので、軽く、機能性に優れ、さらに小型化されており、各国の警察や軍にも正規の装備として採用されている。


《このタワーはガレオン社の子会社の設計、建設で建てられたもののようです。警備の人材も豊富ですからね。願ったり叶ったりですね。》


「そうだな。アレン、ガレオンの警備部門の責任者が知りたい。たのめるか。」


《了解。》


ドアの陰に隠れて二人の警備員をやり過ごした零は、監視カメラの死角をすり抜けながら、机、パーテーションの影を利用して見つかることなく進む。


重い装備を付けているにもかかわらず、足音すらしない。


数分後、ようやくSecurity Roomと書かれたドアを見つけた。だが、零はドアの前に行くことはせずに、そこから少し離れた場所のドアに入っていった。


すると、一人の警備員がセキュリティルームから出てきた。首にはカードキーを提げており、入退室時にはこれが必須となる。


警備員は若干そわそわした様子で、従業員用のトイレに入っていく。


直後、くぐもった呻き声と、小さな物音、そしてドアを閉める音が響き、黒い影が入れ替わるように出てきた。その手には警備員が持っていたカードキーが握られている。


当然のように零はカードキーを使って、セキュリティルームへ侵入した。


「入った。問題ない。」


気絶させた警備員はダクトテープで拘束して便座に座らせている。暫くは目を覚まさないはずだ。

セキュリティルームは空調を強めにしているせいで寒い位だった。


奥には数台のデスクとパソコンがあり、その前にはサーバーが墓石の様に整然と並んでいる。


《ブラボー。さすがです。では、僕が渡したメモリを差して、指示通りに操作してください。あとは僕の仕事です。》


原理はよく知らないが、渡されたUSBは特殊なものらしく、数秒でシステム内にバックドアを作り、さらにはDNSさえも書き換えてしまうというハッキングデバイスらしい。


指示通りにキーボードを操作すると、ファンシーなウサギのキャラクターが画面に現れ、くるくると踊り始めた。


《完了です。これでここのセキュリティシステムは僕が掌握しています。》


「さすがハーバードの工学部首席。頼りにしてるよ。」


《大したことじゃありませんよ。肩書なんて。》


まんざらでもなさそうな声に、零は笑みを浮かべた。


「さあ、あとは騎士ごっこに夢中なクソガキにキスしてやらないとな。」


USBを抜き取り、黒い影は音もなく部屋を出て行った。

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