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Lone wolf  作者: 片栗粉
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ゴールデン・ルール

信念は嘘よりも危険な真実の敵である


~フリードリヒ・ニーチェ~

ニューヨーク、ロングアイランド地区ハンプトン。そこは、都市部から大分離れた場所に位置していた。


マンハッタンからは車で約2時間程のこの場所は、ハリウッドスターなど大物セレブが集うリゾート地としても知られ、夏のバケーション時期になるとニューヨーカーが挙って訪れる場所としても有名である。


整然と整備された道路は、街路樹がきちんと手入れされており、ゴミ一つ落ちていない。見るからに高そうなミンクのコートを着た女性が、ハイブランドのショーウィンドウに眼もくれず、背筋を伸ばしてミニチュア・ピンシャーを連れて歩いているところなど、恋愛映画のワンシーンのようだ。


零は苦々しい表情で、この華やかな街に違和感なく溶け込んでいる高級スポーツカーの中から見える景色を見つめていた。


「隠者【ハーミット】とやらは、随分と羽振りがいいようだな。この玩具も買ってもらったのか?」


「いいえ。自前です。改造も全てね。安上りですよ。」


「結構なボンドカーじゃないか。ミサイルは撃てないのか。」


「あんなオジサン趣味の車、ダサくて乗れませんよ。それにイギリス製は買うなって言うのが祖父の遺言です。」


嘲る様な挑発にも、運転手の若者は乗ることもなくするりと猫のように躱す。ストレス耐性も良好。これくらいで激昂していたら、この仕事は務まらない。零はさっさと次の質問をぶつける。


「ウィリアム・カーティスは、本当に君の兄か?」


その言葉を口にした時、一瞬だけアレンは零を憎悪の眼差しで睨み付けたが、すぐに元の柔和な雰囲気へ解きほぐされていった。


「ええ、そうです。あなたが殺したのは、僕の兄です。」


「違うな。君に兄はいない。しかもいるのは4つ上の姉だけだ。2032年からノースカロライナ州立刑務所で刑務官をしているはずだな。名前はサンディ。2児の母で住まいはウィルミントンだ。」


アレンが息を飲む気配がした。念のために、アレンの素性を洗っておいたのだ。軽薄な男であるが、やはりG.Gは優秀な情報屋だと認識せざる負えない。


G.Gはあの仕事の後、やることがあると言い残したのを最後に連絡がないのが気掛かりだった。


「……。」


何とも言えない重苦しい沈黙が支配する。無言で身じろいだ斎藤の衣擦れの音が、嫌に大きく聞こえた。


「……別に隠すことはない。今は公的にも認められているはずだが。」


「色々あるんです。こういう仕事をしていると。」


諦めた様な呟きが、アレンの薄い唇から漏れた。今や世界各国でも認められている同性婚だが、偏見の眼はいまだ根強い。それが国防の要とする情報局員同士であれば、なおの事なのだろう。


ただ、アレンの刺すようなあの敵意については、これでやっと合点がいった。


「……着きました。ここです。」


「斎藤さん、着きましたよ。起きて下さい。」


その言葉に、途中、睡魔に負けて転寝していた斎藤が、はっと眼を開けた。小さく、すまん。と言うと、刀の入ったショルダーバッグを肩にかけて降り立った。



庭園の木々の間から、赤茶色のレンガが重厚に積み上げられ、所々にスタッコで白く装飾された3階建ての洋館が見えた。イギリスのジョージアン様式の屋敷のようだ。


綺麗に刈られた芝生に、落ち葉の一つもない植え込み。常に業者が手入れしているのだろう。青々と茂った背の低い樹には、濃い紅色の花が咲いている。


「寒椿だな。見事なものだ。」


斎藤が紅色の花を見て、頬を緩めた。アレンが意外だとでも言うように斎藤を見つめ、その視線に気づいた斎藤が、花の名前くらい俺でもわかる。と憮然として言った。


慌ててアレンが何か言おうとしたが、意外な所からその声は聞こえてきた。


「お詳しいのですね。そうです。これはワシントンの桜と同時期、1912年頃に日本からこの国へ渡ってきたのです。」


グレーの作業着を着たおそらくは60代後半位の男性が、剪定用の鋏を片手に、柔和な笑みを浮かべながら近づいてきた。


シルバーフレームの眼鏡に、今なお黒々とした豊かな髪が、彼を実年齢よりかなり若く見せている。彼もアレンと同じく、完璧な日本語を話していた。


「無断で立ち入り、大変失礼仕った。」


斎藤が頭を下げると、男性は眼鏡の奥で驚いたように目を見開き、すぐに笑った。人の警戒心を溶かすような人の良い笑顔だ。


「いいえ。とんでもない。此処は滅多にお客様などいらっしゃいませんから。私はロイ前島と申します。」


「日系人の方ですか?」


前島が零に向き直る。


「はい。曽祖父の代でこちらに移住してきたもので。こう見えてもれっきとしたアメリカ人です。」


「そうであったか……てっきり俺は日本人かと……。」


少し残念そうに斎藤が肩を落とした。確かに、その完璧な日本語の発音と柔和な物腰は、言われなければアメリカ人とは分からないだろう。


「祖父に大分厳しく日本語で躾けられましたからね。それよりも、貴方は随分と花にお詳しいのですね。よく寒椿は山茶花と間違えられるのに。」


「偶々だ。昔、道場の帰りに咲いておったのをよく眺めていた。」


眼鏡の奥の人の好さそうな眼が、一瞬剣呑な光を発した気がした。零はこの無害そうな日系人はこう見えて、とんだ曲者なのかもしれないと横目に思った。


「……ああ、こんな所で立ち話もなんですからね。こちらへどうぞ。」


前島に連れられて、一行は屋敷の目の前まで来た。整然と手入れされた庭の端には、ドライフラワーで縁を綺麗に飾られたブリキの看板があり、『Camellia Village』と刻印されていた。


「ここでは私のような一線を退いた人間が共同生活をしている施設です。まぁ、一種のリタイアメント・コミュニティと言ったところでしょうか。」


前島が、風雨にさらされ、飴色になった重厚な樫の扉を開ける。すると、白い大理石のホールが広がり、落ち着いたワインレッドの壁からアンティークらしきシャンデリア、艶を帯びたマホガニーのテーブルや椅子。


イギリスの上流階級のマナーハウスのように、重厚さと高級感の調和が絶妙に取れている。斎藤が感心したようにため息を漏らした。


だが、零は鋭い目線でホールを眺めていた。シャンデリアに一つ。机の上にある花の中に一つ。他にも至る所に。


おそらく高解像度のワイヤレスカメラ。軍事用ドローンにも使われるほどの代物で、価格も安くはない筈だ。


この館は、見た目は苔が生えそうなほどの古い洋館だが、中身はベガスのカジノ並みに最新式のセキュリティに守られている。呆れたように、零が息をついた。


「センスの良いインテリアだ。これを選んだのはイギリス人ですか?アメリカ人にはこんなセンスのいい奴はいない。」


零がたいして感心した様子もなく不躾な質問をしたが、前島はその柔和な笑みを崩さない。


「ご名答。グレアムが喜びますよ。彼は特に花とインテリアにこだわりますからね。」


「グレアム?」


「ここの住人です。さあ、こちらへどうぞ。」


深みのあるワインレッドのカーペットが敷かれた広い廊下を進むと、Drawingroom(応接間)とプレートが掲げられた部屋にたどり着いた。中からは、数人の話し声や笑い声が聞こえる。


前島が恭しい仕草で、こんこんとドアを叩き、扉を開けた。


「ようこそ。Camellia Villageへ。君を待っていたよ。ミス・コールマン。」


優雅なクイーンズ・イングリッシュが応接間に響く。そこには、ロマンスグレーと言う表現がこれ以上ない位に相応しい老紳士が、その髪と同じ灰色の瞳で静かに零を見据えていた。


彼のほかにも、小柄な老婦人と、同じく顔に深い皺を刻んだ黒人の男性が、リビングチェアに座って思い思いに午後のひと時を楽しんでいるようだ。


だが、灰色の眼の男は椅子には座らずに、代わりに電動車椅子を使っていた。


「あんたがハーミットか。長旅でこっちはイライラしていてね。返答次第じゃその頭をぶち抜くぞ。」


いきなり零が敵愾心をむき出しにして問いかける、というより殆ど恫喝だった。今にもその脇に吊っているグロックで、目の前の老人の頭を撃ち抜かんばかりにぎらぎらと睨み付ける。


すぐに前島が零達の前に立ち塞がり、両脇に座る老婦人達の気配が殺気立った。やはり彼らはただの老人ではない。斎藤も、腰をわずかに落とし、臨戦態勢をとっている。しかしアレンだけがこの張り詰めた空気の中、呆れたように声を上げた。


「全く、喧嘩している場合ですか。 時間がないんですよ?」


その言葉で、応接間に漂っていた緊張感が霧散する。零は全く悪びれた風もなく、小さく肩を竦めて車椅子の男を見た。


「唯の爺さん婆さんにしては、元気すぎるようだな。くたばる方が難しそうだ。」


その言葉に黒人の男が呵々大笑しながら、懐から葉巻を取り出した。


「最近の若者にしては珍しい程肝が据わっとる。アレンも見習わんか。それに嫁さんほど別嬪じゃあないが、儂があと20年若かったらなぁ。」


「そうねぇ。けれど、お口の利き方は学校じゃ教わらなかったのかしら。かわいい顔が台無しよ。」


編み棒を繰りながら、老婦人が穏やかに言った。零が少しむっとしたように眉を動かしたが、車椅子の男が穏やかにその場を制した。


「自己紹介をしなければな。私はグレアム。こちらの彼はジョー。」


黒人の男が葉巻を燻らせながら、手を上げる。グレアムが老婦人を見た。老婦人を小さな老眼鏡を外してニコリと笑う。


「私はサラよ。」


「ロイはもう知っているな。」


前島が零達に一礼した。


「そして君の質問に答えよう。私がハーミットだ。厳密にいえば、私達、だがね。」


硬質なスチールのような灰色の眼を睨み付けながら、零は静かにソファへ腰を下ろした。



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