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Lone wolf  作者: 片栗粉
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雪嵐

晴れることのない闇に 心を覆われ

太陽は昇りもせぬ 沈みもせぬ。


~ゲーテ~

気がつけば、戦場の中にいた。燃える家屋、叫び声、大砲の音、そして、自分が斬った屍が転がっている。もう何も映さぬその眼は、ただ目の前の虚空を睨みつけていた。


見慣れた浅黄色のだんだらは、幾多の闘いに血や泥で汚れ、見る影もなかった。隊服だけではなく、その愛刀も、刀を握るその手も、度重なる戦いで傷つき、血で汚れ、襤褸雑巾のように成り果てていた。


一人、また一人とかつての仲間が離れ、或は斃れていくのを見てきた。だが、あの人は、最期まで戦い抜いた。近藤さんが斬首された後も、涙一つ見せず残りの部下をまとめ、転戦した。一切の情も見せぬその姿は、鬼の副長の名に相応しかった。


『俺達は仙台へ向かう。君はどう

する。』


無惨に焼けた大手門の前で、彼は言った。だが、ここまで共に戦った会津の同志を見捨てる事はできなかった。


『俺は、残ります。……ここで、おさらばですな。副長。』


『……そうか。分かった。斎藤君、君は――』


あの時、あの人は何を言おうとしたのだろうか。


――――――


目覚めても、相変わらず目の前の光景は変わらなかった。「てれび」とランプ、その他よくわからない調度品が目に入る。ため息をつく。やはり夢ではなかった。


柔らかいランプの光が、部屋を照らしている。窓の外は吹雪が猛威をふるっていた。今何時なのだろうか。


ベッドから身を起こすと、丁度吉村が両手に皿を持って部屋に入ってきた。大きめの皿からは何とも言えない香ばしい香りが漂ってくる。


開けたドアを行儀悪く足で閉めると、サイドテーブルを引き寄せ、皿の一つを藤田の目の前に置いた。ほら、と木でできた匙を渡され、まじまじと皿の中を覗いた。どろりとした赤褐色の汁の中に、野菜と肉らしきものが浮かんでいた。確かにこれは食い物なのだろう。うまそうな匂いではあるが、これが何なのか藤田には見当もつかない。


「腹減ったでしょ。遠慮なくどうぞ。大丈夫、毒なんて入ってないから。」


吉村はそう言い置いて、さっさと自分の分を食べ始めた。その姿を見て、漸く匙を取り皿の中身を口に運ぶ。恐る恐る口に入れると、腹が減っていたのを今更思い出したように、せわしなく手を動かし始めた。

そんな藤田の姿を見て、吉村が笑った。屈託のない笑顔だった。


「ウサギのシチューだ。いいレシピを聞いてね。試してみたんだ。」


それを聞いた藤田の手がぴたりと止まった。


「……ウサギ?」

「そう。ウサギ。…どうかした?」

「……いや。」


再び、黙々と藤田は手を動かし始めた。


―――――――


嵐はまだ止まない。この奇妙な男は時折窓の外を見ながら、相変わらずしかめっ面で口を閉ざしている。


五月蠅いよりは遥かにましだが、こうも重苦しい空気だとこっちも気が滅入ってしまうというものだ。


話しかけても、微かに頷くか、短い返事だけで会話を繋げようという気は毛頭ないらしい。とりあえず、吹雪が止んだら美瑛駅まで送ると告げた。


何故かその時の藤田の顔が不安そうだった気がしたが知ったことではない。既に貴重な食料やたった一つしかないベッドでさえこの男に提供したのだ。早々に追い出したいというのが本音だ。


藤田に鼻を寄せるライを見ながら、ブランデーを垂らしたコーヒーを啜った。この人嫌いのウルフドッグが自分以外にここまで懐くのは初めてだ。


「あら。随分懐かれたようで。」


「……別に好かれたいわけじゃない。」


憮然とした表情で藤田が答えた。その不機嫌な声音の割に、ライを撫でるときは戸惑ったように触れるのだ。


「はは。動物に好かれるのは、いい人間の証拠だよ。そんな怖い顔しちゃあダメだ。」


「……これは地顔だ。」


「そりゃあ、失礼。」


藤田が気を失っている時に顔や手の手術跡の確認や金属探知機もかけさせてもらったが、何もなかった。しかし100%安全だと判断したわけではない。何故あんな軽装で雪深い山にいたのかという疑問が残っている。


コスプレ趣味のサイコ野郎だと言われたらそれまでだろうが、色々と説明がつかない。あの場所からある程度人のいる町までは100km以上あるのだ。


だが、彼の周囲に車の類どころか、タイヤの跡すらなかった。……あの場所に忽然と現れたとでもいうのか。


「……女が」


「え?」


「女が一人で何故猟師などしている。しかもこんな山奥で。」


藤田がライを撫でながら、ぽつりと言った。


「さぁて。世捨て人って奴かな。世俗から離れたかったんじゃない?」


「お前の事だろうが。答えになっておらんぞ。」


「ま、誰にでも秘密はあるってことで。」


「……ふん。」


いたずらっぽく言うと、藤田は不機嫌な表情を隠そうともせずに鼻を鳴らした。零は気にした風もなく戸棚からウィスキーのボトルを取り出し、2つのグラスへと注いだ。


琥珀色の液体がランプの光を受け、ガラスの中でゆらゆらと揺れた。


「そういえば藤田さんはさ、北海道の出身じゃないよね。訛りもないし。」


片方のグラスを藤田に差し出し、自らはベッドの脇のスツールへ腰かけた。


「誰にでも秘密はある。と今しがた言ったのはお前だろう?答える義務はない。」


口の端を歪め、挑発するように笑うが眼は全く笑っていない。藤田の鋭い眼光が零を捉えた。言いようのない威圧感が周りの空気をキリキリと張りつめていく。


今まで出遭った事のない種類の人間だった。いや、まるでむき出しの刃のような男だと、そう思った。ここでこの男を怒らせるのは得策ではないと頭の隅で警鐘が鳴っていた。


「そうでした。私もちょっと気になったもんで。気分を害したなら失礼。」


その言葉で、この部屋を支配していた威圧感が霧散し、零は胸の中で安堵のため息をついた。やれやれと、手の中のグラスを仰ぐ。焼けつくようなアルコールの塊が、喉を滑り落ちた。


零がよく知る人種ならば、あんなに表情には出さない。もっとうまく嘘を吐く。反吐が出るような張り付いた表情でしゃあしゃあとマニュアル通りに事を運ぶだろう。懐の銃で胸に2発、頭に1発撃ち込むまでは。


彼は恐らくだが『関係者』ではない。暫く席を外している時も、家の中を物色された跡もなければ、盗聴器や小型カメラも仕掛けた様子もない。時折外を眺めながら、ただベッドで大人しくしているだけだ。


だが、今まで見た事のない『人種』だ。本当に何者なのだろうか。何というか、形容しがたいのだ。細身だがかなり鍛えられた体躯に鋭い眼。だが、職業軍人というには何かが違う。


強いて言うならば、高潔な『戦士』のような、何者にも屈さない強い意志を秘めた眼をしている。

自分とはまるで正反対な存在だと、そう思った。


「……北海道の地吹雪は、酷いものだな。」


低いテノールが零の思考を中断した。


「明日には止むっていう予報だし、吹雪が止んだら駅まで送るから。それまでゆっくりしていればいいよ。」


「すまんな。迷惑をかけた。心遣い、痛み入る。」


「ちょっと、そんな気にしないでよ。困った人はお互い様っていうでしょ。ね?」


いきなり神妙な表情で頭を下げる藤田に、零は慌てた。慣れない言葉が思わず口を突いて出た。あの目を見てから、何となく気後れしてしまう。


「ふ…。困った『時』だ。もう少し勉強しろ阿呆。」


「日本語は難しいなぁ。ほら、それ飲んでもう寝て。夜はマイナス20℃下回るし、また凍死しても困るしね。」


「酒は飲まん。」


「え、下戸?」


「酔うと人を斬りたくなる。」


「……」


とりあえず、枕元には銃が必要だな、と零は心の中で独りごちた。



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