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Lone wolf  作者: 片栗粉
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Interval~blood hounds~

男はやらねばならないことをやる。

個人的な不利益があろうとも

障害や危険や圧力があろうとも。

そしてそれが人間の倫理の基礎なのだ。


~ジョン・F・ケネディ~

「それで?お前たちはどうでもいい強盗殺人のガイシャの家に行ったら、偶然銃撃戦に遭遇し、しかも、しかもだ。一番重要な被疑者の1人を死なせ、もう1人はみすみす逃がしたと。そういうわけだな。」


「……死んだ女の身元は分かったんですか?」


7階オフィスのボス、アルベルト・クラレンスは、特徴的な鷲鼻をふんと鳴らすと、陽に焼けた大きな手を机の上で組みながら、ゆっくりと嫌味たらしく言った。


そのざらざらした濁声を聞く度、胸焼けのするあのクソまずいマーマイトをスプーン山盛り一杯食べた気分にさせられる。と、7階で勤務する捜査官達から専らの評判であった。


だが、この室長から説教を食らう時に少しでも反抗的な胸の内が外に出てしまうと、スプーン山盛りどころか10倍になって返ってくるので、ひたすらねちねちとした嫌味を前に、しょぼくれた犬の様に振る舞わなければならないのだ。


隣のトーマスはもはや慣れきってしまったのか、平然と室長の説教をぶった切れるのだから、デイヴとは年季の入り方が違うのであろう。


予想通り、鷲鼻の室長は不快そうに眉を顰めると、高圧的な口調で再度口を開いた。


「私が質問しているんだ。ギブソン捜査官。聞いたところによると、君たちは私用車でカーチェイスを演じた挙句に、市警に勝手な応援要請や橋の封鎖をしたそうじゃないか。市長に問い詰められて言い訳が大変だったよ。あんなに大捜査網を敷いておいて、ネズミどころか間抜けな二人組が警官を撃った犯人として市警のパトカーに包囲されていたのをテレビで見た私の心境を理解できるかね。」


アルベルトのねっとりと粘りつくような嫌味に、二人がバツ悪そうに俯いた。腹が立つが、本当の事だから仕方がない。


トーマスは銃だけで無く、バッジも盗られていた。包囲されながら、自分達は警官だと誤解を解くまでが大変だった。


「ボス、奴は人質を取って逃亡してるんですよ!? それにあの女はどう見ても特殊な訓練を受けた人間で…」


そこでアルベルトが遮るように右手を振った。


「君たちはコールマン捜索および、この一連のテロ捜査の専従班の筈だ。勝手な捜査は慎みたまえ。君の熱意は評価するが、あまり向こう見ずな所は感心しない。君の父親がいい例だ。功を焦るあまり殉職したら意味がないだろう。」


デイヴがひやひやしながらトーマスを見た。


トーマスの父親は、彼が幼い頃殉職した。パトロール中にホームレスが若者の集団に暴行される現場を目撃し、それを止めようとして若者の一人に撃たれた。発砲したのは、彼の父がパトロール中によく夜遊びを注意したりして声をかけていた、顔見知りの17歳の少年だった。


トーマスの父は警官らしい正義感に溢れていたが、決して理由のない、過剰な暴力は許さなかった。それが犯罪者であっても。子供の非行や若者の犯罪には、銃で脅して手錠を掛ける事ではなく、まず彼らと対話し、理解することが必要だと、よく話していた。


トーマスはそんな父を心の底から尊敬していた。

以前、酒の席でかつての上司に父親を侮辱され、有無を言わさず殴りつけて謹慎処分を食らったという逸話があった。室長を殴ったとあらば、謹慎だけじゃ収まらない。


取り返しがつかなくなる前に、デイヴが話題を変えようと口を開こうとした。


「父は功を焦った訳ではありません。人として、警察官の正義に従って行動しただけです。私はそれを誇りに思います。」


トーマスの冷静な声がいやに大きく室内に響いた。数秒の間、室内に沈黙が流れる。デイヴがおろおろと二人を視線だけで交互に見た。


すると、アルベルトの咳払いが沈黙を破り、再度二人を睨みつけた。


「君たちはこのマンホール騒ぎの原因を突き止めろ。異論は認めん。その強盗殺人の件は市警の仕事だ。我々には急務があるのだからな。」


以上だ。とアルベルトは右手をぞんざいに振り、出て行けと言わんばかりにくるりと背を向けた。トーマス達は煮え立つ感情を押し殺しながら退室した。


「主任……。」


「あのクソッたれのゲス野郎が!いつかあいつの鼻にチリソースをぶち込んでやる!」


いつものアメリカ人らしい罵詈雑言にデイヴは内心ほっとした。彼は静かになった時が要注意なのだ。罵声の代わりに自分のスペースのパーテーションが割れたりごみ箱がへこむなんてたまったものではない。


ボスのオフィスへ向かって中指を立てなかったのは、トーマスのなけなしの理性が働いているのだろう。


鼻息荒くデスクに戻ろうとしたら、後ろから声をかけられた。


「やあトーマス。またあの偏屈上司とやりあったのか?懲りないねぇ。」


スーツばかりのオフィスで、ヨレヨレの白衣とシャツを平然と着込んでいる小太りの男は、科学分析班のテリー・ホッジスだった。


トーマスより一回り年上ではあるが、同時期に入局している。在籍年数は浅いが、マイアミの鑑識班に長年勤務していた事もあり、優秀な分析官として局内でも一目置かれていた。


ホッジスは、不愛想な態度故に庁舎内で孤立していたトーマスに気兼ねなく接する数少ない人間だったし、いつもトーマスの無茶な注文や愚痴を飄々とした態度で聞いてやるのは、同期であり年上の余裕というものだろう。


「嫌味を言いにはるばる7階まで来たのか?」


不貞腐れるようにそっぽを向くトーマスにテリーは苦笑した。彼のオフィスは地下1階だ。太陽光による気温の影響を受けない地下が、科学捜査に最も適しているのだ。


「俺もそんなに暇じゃない。頼まれていた分析結果が出たぜ。まずは毛髪の結果。アクリロニトリル、ポリエチレンテレフタート繊維……。」


「ちょっと待て、俺にも解るように喋ってくれ。俺は宇宙語まで理解できるほど利口じゃねぇんだ。」


トーマスが降参とばかりに手を挙げると、テリーは呆れたように溜息をついた。


「これだから現場の奴らは結果ばかり急かしやがる野暮ばかりなんだ。手っ取り早く言えば、ウイッグ、かつらだよ。女が被る様なやつだ。此れで理解したか?」


「オーケィ。この前の飛行機事故の鑑定を邪魔されたことを怒ってるのは理解したぜ。どうもありがとな。」


トーマスはテリーから鑑定結果の書類を受け取ると、自分のデスクへ向けて歩き出した。


「おいおい、お前の無茶苦茶で強引な頼み事には慣れっこなんだよ。もう一つの結果を聞く気はないのか?」


その言葉にトーマスの足が止まった。


「もう一つ。死んだ女だが……ここだけの話、ルザンナ・モローのものと一致した。間違いなく本人だ。」


「おい、本当か……?」


ルザンナ・モローはアルバニア系マフィアやテロリストの顧客を持つ殺し屋で、FBIの要注意犯罪者リストの上位を飾る女だ。各国の要人の殺害、拉致に関与し、その美貌と容赦のない手口から、『アイス・クイーン』の異名で知られていた。


数ヶ月前、モローのダミー口座にかなりの額が振り込まれているのが判り、文字通り血眼になって当局が捜査していたが、その甲斐なく足取りは一向につかめなかった。


「そのルザンナ・モローを一撃で殺せるような女が、この世界にいったい何人いる?」


テリーの言葉が、トーマスの頭の中でリフレインした。あの女は、モローが構えたナイフがバリスティック・ナイフと見破った。そんな人間が、おいそれといるわけはない。


「アレクシス・コールマン……。」


合衆国が誇る陸、海、空軍、海兵隊の中から選りすぐられたエリートである統合特殊作戦コマンド(ISA)に、唯一選ばれた女性兵士。そして、ヨルダンの軍事作戦で重傷を負いながら唯一人生き残った悲劇の兵士。


「まだボスにも報告してない情報を最初に教えてやったんだ。後で分析した分と上乗せで奢ってもらうからな。」


「ああ、今度はハーシーズのチョコバーをデスクにダースで届けてやるよ。」


それを聞いて、テリーはキットカットのグリーンティーフレーバーにしてくれと冗談めかすと、報告の為に鷲鼻の偏屈上司のオフィスへ入っていった。


トーマスはデスクの上に置いたタバコと、背もたれに引っ掛けていたジャケットを掴むと、デイヴを呼んだ。


「デイヴ、あそこに戻るぞ。奴は何らかの目的があってあの場にいた筈だ。」


デイヴはハッと我に返ったようにトーマスを見た。そして前振り無く両手を叩き、推理小説の犯人が判ってしまったかのような、得意げな顔で一人頷いていた。


「あ!思い出した!」


「おい。何だお前俺の話聞いてたのか。」


「思い出したんですよ。主任、≪ワームウッド≫って知ってます?」


「ニガヨモギがどうしたってんだよ。アブサンでもつくるのか?今はそれどころじゃねぇだろ。」


デイヴがいつもカバンに入れているタブレットを取り出し、すいすいと指を滑らせた。


「まぁまぁ、ちょっと待ってください。短気は血圧上げますよ?ワームウッドは、感染すると画面にテレビゲームに出てくるようなラッパ吹きが出ます。その画面を最後に、一切コントロールできなくなるんです。別名、トランぺッターと呼ばれてました。」


トーマスの表情が険しいものに変わった。


「それ、今回の管制システムへのサイバー攻撃の報告書に書いてあった奴じゃねえか。」


しかし、デイヴは頭を振った。


「言ったでしょ?都市伝説だって。そんなプログラムが完成していたら、このコンピュータ社会は瞬く間に崩壊しますよ。ネット掲示板の中で創られたおとぎ話です……でも、もしかしたら、実在しないとも限らない。」


「どういうことだ?」


「そのプログラムは、成長するんですよ。経験を積んで。……ここ一年の間のサイバー攻撃の回数を調べてみたんですが、去年の3倍。しかもだんだんセキュリテレベルの高い所に侵入してきている。」


感染すればするほど経験値を増し、学習するプログラム。そして、そのプログラムが目指す到達点は……。

トーマスは自分の推測に戦慄した。


「金ならウォール・ストリートの証券取引所を乗っ取れば済む話だ。だが…。」


もし、この国自体が目的なら……。


「CIAやペンタゴン、政治、司法、軍の中枢を攻撃するでしょうね。機密情報を全世界に流出させたと知れたら、国際的非難は避けられない。」


他国へ潜伏している米工作員や兵器の情報がテロリストの手に渡るということは、ハイエナに自らの肉を差し出すようなものだ。


「それが本当の事なら時間がない。あのアパートに行くぞ。」


トーマスは向かいのデスクの同僚に、ちょっと出てくるとだけ言い残し、飛び出すようにオフィスを出た。少し遅れて、慌ててその後ろにデイヴがついてきた。


「マンホール事件の捜査はどうするんですか?」


「もしお前の言ってることが本当なら、このテロは全部が繋がってるってことだ。それにコールマンが関与しているなら何の問題もないさ。」


ボスへの報告はいいんですか!?というデイヴの悲鳴めいた声も無視して、トーマスは廊下を走り出した。


「違います。僕たちギークの間じゃ都市伝説として有名なハッキングプログラムですよ。プログラムに知識欲と支配欲を植え付け、感染した端末の上位システムに侵入し、最後にはそのシステム自体を乗っ取ってしまうという恐ろしいプログラムです。」


「俺はそういうプログラムとかシステムとかいう言葉を聞くと、蕁麻疹が出るんだ。頼むから結論から話せ。」



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