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Lone wolf  作者: 片栗粉
37/64

コールド・スチール

予期した悲劇は

止まることを知らない。

石がひとつ転がれば

多くの石がそれに続くように

ついには我身をおそう。


~西洋の諺~

「出てきたらどうだ。其処にいるのは分かっている。」


零がコンテナの中に入って10分程経った頃だった。入り口を守るように立っていた斎藤がゆっくりと背後へ視線を移した。


既に地面に置かれたクラブケースの中身はなく、すぐに抜刀できる状態になっていた。鋭い殺気が、斎藤の全身から立ち昇る。


数秒ほどおいて、背後のコンテナの陰から人影が音もなく現れた。かなりの長身で、草臥れたモスグリーンのモッズコートのフードを被り、その手には抜き身の黒い長剣を携えていた。


ゆっくりと男がフードを脱ぐと、彫りの深い褐色の相貌が現れる。濃い睫毛で縁取られた漆黒の瞳、高い鼻梁の端正な顔には、不気味なほどに何の表情も浮かんではいなかった。


睨み合いは、数秒、いや、数分だったか。二人の男は彫像の様に不動であった。雨粒が二人の身体を濡らし、流れる。斎藤は、目の前の男だけに全てを集中させた。


斎藤が鯉口を切った。男が水飛沫を上げながら飛ぶように近づき、剣を振り下ろすのと、鞘から抜かれた刀が斬り上げられるのは同時だった。


二人の間に火花が散り、雨音に紛れて、ぎりぎりと金属が噛み合う音が響く。男より一回りも小さい斎藤の力に意外だと思ったのか、男が微かに口の端をゆがめた。


剣の湾曲を利用して、男が斎藤の刀を流す。そのままくるりと舞うように回ると、その遠心力を利用して背後から首を取ろうと右手を薙いだ。


斎藤もそれを読んでいたか、身体を沈めてそれを躱すと、振り向きざまに横胴を払った。刃が男の脇腹に食い込んだが、ぬかるみが災いし踏み込みの浅さに舌打ちした。


刃を通して、砂袋を斬るような異様な感触が手の中に伝わり、眉をひそめた。斎藤は間合いを取り、様子を見るが、男は傷を負った風もなく、平然としている。


「浅いが、刃は入った筈だ…何かを着込んでいるのか?」


睨みつけながらそう言うと、男は少しだけ首を傾げた後、何かを得心したように頷き、ゆっくりとモッズコートの片側を広げた。黒いタートルネックのセーターの上に、コートと同じ色のベストを着ていた。


先程斬られた所には一直線の傷が出来ていたが、布地が裂けているだけで、身体までは届いていないようだ。黒い衣服に包まれたその槍の様に細い体は、鋼の如く鍛え上げられ、無駄なものは一切無い。


一合刃を交えただけで、斎藤は相手が相当の実力者であることを見抜いた。帷子を着ていても男の動きは鈍ることはなく、豹の如きしなやかな力強さに満ちていた。見たことのない剣を遣う男に、昔の闘志が甦りつつあった。


「チッ…帷子か。面倒だな。」


斎藤はそれが鎖帷子の一種だとしか分からなかったが、実の所、カーボンナノチューブとケブラー繊維が織り込まれた最新式の軽量型軍用ボディアーマーであった。柔らかく、44マグナムすらも通さないそれの前では、刃物など無力に等しい。


だが、身体に刃が通らぬならば、別の場所を狙えばいい。斎藤は間合いを取ると、切っ先を相手の首にぴたりと向けて構えた。


「次は、る。」


『お前、強いな。…面白い。』


男の言葉は分からなかったが、斎藤にはどうでもよかった。目の前の敵を斬る。今はそれだけでいい。

浅黄の羽織を纏っていた頃の高揚感が斎藤を支配していた。


ざあざあと、雨脚が強くなり、雨粒が矢のように容赦なく二人の全身を打つ。だがその目は瞬きすらも無く、唯々目の前の敵を見据えていた。まるで、生きるために牙を剥きだして睨み合う獣の如く。


「ゆくぞ。」


『行くぞ。』


二匹の獣が、走り出そうとした瞬間だった。




「斎藤さん!!」


背後から腰部分に激突するかの様に組み付かれ、斎藤は予期せぬ闖入者に声も上げられぬまま、勢いよく地面に倒れた。


ばしゃりと盛大に泥濘が跳ねあがる。すると間髪いれずに、斎藤が数秒前まで立っていたすぐ後ろの鋼鉄のコンテナの壁に大穴が穿たれ、鉄片が飛び散った。


すぐ傍でけたたましい銃声が響き、泥が顔を伝ったが、斎藤は男から決して逸らさなかった。


男は零の銃弾を素早くコンテナの陰に隠れてやり過ごし、驚いたように斎藤を見た。そして何やら苛立った面持ちで舌打ちをすると、鮮やかな身のこなしでコンテナの上へ上り、雨の中へ消えていった。


「……。」


ゆっくりと斎藤は身を起こす。雨と泥でぐしゃぐしゃになった衣服も意に介さず、男が消えた方向を睨みつけていた。


「邪魔してすみませんでした。」


斎藤を闘いの途中で引き倒した零は、バツ悪そうに謝った。実をいうと敵があの男一人であれば、手出しするつもりはなかった。


言い方を変えれば、二人の剣の達人が睨み合う中、剣に関してはほぼ素人の零が手出しなどできなかったというのが正しいのだが。


だが、闘いの行方を見守っていると、40メートルほど離れた廃ビルの中腹できらりと光るものを見た。入口も封鎖され、人などいない事は事前に確認していた。


ちょうどこの空き地を見下ろす形で建っているあの廃ビルは絶好の狙撃ポイントだ。すぐにそれが狙撃手だと判断した瞬間、頭より先に身体が動いていた。

斬られなくてよかったと、内心ほっとしていた。



コンテナの分厚い鉄の壁を粉砕するあの威力から見て、対物ライフルであろう。零の判断が一瞬でも遅ければ、コンテナではなく、斎藤の上半身が吹き飛ばされていたはずだった。


「……いや。俺も気づかなかった。修行が足らんな。」


刀を鞘に納めながら、斎藤が言った。


「あれは何者だ?」


「……判りません。が、肌の色、言語から察するに…イラク…いや、シリア人かな…まだあれだけでは何とも。」


零は水溜まりを物ともせず、這うようにして飛散したコンテナの壁を調べながら答えた。


「流石、というべきか。よく見ているな。俺が判ったことは、奴の腕は生半可じゃない。かなりの修練を積んでいるようだ。」


「ブラボー。さすが斎藤さん。あと分かったことはあります?」


「そうだな……微かに白檀のような香りが…いや、他にも何か…。」


刃を交えたとき、男から血の臭いの他に、微かだが甘く、苦い香の薫りがした。考え込む斎藤に、零は笑みを向けた。


「素晴らしい観察眼です。斎藤さん。ラングレーのインテリ野郎共よりよっぽど頼りになる……と、あったあった。」


零は地面をナイフで掘り起こし、ハンカチでひしゃげたライフルの銃弾を包むと、斎藤を振り返った。もう雨はほとんど止み、小雨がぱらつく程度であった。


「取り敢えず、剣使いと、狙撃手の二人組だということは判りましたね。狙撃手の方もかなり腕がいい。こりゃあ手ごわいですよ。」


「こちらも二人だ。心配は無い。だろう?」


その言葉に、零は少しだけ驚いたように目を丸くしたが、すぐにあのチェシャ猫のような笑みを浮かべると、頷いた。


「頼りにしてますよ。相棒。」


――――――――


びしょ濡れのモッズコートを脱ぐこともせず、サハムは全く同じ服装、同じ顔の兄に向かい、無機質な声にほんの少しだけ怒りを滲ませて問いかけた。


「何故邪魔をした。カウス。」


カウスはギターケースに南アフリカ製の対物ライフル、ダネルNTW20を素早く入れると、最後に空薬莢を丁寧に白いリネンのハンカチで包んだ。


「あの東洋人はデータになかった。二人対一人では分が悪い。お前も分かるだろう。」


カウスは弟の肩に手を置くと、諭すように言った。漆黒の夜のような瞳が、サハムをじっと見たが、サハムは兄の顔を見ることはなかった。


サハムは、あの奇妙な東洋人と対峙した時、得も言われぬ高揚と、充足感が胸の裡を満たすのを感じていた。それは、今までこの仕事をしてきて初めての事だった。


双子の兄は、弟の微妙な感情の変化を感じ取ったのか、厳しい声で叱咤した。


「サハム。感情や誇りなど俺達にとって邪魔なものだ。母さんが死んだ時、俺達はシャイターン(悪魔)になると決めたはずだ。忘れたか。」


「……忘れるものか。」


サハムは同じ黒い瞳を兄に向けた。その眼には激しい怒りが滲み出ていた。カウスは厳しい表情をふと緩めて、弟の頭を両手で優しく包み、額同士を近づけた。

それは唯一残された肉親だけに見せる、人間らしい感情だった。


「俺達は全てを奪った世界に復讐する。ただそれだけでいい。それが俺達の願いなのだから。」


もう神など信じることはない。カウスは故郷の言葉でそう呟いた。そう。全てはあの時から始まった。幼い二人は悪魔になり、兄は銃を、弟はシャムシールを取った。

そして、己の手を血で染める内に、感情すらも無くしてしまった。ただ一人残った兄弟への愛情だけを残して。


「カウス。俺は感情に振り回されてるわけじゃない。あの東洋人は今度こそ殺す。プロとしてだ。あの女はお前に任せた。」


「分かっているさ兄弟。お前はサハムで俺はカウスだ。弓は矢がなければ役に立たんし、その逆も然りだ。」


カウスはポンポンと弟の肩を叩くと、頼りにしているさ。お前の剣は誰にも止められないよ。と言った。それを聞いたサハムは擽ったそうに目を伏せた。


「俺も兄さんの狙撃の腕は信頼しているさ。俺の背中は兄さんにしか預けない。」


二人は拳をごつりとぶつけ合うと、初めて若者らしく笑った。

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