Turbulence2
ここにくらべればダンテの描く地獄などまるで喜劇に思える。
~アウシュビッツでの医師の言葉~
シカゴ国際空港、センターコントロール(中央管制塔)管制室。
いつもは過密とも言える滑走路の離着陸スケジュールを十数名の管制官と職員が管理している。
ダイヤの遅れは数万人の足に影響を及ぼす為に、常にオフィスは張り詰めた雰囲気に包まれているが、今は全く別種の緊張感に包まれていた。
モニターを見ながら怒声を張り上げる者、受話器に向かい何事かを必死で説明する者がいる中で、大部分の職員が目の前の滑走路に広がる惨状を見つめていた。
真っ二つになった機体の至る所から炎が吹き上がり、夜の空を真っ赤に染め上げていた。
誰もが、目の前の事態を理解することが出来なかった。
「な、何が起こっているんだ…。」
数人の管制官が必死に無線で叫ぶ。
「だからもう既に一機墜落しているんだ!早くレスキューと州軍、警察にも連絡してくれ!テロの可能性がある!」
「エアウェイク798!聞こえるか!もっと高度を上げろ!そのままではほかの機に突っ込むぞ!」
「スカイレール567!駄目だ!その飛行場じゃない!クソッ何で繋がらない!」
室内には何故かトランペットのファンファーレが鳴り響いている。
レーダー管制システムの画面に、レトロゲームのキャラクターのようなラッパ吹きの姿が映し出されていた。その趣味の悪いBGMは、辺りの喧騒と相まって不協和音を奏でていた。
「駄目です!どのラインとも繋がりません!……管制システムが…乗っ取られているようです。」
「なんということだ……。」
10日後には定年を迎える主任管制官が、この30年の管制勤務の中で最も異常な事態の中、初めて心から神に祈った。
―――――――
零達はこの尋常ならざる事態に、ただ座席で様子を見ることしかできなかった。
一度に十数機の旅客機がニアミスするなど、普通では絶対にあり得ない。もし、あり得るのならば、何らかの外的要因としか考えられない。
だが、そうはいっても、どうすることもできないのが現状だ。今できることは、この機のパイロットの腕が良いことを祈るだけだ。
周りを見れば、さすがに乗客たちも異変に気付いたのだろう。不安げな表情で窓の外を見ている。
「さすがにこれはヤバイかな。」
ため息をつきながら零が独りごちる。その隣で斎藤が冷や汗を浮かべながら睨みつけてきた。
「……だからもう乗りたくなかったんだ。」
本日何回目かのやりとりにうんざりしたように答えようとした時だった。ガクンと客室が大きく揺れたと同時に辺りから悲鳴が上がった。
零達の乗る機のまさに真横で、片翼を損傷した機と同じ高度を取っていた別の機が衝突し、爆発したのだ。
その衝撃は、零達の乗る機体にも大きく伝わった。ガクンと機体が揺れ、乗客達が悲鳴を上げる。
外を見れば、バラバラと炎と部品や荷物、そして豆粒のような動くものを落としながら、二つの旅客機はひしゃげ、縺れながら地上へ落下していく。
さすがの二人も言葉を失った。
客室は至る所で悲鳴や怒声があがり、たちまちパニックに陥った。乗務員が泣き叫ぶ乗客をなだめようとするが、全く効果はない。
その時零は、向かいにある客室ドアの辺りで異常な音がしているのに気が付いた。考える前に、座席から身を乗り出して叫んでいた。
「そこから離れろ!早く!」
一瞬水を打ったように辺りが静まったが、パニックで恐慌状態に陥った人間の戯言としか受け取られていないようだ。
もう一度、零が席から身を乗り出したその時だった。
めりめりと金属が嫌な音を立てて剥がれるとともに、客室ドアが周りの壁ごと吹き飛んだ。猛烈な風が客室内に荒れ狂い、あらゆるものを巻き込んだ。
その時、数人の乗客と、乗務員が外に吸い出されてゆくのがかろうじて見えたが、今はそんなことにかまっている余裕などなかった。
必死にひじ掛けと前の座席を掴む。前を見ると、手荷物収納庫から飛び出したスーツケースが顔面に向かって飛んで来た。間一髪で避けたが、不運なことに扉が吹き飛んだ時の衝撃が原因か、シートベルトが根元の金具ごと外れてしまった。
凄まじい風圧に体が浮き上がりそうになるのを渾身の力でしがみつく。酸欠で頭がガンガンしてきたが、酸素マスクをしている余裕などない。エンジン部にも支障をきたし始めているのか、機体が上下左右に激しく振られ、そのはずみで片手が外れた。
「うわっ!くそ!」
一気に体が浮き上がった。ぽっかりと空いた穴に吸い込まれそうになるのを片手でしがみつく。外に放り出されれば確実に死ぬ。半ば諦めかけたその手を、横から伸びた力強い腕が掴み、引き寄せた。
「掴まれ!」
無我夢中で斎藤の体にしがみついた。斎藤も零の手と腰に腕を回して固定した。マイナス40℃の風が機内を荒れ狂い、容赦なく二人の体温を奪う。歯を鳴らしながら外を見ると、どんどん高度が下がっているのが分かった。
零はボトムのベルトを抜き取り、斎藤のシートベルトと自分の体を縛りつけた。
こうなってしまっては、胴体着陸は避けられない。零は最悪の結末を覚悟した。いずれ碌な死に方をしないだろうとは思っていたが、隣の斎藤を巻き込んでしまったことだけが心残りだった。
骨ばった手を上から握り、頭を低くするようにジェスチャーで伝える。すると、斎藤が何かを言った。風や周りの悲鳴で殆ど聞き取れなかったが、唇の動きで何を言っているか辛うじて解った。
『大丈夫だ。』
その目には、未だ生きることを諦めてはいない力強さが宿っていた。自然と笑みがこぼれる。こんな状況でそんな台詞が言える斎藤が頼もしく感じられた。
次の瞬間、天地がひっくり返るような衝撃が全身を襲い、二人の意識はそこで途切れた。
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『とある記者の報道ノートより抜粋』
2038年4月2日。
ワシントンD.C ペンシルバニア通り1600番地。
ホワイトハウス内 記者会見室にて。記者会見はアーネスト報道官。
4月1日に起きた航空機同時多発墜落事故についての見解。
・墜落した旅客機は4機。行方不明が1機。合計5機。
・原因は、航空管制システムに対する一斉サイバー攻撃。
・航空無線すら繋がらなかった原因については現在捜査中。
・米政府はこの攻撃をテロと断定し、あらゆる面での捜査を開始している。
※メモ
このテロはこれで終わりではない。私の勘はこれははじまりに過ぎないと告げている。
この恐れが杞憂であることを心から願いたい。




